Enemy・Brother(エネブラ)
森はザワザワと騒がしく凪ぐ、まるで怯えるように
悲しみを代弁するように燃え盛る炎は
何も語らなくなった町を暗闇の中から浮かび上がらせる
世界で一番大きな城下町はその日一瞬の内に焦土と化した
闇に同化するほどに深い黒は炎に照らされ浮き上がる
その眼にはどうする事もできない深い悲しみを灯し
焦土の中心に鎮座する黒竜は全ての者に恐怖を植え付けるかのように天高く咆哮した
*
世界は絶望に染まっていた。今まで神として崇め崇拝してきた黒竜達がある日を境に暴れだした
全ての黒竜は危険視され、人の手によって神狩りが始まる
多く居た黒竜達も数を減らしこのまま絶えるのは時間の問題であったが
しかしその内の一体黒竜の頂点に君臨するアザンは恐ろしい程の力を持ち
街を丸々焦土へと変えると全てを怨むように現在も世界を崩壊へと導いている
「どうやら黒竜はこの街に向かっているらしい」
「あぁ…もう世界は終わりだな…」
「お前は逃げないのか?」
「逃げた所で奴は全てを根絶やしにするつもりだ、だったら俺はここに残るね」
「そうか…じゃあ俺は行くぜ」
「あぁ、生きてたらまたどこかで会おう…」
街角ではそんな話が聞こえてきた
「黒竜か…」
噂には聞いていたここまで早く自分達の住む町へ迫っているとは予想外だった
「覚悟を決める時だな」
長い茶髪に青い瞳を持った男は
買い込んでいた食糧を抱え家へと向かう
ノブの引く手が少し重く感じる
開き切ると抱えてるものを落とさないよう慎重に奥の机へと運んだ
暖炉の火がパチパチと音を立てて弾けている
その灯りに照らされてふんわりと肩に布を掛け一人の女性が暖を取っていた
物音に気付くとゆっくりとした動作でこちらを見つめる
その優しそうな表情のまま「おかえりなさいセシルド」と呟いた
「ただいまリィア、食料を買い込んでおいた」
「あら、そんなにたくさん?ふふ、ご飯の準備をしなきゃね」
そう言って立ち上がろうとするのをセシルドは止めた
「夕飯は俺が準備するからお前はゆっくり座っていろ、体に障る」
リィアのお腹は大きく膨れていた
「そうね、じゃあお願いするわ無理して体壊したらこの子に申し訳無いものね」
愛おしく目を細め優しく膨らみに手を触れる
「こんな時代でも希望を持っていて欲しい、誰にも優しく接する事のできる…そんな強い子になってね」
「きっとなるさ、お前と俺の子だからな」
「そうね…きっと」
フフと笑みを向けられてセシルドは少し顔を赤らめると視線を逸らした
「め、飯用意してくるぜ…」
「お願いね、美味しくなきゃ嫌よ?」
「善処する…」
いくつかの食材を手に持ちセシルドは調理場へ向かった
しばらくして良い香りが流れてくると
両手に美味しそうな料理を持ってセシルドが戻ってきた
それを机に置きそれぞれが席に着くとリィアはそっと口を付けた
「どう…だ?」
「ちょっと塩辛いかしら?」
「なっ…すぐ作り直してくる!」
慌てるセシルドの手にそっと自分の手を重ねると少し意地悪な笑みで微笑む
「フフ、冗談よ凄く美味しい」
「本当か?」
「本当よ、最近任せっぱなしだったから上達したのね」
「そうか…良かった…」
ホッとして席へ戻るとセシルドは口を噤んでしまった
「………」
「………」
しばらく無言が続くとリィアはフゥと息を漏らしセシルドを見つめた
「何か…言いたい事があるんじゃないの?顔に描いてあるわよ」
「……リィア」
「言わなくても分かるわよ、黒竜退治に向かうんでしょ?」
「あぁ…」
「気を落とさないで、分かってたことだから…いつかこういう日が来るって」
「済まない…」
「大丈夫、あなたはこの街一番の戦士ですもの…きっと私達を守ってくれるって信じてる」
「無謀だとは思わないのか?」
「信じてますから、確かに黒竜は強い…屈強の戦士達もみんなやられてしまった…でも」
