賑やかホワイトデー
過ごし損ねた大切な息子―――ドラルクとの時間。
それを取り戻すのは何も子供に戻すだけではないと少し前にその大切な息子に説教をされた。
しかしそれが分からずに率直に何があるか聞いたら沢山挙げられた。
その中に『買い物』があったので、心の中の『ドラルクとやりたかった事リスト』を達成すべくミラはドラルクにRINEで連絡を取った。
丁度ファンを名乗る不特定多数の人間からバレンタインのチョコを受け取り、『吸血鬼その不特定多数の人間にお返しを届ける』を名乗る訳がわからないがピンポイントで便利そうな能力を持つ同胞に届けて貰うプレゼントをどうするか考えていた所だった。
それを一緒に考えてもらいたくて買い物をしたいと伝えたらドラルクは快く返事をくれた。
どうやらドラルクもバレンタインのお返しを作る用事があるらしく、あの人間の友人達と共に買い物に行く予定があったらしい。
良かった、ドラルクが受け入れてくれた、と安心したミラは胸を躍らせてその日を待った。
「お待ちしておりましたよ、お母様」
心待ちにしていた買い物当日。
例の事務所に到着するとジョンを抱えたドラルクがにこやかに迎えてくれた。
ジョンも歓迎するように両手を挙げて「ヌー」と鳴く。
「今若造とヒナイチくんが車を借りに行ってるのでそれまでそこのソファでお待ちいただいても宜しいですかな?」
「ああ、勿論だ」
ドラルクに勧められた方のソファに腰掛ける。
安い革張りのソファだが座り心地は悪くない。
座ったミラの向かいのソファにドラルクとジョンが座る。
「お仕事の方は相変わらずお忙しいのですかな?」
「ああ。だが昔に比べたら落ち着いている方だ。ドラルクの方はどうだ?確かあの友人達と一緒に街のトラブルの解決に当たっているんだったな?」
「巻き込まれてなし崩しに仕方なくと言った所ですがね。しかし!このドラルクの活躍によって全ての事件は解決に導かれているのです!」
「そうなのか?凄いなじゃないか、ドラルク」
ミラに純粋に褒められ、ジョンが拍手を送る事でドラルクはより一層鼻誇らし気に胸を張る。
入り口横のメビヤツが「そうかぁ?」とでも言いたげに目を細めていたがドラルクは全力で無視した。
「か弱かったお前が同胞達の起こす事件を解決出来るまでになったなんてな。母さんは嬉しいぞ」
「フフフ、これからも私の活躍にご期待下さい!ね、ジョン?」
「ヌー!・・・ヌッ」
ハッ、と何かに気付いたジョンはソファからテーブルの上に飛び乗ると、トコトコと歩いてミラの前に来る。
「ヌヌヌヌ!」
「何だ、ジョン?」
「ヌヌヌヌヌヌヌヌヌ、ヌンヌヌヌ、ヌリヌヌヌヌヌヌヌ?」
「私の力でお前をスリムに出来ないかだって?」
「ジョン、お母様の力で一時的にスリムになってもおムニは誤魔化せないよ」
「ヌォォ・・・」
「おムニ?」
「摘み食いや色んな人達が甘やかして食べ物を与えるからジョンが太り気味で・・・」
眉毛を八の字にしながらドラルクはジョンのお腹をムニッと摘んで贅肉をミラに見せ、ジョンは自身の顔を覆って「ヌヤン」と恥ずかしそうにする。
成る程、これがおムニか。
ミラは苦笑を漏らすとジョンの頭を撫でた。
「ドラルクの血を分け与えられているとはいえ、多分お前の姿を変える事は出来ないと思うぞ」
「ヌゥ・・・」
「それにな、ジョン。お前はドラルクの事は好きか?」
「ヌン!!」
「だったら尚の事、ダイエットに励まないとな」
「ヌー?」
「私も愛する家族の為にダイエットをする事があるんだ。管理を怠って太った姿なんて見せたくないからな」
「お父様はたとえお母様が太っていてもありのままを愛すると思いますけどね」
「それでもドラウスやお前にとってはいつまでも綺麗な私でいたい。だから私は太ってしまった時は家族の事を思い出しながら頑張るんだ」
「そう、ですか・・・ちなみに私もあまり気にしない方ですが」
最後の方の言葉は目を逸らしながら小さな声で呟くドラルクに静かに笑みを溢す。
照れているドラルクは可愛らしく、こんな姿を見るのは久しぶりな気がする。
「ジョンはドラルクの前ではどんな自分でいたい?だらしなく太った自分でいいのか?」
「ヌゥ・・・イヤヌ」
「なら、頑張らないとな。ドラルクもお前が健康的でスリムで凛々しい姿になったら喜んでくれると思うぞ」
「おムニでも可愛いけどお母様の言う通りのジョンになったら私はとても嬉しいよ」
「ヌン、ヌンヌヌ!ヌヌヌヌ、ヌリヌヌヌヌイヌヌ!」
ジョンはお礼を述べてペコリと頭を下げるとそのまま、コテン、とお腹を見せて横になった。
それの意味するものが分からずミラは首を傾げる。
「ジョン?」
「お腹を撫でてあげてください。ジョンの感謝の証です」
「フフ、そうか」
ならば遠慮なく、とミラはジョンのお腹に手を添えて撫で始める。
「ヌヒャヒャヒャ」とくすぐったそうにするジョンの毛並みはとてもフワフワで触り心地は高級生地のよう。
ドラウス経由でドラルクはジョンの世話をしっかり見ていると聞いたが、どうやら本当にそのようだ。
このフワフワの毛並みはしっかり手入れされている証だし、何よりジョンの健康をとても気にしている。
優しくて面倒見の良い子に育ってくれて良かった、とミラは心からドラルクの成長を誇らしく思うのだった。
(これもドラウスの育児の賜物だな)
仕事で不在がちな自分に代わってドラルクの世話してくれていた最愛の夫・ドラウス。
日頃の労いも兼ねてサプライズで何かお土産を買っていこうと考えていたが今日に至るまで結局何も思いつかず。
折角だからドラルクに意見を聞いてみよう。
「ドラルク、一つ相談をしてもいいか?」
「ええ、いいですよ。何ですか?」
「ドラウスにサプライズで何かお土産を買って行きたいのだが何がいいだろうか」
