Enemy・Brother(エネブラ)
それから300年もの月日が流れる
大きな脅威を失った世界には再び平和が訪れた
アザンとの戦いは人々の間で語り継がれ
セシルドは世界を救った英雄として噂が広まった
傷を抱えた人々も時間と共に回復し
世界は落ち着きを取り戻していた
そんな世界の端
街や村からも少し距離を置いた所にある草原
その中心に小さな家があった
「お兄ちゃん、これなかなか切れないよー」
茶髪の短い髪に空の色をそのまま投影したような丸い瞳が困ったように伏せられる
そんな様子を見ていたもう少し髪の長い少年はフゥと息をつき自分より年下の少年へ近寄った
「情けないなクラウダ、こういう物は思い切りが必要なんだぞ?」
スコーンと言う良い音と共に薪は綺麗に二つに分かれた
「すごーい!!さっすがお兄ちゃんだね!」
「はは、すぐにクラウダもできる様になるさ」
明るい笑顔でクラウダの兄ライズは微笑んだ
「うん、僕も早くお兄ちゃんの役に立てるようになるよ!」
「それは楽しみだな、よしこれ運ぶぞクラウダ」
大量の薪を二人で分け、兄弟は家の中へ運び入れた
「よし、飯にするか」
「わーい!お腹空いてたんだー」
二人は数年前に両親を病で無くし、今は兄弟で力を合わせ毎日を楽しく生きていた
苦労する事はあっても二人一緒なら乗り越えられる
兄弟が離れる事は絶対に無いと思っていた
くるくる回る時計の針は止まる事無く二人の時間を刻んでいく
日が沈み、夜の帳が辺りを包む
「じゃあ僕は寝るね、お兄ちゃんは?」
「お休みクラウダ、すぐ俺も行くよ」
「うん、分かった」
コクリと頷くとクラウダは寝室へと入っていった
「さてと…俺も片付けたら寝るか」
そう言って食器を持った時だった軽く眩暈がして視界が霞む
「何だ…これ…」
(…せ…ここ…か…ら…)
頭に微かに響く声
余りにも小さく言葉自体はほとんど聞き取れない
しばらくすると謎の声も眩暈も元に戻る
「疲れかな…もう寝よう…」
どことなく気分が悪い、普段クラウダと家事などを分担はしているものの
まだ未熟なクラウダはお手伝いが精一杯だった
当然負担はライズの方が大きくなる
「俺が倒れる訳にはいかない…俺がしっかりしなきゃ」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと反応するように寝室の奥でゴソリと動く
ライズはフゥと息を漏らしてそこへ近付くとベッドへ腰掛けた
「聞いていたのかクラウダ?」
「うん…」
もぞもぞと布団から顔を覗かせたクラウダは小さく頷く
「僕、精一杯頑張るから…無理しないでねお兄ちゃん」
「ん、そうだな」
そっと微笑みライズは自分のベッドへ入るとすぐに寝息を立てた
クラウダは一人天井を見上げ、それからライズを横目に眠りにつく
胸がザワザワしていた
*
暗い暗い闇の中、その何もない場所に僕は立っていた。
何も見えない何も聞こえない
不安だけがその空間に満ちていって息苦しい
「ここは…どこ?」
ボソッっと言った言葉はすぐに闇へ消えてしまった。
(僕は何でここにいるんだろう)
気付いたらここに居た、胸から競り上がってくる不快感が
ここに居るべきではないと警鐘を鳴らしている
でも周りは見渡す限りの闇
出口などそもそもここには無い気がした
闇の中にかすかな音―――――
僕は耳を澄ましてみた
「俺を…」
小さく低い声が聞こえる。
「俺を…ここから」
声は途切れ、何も聞こえなくなった。
(何だったんだろう?)
体が震える、ここの寒さは尋常じゃない
僕の体を容赦なく冷やしてくる。
(寒い…)
体をさすっても、気休めにもならない。
体はずいぶん冷えて、もうすでに感覚がほとんどない
特に足は凍ったように全く動かない。
もうろうとする意識の中、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「クラウダ…!!」
(お兄ちゃん…?)