ジッとセシルドを見つめるその瞳には強い意志が浮かんでいた
「あなたは私の夫この子の父親なんですから、ね?」
「あぁ、お前たちには指一本触れさせない」
セシルドは席を立つとリィアの前へ屈んだ
「無事に産まれて来るんだぞ…」
膨らみに手を触れ語りかけるように言葉を紡ぐ
そんなセシルドの頬にそっと細くしなやかな指が触れ優しく輪郭を滑らす
「リィア…行って来る」
その指に導かれるように深く口付けする
お互いの体温が伝わるほど体を触れ合わせ永遠とも思えるほど深く深く抱き合った
「愛してるセシルド…」
「俺もだリィア…」
そこまで言うと長年使っている身丈半分ほどもある針の束を手に取り
振り返ること無く家を後にした
「…馬鹿」
無謀な事ぐらい目に見えていた
「止めたって…出て行くくせに…」
涙が溢れる、我慢していた気持ちが止め処なく次から次へ
「セシルド…!!お願い…どうか…どうかこの子を…この子の未来を守ってあげて…」
誰も居なくなった部屋、扉の向こうではセシルドが俯いていた
「有難う…リィア」
そっともたれて居たドアから体を離し走り始めた
「これは…なかなか」
その様子をずっと眺めていた一つの影は大きな翼を広げ羽ばたいた
「噂ではこちらから向かって来てるんだったな」
黒竜が迫ってると聞き街の住民は次々とその場を離れていたが
その人の波を掻き分けるようにセシルドは走り続けた
いつしか街からは離れ魔物が徘徊する森へと更に走り続ける
奥へ進むにつれて空は黒雲に隠れ闇の世界へと変わっていた
「もうすぐ傍まで来てる証拠だな…」
不安が無いと言えば嘘になるが守る者のあるセシルドに迷いは無かった
ほとんど自分の感覚に頼り森の奥深くへと向かった
胸がざわつく、今まで多くの魔物と戦って来たがこれほどのプレッシャーを放つのは
黒竜以外に考えられない
森を抜けると辺りは夜の帳が落ちすっかり闇色へと染まっていた
「ハァハァ…ここで待っていればきっと…」
「なかなか感が鋭いみたいだなぁ、なぁ人間?」
「くっ…!?」
気配が無かったそれどころか姿もまだ見えない
「どこだ!!!!!出て来い!!俺が相手だ!!!」
そう叫ぶとちょうど目線の先にある大木の上、闇の中に三つの赤が灯るのを見つけた
「まぁ…そう焦るな、ゆっくり料理してやるからよ…」
一瞬細まった赤い光が揺らめくと大木は音を立てて崩れ去り
顕になったその姿は月に照らされ浮かび上がった
「俺様は黒竜ブラック・クルス…今ここへ向かっているアザンの弟だ」
「弟だ…と…!?」
想像もしていなかったまさかアザン以外にも生き残っている黒竜がおり今目の前に存在してるなど
「そうさ、俺達は兄弟…だが俺はあいつを認めない」
「どういう事だ…」
「クク…俺様には人間が必要だ、それを自分の感情に流され滅ぼそうなんてどうかしてる」
ブラックは大きく羽ばたくとゆっくりと地面へと足を着けた
「だから俺様は兄貴を殺す」
「自分の兄弟を殺すだと!?」
「何を驚く事がある?現にお前は俺様の兄を殺しに来たんじゃないのか?ククク」
楽しそうに笑みを浮かべるブラックは兄弟を殺すことに何の躊躇いも疑問も無いように見えた
「何故俺の前に現れた…」
疑問だった自分と同じくアザンを待ち伏せしているのであればわざわざ自ら名乗る必要も無い
「もちろん、貴様に用があったのさ…」
「俺に…用?」
「ハッキリ言うぜ?お前程度の力じゃ俺の兄貴に勝てねぇ」
「くっ…」
そんな事は重々承知していた
ただ指を咥えて逃げている事なんてできなかった
「こっからが本題だ」
「何だ…?」
「俺様にその身を捧げろ…セシルド」
「!?」
何を言うかと思えばあまりにも突拍子も無い
そんな事受け入れるはずも無いとセシルドは武器を両手に構えた
「まぁ…もちろんタダとは言わねぇ、俺様は優しいからなククク…」