「ふむ・・・これから行くスーパーには吸血鬼用の物はあまり置いてないですからねぇ・・・どこかそれ用の店に寄って行きましょうか?」
「いや、そこまでしてもらうのは悪い。それにお前達も今日は材料を買ったらホワイトデーのお返しを作るのだろう?お前達の時間を無駄にしたくはない」
「別に無駄なんかじゃありませんよ。けれど確かに当てもなく探すのもな・・・お父様最近何を欲しがってたかな・・・」
顎に指を当てて頭を捻るドラルクの顔にドラウスの面影が重なる。
常々、ドラルクはドラウス似だと思う。
そんな所も愛しい。
なんて思っている場合ではない、ドラルクばかりに考えさせてはダメだ。
思考を切り替えてミラはドラウスとのここ最近の会話を思い返してみた。
「うーむ・・・そういえばドラルク達と同じようにホワイトデーのお返しについて少し悩んでたな」
「と、言いますと?」
「チョコレートケーキを作りたいが普通のじゃ畏怖られないし誰かと被りそう。でも今更変えられないし。俺は畳に絡みこむ髪の毛・・・だと」
「成る程、チョコレートケーキですか・・・・・・あ、じゃあオレンジジャムを贈るのはどうですか?」
「オレンジジャム?」
「はい。マーマレードチョコレートケーキにするんですよ。それならオシャレですし、何よりもお母様からの贈り物ですからお父様もお喜びになりますよ」
「ドラルクが言うなら間違いないな。ならオレンジジャムを買うとしよう」
「決まりですね」
ドラルクがにこやかに微笑み、ミラも満足そうに笑む。
親子らしい会話が久しぶりに出来てミラはとても嬉しかった。
と、そこで不意にドラルクのスマホが着信を知らせてドラルクがそれに出る。
「もしもしヒナイチくん?あ、用意出来た?うん、じゃあ今から行くね」
通話を切ってスマホをポケットにしまうとドラルクは立ち上がった。
「車の用意が出来たそうです。行きましょうか」
「ああ、そうだな」
撫でて少し乱れたジョンの腹気を丁寧に梳いて手を放すとジョンは高く飛んでドラルクの肩に乗った。
それからミラも立ち上がるとドラルクと連れ立って事務所を後にした。
スーパーには色々な物がある。
人間用の食材から吸血鬼でも使う日用品まで何でも。
勿論その中には菓子折りもあるが値段からして安物ばかりだしお返しには何だか違う気がする。
かと言って中元歳暮向けの高い物をお返しにするのも、貰った物に対して釣り合いが取れていない。
さてどうしたものか、と顎に指を当てて生鮮食品売り場の前で困ったように首を傾けるミラの隣にロナルドとヒナイチが並んで立って同じように首を傾ける。
「お返し、中途半端な物は贈れないッスよねぇ」
「え?あ、ああ・・・まぁ」
「バレンタインではどのような物を頂いたのですか?」
「・・・普通の吸血鬼向けのチョコだな。手作りと既製品が半々といった所だ」
「私達と同じパターンか・・・」
うーん、と唸りながらロナルドとヒナイチは同じ方向に首を傾ける。
兄妹ではないそうなのだが、まるで兄妹のように雰囲気や仕草が似ていて可愛らしくおかしかった。
面白いから自分も同じ方向に首を傾けてみる。
ちょっと楽しい。
「オレンジピールを作るのは如何でしょうか、お母様」
ガラガラと最大サイズのカートを押しながらドラルクがやってくる。
それからオレンジの置いてあるコーナーまで行くとジョンと一緒にそれぞれにオレンジを手に取って尋ねてきた。
「オレンジピール?」
「ちょっとしたお茶のお供にもお菓子作りにも使える物です。簡単に作れますし、如何ですかな?」
「だが私は料理はあまり得意ではないし・・・」
「大丈夫ですよ、私がお教えします。若造やヒナイチくんにも教えながら作る予定なのでお母様も一緒に作りましょう」
「一緒に・・・」
そういえば一緒に料理を作るなんて事はあまりなかったように思う。
仕事がちなのは勿論の事、料理は得意ではない。
精々で失敗しないで作れるのはブラッドジャムサンドくらいだろうか。
ドラルクが幼い頃に時間が出来た時に作ってあげた事はあっても一緒に作った記憶はあまりない。
だから愛する息子と楽しい思い出をまた一つ刻めるならとミラは一も二もなくドラルクの提案を快諾した。
「ああ、作ろう。是非教えてくれ」
「では決まりですね。若造、ヒナイチくん、私はジョンとお菓子作りに必要な材料を取ってくるから二人は夕飯の食材宜しく。あとお母様と一緒にマーマレードジャム選んでくれる?父が人間へのホワイトデーのお返しに使う物だから良い物選んであげて」
「おー」
「任されよう!」
「じゃ、行こうかジョン」
「ヌー」
持って来たカートをロナルドに渡してドラルクはカートの上段に二つ重ねていたカゴの一つを手に取ると、自分とジョンが持っていたオレンジとその他数個のオレンジを入れて慣れた足取りで他のコーナーへと歩いて行ってしまった。
残されたミラは未だロナルドとヒナイチとの距離感を上手く掴めていないので内心困ったように二人を振り返ったが、二人は気さくな笑顔でそれぞれ一言。
「そんじゃ行きましょうか」
「ジャム売り場はこっちです」
「あ、ああ・・・」
爽やかに言い放つ二人に少し気後れしながらも頷いてミラは二人の後について行く。
今度は少し不思議な気分がした。
少し前まで吸血鬼と人間は激しく対立していた。
悪魔と吸血鬼を同一視して討滅せしめんとする教会とそれに反発して人間界を征服しようと企む反人間派吸血鬼がいてとても物騒な時代だった。
そんな時代から、そして人間たちからドラルクを守る為にドラウスと共にドラルクが平穏に暮らせる世界を作ろうと決意したが、実に色んな人間を見て来たのは言うまでもない。
吸血鬼にも色々な性格の者がいるように、人間にも色々な性格の者がいた。