声の聞えた方を向くとライズがこちらに走ってきていた
少しでも近付こうと手を伸ばそうとした時だった
ヒヤリとした感触が伸ばした腕を掴んでいる事に気がついた
やがて液体だったモノは形をクラウダよりも一回りも大きな手へと変える
「えっ…」
何が起こってるのかサッパリ分からないでいると後ろから引き寄せる様に
二つの腕がクラウダを捕らえた
「クク、捕まえた…」
ライズより低い男の声
やっと自分が見知らぬ男性に囚われている事に気付いたクラウダは
その腕の中でもがくが体格差が違う相手に抵抗できるはずも無かった
「離してよ!!」
「だれが離すか、やっと自由になれる時が来たんだからなぁ」
「自由…?」
男の言う言葉の意味は分からなかった
しかし、どこか拭い去る事のできない邪悪さが言葉の端々から伝わってくる
「クラウダを離せ!!」
男の元へ辿り付いたライズは果敢にもその男へと掴みかかった
しかし確実に捉えてたはずの右手はまるで沼にでも手を入れたかのように
男の中に”埋もれて”しまった
「何だよこれ…」
今まで感じた事の無い不快な感覚にライズはその手を引っ込めた
その様子は男は楽しそうに笑っていたが急に表情を変えクラウダを片手で掴み上げ
自分の胸近くに押し当てる、すると本来体があるはずの場所が液化し
ズブリとクラウダの半身は沈み込んだ
「っ…や…め」
「止めろ!!!!クラウダをどうするつもりだ!!」
そうライズが叫ぶと男はニヤリと笑みを零し、その鋭い眼光でライズを睨んだ
「喰うのさ…」
聞き慣れない言葉に何を言われたかすぐに理解できなかったライズの目の前で男は
クラウダの頭を掴み、更に奥へと押し込んだ
「…!!??」
「止めろ…!!止めてくれ…お願いだ」
何もできない自分の無力さにライズは今にも泣きそうだった
その表情を待っていたかのように男が気を失ったクラウダを引っ張り出すと
ライズへと近寄り、顔を近づけた
「弟を助けたいか?”お兄さん”よ…だったらこいつの代わりにでもなるか?ククク…」
「クラウダは見逃してくれるんだな?」
「あぁ、もちろんだ…お前の方が使えそうだしな」
そう言うとクラウダを床へと降ろした
「分かった…俺が代わる」
「クク、そうこなくっちゃなぁ」
(ゴメン…クラウダ…)
全身を液化させた男は足元からライズを包み込むようにして飲み込んだ
(嫌だよ…そんなの嫌だよ…お兄ちゃん)
その様子を虚ろな意識の中でクラウダは見続けていた
*
意識はすぐに戻ってきた
目を開けるとまだ薄暗い部屋に見慣れた天井
体中に冷や汗を掻き、バクバクと煩く響く自分の心音
夢だと思いたかった、しかし頭にハッキリと残る記憶や感覚が妙に生々しい
「お兄ちゃんは…!?」
そして思い出した自分を庇い闇に飲まれた兄、ライズを
しかし横を振り向くと、そこには静かに横たわる変わらぬ兄の姿があった
「…夢、だったんだ…良かった」
クラウダは布団を抜け、ライズへと近寄った
「そうだよね、お兄ちゃんがそんな…」
そっと手を取る、しかしその手が異様に冷たい事に気付きクラウダの心臓は高鳴った
「誰が”お兄ちゃん”だって?」
確かにその声はライズのものだった、しかし見開かれたその目に
クラウダと同じ以前の青は無く、真紅に染まった怪しげな眼光だけが闇に浮き上がるように光を湛えていた
「悪いなクラウダ、この体は俺が頂くぜ?」
打ちひしがれるクラウダにその”誰か”は嫌らしい笑い声を叩き付ける
「返して…」
「ん?」
震えるような声だった、それでも精一杯目の前の恐怖に打ち勝とうと必死に出した
「お兄ちゃんを返して!!!!」
何かせずには居られない、何も出来ないかも知れないけど
大切な兄が別のモノになってしまうなんて許せなかった
「あの時にこいつはお前の身代わりになってまで助けたんだぜ?
せっかく助かるってのに…お前はその願いを無駄にするのか?」
「お兄ちゃんを見捨てるなんて…僕にはできないよ」
「ふぅん、随分と兄想いな弟だな…胸糞悪い」
一瞬にして目つきが変わる、気付いた時には体は壁に打ち付けられ首を絞められていた
「ぁ…ぐっ…」
「生意気言ってんじゃねぇよ餓鬼が、何なら大好きな兄と一緒に俺に喰われるか?ククク」
首を掴んでる手が黒く染まり掛けたその時だった
ビリビリと窓のガラスが振動したかと思うと、真っ白になるまでヒビが入り
部屋にあった全ての窓は音を立てて粉々に崩れ去ってしまった
「これは!?」
先ほどまで穏やかだった天気は急変し嵐のような突風が部屋へと押し寄せる
ライズを乗っ取った男はクラウダを床へと叩き付けると一点を睨み付けた
「アザン…もう気付きやがったのか」
(アザン!?)
