毎日がプリンセスパーティー
少し前までのロイヤルワンダー学園の文化祭というものは各チームで何かしらのテーマを決めてレポートをまとめて展示するという地味で盛り上がりの欠片もないものだった。しかしふたご姫による『学園仲良し計画』と、ホワイト学園と姉妹校を締結してから学園長見習いの態度が露骨に軟化した事でそれは大きく変わった。チームに縛られず個人単位・部活単位で好きな出し物を催す事を許可されたものだから浮き足立たない生徒はいない。しかし中には部活に所属しておらず、かといって個人で何か出す予定もない生徒も少なからずいるので、その生徒達も何かしらの参加をするようにとクラス単位での展示が義務付けられたが反対する者は流石にいなかった。
そんな訳で現在は文化祭に向けての準備が進められており、学園は日を追うごとに賑わう声が大きくなっていた。そうしたロイヤルワンダー学園のある放課後でのこと。
『レインの学園ほのぼのニュース!皆さんこんにちは!レインです!今日は文化祭にちなんで色んな星の文化についてお届けしたいと思います!』
学生寮の中央サロンにて、シェイドとブライトはレインの学園ニュースを聞いていた。シェイドはその日のクラスでの展示準備が終わっており、ブライトもクラスと部活の両方の出し物の準備が落ち着いたのでシェイドを誘って中央サロンに来てレインの学園ニュースを見に来ていた。レインのニュースが流れる時、ブライトはいつも夢中で、シェイドはぼんやりと聞いている事が多いのだが今日は違った。というのも今日はファインがゲスト出演しているからだ。
『―――以上が各星の文化でした!ちなみにふしぎ星のおひさまの国では大切な人と大切な約束をする時に花の指輪を贈る文化があります!』
レインは右手の甲をカメラに向けて薬指に嵌められた青い花の指輪を見せ、隣に座るファインは左手の甲をカメラに向けて薬指に嵌められてる赤い花の指輪を見せた。
『これは私とファインで贈り合った花の指輪で、これからもずっと仲良くしましょうねって約束しました!』
『ちなみに小さい時に、ずっと一緒にいようねって約束して贈り合った事もありま~す!』
『私達は今日も仲良しです!以上、学園ほのぼのニュースでした!』
満面の笑みのファインとレインが手を振ってニュースは終わり、モニターは切れた。その直後にニュースを見ていた大勢の生徒達が手を合わせて念仏のように「とーとい」という言葉を唱える姿を何とも言えない表情で眺めながらシェイドが尋ねる。
「なぁ、この『とーとい』って『尊い』って意味じゃないよな?俺の気の所為だよな?」
「残念ながら気の所為じゃないよ」
「そうか…毎回レインのニュースでファインとの姉妹仲の良さがアピールされる度に念仏のように唱えてるのも気の所為だよな?」
「気の所為じゃないよ。残念な事に」
「残念な事にそうか…」
「シェイド、ブライト、ちょっといいかい?」
何とも言えない空気の中、サロンの入り口からトーマが二人に声をかけてくる。その瞬間、念仏を唱えていた生徒達は一斉に鬼のような顔付きになるとトーマの方を振り返った。
「トーマさんが来たぞ!」
「全員配置につけ!!」
一人の生徒が号令をかけると他の生徒達は一斉に立ち上がり、入り口からシェイドとブライトまでの道を作るようにして並び始めた。それだけでなく、一斉にトーマに視線を向けて睨むものだから流石のトーマも恐怖を禁じ得ない。一歩踏み出して進むごとに突き刺すような無数の視線がトーマを追い、それに比例してトーマがかく冷や汗も多くなっていく。
「…ねぇ、僕毎回こうやって一部の生徒に睨まれるんだけど僕何かしたかな?主に記憶のない闇に操られてた時期に」
「アンタがレインをアナウンサーに抜擢して二人の仲を引き裂こうとしたのが原因だと思うぞ」
「えっ」
「今まで平等に扱われてきた二人が急に露骨な差をつけられた訳だしね」
「ファインが少し複雑そうにしてた」
「でも翌日にはいつも通り仲良くしてたのですぐに解決したんだと思います」
「そんな…!あの二人の間に差なんて必要ないのに…!今すぐファインもアナウンサーにしてもらうよう掛け合ってくる!!」
「本当にもう済んだ話なのでそういうのしなくて大丈夫です!!」
「余計な事して二人がまたギクシャクしたら睨まれるだけじゃ済まなくなるぞ」
感情が暴走してダッシュで学園に戻ろうとするトーマの両手首をブライトとシェイドがそれぞれ掴み、ズザザザザッと引き摺られながら止めようとする。
この後、説得に一時間もの時間を要したという。
☆ ☆
そして翌日。シェイドと共にある物を買いに来ていたブライトは後ろからついて来る二つの気配がずっと気にかかっていた。ちなみに正体は既に分かっている。本人達は上手く隠れられているつもりのようだが振り返った時に一瞬その姿が見えるのと、物陰から髪の毛や帽子がはみ出ているのだ。気を遣って気付かないフリをしてあげているが、何故ついてくるのかという疑問を解消したい。しかしストレートに二人のいる場所まで行って尋ねるのはなんとなく悪い気がする。どうしたものかと思案してチラリとシェイドに視線を送ると、シェイドは顎に指を当てて目つきを鋭くしながら何かを考えていた。
(あ、これ何か作戦を考えてる顔だ)
付き合いの長いブライトはすぐにシェイドの思考を見抜いた。そしてそこにはついて来ている二人への配慮だとかそういう優しさなどは一切含まれていないのも見抜いた。シェイドはどんな時でも手を抜かないし容赦はしない。それも長い付き合いで分かった事だ。
さて、そのシェイドの方は考えがまとまったのか、ポケットから一枚の小さな紙を取り出すとわざとらしく大きめの声で言い放った。
「少し前にアイスクリームが一個無料でもらえるクーポン券を貰ったんだが俺はあまり食べたい気分じゃないんだ」
「え?うん?それで?」
「そうなるとこれはもうただのゴミだ。ゴミはゴミ箱に捨てないとな」
(わぁ、悪人顔)