しかし時代が時代なだけあってどの人間も吸血鬼を畏怖し、そして嫌った。
誰もが『昨日の敵は明日の友』という言葉の真逆をいく『昨日の友は明日には敵』というような態度であり、それはミラも同じだった。
職務で無実の吸血鬼を弁護して助けただけだというのに逆恨みをしてその恨みの矛先を向けて来る人間がいたのは言うまでもない。
勿論その時には返り討ちにしてやったが。
吸血鬼の方はミラが如何に強大な吸血鬼か、そして何よりも竜子公の妻であるという事を知っていたので無謀な復讐に臨む者などいなかった。
それに比べて人間の何と愚かな事か。
この調子ではドラルクが平穏に暮らせる日はまだまだ遠い、なんて思っていたが、どうやらその日はとっくに訪れていたようだ。
(少し前までは人間と肩を並べて歩くなんて事は考えもしなかったな)
迫害や無益な争いを避けて高等吸血鬼は隠れるように身を潜めて生きて来た。
人間も高等吸血鬼に出くわさない事を祈りながら警戒心剥き出しで生きて来た。
それが今、人間も吸血鬼も分け隔てなくお互いに肩を並べて歩いている。
どうもこの新横浜はおかしな能力を持った吸血鬼が多いらしく、その能力を使って問題を起こせば当たり前だが取り締まられる。
しかし問題を起こさずにいれば退治人も吸対も一般住人すらも吸血鬼が歩いていても気にしないし、困っていれば親切にして助け合おうとしてくれる。
そしてその町でドラルクが毎日楽しく過ごしている。
虚弱ですぐ死ぬ体質で吸血鬼のドラルクが、沢山の人間や同胞に囲まれて。
(良い時代になったものだな)
時間はとてもかかった。
けれども自分とドラウスがドラルクの為に作りたかった世界がここにある。
今はまだシンヨコだけだが、いつかは日本中に、そして世界中に広がる日もそう遠くはないだろう。
本来であれば吸血鬼の天敵である退治人と吸対の人間がこうしてドラルクと仲良く楽しく暮らしているのだ、むしろ近いかもしれない。
ドラルクの為の自分とドラウスの行いが漸く報われたような気がして、ミラの中でロナルドとヒナイチに対する緊張と戸惑いが少しずつ解れていった。
「ここがジャム売り場です」
「むぅ・・・沢山あるのだな」
同じオレンジだと言うのにメーカーが沢山あって、その分だけ様々な見た目の瓶やラベルのジャムが陳列している。
人間の食べ物には疎いミラにとってはどれが一番いいのか分からず早速困り果てる。
「どれが美味しいんだ?」
「そうッスねぇ・・・俺は小さい頃からずっとアカハタのジャム食べてましたね」
「私もだ。だが最近食べたこのシンヨコ産オレンジを使ったジャムも美味しかったぞ」
「あ~最近話題だよな。でも小さいのしかないな」
「お父上は大きい物を作る予定で?」
「うーむ、大きさについては聞いてないがそうでなくとも沢山作ると思うな。毎年大量のお返しを作っているからな」
「でしたら無難にアカハタの大きいのが良いかと」
「だな。絶対に失敗しないし量的にも困らないと思いますよ」
「そうか。ではこれにするとしよう」
ロナルドとヒナイチが勧めたジャムをミラは手に取る。
人間と話し合って何か物を買うという体験は初めてで中々に新鮮だった。
ミラの心が少し弾んだ。
「おや、やはりまだここにいましたか」
必要な材料をカゴに取り揃え終えたドラルクがやって来る。
「お母様、お父様へのお土産のジャムは決まりましたかな?」
「ああ、お前の友人に相談してこれを買おうと思うんだが」
「アカハタのジャムですね、良いと思いますよ」
「そうか、良かった」
「ドラ公、この間作ったつまみの・・・あの、なんだっけ?ちりめんじゃことナッツ?くるみ?にマーマレードをふーんしたアレ、また作ってくれよ」
「ジョン、翻訳宜しく」
「うるせー!咄嗟に言葉が思いつかないんだよ!!」
「キミそれでも作家かね?」
「作家でも突然言葉が思いつかない事もあるわ!!つーかお前もあるだろ!!」
「ホラ二人共、喧嘩してないで早く材料を買うぞ」
ドラルクとロナルドの喧嘩はいつもの事らしい。
そしてそんな二人を呆れ顔で仲裁するのがヒナイチなのだとか。
ちなみにジョンはいつどんな時でもドラルクの味方とのこと。
ドラウスから聞いた話を思い出してミラはみっぴきのやり取りを見守る。
聞いていた通りの、吸血鬼でも人間でもあるようなやり取りに自然と笑みが溢れた。
ドラルクが楽しそうにしている様子がミラには何よりも嬉しかった。
「それじゃ、私はジョンとお母様と調味料売り場をフラついてるから賞味期限と鮮度に注意して食材を取ってきたまへ」
「おう」
「分かった!」
「行きましょう、お母様」
「ああ」
ウキウキとした様子を隠す事なく肉や小麦粉などのコーナーに散って行くロナルドとヒナイチを子供のようだとおかしく思いながらミラはドラルクの後について行く。
ドラルクはお菓子作りに必要なカゴをカートに乗せずに手に持ったままでおり、それを不思議に思ったミラがカゴ持ちを申し出る。
「大丈夫か、ドラルク?私がカゴを持つぞ?」
「このくらいなら待てますよ。それよりお母様のジャムもこのカゴに入れて下さい。折角のお父様へのプレゼントがぐしゃぐしゃになってしまうと思うので」
「そうか?だが折角カートを使っているのだからカートに乗せたらどうだ?」
「あーいえ、これはあのゴブリン達が獲ってくる食料で埋まるので」
「?」
いまいちドラルクの言っている意味が分からずに本日何度目かの首を傾げているとジョンが「見ていれば分かりますヌ」とマジロ語で言ってきた。
それならばと見守っていると、すぐに意味は分かった。
いや、分かるには分かったが次なる疑問が湧いた。
「・・・ドラルク、この食材の量は一体・・・何日分だ?」
「ざっと今日明日くらいのものですね」
「これでか?一体どんな胃袋をしているんだ・・・」