その名前にクラウダは聞き覚えがあった
ずっと昔、世界を滅ぼしかけた黒竜の名前
やがて風が収まると部屋に散らばったガラスを踏み付けて
茶色い短髪に眼鏡を掛けた一見物腰の柔らかそうな見た目の男性が現れた
しかしその風貌とは裏腹に纏う気配は禍々しく、息をするのを躊躇うほどの緊張が部屋を包み込む
「お久しぶりだね、ブラック?大人しくしてたかい?」
アザンと呼ばれた男は落ち着いた低い声でそう語り掛ける
それに対してブラックと呼ばれた男は明らかに嫌なものを見る目でアザンを睨み付けた
「黙れ、それにしてもその姿は何だ?クク…傑作だな貴様もついに人間の体を借りるとはな!!」
「考えが変わったんだよ、わざわざ私が手を下す事は無い…人間の罪は人間によって償わせれば良い」
「ふん、何をするつもりか知らないが、貴様は俺様がッ…」
急にアザンの腕が黒く染まり、そこに体など存在して無かったかの様にその腕がライズの内側へ潜ると
まるで押し出すように黒く曖昧な塊が飛び出し床へと広がった
それと同時に糸が切れた人形のように意識の無くなったライズはアザンの方へと倒れ込んだ
「お兄ちゃん!!!」
「おや、もう一人居たのか、皮肉なものだな時を越え再び始める兄弟喧嘩が同じく人間の兄弟とはな」
そこまで言うとアザンはライズを抱え、その体には似合わない2対の翼をその背に生やした
「待って!!お兄ちゃんを連れて行かないで!!お兄ちゃんを返してよ!!!何で…何で!!」
居ても立っても居られずに走り出そうと足を踏み出すと、まるで床など無いかの様にズブリと沈み
クラウダはその場でバランスを崩して前のめりに倒れ込むと激しい痛みが体を走ったが
それよりも目の前で連れ去られようとしているライズに必死に手を伸ばす
「やだ…やだよ!!お兄ちゃん!!!お兄ちゃん!!!!」
足元には床に広がった黒い液体がクラウダを引きずり込み始める
アザンはそんな事を気にも留めず、そのまま翼を大きく広げ窓から颯爽と飛び出して去って行った
「お兄ちゃん…」
何もできなかった自分に悔しくて涙が止まらなかった
引き込まれている事にもどこか実感が無く、ただただ居なくなってしまったライズの事だけを考えていた
そうしている内に体は半身ほど埋まり、まるで覆い被さるように残りの体も黒い液体へと飲み込まれてしまった
*
落ちて落ちて落ちる
それはとてもゆっくりとしていたが
落ちていく感覚だけがそこにはあった
痛いとか悲しいとか寂しいとか
心を埋めていた感情も、まるで流れ出て行く様に空っぽになっていく
僕が無になっていく
このまま身を任せているのも心地よいかも知れない
現実は厳しくて悲しくて辛くて
(…お前はそれでいいのか)
誰かの声が聞えた気がした
それはライズでもブラックでもアザンでも無い
(…良くない)
消えかかっていた意識に兄の姿が浮かぶ
(…助けたいんだろう?)
色が戻る
(助けたい)
感情が満たされていく
(…なら、俺が力を貸してやる)
熱が戻る、涙が溢れ出す
「力を貸して!!!!!セシルド!!!!!!!」
叫んだ、どこまでも続く闇に一つの青い光が灯った
それはクラウダの右手に紋章を描きながら
辺りの闇は吸い寄せられるように勢い良く、その光へと収束されていった
「目が覚めたか?」
薄っすらと開いた目
どこか安心できるような温かさ、優しい声にコクリとクラウダは頷いた
「そうか…良かった」
「お兄ちゃん…?」
まだ意識はハッキリしなかったが、ぼんやりとする視界に兄の物とは違う黒髪が見えて慌てて身構えた
そんな様子に苦笑しながら男は少しクラウダから距離を取った
「悪いな驚かせて、まぁ一番驚いたのは俺なんだけどな」
クラウダを寝かせている向かいのベッドへと腰掛けて男は足を組んだ
「だ、誰…?ブラック?」
黒くて肩から流した長い髪、鋭い新緑の眼、尖った耳には金色のピアス
どこかその姿は夢で見たブラックの姿と似ていた
「考えたくはねぇが、どうも混ざってるんだろうな」
男自身その姿に違和感があるようで手を動かしたり髪色を見て溜息をついた
「混ざって…?」
クラウダには男の言ってる意味は分からなかったが
どこか他人とは思えないような妙な安心感があるのを感じていた