心の中で呟くに留めた感想。恐らくシェイドはブライトのそんな感想を見抜いているかもしれないが、それが見逃されているのは作戦を遂行する為、そして分かってやっている為。だが、それでシェイドが楽しいのであればもう何も言うまい。嫌われた所でブライトには関係のない話だし、シェイドにとっても良い薬になるだろう。もっとも、そんな未来が訪れる可能性はかなり低いので世の中は間違っていると思わなくはないブライトだった。
一方のシェイドは店の近くに設置されているゴミ箱に歩み寄ってこれ見よがしにクーポン券を捨てようとする。
「ダメダメダメダメダメーーー!!!!」
そこに、まるでこの世の危機のような叫び声と表情でファインが猛然と駆け寄って来た。そんなファインを止めようとしたのだろう、レインがファインの腰を掴んでいるがまるでストッパーにならなかったらしく、ファインの腰に掴まりながら鯉のぼりのように空中を泳いでいた。
ファインはシェイドが捨てようとしていたアイスクリームのクーポン券を取ると漸く足を止めた。
「セ~フ!!」
「見ろ、釣れたぞ」
「あはは…」
「ちょっとシェイド!自分が食べないからって捨てるの勿体無いじゃん!アタシが食べてあげるから次からはアタシに声かけてよ!」
「お前は他に言う事はないのか」
「他に?……ああっ!?このクーポン券、期限が切れてる!!?」
「ファイン、言うべき事はそれじゃないと思うよ」
「うぁ~アイス~…」
「悪いな、期限が切れてるなんて気付かなかった」
「シェイド、プリンスにあるまじき極悪人面をしてるよ」
「ちょっとシェイド!意地悪が過ぎるわよ!罰として私とファインにアイスを奢りなさい!」
「何故お前にも奢らねばならん」
「まぁまぁ。ところでレインとファインはさっきからずっと僕達について来てたみたいだけどどうしたの?何か用事かい?」
「あ、そうだったわ!ファイン、この際勢いでいくわよ!」
「う、うん!」
二人はゴソゴソとポケットを探るとそこから小箱を取り出した。ファインはパステルカラーの赤の小箱でレインは同じくパステルカラーの青の小箱だ。
「「今度の文化祭、一緒に過ごして下さい!!」」
両手に乗せた小箱をずずいと前に出しつつ蓋を開ける。中には生花が入っており、茎の所は指が一本通りそうな穴を作って丸まっていた。昨日の学園ニュースを聞いていなければどういう意味か分からなかっただろうそれにブライトとシェイドは一瞬呆気に取られる。が、次の瞬間にはシェイドの口角が上がったのをブライトは見逃さなかった。
「受け取ってもいいが条件がある」
「え?条件?」
「アレをクリア出来たら受け取ろう」
そう言ってシェイドが指差したもの、それは街に新しく出来たお化け屋敷だった。しかもホラー星監修の本格的な部類の。怖いものが大の苦手なファインはお化け屋敷の看板を見ただけで顔面蒼白になった。
「あああああれ~!!?」
「面白そうじゃない!行きましょうファイン!」
「やだやだ絶対やだ!!!」
「大丈夫大丈夫、私が一緒だから!」
「駄目に決まってるだろ」
「ええ~っ!?」
「何でよ!!」
「レインにはあっちに挑戦してもらうからだよ」
シェイドに便乗する形でブライトがある建物を指差す。それはお化け屋敷と同じく街に新しく出来た屋内アスレチックだった。しかも熱血星監修の本格且つハードな部類の。苦手な運動が絡んでくるものには流石のレインも目を点にして固まるしかなかった。
「アレ…を…?」
「うん。アレをクリア出来たら僕もレインからの花の指輪を受け取らせてもらうよ」
「むむむむ無理です!あんな本格的なアスレチックなんて私絶対にクリア出来ません!!」
「まぁまぁレイン、アタシが一緒に行ってサポートしてあげるから大丈夫だよ!」
「お前はこっちのお化け屋敷だろ」
「やっぱりダメ~!?」
「グダグダ言ってないで行くぞ」
「うぁ~!アタシあっちのアスレチックがいい~!」
「さぁ行こうか、レイン」
「私はあっちのお化け屋敷の方が~!」
シェイドとブライトに引き摺られ、ファインとレインは涙を流しながらお互いに手を伸ばすがその手が繋がれる事はなかった。
☆ ☆
「うぅ…あんまりだわ、ブライト様…」
「泣かないで、レイン。その代わりにハンデをあげるよ」
屋内アスレチックに到着して涙目になりながら俯くレインにブライトは優しく微笑みかける。アスレチックとは聞こえはいいものの、その遊具のどれもこれもが本格的なものでレインがクリア出来そうな遊具は殆どなかった。せめてものの救いがブライトが先程述べた『ハンデ』だがあまり期待出来るものではないのは気の所為ではないだろう。
レインは重たげに顔を上げながらハンデについて説明を求めた。
「ハンデって何ですか…」
「レインが危なくなったら僕が助けてあげる。ただし三回までだよ。もしも三回助けられたらそこで一発アウトだから気を付けてね」
「はぁい…」
「それから挑戦するのは三種目だけでいいよ。好きなものを選んでいいから」
好きなものなんて一つもありません。それがレインが心の中で呟いた正直な言葉だった。口に出さなかったのはブライトが助けてくれるというシチュエーションを妄想してそこに希望を見出したから。勿論やるからには全力で挑むつもりだ。なにせ文化祭デートもとい一緒に出し物を見て回るという夢がかかっているのだ、ここで逃げる訳にはいかない。
レインは己の心に喝を入れてキリッとした表情で前を向くとボルダリングを指差した。
「まずはあれに挑戦します!」
「うん、頑張ってね」
勇ましく厳かに歩いてボルダリングの前へ。木に比べたらボルダリングは足を乗せられる岩がいくつもある。落ち着いてゆっくり休み休みに登っていけばきっと上手く行くはず。そう自分に言い聞かせてレインは岩に手をかけていく。
「あらあらー!?」
が、ものの一分で落下する事になった。ちなみにまだ三十センチしか登っていない。
下に敷いてある分厚い緑色のマットレスに落下するものだと思っていたがそれがどうだろう、フワリと何かに受け止められて一向にマットレスの衝撃が襲ってこない。不思議に思ってそっと瞼を開けてみるとブライトの顔がすぐ目の前にあった。