ロナルドとヒナイチは食材を取って来た。
めっちゃ取って来た。
乱雑に放り込んでいく食材を後からドラルクが綺麗に入れて隙間を作ってもすぐに上下のカゴは埋まり、上段のカゴも徐々に高さを増していく。
スーパーに来てすぐ、何故普通サイズのカートではなく最大サイズのカートをドラルクが押して来たのか分からなかったが、その意味が先程のドラルクの言葉と合わせて漸く理解した。
確かにこのカゴの中にジャムやお返しのお菓子作り用の材料を入れていたら潰れていただろうを
しかしそれにしたって多すぎやしないだろうか。
周りの人間が買う量に比べてあまりにも多過ぎる。
ロナルドとヒナイチは本当に人間なのだろうかと疑いたくなるのも仕方ないというもの。
「若造、天ぷらが食べたいなら油を取ってこい。あと醤油と天つゆもだ。ヒナイチくん、若造がセロリを恐れて野菜コーナー避けるから代わりに野菜沢山持って来てくれる?クッキー用の材料はもう十分だから。いやあの、本当に十分だから!!」
ドラルクが指示を出す事もあって食材は更に増える。
なんならジョンも食べたいご飯のリクエストをするものだから倍になっていく。
予想を遥かに超える量にミラは段々色んな意味で心配が募った。
「ドラルク、本当に大丈夫なのか、この量?」
「心配入りませんよ、お母様。あの二人、結構稼いでるのでこのくらいは普通に払えます」
「いやそうじゃなくて・・・いやそっちもそうだが・・・」
「それに二人共力持ちなので余裕で車まで持ち運べますよ」
「そう、か・・・?」
「そうそう・・・って、あ!?若造め、また間違った材料を取ってきおって!お母様申し訳ございません、材料を取り替えてくるのでここでジョンと待っていただいても宜しいでしょうか?」
「ああ、分かった。おいで、ジョン」
「ヌー」
ドラルクからジョンを受け取って抱っこする。
代わりに材料を持ったドラルクは調味料コーナーから出てすぐ左に曲がって姿が見えなくなってしまうのだった。
それを呆然と見送った後、ミラはジョンを見下ろして尋ねる。
「ジョン、お前は確かあの人間達と一緒にご飯を食べているんだったな?」
「ヌイ」
「いつもこんなに食べてるのか?」
「ヌイ。ヌンヌ、ヌヌヌヌヌヌヌヌヌ」
「育ち盛りなんて目じゃない領域だと思うんだが・・・」
「ヌヌヌヌヌヌヌ ヌヌヌオリョーリヌ ヌッヌヌヌイヌイヌ」
「そうか・・・そうだな、ドラルクの作る料理はとても美味しいものな。ジョンやあの二人が沢山食べてしまうのも仕方ないな」
「ヌー!」
同意するようにジョンが両手を挙げる。
ミラは優しく微笑むともう一つ質問をした。
「そういえばジョンは吸血鬼用の食べ物は食べられるのか?」
「ヌイ」
「なら、ジョンの分も作ろう。口に合うといいのだが」
「ヌ?」
「お待たせしました、お母様。若造とヒナイチくんは・・・まだ食料を獲って来てるみたいですな」
取り替えた材料を持って来たドラルクが姿の見えない友人二人を思って呆れたような表情を浮かべる。
けれど声色はどこか満更でもなさそうで。
ドラウスに教わっていたのと、元々料理をするのが好きで趣味なドラルクにとって沢山の料理を作るのは楽しくて腕が鳴るのだろう。
自分の趣味を遺憾なく発揮出来て満足そうなドラルクを見れてミラも満足だった。
「ドラルク、パンのコーナーはどこだ?」
「え?それならそこの通路に出て右に真っ直ぐ行った所にありますけど」
「分かった。すぐに戻ってくるから待っててくれ」
「あ、お母様?」
ミラはジョンをドラルクに返すとそのまま足早にパンのコーナーに行ってしまった。
「ジョン、お母様はどうしたんだい?」
「ヌー?」
自分にも分からない、と言いたげにジョンはドラルクと同じ方向に首を傾げるのだった。
それから程なくしてゴブリンもといロナルドとヒナイチは目当ての食材を全て獲り終え、ミラも同じタイミングでパンのコーナーから戻って来た。
ミラが取って来たものはサンドイッチ用に耳が着られたパンだった。
そのサンドイッチを見てドラルクは察しがついたが何も言わず、ただ嬉しそうにしながら自身が手に持っていたカゴにサンドイッチを入れさせた。
それからの会計金額はやはりというべきか、めっちゃ凄かった。
しかし驚くべき所はそこではなかった。
「カードで」
「「「え?」」」
「ヌ?」
大量の食材を店員に捌かせるのはあまりにも惨いのでセルフレジで捌いていた時の事。
ジョンが渡し、ヒナイチがバーコードを通し、ドラルクが袋に詰めてロナルドがカートに乗せていく。
誰も何も言わずすんなりと整った流れに、きっといつもこうなのだろうと察したミラはそれを微笑ましく傍で見ていた。
ところがそのミラが会計処理の段階で横から静かに『カード』ボタンを押し、自身の財布からカードを取り出そうとするではないか。
それには勿論ドラルク達は慌てる。
「お、お母様!?」
「ヌヌヌヌ!?」
「どうした?何か操作を誤ったか?」
「いえいえ、操作は完璧ですけどお母様は払わなくていいんですよ!ゴブリンの餌代はゴブリンが出すので!!」
「そうッスよ!殆ど俺達の物なんで!!」
「どうかお気遣いなく・・・!!」
「いいんだ、やらせてくれ」
ドラルク達の言葉をさらりと流して支払処理を進めながらミラは続ける。
「今日は一緒にプレゼント選びをしてくれたし、これから一緒にお菓子も作る。気の利いた礼が思いつかないからせめてこれだけでもさせてくれ。いいだろう?」
決済を終了し、振り返ったミラの表情はとても柔らかく、優しくて美しいものだった。
そんな顔を見てしまってはこれ以上の遠慮は無粋というもの。
みっぴきは顔を合わせるとお辞儀をして「ありがとうございます」と声を揃えて感謝の言葉を贈った。
それが可愛らしくて、ミラはまたおかしそうに笑った。
