ヒナコレ
太陽を思わせる赤い髪の毛、綺麗に真っ直ぐに立った背筋、宝石のような緑色の瞳の女子高生がシンヨコ高校に通っていた。
彼女の名前はヒナイチ。
成績優秀・運動神経抜群・クッキー大好きの三拍子が揃った華の女子高生だ。
「おはよう、ヒナイチ君」
そんな彼女に声をかけるのは同じクラスのドラルク。
虚弱で運動はからっきしだが、成績優秀で料理が趣味で家族であるアルマジロのジョンを可愛がる男子だ。
「事実だけど『虚弱で運動はからっきし』の部分は省いてくれない?」
「正しい人物紹介をするのは大切だ。それよりも今日もクッキーは作ってきてるのか?」
「勿論だよ。はい、これ」
「クッキー!ありがとうドラルク!!」
綺麗にラッピングされて出されたクッキーにヒナイチのキリリとした表情は途端に緩む。
ドラルクはよくお菓子を作って来るのだが、その中でもヒナイチは特にクッキーが大好きだった。
早速一枚口の中に入れればアホ毛ともアンテナとも呼ばれている、ピンと立った一筋の前髪が可愛らしいハートマークを描く。
こんな朝のやりとりがヒナイチの日常だった。
しかしそんな彼女には誰にも言えないもう一つの日常があった。
「ぷ、プリリアントパワー♡きゅんきゅんコスチュームチェンジ!」
「変身!ヒナイチレッド!」
彼女は魔法美少女ヒナイチレッドだった。
何がどういう事なのかというと、ある日いつものように帰っていると饅頭のような見た目をした妖精を名乗るブサイクな生物に『魔法美少女として戦ってほしいプリ!』と言われて強制的に魔法美少女にされてしまったのだ。
この歳にして魔法美少女というのはあまりにも恥ずかしく、すぐに元に戻してもらおうとしたが紫色のオーラを纏う化け物が現れ、なし崩し的にそれと戦闘する事になった。
そしてプリリアントパワーとやらでそれを退治し、更に妖精に『人間界を守る為に戦ってほしいプリ!』と頼まれて魔法美少女として戦う事になってしまったのだ。
色々ワヤワヤではあるがここまでがヒナイチが魔法美少女として戦う経緯である。
本日は人気のない工事現場での戦いだ。
「プリリアントパワー♡きゅんきゅんビーム」
手でハートの形を作る事で放つ事の出来るピンク色のビーム。
あまりにも恥ずかしくてヒナイチはいつも声を抑えて呪文を唱えていた。
「ヒナイチレッド、もっと大きな声で言えないプリ?決め台詞プリよ?」
「言えるわけないだろ」
「プリィ・・・前任のゼンラーピンクは大きな声で唱えてくれたプリ」
「そいつはそいつ、私は私だ。というよりも前任がいたのか?何で私にお鉢が回ってきたんだ?」
「緑化運動をするという使命があるからって契約を解除したプリ」
「そんな理由でやめていいなら私は受験があるから今すぐ契約解除をしたい。構わないな?」
「構うプリ~!これまで貧弱サイコパス大天才だのガタイの良い騒音男だの美少年でありっちゃありだったけど速攻断られた男の子だので野郎続きだったプリ!そこへきて漸く美少女に巡り会えたんだからもう少し満喫させて欲しいプリ!」
「これまでにも私以外の哀れな被害者が・・・ていうか満喫って何だ!?お前の自己満で私はこんな恥ずかしい事をやらされているのか!!?」
「そ、それよりもヒナイチレッド、あそこに誰かいるブリ」
鬼のような顔をしたヒナイチに潰して来る勢いで両頬を挟まれた妖精は語尾が濁点になりながらある一点を指し示す。
気配を察知したヒナイチは妖精を離すとそちらを振り返る。
「ブラボーブラボー!流石は魔法美少女だね」
暗闇の中、蠢く影。
それは月の光の下に出て来ると長身痩躯の男性である事が分かった。
角のような黒い髪型、舞踏会で付けそうな不気味なマスク、真っ黒なマント。
異様な雰囲気のその男にヒナイチは警戒心を強める。
「誰だ!」
「これは失礼、申し遅れました。私の名前はヘンリー・シャドウズ。以後、お見知りおきを」
「ヘンリー・シャドウズ!?」
「知ってるのか?スコスコ妖精?」
一瞬時が止まり、妖精は口を開けたまま呆然とヒナイチの方を振り返る。
「・・・何プリ?その名前?」
「お前の正式名称は『魔法美少女スコスコ妖精』なんだろう?なら略してスコスコ妖精でいいじゃないか」
「嫌プリ~!いやらしい響きがして妖精っぽくないプリ~!」
「自分の正式名称の一部をいやらしいと感じているのか、お前は。それよりもあのヘンリー・シャドウズについて何か知ってるのか?」
「『享楽のヘンリー・シャドウズ』とは闇の世界では有名な暗黒の一族の名前プリ。アイツ自体はクソ雑魚プリ。でもアイツの仕掛けるゲームだけは絶対に受けちゃいけないプリ。アイツはゲームには滅法強くて勝てる者は殆どいないプリ」
「ならゲームを受けないで一撃で沈めれば終わりだな」
「クッキー食べたい人はこーのゆーびとーまれ!」
「ちんー!!」
「ああっ!?ヒナイチレッド!!」
ヘンリー・シャドウズが真っ黒なマントの中から取り出したラッピングされたクッキーを見てヒナイチは条件反射でヘンリー・シャドウズの立てた人差し指に止まった。
「はい終了~!クッキーはヒナイチレッドのもので~す!」
「やったー!」
「その代わり、私とゲームをしてくれたらあげよう」
「し、しまった!」
「お題目はにらめっこ。先に目を逸らした方の負けだ」
「お、お前が勝ったらどうなる・・・?」
「うーん・・・キスしちゃおうかな」
「は、はぁっ!!?」
「はい、にーらめっこしーましょーあっぷっぷっ!」
やや音程を外しながらも子供のようにヘンリー・シャドウズは口ずさむ。
有無を言わせずに開始されたにらめっこにヒナイチは慌てて表情筋を固くする。
(待てよ?目を逸らしたら負けだから別に笑ってもいいのか?)