「ぶ、ブライト様!?」
「大丈夫かい、レイン?怪我は?」
「だだ、だだだだ大丈夫です!あああありがとうございます!それより私重くないですか!?」
「そんな事はないよ。レインは花びらのように軽いね」
「ふぁっ!?」
ブライトの腕の中で甘い言葉を囁かれてレインは昇天しそうになる。もういっその事、この腕の中で死んでもいいとすら思っている。しかし幸せはそう長くは続かないもので、ブライトはすぐにレインを床の上に優しく降ろしてしまう。
「どうする?またボルダリングに挑戦する?」
「いえ~次の種目に挑戦します~!」
幸せのあまりフワフワとした足取りで次なる種目に挑戦するレイン。だが挑戦というのは建前でその真の目的はブライトにまたお姫様抱っこをしてもらう事。今目の前に転がっている夢のようなチャンスに浮かれて『文化祭を一緒に過ごす』という大切な目的はすっかり頭から抜け落ちていた。でなければ呑気に浮かれた顔で平均台の上に乗ったりしない。
「あらら〜?」
「危ない!」
半分ワザとではあるが、バランスを崩して落ちそうになってまたブライトに受け止めてもらう。今度は胸の中に飛び込んで抱き留めてもらった。
「大丈夫かい?」
「はい!私ったらまたやっちゃいました〜!」
「平均台はバランスを取りながら歩くのが大変だものね。次は何に挑戦する?」
「アレにします〜」
レインの最後の挑戦種目は雲梯。少し高さのあるものを選んで臨んだ。
「あららら!?」
一メートルくらい進んだ所でレインは片手を滑らせてしまい、腕一本でぶら下がる状態になってしまう。勿論これはワザとではない。しかし高さのあるものを選んでしまった為に着地するのに少しの不安があった。
「ぶ、ブライト様!私このまま着地しても大丈夫ですか!?」
「大丈夫だよ!最後のハンデを使っていいなら僕が受け止めてあげるよ!」
「お願いします!!」
レインは即答して手を離した。そしてボルダリングの時と同様、お姫様抱っこでブライトに受け止めてもらう幸せを享受するのだった。
「ありがとうございます、ブライト様!」
「気にしなくていいよ。僕は全然へっちゃらさ」
「ふぁ〜ん!」
「でもこれでハンデを三回使ってしまったからアウトだね」
「ハッ!?そういえば!!」
漸く夢から覚めたレインは真の目的を思い出して絶望する。文化祭でブライトと出し物を見て回りつつ手を繋いだり写真を撮ったり美味しいものを食べさせあったりなど沢山の妄想を計画していたのにそれら全ては呆気なく崩れてしまった。それもこれも目の前のブライトにお姫様抱っこしてもらえるというビッグチャンスに飛びついてしまったが為に。自業自得とはまさにこの事。
「とりあえず場所を変えようか」
「あ…ぅ…」
絶望で思考が真っ白になったレインの頭ではまともに頷く事も出来ず、魂が抜けたような表情のままブライトに手を引かれてアスレチックの建物を出て行く。それから近くのベンチに座らされたもののレインの放心状態は続いた。
「…」
「レイン、目を瞑って?」
「うぁー…」
放心状態であっても本能はブライトの要求に従う。これから何をされるのだろうかなんてのは勿論考えられる筈もなくレインは瞼を閉じる。瞼の裏に浮かぶは妄想していたブライトとの文化祭デートの欠片たち。この夢が実現しなかったのはとても悲しいが全ては自分が招いた事。しかし二度もお姫様抱っこをされ、胸の中に飛び込んで抱き留めてもらうという滅多にないシチュエーションを味わえた。この幸福を抱き締めて文化祭は一人寂しく過ごそう。
心の中で滝のような涙を流しながらそう決意した矢先、左手の薬指に何かが巻き付く感覚を覚えた。
「ブライト様…?」
「目を開けていいよ」
許可をもらってそっと目を開いて左手を確認する。見れば薬指の根元で美しい青色の造花が優雅に笑っていた。
「造花の…指輪…?」
「生花だとすぐに枯れてしまうだろう?そうなると僕とレインが約束してるって周りに伝わらないと思って造花を買いに来てたんだ」
「え?じゃあ…」
「僕と一緒に文化祭を過ごしてくれませんか?」
爽やかな笑顔で申し出られてはレインに断るという選択肢はない。赤い顔で何度も何度も顔を縦に振ると声を弾ませながらレインはブライトの申し出を快諾した。
「は、はい!喜んで!!」
「ありがとう、レイン」
「わ、私の方こそありがとうございます!!」
「それからレインの用意した花の指輪を貰ってもいいかな?」
「え?いいですけど…私、アスレチック成功出来ませんでしたよ?」
「成功出来なかった罰ゲームという事でどうかな?」
「いいと思います!!」
即答してレインはすぐに花の指輪を入れた小箱を取り出して差し出した。予定とはだいぶ違った展開となったがブライトと文化祭を一緒に過ごす約束を取り付けられ、この花の指輪も受け取ってもらえるなど願ったり叶ったりだ。
今日はなんて幸せな日だろう。ここで極めつけにブライトに甘い言葉でも囁かれたら昇天する自信がある。
「この花をレインだと思って大切に飾るね」
「ふぁっ!?」
想像がすぐに現実のものになるなどレインには全く予想出来ていなかった。その為に身構える事も出来ずレインは文字通り昇天し、バタッとベンチの上に倒れて魂は身体から離れていった。
「レイン!?」
天使の輪と羽を付け、両手を組んで空に舞い上がるレインの魂を目の当たりにしてブライトが慌てたのは言うまでもなかった。
☆ ☆
時は少し戻ってレインがブライトに引き摺られてアスレチックに挑戦してた頃、ファインもお化け屋敷に挑戦していた。こちらもお情けでシェイドが一緒に入ってあげるというハンデを貰ったのだが先導して歩くのはファインというルールの為、ハードルの高さは変わらなかった。
現在は入り口から五メートル進んだ地点で立ち止まっている。
「行かないのか?」
「行ける訳ないじゃん…シェイドの鬼…」
