ポンチと踊るダンスホール

月明かりの美しい夜。
その日、ヒナイチは1人の男性吸対職員に屋上に呼ばれていた。
女の勘と屋上に男に呼ばれるというシチュエーションにこの呼び出しがどういう意味なのか大体予想がつくがここは魔都シンヨコなので斜め上の展開が来るかもしれない。
むしろその方がヒナイチとしても色々な意味で有り難かったのだが、期待はいつだって裏切られるもの。

「好きです、ヒナイチ副隊長」

ド直球で告げられた言葉にヒナイチは内心盛大な溜息を吐く。
同じ吸対所属ならヒナイチが誰とどんな関係を結んでいるか知らない筈はない。
となると分かってて告白してきた可能性が高い。
性質の悪い横恋慕は心底勘弁願いたかった。
自分の為にも、相手の為にもーーー。

「悪いが私には恋人がいる。お前の気持ちには応えられん」
「恋人ってあの吸血鬼ドラルクですよね?」
「そうだ。分かっているなら話は早い。そういう訳だから諦めてくれ」
「あんな男のどこがいいんですか!!」

ヒナイチの言葉を掻き消すように男は声を荒げるがそのくらいでヒナイチは動揺しない。
ただ鋭い眼差しのまま男を見据えるだけ。

「俺知ってますよ!あの男が副隊長に酷い事をしてるのを!!」
「具体的に言ってみろ」
「副隊長は吸血をさせてるんでよね?脅されてやってるんですよね!?」
「馬鹿にしてるのか?アイツの脅しに屈する程私は弱くない。それにアイツは傲慢で尊大な振る舞いが目立つが脅しをするような卑怯な真似はしない」
「それはきっと副隊長が催眠をかけられて―――」
「いい加減にしろ!!碌な証拠も挙げられない癖にアイツを愚弄するな!!」

ヒナイチの苛烈な怒鳴り声が辺りに鋭く響き渡り、男の耳をビリビリと震わせる。
流石は吸血鬼対策課のエースと言ったところであろうか。
その威勢と威厳に男は臆して半歩後退りしたものの、それでも諦め悪く尚も食い下がる。

「副隊長・・・副隊長!俺が、俺が副隊長を幸せにします!あんな吸血鬼野郎なんかよりもずっとずっと!!」

狂気を孕んだ虚気味な瞳で男はフラフラとヒナイチに接近して両肩を掴む。
その瞬間、ヒナイチの目が大きく見開かれ、明らかな焦燥の色が浮かぶ。

「・・・やめろ」
「転化だって迫られているんですよね?俺とだったらそんな事に悩む必要もないですよ!ずっと人間のままでいられます!」
「よせ、来るな」
「あんな奴は敵性吸血鬼として殺せばいいんです!」
「やめろドラルク!!!」

「え?」と、必死に叫ぶヒナイチの視線を追って背後を振り返る。
するとそこには形容し難い見た目をした大きく白い悪魔のような何かが冷酷さと冷徹さ、そして明確な殺意でもって一本一本の指先が鋭利に尖っている手を男に向けて伸ばそうとしていた。

「ひいぃいっ!!!??」

今まで見た事のない化物を前に男は腰を抜かして尻餅をつき、後退ろうとするがパニックに陥っていてそれすらもままならない。
そうこうしている間にも大きな手は目前まで迫っていて握り潰そうとしてくる。
もうダメだ、死ぬ、と全てを諦めかけたその時、男の前に少女が赤毛を揺らして割って入って来た。

「そこまでだ!!!」

ヒナイチが腹の底から叫ぶと白い悪魔はピタリとその動きを止めて赤と青の瞳の視線を赤毛の少女に集中させた。

「これ以上手を出すな、ドラルク!!」
「・・・」
「コイツに何かしたら私は自分の首を切るぞ!本気だからな!!」

素早く抜刀して刃を躊躇いなく自身の首筋に当てる。
翡翠の瞳は白い悪魔の瞳を真っ直ぐにブレる事なく射抜いており、真剣さを物語っている。
それが言葉通り本気であると察すると大きな悪魔は殺意のオーラを大人しく引っ込めて静かに元の姿ーーー吸血鬼ドラルクに戻った。
ドラルクの視線はヒナイチに注がれたままでいるものの顔は無表情で依然として油断ならない。
そんなドラルクから注意深く目を離さないまま刀を鞘に収めるとヒナイチは慎重に言葉を探った。