「お前、俺の名前呼んだよな?」
「えっ…?」
初対面であるこの男の名前など知るはずは無かった
しかし暗闇の中で無意識に叫んでいた一つの名前を思い出す
「セシルド…?」
どうしてあの時自分が叫んだのか分からなかった
兄を助けたいその一心で伸ばした手を掴んだのはクラウダよりも一回りは大きな手
その瞬間に浮かび上がったのがその名前
「そう俺の名はセシルド、いやセシルド・ブラックとでも言っておこうか」
「じゃあ、あの時の声は貴方の…」
「貴方って言うのは何か固いな、俺の事はセシルドでいいぜクラウダ」
そう言ってセシルドは苦笑した
「どうして僕の名前を!?」
「少し俺もこの体に慣れてきた、ちょっと眼を閉じて俺の思ってる事を当ててみな」
言われた通り眼を閉じる、視界が消え真っ暗な闇が降りてくる
それはどこか自分を失いかけたあの闇に似ている
意識を集中させると小さいがいくつかの言葉が聞えて来た
いくつもの言葉、これがセシルドが思っている事なのだろうか
そんな事を考えて目を開けようとした時だった、まるで闇の方から睨みつけて来るような気配を感じ
慌てて目を開いた、そこには先ほどとは変わらぬ様子のセシルドが居た
「ん?どうした?少し顔色が悪いが…俺そんな変な事考えてたか?」
「あ…いえ、何でもないです」
明らかに様子がおかしいクラウダが気になったが、初めての事で困惑したのかと考え話を続けた
「俺の考えてる事は分かったか?」
「えっと…俺達はこうやって思ってる事を共有できるとか、怖がらなくていい俺はお前の味方だとか…」
「お、上手く読み取れたみたいだな!」
「それと…」
「ん?まだ何かあったか?」
「腹減った…かな?」
「げっ、そんな所まで聞えるのかよ…」
心中を悟られて少し照れるセシルドにやっとクラウダは笑顔を浮かべた
セシルドもホッとして笑顔を浮かべる
「やっと笑ったなクラウダ、改めて俺はセシルド」
「僕はクラウダ、クラウダ・ビルクって言います!」
「ビルク…」
セシルドの中で全ての合点がいった
(…あぁ、無事だったのかリィア…良かった)
「ねぇセシルド、大丈夫?」
ボーっとしているセシルドを心配してクラウダは声を掛けた
「あ、あぁ悪いな…少し考え事をしていた」
本来なら涙が零れていただろう、しかしこの体になってその機能は失われていた
「そう言えばさっき混ざってるって言ってたけど…」
「そうだったな、まぁ簡単に言えばこの体自体はブラックの物だがこうして話したりするのは俺って事かな」
「ううん…何となく分かった」
「ほとんど俺の意識だから問題は無いだろうな…ただ」
「ただ…?」
「お前の事が美味そうに見えてしまう事ぐらいか」
「!?」
舌なめずりまでするセシルドにクラウダは後ずさった
それを見てしまったと思ったのか気まずそうな顔を浮かべて軽く苦笑いをした
「じょ、冗談だよ…冗談、怖がるなって!」
恐る恐る戻るクラウダは再び向かい合う形でセシルドの目の前に座り直す
「クラウダ、お前はこれから兄のライズを助けに行くんだよな?」
「うん、僕だけの力でどこまでやれるか分からないけど…お兄ちゃんを助けたい」
「お前だけじゃないだろ?俺も居る」
「…セシルドも助けてくれるの?」
「当たり前だろ、俺はその為にここに居るんだからな」
セシルドが優しく微笑むとクラウダの眼にはまた涙が溢れた
「嬉しい…僕…このまま一人だったらって…不安だった…お兄ちゃんに…会いたい」
ボロボロと涙が零れていく
我慢していた感情が次から次へと涙に変わる
そんなクラウダを引き寄せるとセシルドは深く抱き締めた
「我慢してたんだなクラウダ…今は泣いててもいい、俺がずっと傍に居てやる」
セシルドの言葉に背中を押される様にクラウダは泣き続けた
やがて泣き疲れるとそのままセシルドの腕の中で微かに寝息を立てクラウダは眠りに付いた
まだ辺りは暗かったが奥の方が明るくなり掛けているのを見て夜が開けるのだと気付いたセシルドは
起さないようにクラウダをベッドに寝かせ布団を掛けた
アザンの襲来で散乱した物を片付けるとクラウダの寝ているベッドへと腰を降ろす
「リィア…俺はお前の残してくれたこの子達を守る、何があってもな」