「ハンデでついてってやってるのに鬼だなんて暴言を吐かれるとは心外だな。鬼は鬼らしくお前を見捨てて先に行くとしよう」
「わぁ~ウソウソ!置いて行かないで~!!」
立ち去ろうとするシェイドの腕を咄嗟に掴んで引き止める。予想通りの反応に堪え切れずシェイドは笑い声を漏らす。
「くくっ…!」
「ああっ!?笑ってる!ひど~い!」
「悪い。それよりもいい加減怖いものに慣れたらどうだ?」
「無理絶対無理」
「そもそもお前が無理な理由は何だ?野生の勘で有り得ないものの気配でもするのか?」
「単純に怖い物が普通にダメっていうのもあるけど、一番は小さい時にレインと一緒にお化け屋敷入ったらお墓の飾りがあってね。そのお墓の前で白い着物を着た女の人が何かブツブツ呟きながら佇んでたの。それでお化け屋敷を出た後にレインにそれを言ったら、そんなお化けいなかったよって言われて…スタッフの人にも確認したらそんなのは用意してないって言われたんだ…」
「成る程、本当の心霊体験をした訳か」
「それ以来怖い物がもっと苦手になったんだ…だからもう本当に無理…」
「俺と文化祭を過ごす約束を不意にしてでもか?」
「それは…嫌だけど…」
唇を噛んで悲し気にファインは瞳を逸らす。勿論シェイドと一緒に文化祭を過ごしたい。しかし今目の前のお化けに恐怖で足が竦んでどうしても一歩を踏み出せない。
中々に苦しいジレンマにファインが悩んでいるのはシェイドから見ても明らかで、音を立てず苦笑の息を一つ吐くとファインの手を掴んだ。
「時間切れだ。行くぞ」
「あっ…!」
急に手を掴まれて胸が高鳴ったのも束の間、このまま恐怖の道を進むのだと気付くとファインは慌てて目を瞑った。
「あ、アタシ!目瞑ってるから…!」
「俺がいいって言うまで開けるなよ。お化けが出て来ても俺は問答無用で無視して歩いてるからな」
「なんだかキャストの人が可哀想なような…」
驚かしに出てもあの仏頂面で華麗にスルーされるキャストの事を思うと同情から顔が引き攣ったがファインはシェイドの指示に従う事にし、それから心の中で大きな溜息を吐いた。結局怖い物に屈してしまい、シェイドと文化祭を一緒に過ごすという約束を取り付ける事が出来なかった。もしも約束を交わす事が出来ていれば当日に美味しい食べ物の屋台やイベントに参加したりして楽しい思い出を作る予定だったのに。だが悔いた所で仕方ない、怖がりの自分が悪いのだから。せめてこうして手を繋ぐという滅多にないシチュエーションを思い出にして当日は一人で食べ物の屋台の食い倒れの旅に出よう。
そう胸に決意した時、瞼の裏が明るくなった。
「あれ?もう外出た?」
「出たがまだ目を開けるなよ」
「うん…?」
何故?という疑問を言外に含んで頷いてもシェイドはそのまま歩き続けたのでファインも歩いた。瞼のは裏はずっと明るく、雑踏も耳に飛び込んでくるので完全にお化け屋敷の外に出ているのは明らかなのに何故シェイドは目を開ける許可をくれないのだろう。あれこれ理由を考えてみるが納得のいくものは思いつかずファインは首を傾げる。
「そろそろ止まるぞ」
「うん?」
シェイドの歩く速度が緩くなり、ファインもそれに合わせて同じように速度を緩めていく。そうしてシェイドが立ち止まった所でファインも一拍遅れて止まった。
水の流れる綺麗な音がする。噴水の前だろうか。などと思考を巡らせていると左手を掴まれ、薬指の根元に何かを巻きつけられる感覚を覚えた。
「シェイド?」
「目を開けていいぞ」
漸く許可が下りてファインはそっと目を開く。一瞬だけ視界がチカチカしたがすぐに景色の明るさに慣れて元通りになる。それから左手を確認すると、薬指の根元で赤い造花が悪戯っぽく笑うようにして花開いていたのでファインは驚きに目を見開いた。
「造花の…指輪…?」
「文化祭、一緒に過ごすだろ?」
諦めていた言葉を耳にして弾かれたように顔を上げる。そこには柔らかく微笑むシェイドの顔があり、ファインは歓喜に頬を赤く染めると何度も顔を縦に振って「うん!」と頷いた。
「宜しくね!シェイド!」
「ああ、宜しくな」
「でも何で造花?」
「生花だとすぐに枯れて当日まで保たない上に俺達が約束してるって周りが気付かないだろ。だから造花を買いに来てたんだ」
「そ、そっか…!ちなみに生花を使うのはね、お花が枯れるまで持っていると絶対に約束が叶うっていうおまじないがあるからなんだよ」
「なるほどな。だが破るつもりはないから造花で問題ないな」
「あはは、そうだね」
「だがまぁ、折角用意してくれたんだ。あの花の指輪、俺にくれないか?部屋に飾っておく」
「うん!」
快く頷いてファインは花の指輪が入った小箱をシェイドに渡した。想定とはかなり違った渡し方となったが受け取ってくれるならそれに越した事はない。形はどうであれ、シェイドに花の指輪を渡して文化祭の約束を交わすという目的は達成されたのだから。オマケにこちらは約束の印である造花の指輪を貰ったのだ、これ程嬉しい事はない。
幸せな気持ちがファインの胸を満たしていき、また、シェイドも同じように満たされて穏やかな笑みを浮かべる。
「ブライトとレインの所に行くついでにアイスでも食べるか?奢るぞ」
「本当!?食べる食べる~!」
両手を挙げて喜ぶファインを促し、二人並んでアイスの店に向かう。ちなみに奢ると言ったのは意地悪をしたお詫びの気持ちもある。もっとも、ファインはもう気にしていないだろうが、そうしなければシェイドの気が済まなかった。
しかしそうして二人で往来を歩いていると、必死の形相で走るブライトと出くわした。
「あれ?ブライト?」
「どうした、何かあったのか?」
「それがレインの魂が昇天しかかってて…!」
「ええっ!?」
「はぁ?」
「ほら、あそこ!!」
ブライトが指差す先をファインは慌てて振り返り、シェイドは呆れた目で追う。そこには今にも空に溶け込もうとするレインの魂が浮遊していた。
「大変大変!レインが昇天しちゃう!!」
「何やってるんだアイツは…」