「・・・ドラルク、ジョンやロナルドはどうしたんだ?」
「ジョンは町内トレーニングツアーに行ってロナルド君はオータムに拉致られた」

簡潔的で感情の籠っていない声音にドラルクがどれだけ不機嫌であるかを察してヒナイチは内心で溜息を吐くと同時に額に汗を薄らと滲ませる。
今夜は『残業』は免れないだろう。

「そうか・・・なら、今日はお前一人なんだな」
「これから二人きりになるがね」
「ああ、分かってる。分かってるからここで大人しく待っててくれないか?私はコイツの事を隊長に報告して―――」
「今すぐ、私は二人きりになりたいのだが?」

語気を強めながらドラルクが迫る。
無機質な青い瞳と小さな赤い瞳にドロドロに溶けた黒い執着が宿っているのが嫌でも分かる。
若干の苛立ちが雰囲気からも伝わってくるのでこれ以上刺激するのは不味い。
どうしたものかと思案しているとガチャ、と控えめに屋上の扉が開いてヒヨシと半田が心配そうに顔を覗かせてきた。

「す、すまん、ヒナイチ・・・お前とそこの奴が屋上に行ったすぐ後にドラルクの気配が近付いて来たって半田が言ってきてな・・・その、心配で見に来たんじゃ」
「こっちは俺達が片付けておくから副隊長はドラルクと・・・まぁ、なんだ。話をしてくるといい」
「ああ、助かる。悪いが頼んだ」

気まずそうにするヒヨシと半田に『気にしなくていい』と暗に告げるようにいつもの凛とした表情で頷き、ドラルクの首に両腕を回す。
対するドラルクはヒナイチを横抱きし、背中に悪魔を思わせるような大きな蝙蝠の翼をバサッと広げるとそのまま翼をはためかせて月を背に飛び立って行った。
方向からして埼玉にあるドラルク城に行くのは間違いないだろう。
それが何を意味するのか知ってるいる二人は同情から揃って溜息を吐くと未だ腰を抜かしている男を見下ろした。

「おみゃあには同情せんぞ。バナナもやれん」
「副隊長に強引に迫るだけでなくドラルクを侮辱するなど言語道断だ!恥を知れ、馬鹿め!」
「それにおみゃあみたいなのがこうやってちょっかい出す事でその分が全部ヒナイチに返ってくるんじゃ。今日は酷いじゃろうな」
「酷いって・・・?ヒナイチ副隊長は殺されてしまうんですか・・・?」
「あーいや、お前の想像するもんじゃなくてー・・・な?そのぉ、なんていうかぁ・・・なぁ?半田?」
「俺に振らないで下さい。ただ、敢えて言うならお前が恋焦がれた副隊長はお前の行いによってドラルクともっと親密になるという事だな」
「え?それはどういう―――」
「無駄話はここまでだ!さっさと隊長室に行くぞ!立ってキビキビ歩け!」

半ば強引に立たされて男は半田に隊長室へと連行され、ヒヨシはドラルクの姿がもう見えない夜空の彼方を憐れみの籠った眼差しで見つめる。
幸い明日はヒナイチは非番とはいえ、明日もずっと大変だろう。
その労力に報いる為にも今度いちご大福を買ってきてやろうと決めてヒヨシも屋上を後にする。

後日、ヒナイチに迫った男は懲戒免職となるのだった。











一方その頃、ドラルク城の地下室では―――

「むぅっ、む、ん・・・んんっ!ふぁ、っ・・・!」

いつもの情事用棺桶にヒナイチが組み敷かれて息継ぎすらも許されないような深く激しい口付けをされていた。
隊服のジャケットはハンガーに掛けられているものの白いブラウスはボタンを全て外されてすっかり開けられており、白い肌には真っ赤な鬱血痕がいくつも浮かんでいる。
それらは胸元を中心に鎖骨や脇腹、鳩尾などに数多く点在しているが、とりわけ首筋には色濃く無数に付けられている。
ギリギリ見えない位置に付けられているのが幸いと言えよう。