月を見つめセシルドはしばらく祈りを捧げていた
眼を開き大きく息を吸う
息を吐き終わる頃にはその体は元の形を崩し、その場で黒く液化した
しかしそれは床に広がる事無くクラウダの右手の紋章へと吸い込まれ消えていった
後にはクラウダの静かな寝息だけが微かに残る
兄を救う少年の旅は白む朝日に包まれ、今始まろうとしていた
大きな脅威を失った世界には再び平和が訪れた
アザンとの戦いは人々の間で語り継がれ
セシルドは世界を救った英雄として噂が広まった
傷を抱えた人々も時間と共に回復し
世界は落ち着きを取り戻していた
そんな世界の端
街や村からも少し距離を置いた所にある草原
その中心に小さな家があった
「お兄ちゃん、これなかなか切れないよー」
茶髪の短い髪に空の色をそのまま投影したような丸い瞳が困ったように伏せられる
そんな様子を見ていたもう少し髪の長い少年はフゥと息をつき自分より年下の少年へ近寄った
「情けないなクラウダ、こういう物は思い切りが必要なんだぞ?」
スコーンと言う良い音と共に薪は綺麗に二つに分かれた
「すごーい!!さっすがお兄ちゃんだね!」
「はは、すぐにクラウダもできる様になるさ」
明るい笑顔でクラウダの兄ライズは微笑んだ
「うん、僕も早くお兄ちゃんの役に立てるようになるよ!」
「それは楽しみだな、よしこれ運ぶぞクラウダ」
大量の薪を二人で分け、兄弟は家の中へ運び入れた
「よし、飯にするか」
「わーい!お腹空いてたんだー」
二人は数年前に両親を病で無くし、今は兄弟で力を合わせ毎日を楽しく生きていた
苦労する事はあっても二人一緒なら乗り越えられる
兄弟が離れる事は絶対に無いと思っていた
くるくる回る時計の針は止まる事無く二人の時間を刻んでいく
日が沈み、夜の帳が辺りを包む
「じゃあ僕は寝るね、お兄ちゃんは?」
「お休みクラウダ、すぐ俺も行くよ」
「うん、分かった」
コクリと頷くとクラウダは寝室へと入っていった
「さてと…俺も片付けたら寝るか」
そう言って食器を持った時だった軽く眩暈がして視界が霞む
「何だ…これ…」
(…せ…ここ…か…ら…)
頭に微かに響く声
余りにも小さく言葉自体はほとんど聞き取れない
しばらくすると謎の声も眩暈も元に戻る
「疲れかな…もう寝よう…」
どことなく気分が悪い、普段クラウダと家事などを分担はしているものの
まだ未熟なクラウダはお手伝いが精一杯だった
当然負担はライズの方が大きくなる
「俺が倒れる訳にはいかない…俺がしっかりしなきゃ」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと反応するように寝室の奥でゴソリと動く
ライズはフゥと息を漏らしてそこへ近付くとベッドへ腰掛けた
「聞いていたのかクラウダ?」
「うん…」
もぞもぞと布団から顔を覗かせたクラウダは小さく頷く
「僕、精一杯頑張るから…無理しないでねお兄ちゃん」
「ん、そうだな」
そっと微笑みライズは自分のベッドへ入るとすぐに寝息を立てた
クラウダは一人天井を見上げ、それからライズを横目に眠りにつく
胸がザワザワしていた
*
暗い暗い闇の中、その何もない場所に僕は立っていた。
何も見えない何も聞こえない
不安だけがその空間に満ちていって息苦しい
「ここは…どこ?」
ボソッっと言った言葉はすぐに闇へ消えてしまった。
(僕は何でここにいるんだろう)
気付いたらここに居た、胸から競り上がってくる不快感が
ここに居るべきではないと警鐘を鳴らしている
でも周りは見渡す限りの闇
出口などそもそもここには無い気がした
闇の中にかすかな音―――――
僕は耳を澄ましてみた
「俺を…」
小さく低い声が聞こえる。
「俺を…ここから」
声は途切れ、何も聞こえなくなった。
(何だったんだろう?)
体が震える、ここの寒さは尋常じゃない
僕の体を容赦なく冷やしてくる。
(寒い…)
体をさすっても、気休めにもならない。
体はずいぶん冷えて、もうすでに感覚がほとんどない
特に足は凍ったように全く動かない。
もうろうとする意識の中、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「クラウダ…!!」
(お兄ちゃん…?)