「レイ~ン!昇天するにはまだ早いよ~!文化祭はいいの~!?」
「ファインお前、幽霊はダメな癖に魂は大丈夫なのか?」
「え?何言ってるの?魂と幽霊は全然違うよ?」
「お前の口から哲学のような言葉が飛び出るとは思わなんだ」
「レイーン!戻って来るんだレイーン!!」
その後、レインの魂を呼び戻すのに二時間はかかったという。
END
そんな訳で現在は文化祭に向けての準備が進められており、学園は日を追うごとに賑わう声が大きくなっていた。そうしたロイヤルワンダー学園のある放課後でのこと。
『レインの学園ほのぼのニュース!皆さんこんにちは!レインです!今日は文化祭にちなんで色んな星の文化についてお届けしたいと思います!』
学生寮の中央サロンにて、シェイドとブライトはレインの学園ニュースを聞いていた。シェイドはその日のクラスでの展示準備が終わっており、ブライトもクラスと部活の両方の出し物の準備が落ち着いたのでシェイドを誘って中央サロンに来てレインの学園ニュースを見に来ていた。レインのニュースが流れる時、ブライトはいつも夢中で、シェイドはぼんやりと聞いている事が多いのだが今日は違った。というのも今日はファインがゲスト出演しているからだ。
『―――以上が各星の文化でした!ちなみにふしぎ星のおひさまの国では大切な人と大切な約束をする時に花の指輪を贈る文化があります!』
レインは右手の甲をカメラに向けて薬指に嵌められた青い花の指輪を見せ、隣に座るファインは左手の甲をカメラに向けて薬指に嵌められてる赤い花の指輪を見せた。
『これは私とファインで贈り合った花の指輪で、これからもずっと仲良くしましょうねって約束しました!』
『ちなみに小さい時に、ずっと一緒にいようねって約束して贈り合った事もありま~す!』
『私達は今日も仲良しです!以上、学園ほのぼのニュースでした!』
満面の笑みのファインとレインが手を振ってニュースは終わり、モニターは切れた。その直後にニュースを見ていた大勢の生徒達が手を合わせて念仏のように「とーとい」という言葉を唱える姿を何とも言えない表情で眺めながらシェイドが尋ねる。
「なぁ、この『とーとい』って『尊い』って意味じゃないよな?俺の気の所為だよな?」
「残念ながら気の所為じゃないよ」
「そうか…毎回レインのニュースでファインとの姉妹仲の良さがアピールされる度に念仏のように唱えてるのも気の所為だよな?」
「気の所為じゃないよ。残念な事に」
「残念な事にそうか…」
「シェイド、ブライト、ちょっといいかい?」
何とも言えない空気の中、サロンの入り口からトーマが二人に声をかけてくる。その瞬間、念仏を唱えていた生徒達は一斉に鬼のような顔付きになるとトーマの方を振り返った。
「トーマさんが来たぞ!」
「全員配置につけ!!」
一人の生徒が号令をかけると他の生徒達は一斉に立ち上がり、入り口からシェイドとブライトまでの道を作るようにして並び始めた。それだけでなく、一斉にトーマに視線を向けて睨むものだから流石のトーマも恐怖を禁じ得ない。一歩踏み出して進むごとに突き刺すような無数の視線がトーマを追い、それに比例してトーマがかく冷や汗も多くなっていく。
「…ねぇ、僕毎回こうやって一部の生徒に睨まれるんだけど僕何かしたかな?主に記憶のない闇に操られてた時期に」
「アンタがレインをアナウンサーに抜擢して二人の仲を引き裂こうとしたのが原因だと思うぞ」
「えっ」
「今まで平等に扱われてきた二人が急に露骨な差をつけられた訳だしね」
「ファインが少し複雑そうにしてた」
「でも翌日にはいつも通り仲良くしてたのですぐに解決したんだと思います」
「そんな…!あの二人の間に差なんて必要ないのに…!今すぐファインもアナウンサーにしてもらうよう掛け合ってくる!!」
「本当にもう済んだ話なのでそういうのしなくて大丈夫です!!」
「余計な事して二人がまたギクシャクしたら睨まれるだけじゃ済まなくなるぞ」
感情が暴走してダッシュで学園に戻ろうとするトーマの両手首をブライトとシェイドがそれぞれ掴み、ズザザザザッと引き摺られながら止めようとする。
この後、説得に一時間もの時間を要したという。
☆ ☆
そして翌日。シェイドと共にある物を買いに来ていたブライトは後ろからついて来る二つの気配がずっと気にかかっていた。ちなみに正体は既に分かっている。本人達は上手く隠れられているつもりのようだが振り返った時に一瞬その姿が見えるのと、物陰から髪の毛や帽子がはみ出ているのだ。気を遣って気付かないフリをしてあげているが、何故ついてくるのかという疑問を解消したい。しかしストレートに二人のいる場所まで行って尋ねるのはなんとなく悪い気がする。どうしたものかと思案してチラリとシェイドに視線を送ると、シェイドは顎に指を当てて目つきを鋭くしながら何かを考えていた。
(あ、これ何か作戦を考えてる顔だ)
付き合いの長いブライトはすぐにシェイドの思考を見抜いた。そしてそこにはついて来ている二人への配慮だとかそういう優しさなどは一切含まれていないのも見抜いた。シェイドはどんな時でも手を抜かないし容赦はしない。それも長い付き合いで分かった事だ。
さて、そのシェイドの方は考えがまとまったのか、ポケットから一枚の小さな紙を取り出すとわざとらしく大きめの声で言い放った。
「少し前にアイスクリームが一個無料でもらえるクーポン券を貰ったんだが俺はあまり食べたい気分じゃないんだ」
「え?うん?それで?」
「そうなるとこれはもうただのゴミだ。ゴミはゴミ箱に捨てないとな」
(わぁ、悪人顔)
心の中で呟くに留めた感想。恐らくシェイドはブライトのそんな感想を見抜いているかもしれないが、それが見逃されているのは作戦を遂行する為、そして分かってやっている為。だが、それでシェイドが楽しいのであればもう何も言うまい。嫌われた所でブライトには関係のない話だし、シェイドにとっても良い薬になるだろう。もっとも、そんな未来が訪れる可能性はかなり低いので世の中は間違っていると思わなくはないブライトだった。
