ポンチと踊るダンスホール

それはヒナイチが高校生だった頃。
いつものように部活を終えて一人夕日の道を歩いていた。
そこに―――

「あれ?隊長?」

薄暗い路地裏に見知った姿が入って行くのを見つけて足を止める。
その人物は吸血鬼対策課ドラルク隊隊長ドラルクにして現在ヒナイチが絶賛想いを寄せるダンピールだ。
しかし本日のドラルクはいつもの白の制服ではなく、私服の黒のポロシャツにグレーのスラックスという比較的暗い色の服装をしていた。
清潔感溢れる白のポロシャツを着る事が多いのに珍しい。
それに肩に乗っているジョン共々表情が険しい。
なんだか気になってヒナイチはドラルクを追いかけて路地裏に駆け込んだ。

「ふむ、ここなら―――」
「隊長!」
「うぇっ!?ヒナイチくん!!?」
「ヌァッ!?」

ヒナイチの登場にドラルクもジョンも酷く驚く。
どうやら二人はヒナイチの存在に気付いていなかったらしい。

「ど、どうしてここに!?学校は!?部活とかあるでしょ!!?」
「今日は部活は早く終わったんだ。それより隊長こそどうして―――」
「話は後!それよりこっちに来て!!」
「わっ!?」

突然腕を引っ張られて裏路地の更に奥まった所に連れていかれる。
しかし更に奥まった所と言っても人一人隠れるのがやっとの建物の隙間といったようなスペースだ。
それでもドラルクが痩せ細っている所為もあってか、ヒナイチをしっかり抱き締めていればどうという事はなかった。
そう、しっかり抱き締めていれば―――。

「ああああぁああぅぁたたたた隊長!!?」
「しっ!静かに!」
「っ!!?」

想い寄せる人の胸にひ弱ながらもしっかりと抱き締められてヒナイチの体温は急上昇し、思考は大混乱に陥る。
加えて耳元で囁かれてショート寸前だ。
ヒナイチの心臓はバクバクで、それと同じようにドラルクの薄い胸板越しに聞こえる心臓も鼓動が速い・・・理由は違うが。

「絶対に喋ったり音を立てないようにね」
「・・・」

コクッと小さく頷くのがやっとだった。
けれどもドラルクはそれに関してはあまり気にせず、先程よりも強くヒナイチの頭と体を抱き締める腕に力を込める。
それによってヒナイチの鼻腔をドラルクの香りがより一層強く満たした。
その時に気付いた『ドラルク自身』の匂い。

「っ!?」

ドラルクは普段、お線香やおばあちゃんの家のような香りがする。
馴染みがあって安心する匂いなのでヒナイチはそんなドラルクの香りが好きだった。
だが、そのホッとするような香りに混ざる、男を強く意識させるような仄かなワイルドな匂い。
これはきっとドラルク自身の匂いだろう。
それがヒナイチの体温を更に上昇させていく。

「来た・・・」
「ヌ・・・」
「・・・」

ドラルク達が隠れている隙間の手前に怪しい男がやって来てその後にまたもう一人怪しい風貌の男がやって来る。
何事かを話し始める二人の男の会話にドラルクもジョンも聞き耳を立てて懸命に声を拾う。
だがヒナイチはそれどころではなかった。

(た、隊長の・・・匂い・・・!)

思い寄せる人物に突然抱き締められ、そしてその香りに包まれて冷静でいられる者などいるだろうか。
何やら不穏な空気がしてるのは分かるがそんな事に構っていられる程ヒナイチに余裕はない。
それよりも頭に浮かんだ良からぬ妄想がどんどん膨らんで思考を支配していく。
ドラルクと恋人関係になれたらこんな風に抱き締められて匂いを堪能出来るのだろうかとか、そもそもこの匂いを知っているのは自分だけなのかとか。
果てには大人の関係に発展して抱かれる時に・・・と、そこまで想像して顔が沸騰しそうなくらい熱くなる。
思わず大声を出してしまいそうだったが、なけなしの理性がそれを寸での所で止めてくれる。
だが、叫ぶ代わりに鞄の持ち手を強く握り締めた所為でその僅かな振動がキーホルダーに伝わってしまい、静かな路地裏にチャリっという金属音が小さいながらもハッキリと響いてしまう。

「誰だ!?」

(ジョン!)
(ヌン!)