「ど、ら、んむっ・・・!」

ヒナイチが何事かを口にしようとしてもすぐに唇は塞がれてまた深く深くキスをされる。
どれだけ潤んだ瞳で訴えても目前の赤と青の瞳は激情を滲ませながらヒナイチの髪や背中を掻き抱きながらねっとり舌を絡ませて唾液を飲ませて来るだけ。
結局どうする事も出来ないヒナイチはドラルクの背中に回した両手をギュッと握って耐えるだけ。
それから解放されたのは目の前が霞んで頭の中が白んできた頃だった。

「はっ・・・!はっ、は、はっ・・・」
「夜は長い。心行くまで踊ろうか、お嬢さん?」

いつもの一張羅は脱ぎ捨て、ワイシャツを胸元まで開けて青白い肌を覗かせて笑うドラルクはとても官能的で思わず見惚れてしまうほど。
けれどヒナイチはすぐに我に返ると乱れた呼吸でありながらもまるであやすように必死に愛の言葉を紡ぐ。

「どら、るく・・・すき、だ・・・」
「知っているが?」
「わたし、は・・・おまえのもの・・・」
「当然だ」
「ち、も―――」
「キミという人間丸ごと私ものだ」

そのセリフをそのまま表すようにドラルクはヒナイチの声も言葉も息遣いもまるごと飲み込んで深く口付ける。
だが、それでもヒナイチは愛の言葉や安心させるような言葉を紡ぐのをやめない。
どれだけ体中に噛み痕や鬱血痕を付けられようとも、どれだけ体を揺らされてドラルクという存在を叩きこまれようとも、赤い瞳と無機質な青い瞳から不安と寂しさの色が消えるまでずっと―――。










それから翌日の夜の事。

「お邪魔しますわよ、おクソ砂さん!!」
「ヌ~!!」

ドラルク城の玄関の扉をバレリーナのようなポーズでロナルドとジョンが蹴破って入る。
いつものお淑やかさはどこへやらだが、彼らにとって今はそれどころではないのでこれは許される行為である。
と、そこにタイミング良く廊下の角からドラルクが姿を現した。
真っ白なバスローブに身を包み、両足首を竜の一族の紋章の飾り留めが付いた紫色のリボンで縛られたヒナイチを横に抱きながら―――。

「なっ!?ロナルド、ジョン!?」

突然の一人と一匹の登場にヒナイチは驚き、それから頬を赤く染めながら慌ててバスローブの襟を引き寄せて胸元の肌を隠した。
そんな状態のドラルクとヒナイチを見てロナルドとジョンは「あーあ、やっぱり」とでも言いたげな表情を露わにすると揃って複雑な溜息を深く吐いた。
このような場面に遭遇するのは想定内ではあったが、いざ直面すると気まずくなる。
もう少し時間を置いてから来るべきだったがもう来てしまったものは仕方ない、ロナルドとジョンは開き直るとなるべく言葉を選びながら会話を試みた。

「んー・・・おクソ砂さん、おにぃ―――隊長さんからお話はお伺いしておりますわ。昨夜はお胸糞悪い出来事があったとか」
「輪をかけて不愉快な事があったのは事実だな」
「まぁ、そうですの。その様子ですと、そのぉ・・・ヒナイチさんに沢山愚痴を聞いてもらったようですわね。お気は済みましたかしら?」
「・・・まだこれからもう少し聞いてもらうところだ」
「でしたら私達もお話をお聞きしますわ。如何かしら?」
「ニューン?」

ロナルドに続いてジョンも「それかみんなで一緒に遊ぶヌ。こんな時こそ思いっきりゲームをして笑い飛ばすヌ。ジメジメしてるなんてドラルク様らしくないヌ」と説得に加わる。
退治人の友人と可愛い使い魔の言葉にドラルクはしばし考え込み、それからチラリとヒナイチを見やる。
翡翠の瞳にはいつものツンデレ的反抗の色は浮かんでおらず、ただ優しさと慈しみの色を宿して静かに頷く。
ドラルクの好きなようにしていい、と。

(卑怯なハムスターだな。その優しさに甘えてしまっては私の情けなさが引き立ってしまうではないか)