調理編へ続く
それを取り戻すのは何も子供に戻すだけではないと少し前にその大切な息子に説教をされた。
しかしそれが分からずに率直に何があるか聞いたら沢山挙げられた。
その中に『買い物』があったので、心の中の『ドラルクとやりたかった事リスト』を達成すべくミラはドラルクにRINEで連絡を取った。
丁度ファンを名乗る不特定多数の人間からバレンタインのチョコを受け取り、『吸血鬼その不特定多数の人間にお返しを届ける』を名乗る訳がわからないがピンポイントで便利そうな能力を持つ同胞に届けて貰うプレゼントをどうするか考えていた所だった。
それを一緒に考えてもらいたくて買い物をしたいと伝えたらドラルクは快く返事をくれた。
どうやらドラルクもバレンタインのお返しを作る用事があるらしく、あの人間の友人達と共に買い物に行く予定があったらしい。
良かった、ドラルクが受け入れてくれた、と安心したミラは胸を躍らせてその日を待った。
「お待ちしておりましたよ、お母様」
心待ちにしていた買い物当日。
例の事務所に到着するとジョンを抱えたドラルクがにこやかに迎えてくれた。
ジョンも歓迎するように両手を挙げて「ヌー」と鳴く。
「今若造とヒナイチくんが車を借りに行ってるのでそれまでそこのソファでお待ちいただいても宜しいですかな?」
「ああ、勿論だ」
ドラルクに勧められた方のソファに腰掛ける。
安い革張りのソファだが座り心地は悪くない。
座ったミラの向かいのソファにドラルクとジョンが座る。
「お仕事の方は相変わらずお忙しいのですかな?」
「ああ。だが昔に比べたら落ち着いている方だ。ドラルクの方はどうだ?確かあの友人達と一緒に街のトラブルの解決に当たっているんだったな?」
「巻き込まれてなし崩しに仕方なくと言った所ですがね。しかし!このドラルクの活躍によって全ての事件は解決に導かれているのです!」
「そうなのか?凄いなじゃないか、ドラルク」
ミラに純粋に褒められ、ジョンが拍手を送る事でドラルクはより一層鼻誇らし気に胸を張る。
入り口横のメビヤツが「そうかぁ?」とでも言いたげに目を細めていたがドラルクは全力で無視した。
「か弱かったお前が同胞達の起こす事件を解決出来るまでになったなんてな。母さんは嬉しいぞ」
「フフフ、これからも私の活躍にご期待下さい!ね、ジョン?」
「ヌー!・・・ヌッ」
ハッ、と何かに気付いたジョンはソファからテーブルの上に飛び乗ると、トコトコと歩いてミラの前に来る。
「ヌヌヌヌ!」
「何だ、ジョン?」
「ヌヌヌヌヌヌヌヌヌ、ヌンヌヌヌ、ヌリヌヌヌヌヌヌヌ?」
「私の力でお前をスリムに出来ないかだって?」
「ジョン、お母様の力で一時的にスリムになってもおムニは誤魔化せないよ」
「ヌォォ・・・」
「おムニ?」
「摘み食いや色んな人達が甘やかして食べ物を与えるからジョンが太り気味で・・・」
眉毛を八の字にしながらドラルクはジョンのお腹をムニッと摘んで贅肉をミラに見せ、ジョンは自身の顔を覆って「ヌヤン」と恥ずかしそうにする。
成る程、これがおムニか。
ミラは苦笑を漏らすとジョンの頭を撫でた。
「ドラルクの血を分け与えられているとはいえ、多分お前の姿を変える事は出来ないと思うぞ」
「ヌゥ・・・」
「それにな、ジョン。お前はドラルクの事は好きか?」
「ヌン!!」
「だったら尚の事、ダイエットに励まないとな」
「ヌー?」
「私も愛する家族の為にダイエットをする事があるんだ。管理を怠って太った姿なんて見せたくないからな」
「お父様はたとえお母様が太っていてもありのままを愛すると思いますけどね」
「それでもドラウスやお前にとってはいつまでも綺麗な私でいたい。だから私は太ってしまった時は家族の事を思い出しながら頑張るんだ」
「そう、ですか・・・ちなみに私もあまり気にしない方ですが」
最後の方の言葉は目を逸らしながら小さな声で呟くドラルクに静かに笑みを溢す。
照れているドラルクは可愛らしく、こんな姿を見るのは久しぶりな気がする。
「ジョンはドラルクの前ではどんな自分でいたい?だらしなく太った自分でいいのか?」
「ヌゥ・・・イヤヌ」
「なら、頑張らないとな。ドラルクもお前が健康的でスリムで凛々しい姿になったら喜んでくれると思うぞ」
「おムニでも可愛いけどお母様の言う通りのジョンになったら私はとても嬉しいよ」
「ヌン、ヌンヌヌ!ヌヌヌヌ、ヌリヌヌヌヌイヌヌ!」
ジョンはお礼を述べてペコリと頭を下げるとそのまま、コテン、とお腹を見せて横になった。
それの意味するものが分からずミラは首を傾げる。
「ジョン?」
「お腹を撫でてあげてください。ジョンの感謝の証です」
「フフ、そうか」
ならば遠慮なく、とミラはジョンのお腹に手を添えて撫で始める。
「ヌヒャヒャヒャ」とくすぐったそうにするジョンの毛並みはとてもフワフワで触り心地は高級生地のよう。
ドラウス経由でドラルクはジョンの世話をしっかり見ていると聞いたが、どうやら本当にそのようだ。
このフワフワの毛並みはしっかり手入れされている証だし、何よりジョンの健康をとても気にしている。
優しくて面倒見の良い子に育ってくれて良かった、とミラは心からドラルクの成長を誇らしく思うのだった。
(これもドラウスの育児の賜物だな)
仕事で不在がちな自分に代わってドラルクの世話してくれていた最愛の夫・ドラウス。
日頃の労いも兼ねてサプライズで何かお土産を買っていこうと考えていたが今日に至るまで結局何も思いつかず。
折角だからドラルクに意見を聞いてみよう。
「ドラルク、一つ相談をしてもいいか?」
「ええ、いいですよ。何ですか?」
「ドラウスにサプライズで何かお土産を買って行きたいのだが何がいいだろうか」