一方のシェイドは店の近くに設置されているゴミ箱に歩み寄ってこれ見よがしにクーポン券を捨てようとする。
「ダメダメダメダメダメーーー!!!!」
そこに、まるでこの世の危機のような叫び声と表情でファインが猛然と駆け寄って来た。そんなファインを止めようとしたのだろう、レインがファインの腰を掴んでいるがまるでストッパーにならなかったらしく、ファインの腰に掴まりながら鯉のぼりのように空中を泳いでいた。
ファインはシェイドが捨てようとしていたアイスクリームのクーポン券を取ると漸く足を止めた。
「セ~フ!!」
「見ろ、釣れたぞ」
「あはは…」
「ちょっとシェイド!自分が食べないからって捨てるの勿体無いじゃん!アタシが食べてあげるから次からはアタシに声かけてよ!」
「お前は他に言う事はないのか」
「他に?……ああっ!?このクーポン券、期限が切れてる!!?」
「ファイン、言うべき事はそれじゃないと思うよ」
「うぁ~アイス~…」
「悪いな、期限が切れてるなんて気付かなかった」
「シェイド、プリンスにあるまじき極悪人面をしてるよ」
「ちょっとシェイド!意地悪が過ぎるわよ!罰として私とファインにアイスを奢りなさい!」
「何故お前にも奢らねばならん」
「まぁまぁ。ところでレインとファインはさっきからずっと僕達について来てたみたいだけどどうしたの?何か用事かい?」
「あ、そうだったわ!ファイン、この際勢いでいくわよ!」
「う、うん!」
二人はゴソゴソとポケットを探るとそこから小箱を取り出した。ファインはパステルカラーの赤の小箱でレインは同じくパステルカラーの青の小箱だ。
「「今度の文化祭、一緒に過ごして下さい!!」」
両手に乗せた小箱をずずいと前に出しつつ蓋を開ける。中には生花が入っており、茎の所は指が一本通りそうな穴を作って丸まっていた。昨日の学園ニュースを聞いていなければどういう意味か分からなかっただろうそれにブライトとシェイドは一瞬呆気に取られる。が、次の瞬間にはシェイドの口角が上がったのをブライトは見逃さなかった。
「受け取ってもいいが条件がある」
「え?条件?」
「アレをクリア出来たら受け取ろう」
そう言ってシェイドが指差したもの、それは街に新しく出来たお化け屋敷だった。しかもホラー星監修の本格的な部類の。怖いものが大の苦手なファインはお化け屋敷の看板を見ただけで顔面蒼白になった。
「あああああれ~!!?」
「面白そうじゃない!行きましょうファイン!」
「やだやだ絶対やだ!!!」
「大丈夫大丈夫、私が一緒だから!」
「駄目に決まってるだろ」
「ええ~っ!?」
「何でよ!!」
「レインにはあっちに挑戦してもらうからだよ」
シェイドに便乗する形でブライトがある建物を指差す。それはお化け屋敷と同じく街に新しく出来た屋内アスレチックだった。しかも熱血星監修の本格且つハードな部類の。苦手な運動が絡んでくるものには流石のレインも目を点にして固まるしかなかった。
「アレ…を…?」
「うん。アレをクリア出来たら僕もレインからの花の指輪を受け取らせてもらうよ」
「むむむむ無理です!あんな本格的なアスレチックなんて私絶対にクリア出来ません!!」
「まぁまぁレイン、アタシが一緒に行ってサポートしてあげるから大丈夫だよ!」
「お前はこっちのお化け屋敷だろ」
「やっぱりダメ~!?」
「グダグダ言ってないで行くぞ」
「うぁ~!アタシあっちのアスレチックがいい~!」
「さぁ行こうか、レイン」
「私はあっちのお化け屋敷の方が~!」
シェイドとブライトに引き摺られ、ファインとレインは涙を流しながらお互いに手を伸ばすがその手が繋がれる事はなかった。
☆ ☆
「うぅ…あんまりだわ、ブライト様…」
「泣かないで、レイン。その代わりにハンデをあげるよ」
屋内アスレチックに到着して涙目になりながら俯くレインにブライトは優しく微笑みかける。アスレチックとは聞こえはいいものの、その遊具のどれもこれもが本格的なものでレインがクリア出来そうな遊具は殆どなかった。せめてものの救いがブライトが先程述べた『ハンデ』だがあまり期待出来るものではないのは気の所為ではないだろう。
レインは重たげに顔を上げながらハンデについて説明を求めた。
「ハンデって何ですか…」
「レインが危なくなったら僕が助けてあげる。ただし三回までだよ。もしも三回助けられたらそこで一発アウトだから気を付けてね」
「はぁい…」
「それから挑戦するのは三種目だけでいいよ。好きなものを選んでいいから」
好きなものなんて一つもありません。それがレインが心の中で呟いた正直な言葉だった。口に出さなかったのはブライトが助けてくれるというシチュエーションを妄想してそこに希望を見出したから。勿論やるからには全力で挑むつもりだ。なにせ文化祭デートもとい一緒に出し物を見て回るという夢がかかっているのだ、ここで逃げる訳にはいかない。
レインは己の心に喝を入れてキリッとした表情で前を向くとボルダリングを指差した。
「まずはあれに挑戦します!」
「うん、頑張ってね」
勇ましく厳かに歩いてボルダリングの前へ。木に比べたらボルダリングは足を乗せられる岩がいくつもある。落ち着いてゆっくり休み休みに登っていけばきっと上手く行くはず。そう自分に言い聞かせてレインは岩に手をかけていく。
「あらあらー!?」
が、ものの一分で落下する事になった。ちなみにまだ三十センチしか登っていない。
下に敷いてある分厚い緑色のマットレスに落下するものだと思っていたがそれがどうだろう、フワリと何かに受け止められて一向にマットレスの衝撃が襲ってこない。不思議に思ってそっと瞼を開けてみるとブライトの顔がすぐ目の前にあった。
「ぶ、ブライト様!?」
「大丈夫かい、レイン?怪我は?」
「だだ、だだだだ大丈夫です!あああありがとうございます!それより私重くないですか!?」
「そんな事はないよ。レインは花びらのように軽いね」
「ふぁっ!?」