声の聞えた方を向くとライズがこちらに走ってきていた
少しでも近付こうと手を伸ばそうとした時だった
ヒヤリとした感触が伸ばした腕を掴んでいる事に気がついた
やがて液体だったモノは形をクラウダよりも一回りも大きな手へと変える
「えっ…」
何が起こってるのかサッパリ分からないでいると後ろから引き寄せる様に
二つの腕がクラウダを捕らえた
「クク、捕まえた…」
ライズより低い男の声
やっと自分が見知らぬ男性に囚われている事に気付いたクラウダは
その腕の中でもがくが体格差が違う相手に抵抗できるはずも無かった
「離してよ!!」
「だれが離すか、やっと自由になれる時が来たんだからなぁ」
「自由…?」
男の言う言葉の意味は分からなかった
しかし、どこか拭い去る事のできない邪悪さが言葉の端々から伝わってくる
「クラウダを離せ!!」
男の元へ辿り付いたライズは果敢にもその男へと掴みかかった
しかし確実に捉えてたはずの右手はまるで沼にでも手を入れたかのように
男の中に”埋もれて”しまった
「何だよこれ…」
今まで感じた事の無い不快な感覚にライズはその手を引っ込めた
その様子は男は楽しそうに笑っていたが急に表情を変えクラウダを片手で掴み上げ
自分の胸近くに押し当てる、すると本来体があるはずの場所が液化し
ズブリとクラウダの半身は沈み込んだ
「っ…や…め」
「止めろ!!!!クラウダをどうするつもりだ!!」
そうライズが叫ぶと男はニヤリと笑みを零し、その鋭い眼光でライズを睨んだ
「喰うのさ…」
聞き慣れない言葉に何を言われたかすぐに理解できなかったライズの目の前で男は
クラウダの頭を掴み、更に奥へと押し込んだ
「…!!??」
「止めろ…!!止めてくれ…お願いだ」
何もできない自分の無力さにライズは今にも泣きそうだった
その表情を待っていたかのように男が気を失ったクラウダを引っ張り出すと
ライズへと近寄り、顔を近づけた
「弟を助けたいか?”お兄さん”よ…だったらこいつの代わりにでもなるか?ククク…」
「クラウダは見逃してくれるんだな?」
「あぁ、もちろんだ…お前の方が使えそうだしな」
そう言うとクラウダを床へと降ろした
「分かった…俺が代わる」
「クク、そうこなくっちゃなぁ」
(ゴメン…クラウダ…)
全身を液化させた男は足元からライズを包み込むようにして飲み込んだ
(嫌だよ…そんなの嫌だよ…お兄ちゃん)
その様子を虚ろな意識の中でクラウダは見続けていた
*
意識はすぐに戻ってきた
目を開けるとまだ薄暗い部屋に見慣れた天井
体中に冷や汗を掻き、バクバクと煩く響く自分の心音
夢だと思いたかった、しかし頭にハッキリと残る記憶や感覚が妙に生々しい
「お兄ちゃんは…!?」
そして思い出した自分を庇い闇に飲まれた兄、ライズを
しかし横を振り向くと、そこには静かに横たわる変わらぬ兄の姿があった
「…夢、だったんだ…良かった」
クラウダは布団を抜け、ライズへと近寄った
「そうだよね、お兄ちゃんがそんな…」
そっと手を取る、しかしその手が異様に冷たい事に気付きクラウダの心臓は高鳴った
「誰が”お兄ちゃん”だって?」
確かにその声はライズのものだった、しかし見開かれたその目に
クラウダと同じ以前の青は無く、真紅に染まった怪しげな眼光だけが闇に浮き上がるように光を湛えていた
「悪いなクラウダ、この体は俺が頂くぜ?」
打ちひしがれるクラウダにその”誰か”は嫌らしい笑い声を叩き付ける
「返して…」
「ん?」
震えるような声だった、それでも精一杯目の前の恐怖に打ち勝とうと必死に出した
「お兄ちゃんを返して!!!!」
何かせずには居られない、何も出来ないかも知れないけど
大切な兄が別のモノになってしまうなんて許せなかった
「あの時にこいつはお前の身代わりになってまで助けたんだぜ?
せっかく助かるってのに…お前はその願いを無駄にするのか?」
「お兄ちゃんを見捨てるなんて…僕にはできないよ」
「ふぅん、随分と兄想いな弟だな…胸糞悪い」
一瞬にして目つきが変わる、気付いた時には体は壁に打ち付けられ首を絞められていた
「ぁ…ぐっ…」
「生意気言ってんじゃねぇよ餓鬼が、何なら大好きな兄と一緒に俺に喰われるか?ククク」
首を掴んでる手が黒く染まり掛けたその時だった
ビリビリと窓のガラスが振動したかと思うと、真っ白になるまでヒビが入り
部屋にあった全ての窓は音を立てて粉々に崩れ去ってしまった
「これは!?」
先ほどまで穏やかだった天気は急変し嵐のような突風が部屋へと押し寄せる
ライズを乗っ取った男はクラウダを床へと叩き付けると一点を睨み付けた
「アザン…もう気付きやがったのか」
(アザン!?)