「ふむ・・・これから行くスーパーには吸血鬼用の物はあまり置いてないですからねぇ・・・どこかそれ用の店に寄って行きましょうか?」
「いや、そこまでしてもらうのは悪い。それにお前達も今日は材料を買ったらホワイトデーのお返しを作るのだろう?お前達の時間を無駄にしたくはない」
「別に無駄なんかじゃありませんよ。けれど確かに当てもなく探すのもな・・・お父様最近何を欲しがってたかな・・・」
顎に指を当てて頭を捻るドラルクの顔にドラウスの面影が重なる。
常々、ドラルクはドラウス似だと思う。
そんな所も愛しい。
なんて思っている場合ではない、ドラルクばかりに考えさせてはダメだ。
思考を切り替えてミラはドラウスとのここ最近の会話を思い返してみた。
「うーむ・・・そういえばドラルク達と同じようにホワイトデーのお返しについて少し悩んでたな」
「と、言いますと?」
「チョコレートケーキを作りたいが普通のじゃ畏怖られないし誰かと被りそう。でも今更変えられないし。俺は畳に絡みこむ髪の毛・・・だと」
「成る程、チョコレートケーキですか・・・・・・あ、じゃあオレンジジャムを贈るのはどうですか?」
「オレンジジャム?」
「はい。マーマレードチョコレートケーキにするんですよ。それならオシャレですし、何よりもお母様からの贈り物ですからお父様もお喜びになりますよ」
「ドラルクが言うなら間違いないな。ならオレンジジャムを買うとしよう」
「決まりですね」
ドラルクがにこやかに微笑み、ミラも満足そうに笑む。
親子らしい会話が久しぶりに出来てミラはとても嬉しかった。
と、そこで不意にドラルクのスマホが着信を知らせてドラルクがそれに出る。
「もしもしヒナイチくん?あ、用意出来た?うん、じゃあ今から行くね」
通話を切ってスマホをポケットにしまうとドラルクは立ち上がった。
「車の用意が出来たそうです。行きましょうか」
「ああ、そうだな」
撫でて少し乱れたジョンの腹気を丁寧に梳いて手を放すとジョンは高く飛んでドラルクの肩に乗った。
それからミラも立ち上がるとドラルクと連れ立って事務所を後にした。
スーパーには色々な物がある。
人間用の食材から吸血鬼でも使う日用品まで何でも。
勿論その中には菓子折りもあるが値段からして安物ばかりだしお返しには何だか違う気がする。
かと言って中元歳暮向けの高い物をお返しにするのも、貰った物に対して釣り合いが取れていない。
さてどうしたものか、と顎に指を当てて生鮮食品売り場の前で困ったように首を傾けるミラの隣にロナルドとヒナイチが並んで立って同じように首を傾ける。
「お返し、中途半端な物は贈れないッスよねぇ」
「え?あ、ああ・・・まぁ」
「バレンタインではどのような物を頂いたのですか?」
「・・・普通の吸血鬼向けのチョコだな。手作りと既製品が半々といった所だ」
「私達と同じパターンか・・・」
うーん、と唸りながらロナルドとヒナイチは同じ方向に首を傾ける。
兄妹ではないそうなのだが、まるで兄妹のように雰囲気や仕草が似ていて可愛らしくおかしかった。
面白いから自分も同じ方向に首を傾けてみる。
ちょっと楽しい。
「オレンジピールを作るのは如何でしょうか、お母様」
ガラガラと最大サイズのカートを押しながらドラルクがやってくる。
それからオレンジの置いてあるコーナーまで行くとジョンと一緒にそれぞれにオレンジを手に取って尋ねてきた。
「オレンジピール?」
「ちょっとしたお茶のお供にもお菓子作りにも使える物です。簡単に作れますし、如何ですかな?」
「だが私は料理はあまり得意ではないし・・・」
「大丈夫ですよ、私がお教えします。若造やヒナイチくんにも教えながら作る予定なのでお母様も一緒に作りましょう」
「一緒に・・・」
そういえば一緒に料理を作るなんて事はあまりなかったように思う。
仕事がちなのは勿論の事、料理は得意ではない。
精々で失敗しないで作れるのはブラッドジャムサンドくらいだろうか。
ドラルクが幼い頃に時間が出来た時に作ってあげた事はあっても一緒に作った記憶はあまりない。
だから愛する息子と楽しい思い出をまた一つ刻めるならとミラは一も二もなくドラルクの提案を快諾した。
「ああ、作ろう。是非教えてくれ」
「では決まりですね。若造、ヒナイチくん、私はジョンとお菓子作りに必要な材料を取ってくるから二人は夕飯の食材宜しく。あとお母様と一緒にマーマレードジャム選んでくれる?父が人間へのホワイトデーのお返しに使う物だから良い物選んであげて」
「おー」
「任されよう!」
「じゃ、行こうかジョン」
「ヌー」
持って来たカートをロナルドに渡してドラルクはカートの上段に二つ重ねていたカゴの一つを手に取ると、自分とジョンが持っていたオレンジとその他数個のオレンジを入れて慣れた足取りで他のコーナーへと歩いて行ってしまった。
残されたミラは未だロナルドとヒナイチとの距離感を上手く掴めていないので内心困ったように二人を振り返ったが、二人は気さくな笑顔でそれぞれ一言。
「そんじゃ行きましょうか」
「ジャム売り場はこっちです」
「あ、ああ・・・」
爽やかに言い放つ二人に少し気後れしながらも頷いてミラは二人の後について行く。
今度は少し不思議な気分がした。
少し前まで吸血鬼と人間は激しく対立していた。
悪魔と吸血鬼を同一視して討滅せしめんとする教会とそれに反発して人間界を征服しようと企む反人間派吸血鬼がいてとても物騒な時代だった。
そんな時代から、そして人間たちからドラルクを守る為にドラウスと共にドラルクが平穏に暮らせる世界を作ろうと決意したが、実に色んな人間を見て来たのは言うまでもない。
吸血鬼にも色々な性格の者がいるように、人間にも色々な性格の者がいた。
しかし時代が時代なだけあってどの人間も吸血鬼を畏怖し、そして嫌った。