内心で降伏の溜息を吐くとドラルクは気が変わったといった風を装いながらロナルドとジョンの提案に首を縦に振った。

「ジョンの言う通り、ゲームで気晴らしするのも悪くはない。夕飯の事もあるし、ヒナイチくん共々事務所に戻るとしよう」
「ヌー!」
「決まりですわね。お車でお待ちしてますからお支度をしてきてくださるかしら?」
「ああ・・・―――時にロナルド君」
「?」
「キミは好きになった相手に恋人がいたらどうする?」

唐突な質問にロナルドも最初はキョトンとして瞬きを数回したものの、すぐに優しく微笑んで言った。

「・・・どうもこうもありませんわ。諦めてそっとお見守りします。ただそれだけですわ」
「その恋人が吸血鬼であってもかね?」
「人間だの吸血鬼だの関係ありませんわ。お横恋慕はお野暮でしてよ」
「・・・そうか」
「そのような真似をするお輩はダチョウに100万回蹴られれば宜しいのですわ」
「キミが話の分かるゴリラ退治人嬢で嬉しいよ」
「ゴリラはお余計でしてよ!!」

力強いゴリラチョップをヒラリと躱してドラルクはさっさとヒナイチを部屋に連れて行った。
その後ろ姿にもう不穏な空気はなく、ロナルドはジョンと顔を見合わせて小さく笑い合うと宣言通り車に向かうのだった。







「服は自分で出せるかね?」
「そのくらいは何とか出来る。ただ、お前の所為でまだ腰が痛いから車までは運んでもらうぞ」
「勿論だ。喜んで薔薇の花を持ち運ぶ栄誉に預かろうではないか」

キザったらしいセリフと共に手の甲に口付けを落として来たものだからヒナイチは一瞬にして顔を赤くしてむず痒そうな表情を浮かべる。
そんなヒナイチに気を良くしながらドラルクは足首を縛っていた紫色の紐を外して折りたたむと、飾り留めと共にサイドテーブルの引き出しにしまった。
この紐と飾り留めは熱い夜を過ごした翌夜になってもドラルクの機嫌が治らなかった時に使われる物で、ヒナイチは自分のもので、そのヒナイチがどこにも行けないように拘束してヒナイチ自身にも示すものである。
自分はどこにも行かないのに相変わらず用心深くて執着心の強い男だ。
現にヒナイチは初めて縛られた時は抗議こそすれど、外そうとした事は一度もない。
外したところで縛り直されるか『お仕置き』されるのが目に見えているし、何よりもこうした時のドラルクは好きにさせておいてやった方が機嫌の治りも早いのだ。
それにヒナイチは逃げたりしないという意思表示にもなるので尚更外す理由がないのである。
さて、紐を外してもらえたのでそれは即ちドラルクの機嫌がいくらか治った証でもあるのだが、そうは言っても情事で何度も言葉が途切れたり紡げなかったりでしっかり伝えられなかった言葉を今度こそは伝えようとヒナイチはドラルクを呼び止める。

「ドラルク」
「ん?」
「私は―――お前だけのものだ」
「・・・当然だ」
「吸血鬼にだってなる」
「誓ったのだからそれも当然だ」
「お前みたいな強大で傲慢で尊大で危険な吸血鬼を野放しになど出来ないし、そんな奴を監視して抑えられるのは私だけだからな。覚悟しろ、文字通り一生お前の傍にいてお前を監視し続けるからな」

強く真っ直ぐな瞳で、そして口元に勝気な笑みを浮かべてヒナイチはハッキリ宣言する。
相変わらず素直じゃない愛の告白を受けてドラルクもニヤリと口角を上げるとヒナイチの顎を繊細に上向けて顔を近付ける。

「殊勝な心掛けだ。その決意に報いる為にもハムスターの為の最高の寝床を用意して毎日クッキーを焼いてあげようじゃないか。覚悟するがいい、この先一生、私無しで生きられると思わない事だ」
「お前もな」

お互いに煽り合い、余裕の笑みを浮かべ、そしてどちらからともなく唇を重ねる。
それはまるで誓いを交わすような、お互いを永遠に縛り続けるような深くねっとりとしたキスであった。






END
20/25ページ
スキ