その名前にクラウダは聞き覚えがあった
ずっと昔、世界を滅ぼしかけた黒竜の名前
やがて風が収まると部屋に散らばったガラスを踏み付けて
茶色い短髪に眼鏡を掛けた一見物腰の柔らかそうな見た目の男性が現れた
しかしその風貌とは裏腹に纏う気配は禍々しく、息をするのを躊躇うほどの緊張が部屋を包み込む
「お久しぶりだね、ブラック?大人しくしてたかい?」
アザンと呼ばれた男は落ち着いた低い声でそう語り掛ける
それに対してブラックと呼ばれた男は明らかに嫌なものを見る目でアザンを睨み付けた
「黙れ、それにしてもその姿は何だ?クク…傑作だな貴様もついに人間の体を借りるとはな!!」
「考えが変わったんだよ、わざわざ私が手を下す事は無い…人間の罪は人間によって償わせれば良い」
「ふん、何をするつもりか知らないが、貴様は俺様がッ…」
急にアザンの腕が黒く染まり、そこに体など存在して無かったかの様にその腕がライズの内側へ潜ると
まるで押し出すように黒く曖昧な塊が飛び出し床へと広がった
それと同時に糸が切れた人形のように意識の無くなったライズはアザンの方へと倒れ込んだ
「お兄ちゃん!!!」
「おや、もう一人居たのか、皮肉なものだな時を越え再び始める兄弟喧嘩が同じく人間の兄弟とはな」
そこまで言うとアザンはライズを抱え、その体には似合わない2対の翼をその背に生やした
「待って!!お兄ちゃんを連れて行かないで!!お兄ちゃんを返してよ!!!何で…何で!!」
居ても立っても居られずに走り出そうと足を踏み出すと、まるで床など無いかの様にズブリと沈み
クラウダはその場でバランスを崩して前のめりに倒れ込むと激しい痛みが体を走ったが
それよりも目の前で連れ去られようとしているライズに必死に手を伸ばす
「やだ…やだよ!!お兄ちゃん!!!お兄ちゃん!!!!」
足元には床に広がった黒い液体がクラウダを引きずり込み始める
アザンはそんな事を気にも留めず、そのまま翼を大きく広げ窓から颯爽と飛び出して去って行った
「お兄ちゃん…」
何もできなかった自分に悔しくて涙が止まらなかった
引き込まれている事にもどこか実感が無く、ただただ居なくなってしまったライズの事だけを考えていた
そうしている内に体は半身ほど埋まり、まるで覆い被さるように残りの体も黒い液体へと飲み込まれてしまった
*
落ちて落ちて落ちる
それはとてもゆっくりとしていたが
落ちていく感覚だけがそこにはあった
痛いとか悲しいとか寂しいとか
心を埋めていた感情も、まるで流れ出て行く様に空っぽになっていく
僕が無になっていく
このまま身を任せているのも心地よいかも知れない
現実は厳しくて悲しくて辛くて
(…お前はそれでいいのか)
誰かの声が聞えた気がした
それはライズでもブラックでもアザンでも無い
(…良くない)
消えかかっていた意識に兄の姿が浮かぶ
(…助けたいんだろう?)
色が戻る
(助けたい)
感情が満たされていく
(…なら、俺が力を貸してやる)
熱が戻る、涙が溢れ出す
「力を貸して!!!!!セシルド!!!!!!!」
叫んだ、どこまでも続く闇に一つの青い光が灯った
それはクラウダの右手に紋章を描きながら
辺りの闇は吸い寄せられるように勢い良く、その光へと収束されていった
「目が覚めたか?」
薄っすらと開いた目
どこか安心できるような温かさ、優しい声にコクリとクラウダは頷いた
「そうか…良かった」
「お兄ちゃん…?」
まだ意識はハッキリしなかったが、ぼんやりとする視界に兄の物とは違う黒髪が見えて慌てて身構えた
そんな様子に苦笑しながら男は少しクラウダから距離を取った
「悪いな驚かせて、まぁ一番驚いたのは俺なんだけどな」
クラウダを寝かせている向かいのベッドへと腰掛けて男は足を組んだ
「だ、誰…?ブラック?」
黒くて肩から流した長い髪、鋭い新緑の眼、尖った耳には金色のピアス
どこかその姿は夢で見たブラックの姿と似ていた
「考えたくはねぇが、どうも混ざってるんだろうな」
男自身その姿に違和感があるようで手を動かしたり髪色を見て溜息をついた
「混ざって…?」
クラウダには男の言ってる意味は分からなかったが
どこか他人とは思えないような妙な安心感があるのを感じていた
「お前、俺の名前呼んだよな?」
「えっ…?」
初対面であるこの男の名前など知るはずは無かった
しかし暗闇の中で無意識に叫んでいた一つの名前を思い出す
「セシルド…?」
どうしてあの時自分が叫んだのか分からなかった