にらめっこと言えば笑った方が負けというのが通常のルールだが、ヘンリー・シャドウズの提示したルールは『目を逸らしたら負け』だ。
それならば勝てるかもしれない、と肩の力を抜いて心を落ち着けてヘンリー・シャドウズの瞳を見据える。
(瞳、赤いんだな・・・ドラルクと同じだ・・・)
脳裏に過るはクラスメイトのドラルク。
料理が上手で、勉強が出来て、冗談が面白くて、いつも隣にいるのが当たり前になっているドラルク。
彼の事を思いだした途端、今こうして初めて会う男と見つめ合っている事に罪悪感を覚え始める。
そんな気持ちから無意識にヒナイチはほんの一瞬だけ瞳を逸らしてしまう。
「キミの負けだ、ヒナイチレッド」
静かな声にハッとして視線を戻すと愉快そうに口角を吊り上げるヘンリー・シャドウズの顔がそこにあった。
「しまった・・・!」
「それじゃ、罰ゲームね」
(き、キスされる・・・!!)
敵なのだから遠慮なく殴ればいいという考えと、不用意にゲームを受けた自分が悪いのだからフェアであるべきだという思考の狭間で揺れている所為で体を動かす事が出来ない。
その僅かな迷いが命取りとなり、ヘンリー・シャドウズは優雅な動作でヒナイチの手を取ってその指にちゅっ・・・とリップ音を立てて口付けた。
「・・・・・・・・・!」
数十秒の沈黙が流れるのと同時にヒナイチの瞳が大きく見開かれる。
「・・・な・・・な・・・何をする貴様ー!!?」
アンテナを雷のマークのように立てながら怒鳴るヒナイチだがヘンリー・シャドウズにはどこ吹く風。
「ルール通りキスをしただけだよ。それとも唇の方が良かった?」
「んなっ!?ななっ・・・!!?」
「はい、参加賞のクッキー。変な物は入れてないから安心してお食べ」
動揺して赤面するヒナイチにクッキーを半ば強引に持たせてヘンリー・シャドウズは大きく一歩後ろに下がる。
「今日は楽しい夜だったよ、ヒナイチレッド。また、月の美しい夜に会おう」
口の端を愉悦で歪めながらヘンリー・シャドウズは仰々しくお辞儀をするとマントを大きく翻して暗闇の中へと歩いて行き、そして消えてしまった。
後に残されたヒナイチはただ呆然とその暗闇を見つめる事しか出来なかった。
(初めて会うのに・・・どうしてこんなにもときめいてしまうんだ・・・)
高鳴る胸の鼓動、温度が上がる自分の顔、頭から離れないヘンリー・シャドウズの瞳、顔、そして耳に残る声。
(・・・すまない、ドラルク・・・)
襲い来る罪悪感、締め付けられる胸、強く鮮明に思い起こされるドラルクの優しい微笑み、自分の名前を紡ぐ低い声。
そこでふと気付く、何故ドラルクが脳裏に過るのか。
何故ドラルクに対して申し訳なく思うのか。
どうして―――胸が痛むのか。
(そうか、私はドラルクの事を―――)
「いいプリよ~?恋に揺れ動く展開大好物プリよ~?」
「ちんっ!!!」
真横に迫ってきたにやけ面のスコスコ妖精を鷲掴んでグルグル振り回すとヒナイチはそれを思いっきり投げつけた。
「おぶぇっ!!」
鉄筋に衝突したスコスコ妖精はその悲鳴までもがブサイクなのであった。
翌日となり、変わらず登校するヒナイチ。
しかし雰囲気は明るくなかった。
「おはよう、ヒナイチくん」
そこに変わらず声をかけて並んでくるドラルク。
だが、昨夜の事もあってヒナイチは罪悪感からドラルクの顔を直視する事が出来ず、俯いて挨拶を返す。
「ああ、おはよう、ドラルク・・・」
「どうしたの?なんだか浮かない顔をしているけど?」
「な、何でもないんだ・・・何でも・・・」
ヘンリー・シャドウズに手にキスをされた記憶が蘇り、ヒナイチを更に苛む。
そんな風に暗く沈んでいくヒナイチを怪訝そうに眺めながらドラルクは鞄の中から二つのラッピングされた袋を取り出す。
「はい、いつものクッキー。それから今日はオマケでマドレーヌだよ。何があったのか知らないけどドラちゃん印のお菓子を食べて元気を出したまへ」
「クッキーとマドレーヌ!感謝するぞ、ドラルク!!」
大好きなクッキーに加えてマドレーヌも貰えてヒナイチの沈んでいた気持ちは瞬く間に天へと昇る。
その様子をドラルクが怪しい笑みを浮かべて見ている事も知らず―――。
続く