誰もが『昨日の敵は明日の友』という言葉の真逆をいく『昨日の友は明日には敵』というような態度であり、それはミラも同じだった。
職務で無実の吸血鬼を弁護して助けただけだというのに逆恨みをしてその恨みの矛先を向けて来る人間がいたのは言うまでもない。
勿論その時には返り討ちにしてやったが。
吸血鬼の方はミラが如何に強大な吸血鬼か、そして何よりも竜子公の妻であるという事を知っていたので無謀な復讐に臨む者などいなかった。
それに比べて人間の何と愚かな事か。
この調子ではドラルクが平穏に暮らせる日はまだまだ遠い、なんて思っていたが、どうやらその日はとっくに訪れていたようだ。
(少し前までは人間と肩を並べて歩くなんて事は考えもしなかったな)
迫害や無益な争いを避けて高等吸血鬼は隠れるように身を潜めて生きて来た。
人間も高等吸血鬼に出くわさない事を祈りながら警戒心剥き出しで生きて来た。
それが今、人間も吸血鬼も分け隔てなくお互いに肩を並べて歩いている。
どうもこの新横浜はおかしな能力を持った吸血鬼が多いらしく、その能力を使って問題を起こせば当たり前だが取り締まられる。
しかし問題を起こさずにいれば退治人も吸対も一般住人すらも吸血鬼が歩いていても気にしないし、困っていれば親切にして助け合おうとしてくれる。
そしてその町でドラルクが毎日楽しく過ごしている。
虚弱ですぐ死ぬ体質で吸血鬼のドラルクが、沢山の人間や同胞に囲まれて。
(良い時代になったものだな)
時間はとてもかかった。
けれども自分とドラウスがドラルクの為に作りたかった世界がここにある。
今はまだシンヨコだけだが、いつかは日本中に、そして世界中に広がる日もそう遠くはないだろう。
本来であれば吸血鬼の天敵である退治人と吸対の人間がこうしてドラルクと仲良く楽しく暮らしているのだ、むしろ近いかもしれない。
ドラルクの為の自分とドラウスの行いが漸く報われたような気がして、ミラの中でロナルドとヒナイチに対する緊張と戸惑いが少しずつ解れていった。
「ここがジャム売り場です」
「むぅ・・・沢山あるのだな」
同じオレンジだと言うのにメーカーが沢山あって、その分だけ様々な見た目の瓶やラベルのジャムが陳列している。
人間の食べ物には疎いミラにとってはどれが一番いいのか分からず早速困り果てる。
「どれが美味しいんだ?」
「そうッスねぇ・・・俺は小さい頃からずっとアカハタのジャム食べてましたね」
「私もだ。だが最近食べたこのシンヨコ産オレンジを使ったジャムも美味しかったぞ」
「あ~最近話題だよな。でも小さいのしかないな」
「お父上は大きい物を作る予定で?」
「うーむ、大きさについては聞いてないがそうでなくとも沢山作ると思うな。毎年大量のお返しを作っているからな」
「でしたら無難にアカハタの大きいのが良いかと」
「だな。絶対に失敗しないし量的にも困らないと思いますよ」
「そうか。ではこれにするとしよう」
ロナルドとヒナイチが勧めたジャムをミラは手に取る。
人間と話し合って何か物を買うという体験は初めてで中々に新鮮だった。
ミラの心が少し弾んだ。
「おや、やはりまだここにいましたか」
必要な材料をカゴに取り揃え終えたドラルクがやって来る。
「お母様、お父様へのお土産のジャムは決まりましたかな?」
「ああ、お前の友人に相談してこれを買おうと思うんだが」
「アカハタのジャムですね、良いと思いますよ」
「そうか、良かった」
「ドラ公、この間作ったつまみの・・・あの、なんだっけ?ちりめんじゃことナッツ?くるみ?にマーマレードをふーんしたアレ、また作ってくれよ」
「ジョン、翻訳宜しく」
「うるせー!咄嗟に言葉が思いつかないんだよ!!」
「キミそれでも作家かね?」
「作家でも突然言葉が思いつかない事もあるわ!!つーかお前もあるだろ!!」
「ホラ二人共、喧嘩してないで早く材料を買うぞ」
ドラルクとロナルドの喧嘩はいつもの事らしい。
そしてそんな二人を呆れ顔で仲裁するのがヒナイチなのだとか。
ちなみにジョンはいつどんな時でもドラルクの味方とのこと。
ドラウスから聞いた話を思い出してミラはみっぴきのやり取りを見守る。
聞いていた通りの、吸血鬼でも人間でもあるようなやり取りに自然と笑みが溢れた。
ドラルクが楽しそうにしている様子がミラには何よりも嬉しかった。
「それじゃ、私はジョンとお母様と調味料売り場をフラついてるから賞味期限と鮮度に注意して食材を取ってきたまへ」
「おう」
「分かった!」
「行きましょう、お母様」
「ああ」
ウキウキとした様子を隠す事なく肉や小麦粉などのコーナーに散って行くロナルドとヒナイチを子供のようだとおかしく思いながらミラはドラルクの後について行く。
ドラルクはお菓子作りに必要なカゴをカートに乗せずに手に持ったままでおり、それを不思議に思ったミラがカゴ持ちを申し出る。
「大丈夫か、ドラルク?私がカゴを持つぞ?」
「このくらいなら待てますよ。それよりお母様のジャムもこのカゴに入れて下さい。折角のお父様へのプレゼントがぐしゃぐしゃになってしまうと思うので」
「そうか?だが折角カートを使っているのだからカートに乗せたらどうだ?」
「あーいえ、これはあのゴブリン達が獲ってくる食料で埋まるので」
「?」
いまいちドラルクの言っている意味が分からずに本日何度目かの首を傾げているとジョンが「見ていれば分かりますヌ」とマジロ語で言ってきた。
それならばと見守っていると、すぐに意味は分かった。
いや、分かるには分かったが次なる疑問が湧いた。
「・・・ドラルク、この食材の量は一体・・・何日分だ?」
「ざっと今日明日くらいのものですね」
「これでか?一体どんな胃袋をしているんだ・・・」
ロナルドとヒナイチは食材を取って来た。