兄を助けたいその一心で伸ばした手を掴んだのはクラウダよりも一回りは大きな手
その瞬間に浮かび上がったのがその名前
「そう俺の名はセシルド、いやセシルド・ブラックとでも言っておこうか」
「じゃあ、あの時の声は貴方の…」
「貴方って言うのは何か固いな、俺の事はセシルドでいいぜクラウダ」
そう言ってセシルドは苦笑した
「どうして僕の名前を!?」
「少し俺もこの体に慣れてきた、ちょっと眼を閉じて俺の思ってる事を当ててみな」
言われた通り眼を閉じる、視界が消え真っ暗な闇が降りてくる
それはどこか自分を失いかけたあの闇に似ている
意識を集中させると小さいがいくつかの言葉が聞えて来た
いくつもの言葉、これがセシルドが思っている事なのだろうか
そんな事を考えて目を開けようとした時だった、まるで闇の方から睨みつけて来るような気配を感じ
慌てて目を開いた、そこには先ほどとは変わらぬ様子のセシルドが居た
「ん?どうした?少し顔色が悪いが…俺そんな変な事考えてたか?」
「あ…いえ、何でもないです」
明らかに様子がおかしいクラウダが気になったが、初めての事で困惑したのかと考え話を続けた
「俺の考えてる事は分かったか?」
「えっと…俺達はこうやって思ってる事を共有できるとか、怖がらなくていい俺はお前の味方だとか…」
「お、上手く読み取れたみたいだな!」
「それと…」
「ん?まだ何かあったか?」
「腹減った…かな?」
「げっ、そんな所まで聞えるのかよ…」
心中を悟られて少し照れるセシルドにやっとクラウダは笑顔を浮かべた
セシルドもホッとして笑顔を浮かべる
「やっと笑ったなクラウダ、改めて俺はセシルド」
「僕はクラウダ、クラウダ・ビルクって言います!」
「ビルク…」
セシルドの中で全ての合点がいった
(…あぁ、無事だったのかリィア…良かった)
「ねぇセシルド、大丈夫?」
ボーっとしているセシルドを心配してクラウダは声を掛けた
「あ、あぁ悪いな…少し考え事をしていた」
本来なら涙が零れていただろう、しかしこの体になってその機能は失われていた
「そう言えばさっき混ざってるって言ってたけど…」
「そうだったな、まぁ簡単に言えばこの体自体はブラックの物だがこうして話したりするのは俺って事かな」
「ううん…何となく分かった」
「ほとんど俺の意識だから問題は無いだろうな…ただ」
「ただ…?」
「お前の事が美味そうに見えてしまう事ぐらいか」
「!?」
舌なめずりまでするセシルドにクラウダは後ずさった
それを見てしまったと思ったのか気まずそうな顔を浮かべて軽く苦笑いをした
「じょ、冗談だよ…冗談、怖がるなって!」
恐る恐る戻るクラウダは再び向かい合う形でセシルドの目の前に座り直す
「クラウダ、お前はこれから兄のライズを助けに行くんだよな?」
「うん、僕だけの力でどこまでやれるか分からないけど…お兄ちゃんを助けたい」
「お前だけじゃないだろ?俺も居る」
「…セシルドも助けてくれるの?」
「当たり前だろ、俺はその為にここに居るんだからな」
セシルドが優しく微笑むとクラウダの眼にはまた涙が溢れた
「嬉しい…僕…このまま一人だったらって…不安だった…お兄ちゃんに…会いたい」
ボロボロと涙が零れていく
我慢していた感情が次から次へと涙に変わる
そんなクラウダを引き寄せるとセシルドは深く抱き締めた
「我慢してたんだなクラウダ…今は泣いててもいい、俺がずっと傍に居てやる」
セシルドの言葉に背中を押される様にクラウダは泣き続けた
やがて泣き疲れるとそのままセシルドの腕の中で微かに寝息を立てクラウダは眠りに付いた
まだ辺りは暗かったが奥の方が明るくなり掛けているのを見て夜が開けるのだと気付いたセシルドは
起さないようにクラウダをベッドに寝かせ布団を掛けた
アザンの襲来で散乱した物を片付けるとクラウダの寝ているベッドへと腰を降ろす
「リィア…俺はお前の残してくれたこの子達を守る、何があってもな」
月を見つめセシルドはしばらく祈りを捧げていた
眼を開き大きく息を吸う
息を吐き終わる頃にはその体は元の形を崩し、その場で黒く液化した
しかしそれは床に広がる事無くクラウダの右手の紋章へと吸い込まれ消えていった
後にはクラウダの静かな寝息だけが微かに残る
兄を救う少年の旅は白む朝日に包まれ、今始まろうとしていた
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