「ヌーヌー」

「何だ、マジロか。驚かせやがって・・・ところで先程の続きだが・・・」

長年連れ添っている事もあってか、ドラルクが目配せをしたらジョンはすぐに頷いて鳴き声を上げ、男達の気を逸らした。
一人と一匹はホッと安堵の息を吐くと引き続き男達の会話に耳を澄まし、ヒナイチも今度は迷惑をかけないようにと力を抜いてその身をドラルクに委ねた。
それからしばらくして男達は立ち去り、その姿が完全にいなくなるのを陰から確認したジョンがドラルクに合図した事で漸くヒナイチは解放された。

「ふぅ、なんとか気付かれずに済んだ」
「・・・」
「大丈夫?ヒナイチくん」
「・・・え?あ、ああ、うん・・・あの男達は?」
「敵対吸血鬼と繋がってる組織の奴らだ。さっきのはその取引現場だったんだよ」
「そうだったのか・・・」
「ごめんね、危険な場所に連れた挙句巻き込んじゃって」
「いいんだ、私が何も知らないで勝手に付いて来たのが悪いんだ。それに私の方こそ仕事の邪魔をしたり音を立てたりして・・・ごめんなさい」
「いいよ。でも、もしもの事があるといけないあらギルドまで送らせてもらっていいかな?」
「えっ!?いやでもそんな、隊長も忙しい筈じゃ・・・」
「ヒナイチくんのお兄さんにも用があるから気にしなくて大丈夫だよ。さぁ、行こうか」

促されてヒナイチはドラルクと共に路地裏を出て自宅兼ギルドに向かう。
未だ赤くなっているであろう顔を俯かせながら。

「今日もクッキーを焼いてきたよ。エセ昼行燈に横取りされるといけないから今あげるね」
「あ、ああ!ありがとう・・・!」

受け取ったクッキー袋をギュッと片手で胸に抱き締める。
それからはドラルクが振ってくる話題に何とか言葉を返したり相槌を打ったりしたが先程の抱擁とドラルクの香りが脳内を占めてて会話が全く頭に入って来ない。
曖昧な返事にドラルクは気を悪くしていないだろうか。
折角の貴重な時間だというのにロクな会話も出来ないまま気付けばギルドに到着していて何とも歯痒かった。

「お、やるなーヒナイチ。同伴帰宅か?」
「ににに兄さん!!!」
「そのクッキーを献上するなら今日の夕飯に色付けてやってもいいぞ?」
「あげないぞ!これは私が隊長から貰ったクッキーだ!!」
「ツレないな。そういう訳だ隊長さん、キッチン貸してやるから作ってくれ」
「何を上から目線で言っとるんじゃエセ昼行燈!それよか例の作戦の話をするぞ」

帰るなり兄のカズサがニヤニヤと笑いながら冷やかしてきた。
そんな兄を睨みながらヒナイチは駆け上がるようにして二階の居住スペースにある自室に引っ込む。
それから鞄を雑に床に放り投げてクッキーを抱き締めながらベッドの上にボフンとダイブする。

「う~~~~~」

カズサと仕事の話をしている筈なのでドラルクとの会話リベンジは難しいがそれでも着替えて降りてドラルクの近くにいたい。
けれども真っ赤になっているだろう顔を、匂いを嗅いだだけで興奮してしまいそうなこの状態を見られる訳にはいかない。
今胸元で抱き締めているクッキーの袋からも甘い香りに混じってドラルクの匂いがして体の奥がむずむずする。
しかし、だからといって手放す事が出来ないジレンマに苛まれる。

「ち~~~ん・・・」

ヒナイチの悩ましい呻き声はしばらく続くのであった。









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