めっちゃ取って来た。
乱雑に放り込んでいく食材を後からドラルクが綺麗に入れて隙間を作ってもすぐに上下のカゴは埋まり、上段のカゴも徐々に高さを増していく。
スーパーに来てすぐ、何故普通サイズのカートではなく最大サイズのカートをドラルクが押して来たのか分からなかったが、その意味が先程のドラルクの言葉と合わせて漸く理解した。
確かにこのカゴの中にジャムやお返しのお菓子作り用の材料を入れていたら潰れていただろうを
しかしそれにしたって多すぎやしないだろうか。
周りの人間が買う量に比べてあまりにも多過ぎる。
ロナルドとヒナイチは本当に人間なのだろうかと疑いたくなるのも仕方ないというもの。
「若造、天ぷらが食べたいなら油を取ってこい。あと醤油と天つゆもだ。ヒナイチくん、若造がセロリを恐れて野菜コーナー避けるから代わりに野菜沢山持って来てくれる?クッキー用の材料はもう十分だから。いやあの、本当に十分だから!!」
ドラルクが指示を出す事もあって食材は更に増える。
なんならジョンも食べたいご飯のリクエストをするものだから倍になっていく。
予想を遥かに超える量にミラは段々色んな意味で心配が募った。
「ドラルク、本当に大丈夫なのか、この量?」
「心配入りませんよ、お母様。あの二人、結構稼いでるのでこのくらいは普通に払えます」
「いやそうじゃなくて・・・いやそっちもそうだが・・・」
「それに二人共力持ちなので余裕で車まで持ち運べますよ」
「そう、か・・・?」
「そうそう・・・って、あ!?若造め、また間違った材料を取ってきおって!お母様申し訳ございません、材料を取り替えてくるのでここでジョンと待っていただいても宜しいでしょうか?」
「ああ、分かった。おいで、ジョン」
「ヌー」
ドラルクからジョンを受け取って抱っこする。
代わりに材料を持ったドラルクは調味料コーナーから出てすぐ左に曲がって姿が見えなくなってしまうのだった。
それを呆然と見送った後、ミラはジョンを見下ろして尋ねる。
「ジョン、お前は確かあの人間達と一緒にご飯を食べているんだったな?」
「ヌイ」
「いつもこんなに食べてるのか?」
「ヌイ。ヌンヌ、ヌヌヌヌヌヌヌヌヌ」
「育ち盛りなんて目じゃない領域だと思うんだが・・・」
「ヌヌヌヌヌヌヌ ヌヌヌオリョーリヌ ヌッヌヌヌイヌイヌ」
「そうか・・・そうだな、ドラルクの作る料理はとても美味しいものな。ジョンやあの二人が沢山食べてしまうのも仕方ないな」
「ヌー!」
同意するようにジョンが両手を挙げる。
ミラは優しく微笑むともう一つ質問をした。
「そういえばジョンは吸血鬼用の食べ物は食べられるのか?」
「ヌイ」
「なら、ジョンの分も作ろう。口に合うといいのだが」
「ヌ?」
「お待たせしました、お母様。若造とヒナイチくんは・・・まだ食料を獲って来てるみたいですな」
取り替えた材料を持って来たドラルクが姿の見えない友人二人を思って呆れたような表情を浮かべる。
けれど声色はどこか満更でもなさそうで。
ドラウスに教わっていたのと、元々料理をするのが好きで趣味なドラルクにとって沢山の料理を作るのは楽しくて腕が鳴るのだろう。
自分の趣味を遺憾なく発揮出来て満足そうなドラルクを見れてミラも満足だった。
「ドラルク、パンのコーナーはどこだ?」
「え?それならそこの通路に出て右に真っ直ぐ行った所にありますけど」
「分かった。すぐに戻ってくるから待っててくれ」
「あ、お母様?」
ミラはジョンをドラルクに返すとそのまま足早にパンのコーナーに行ってしまった。
「ジョン、お母様はどうしたんだい?」
「ヌー?」
自分にも分からない、と言いたげにジョンはドラルクと同じ方向に首を傾げるのだった。
それから程なくしてゴブリンもといロナルドとヒナイチは目当ての食材を全て獲り終え、ミラも同じタイミングでパンのコーナーから戻って来た。
ミラが取って来たものはサンドイッチ用に耳が着られたパンだった。
そのサンドイッチを見てドラルクは察しがついたが何も言わず、ただ嬉しそうにしながら自身が手に持っていたカゴにサンドイッチを入れさせた。
それからの会計金額はやはりというべきか、めっちゃ凄かった。
しかし驚くべき所はそこではなかった。
「カードで」
「「「え?」」」
「ヌ?」
大量の食材を店員に捌かせるのはあまりにも惨いのでセルフレジで捌いていた時の事。
ジョンが渡し、ヒナイチがバーコードを通し、ドラルクが袋に詰めてロナルドがカートに乗せていく。
誰も何も言わずすんなりと整った流れに、きっといつもこうなのだろうと察したミラはそれを微笑ましく傍で見ていた。
ところがそのミラが会計処理の段階で横から静かに『カード』ボタンを押し、自身の財布からカードを取り出そうとするではないか。
それには勿論ドラルク達は慌てる。
「お、お母様!?」
「ヌヌヌヌ!?」
「どうした?何か操作を誤ったか?」
「いえいえ、操作は完璧ですけどお母様は払わなくていいんですよ!ゴブリンの餌代はゴブリンが出すので!!」
「そうッスよ!殆ど俺達の物なんで!!」
「どうかお気遣いなく・・・!!」
「いいんだ、やらせてくれ」
ドラルク達の言葉をさらりと流して支払処理を進めながらミラは続ける。
「今日は一緒にプレゼント選びをしてくれたし、これから一緒にお菓子も作る。気の利いた礼が思いつかないからせめてこれだけでもさせてくれ。いいだろう?」
決済を終了し、振り返ったミラの表情はとても柔らかく、優しくて美しいものだった。
そんな顔を見てしまってはこれ以上の遠慮は無粋というもの。
みっぴきは顔を合わせるとお辞儀をして「ありがとうございます」と声を揃えて感謝の言葉を贈った。
それが可愛らしくて、ミラはまたおかしそうに笑った。
調理編へ続く