ブライトの腕の中で甘い言葉を囁かれてレインは昇天しそうになる。もういっその事、この腕の中で死んでもいいとすら思っている。しかし幸せはそう長くは続かないもので、ブライトはすぐにレインを床の上に優しく降ろしてしまう。
「どうする?またボルダリングに挑戦する?」
「いえ~次の種目に挑戦します~!」
幸せのあまりフワフワとした足取りで次なる種目に挑戦するレイン。だが挑戦というのは建前でその真の目的はブライトにまたお姫様抱っこをしてもらう事。今目の前に転がっている夢のようなチャンスに浮かれて『文化祭を一緒に過ごす』という大切な目的はすっかり頭から抜け落ちていた。でなければ呑気に浮かれた顔で平均台の上に乗ったりしない。
「あらら〜?」
「危ない!」
半分ワザとではあるが、バランスを崩して落ちそうになってまたブライトに受け止めてもらう。今度は胸の中に飛び込んで抱き留めてもらった。
「大丈夫かい?」
「はい!私ったらまたやっちゃいました〜!」
「平均台はバランスを取りながら歩くのが大変だものね。次は何に挑戦する?」
「アレにします〜」
レインの最後の挑戦種目は雲梯。少し高さのあるものを選んで臨んだ。
「あららら!?」
一メートルくらい進んだ所でレインは片手を滑らせてしまい、腕一本でぶら下がる状態になってしまう。勿論これはワザとではない。しかし高さのあるものを選んでしまった為に着地するのに少しの不安があった。
「ぶ、ブライト様!私このまま着地しても大丈夫ですか!?」
「大丈夫だよ!最後のハンデを使っていいなら僕が受け止めてあげるよ!」
「お願いします!!」
レインは即答して手を離した。そしてボルダリングの時と同様、お姫様抱っこでブライトに受け止めてもらう幸せを享受するのだった。
「ありがとうございます、ブライト様!」
「気にしなくていいよ。僕は全然へっちゃらさ」
「ふぁ〜ん!」
「でもこれでハンデを三回使ってしまったからアウトだね」
「ハッ!?そういえば!!」
漸く夢から覚めたレインは真の目的を思い出して絶望する。文化祭でブライトと出し物を見て回りつつ手を繋いだり写真を撮ったり美味しいものを食べさせあったりなど沢山の妄想を計画していたのにそれら全ては呆気なく崩れてしまった。それもこれも目の前のブライトにお姫様抱っこしてもらえるというビッグチャンスに飛びついてしまったが為に。自業自得とはまさにこの事。
「とりあえず場所を変えようか」
「あ…ぅ…」
絶望で思考が真っ白になったレインの頭ではまともに頷く事も出来ず、魂が抜けたような表情のままブライトに手を引かれてアスレチックの建物を出て行く。それから近くのベンチに座らされたもののレインの放心状態は続いた。
「…」
「レイン、目を瞑って?」
「うぁー…」
放心状態であっても本能はブライトの要求に従う。これから何をされるのだろうかなんてのは勿論考えられる筈もなくレインは瞼を閉じる。瞼の裏に浮かぶは妄想していたブライトとの文化祭デートの欠片たち。この夢が実現しなかったのはとても悲しいが全ては自分が招いた事。しかし二度もお姫様抱っこをされ、胸の中に飛び込んで抱き留めてもらうという滅多にないシチュエーションを味わえた。この幸福を抱き締めて文化祭は一人寂しく過ごそう。
心の中で滝のような涙を流しながらそう決意した矢先、左手の薬指に何かが巻き付く感覚を覚えた。
「ブライト様…?」
「目を開けていいよ」
許可をもらってそっと目を開いて左手を確認する。見れば薬指の根元で美しい青色の造花が優雅に笑っていた。
「造花の…指輪…?」
「生花だとすぐに枯れてしまうだろう?そうなると僕とレインが約束してるって周りに伝わらないと思って造花を買いに来てたんだ」
「え?じゃあ…」
「僕と一緒に文化祭を過ごしてくれませんか?」
爽やかな笑顔で申し出られてはレインに断るという選択肢はない。赤い顔で何度も何度も顔を縦に振ると声を弾ませながらレインはブライトの申し出を快諾した。
「は、はい!喜んで!!」
「ありがとう、レイン」
「わ、私の方こそありがとうございます!!」
「それからレインの用意した花の指輪を貰ってもいいかな?」
「え?いいですけど…私、アスレチック成功出来ませんでしたよ?」
「成功出来なかった罰ゲームという事でどうかな?」
「いいと思います!!」
即答してレインはすぐに花の指輪を入れた小箱を取り出して差し出した。予定とはだいぶ違った展開となったがブライトと文化祭を一緒に過ごす約束を取り付けられ、この花の指輪も受け取ってもらえるなど願ったり叶ったりだ。
今日はなんて幸せな日だろう。ここで極めつけにブライトに甘い言葉でも囁かれたら昇天する自信がある。
「この花をレインだと思って大切に飾るね」
「ふぁっ!?」
想像がすぐに現実のものになるなどレインには全く予想出来ていなかった。その為に身構える事も出来ずレインは文字通り昇天し、バタッとベンチの上に倒れて魂は身体から離れていった。
「レイン!?」
天使の輪と羽を付け、両手を組んで空に舞い上がるレインの魂を目の当たりにしてブライトが慌てたのは言うまでもなかった。
☆ ☆
時は少し戻ってレインがブライトに引き摺られてアスレチックに挑戦してた頃、ファインもお化け屋敷に挑戦していた。こちらもお情けでシェイドが一緒に入ってあげるというハンデを貰ったのだが先導して歩くのはファインというルールの為、ハードルの高さは変わらなかった。
現在は入り口から五メートル進んだ地点で立ち止まっている。
「行かないのか?」
「行ける訳ないじゃん…シェイドの鬼…」
「ハンデでついてってやってるのに鬼だなんて暴言を吐かれるとは心外だな。鬼は鬼らしくお前を見捨てて先に行くとしよう」
「わぁ~ウソウソ!置いて行かないで~!!」
立ち去ろうとするシェイドの腕を咄嗟に掴んで引き止める。予想通りの反応に堪え切れずシェイドは笑い声を漏らす。
「くくっ…!」
「ああっ!?笑ってる!ひど~い!」
「悪い。それよりもいい加減怖いものに慣れたらどうだ?」
「無理絶対無理」
「そもそもお前が無理な理由は何だ?野生の勘で有り得ないものの気配でもするのか?」
「単純に怖い物が普通にダメっていうのもあるけど、一番は小さい時にレインと一緒にお化け屋敷入ったらお墓の飾りがあってね。そのお墓の前で白い着物を着た女の人が何かブツブツ呟きながら佇んでたの。それでお化け屋敷を出た後にレインにそれを言ったら、そんなお化けいなかったよって言われて…スタッフの人にも確認したらそんなのは用意してないって言われたんだ…」
「成る程、本当の心霊体験をした訳か」
「それ以来怖い物がもっと苦手になったんだ…だからもう本当に無理…」
「俺と文化祭を過ごす約束を不意にしてでもか?」
「それは…嫌だけど…」
唇を噛んで悲し気にファインは瞳を逸らす。勿論シェイドと一緒に文化祭を過ごしたい。しかし今目の前のお化けに恐怖で足が竦んでどうしても一歩を踏み出せない。
中々に苦しいジレンマにファインが悩んでいるのはシェイドから見ても明らかで、音を立てず苦笑の息を一つ吐くとファインの手を掴んだ。
「時間切れだ。行くぞ」
「あっ…!」
急に手を掴まれて胸が高鳴ったのも束の間、このまま恐怖の道を進むのだと気付くとファインは慌てて目を瞑った。
「あ、アタシ!目瞑ってるから…!」
「俺がいいって言うまで開けるなよ。お化けが出て来ても俺は問答無用で無視して歩いてるからな」
「なんだかキャストの人が可哀想なような…」
驚かしに出てもあの仏頂面で華麗にスルーされるキャストの事を思うと同情から顔が引き攣ったがファインはシェイドの指示に従う事にし、それから心の中で大きな溜息を吐いた。結局怖い物に屈してしまい、シェイドと文化祭を一緒に過ごすという約束を取り付ける事が出来なかった。もしも約束を交わす事が出来ていれば当日に美味しい食べ物の屋台やイベントに参加したりして楽しい思い出を作る予定だったのに。だが悔いた所で仕方ない、怖がりの自分が悪いのだから。せめてこうして手を繋ぐという滅多にないシチュエーションを思い出にして当日は一人で食べ物の屋台の食い倒れの旅に出よう。
そう胸に決意した時、瞼の裏が明るくなった。
「あれ?もう外出た?」
「出たがまだ目を開けるなよ」
「うん…?」
何故?という疑問を言外に含んで頷いてもシェイドはそのまま歩き続けたのでファインも歩いた。瞼のは裏はずっと明るく、雑踏も耳に飛び込んでくるので完全にお化け屋敷の外に出ているのは明らかなのに何故シェイドは目を開ける許可をくれないのだろう。あれこれ理由を考えてみるが納得のいくものは思いつかずファインは首を傾げる。
「そろそろ止まるぞ」
「うん?」
シェイドの歩く速度が緩くなり、ファインもそれに合わせて同じように速度を緩めていく。そうしてシェイドが立ち止まった所でファインも一拍遅れて止まった。
水の流れる綺麗な音がする。噴水の前だろうか。などと思考を巡らせていると左手を掴まれ、薬指の根元に何かを巻きつけられる感覚を覚えた。
「シェイド?」
「目を開けていいぞ」
漸く許可が下りてファインはそっと目を開く。一瞬だけ視界がチカチカしたがすぐに景色の明るさに慣れて元通りになる。それから左手を確認すると、薬指の根元で赤い造花が悪戯っぽく笑うようにして花開いていたのでファインは驚きに目を見開いた。
「造花の…指輪…?」
「文化祭、一緒に過ごすだろ?」
諦めていた言葉を耳にして弾かれたように顔を上げる。そこには柔らかく微笑むシェイドの顔があり、ファインは歓喜に頬を赤く染めると何度も顔を縦に振って「うん!」と頷いた。
「宜しくね!シェイド!」
「ああ、宜しくな」
「でも何で造花?」
「生花だとすぐに枯れて当日まで保たない上に俺達が約束してるって周りが気付かないだろ。だから造花を買いに来てたんだ」
「そ、そっか…!ちなみに生花を使うのはね、お花が枯れるまで持っていると絶対に約束が叶うっていうおまじないがあるからなんだよ」
「なるほどな。だが破るつもりはないから造花で問題ないな」
「あはは、そうだね」
「だがまぁ、折角用意してくれたんだ。あの花の指輪、俺にくれないか?部屋に飾っておく」
「うん!」
快く頷いてファインは花の指輪が入った小箱をシェイドに渡した。想定とはかなり違った渡し方となったが受け取ってくれるならそれに越した事はない。形はどうであれ、シェイドに花の指輪を渡して文化祭の約束を交わすという目的は達成されたのだから。オマケにこちらは約束の印である造花の指輪を貰ったのだ、これ程嬉しい事はない。
幸せな気持ちがファインの胸を満たしていき、また、シェイドも同じように満たされて穏やかな笑みを浮かべる。
「ブライトとレインの所に行くついでにアイスでも食べるか?奢るぞ」
「本当!?食べる食べる~!」
両手を挙げて喜ぶファインを促し、二人並んでアイスの店に向かう。ちなみに奢ると言ったのは意地悪をしたお詫びの気持ちもある。もっとも、ファインはもう気にしていないだろうが、そうしなければシェイドの気が済まなかった。
しかしそうして二人で往来を歩いていると、必死の形相で走るブライトと出くわした。
「あれ?ブライト?」
「どうした、何かあったのか?」
「それがレインの魂が昇天しかかってて…!」
「ええっ!?」
「はぁ?」
「ほら、あそこ!!」
ブライトが指差す先をファインは慌てて振り返り、シェイドは呆れた目で追う。そこには今にも空に溶け込もうとするレインの魂が浮遊していた。
「大変大変!レインが昇天しちゃう!!」
「何やってるんだアイツは…」
「レイ~ン!昇天するにはまだ早いよ~!文化祭はいいの~!?」
「ファインお前、幽霊はダメな癖に魂は大丈夫なのか?」
「え?何言ってるの?魂と幽霊は全然違うよ?」
「お前の口から哲学のような言葉が飛び出るとは思わなんだ」
「レイーン!戻って来るんだレイーン!!」
その後、レインの魂を呼び戻すのに二時間はかかったという。
END