不適な笑みを浮かべながらブラックはゆっくりとセシルドへと近づいた
「来るな!!!!!」
研ぎ澄まされた針の先が確実にブラックの体を捉えていた
しかし本来ならその皮膚を突き破り出るはずの先端はまるで無い
それどころか刺さる手応えも、血すら出ていない
「ククククク…そんな物で俺達黒竜を倒そうだなんて…甘いんじゃねぇのか?」
危険を感じ突き刺した針を残しセシルドが身を引くと
ブラックは胸の針を取り出すどころか体へと押し込み、取り込んでしまった
「取り込んだ…だと!?」
「悪いな、俺様は黒竜の中でも特別でね…無駄だとは思うが俺とやり合ってみるか?」
「俺を嘗めるな…!!!!」
「言っても分からねぇ馬鹿には…身を持って知ってもらわなきゃなぁ…」
言い終るかどうかの間に二人はお互いの刃を交わせていた
しかし斬撃も打撃も効かないブラックに成す術も無く攻撃を受けセシルドは地へ着いた
「筋はいいなぁ、俺様が目を付けただけはある」
「ぐはっ、ごほっ…」
「このまま止めを刺しても良いが…先程の話の続きだ、乗るかどうかは貴様に選ばせてやる」
「………。」
「俺にその身を捧げれば…俺様が兄貴を倒してやる、街には一切手を出さないぜ?目的はそこだけだからなぁ」
「そんな話…信じられる…か」
瀕死になりながらもそう呟いたセシルドに容赦無くブラックは蹴りを入れた
数メートル先まで吹っ飛ばされ地面へと打ち付けられる
「がっ…!!!」
「言っておくがな…貴様のような死にぞこない一瞬で葬り去る事なんて容易いんだぜ?」
赤い瞳は普通の人間なら一瞬で気を失うような鋭さと迫力でセシルドを捉える
「それなのに俺様はチャンスをやろうと言っているんだ、いいか次はねぇぞ?」
意識も曖昧としていた、相手はあまりにも実力が違っていた
どこまでも桁違いで勝てる要素なんて微塵も無かった
自分の愚かさに悔しくてどうしようも無くなる
「最期の二択だ…慎重に選ぶんだなククク…まず一択
俺様は人を取り込む事で兄貴と渡り合える力を手に入れることができる、それで目に付いたのが貴様だ
つまりテメェ自身を捧げて貴様の大切な街を守るか…それとも」
そこまで言うとセシルドを指差し冷たく微笑む
「ここで貴様の無力さを思い知りながら…俺様の手によって消し炭になるか…さぁ選べ!」
考えるまでも無く選択は一つしか無かった
約束を守るかなんてどこにも保障は無かったが、それでもただ何もしないまま消えるよりは
ほんの一握りでも可能性がある方が救われる
(済まない…リィア…)
「どうした?声が出ないのか?」
(俺は俺の選択をする…)
辛うじて動く足で立ち上がり弱弱しくブラックへと近づく
「へぇ…」
目の前に立つだけで倒れそうな気迫、これが黒竜と呼ばれるモノの姿なのか
そんな事を頭の隅でぼんやりと考えつつ一歩づつ前へと進んだ
「自分から来るとは…可愛いところもあるじゃねぇか」
「この身をお前に捧げる…だからアザンを…」
そこまで言ってセシルドは気を失い、ブラックに寄り掛るように倒れこんだ
「あぁ、約束は守るぜ…セシルド」
これ以上無い満足した笑みを浮かべその体に触れるとその指先から黒く染まり液化する
「余すとこ無く喰らい尽くしてやるよ…ククククハハハハハハ!」
一気に溢れ出した黒の濁流は一瞬の内にセシルドを飲み込みブラックの体もその一部へと変わっていく
やがて池のように広がった闇は一つの形を再形成していく
そこにブラックの姿は無い、その形は闇色の髪と赤き瞳を宿したセシルドの姿だった
「さぁ兄弟喧嘩と行こうか…兄貴」
暗くなっていた空が更に黒く光という光を覆い尽くす、それは巨大な影
上空で大きく羽ばたくそれはブラックなど気にも止めず街へ向かっていた
「俺様をシカトかよ…いいぜ、だったら嫌でもこっち向かせてやるぜ…ハァッ!!」
ブラックの声に反応するようにその背から二対の翼が生える
「シカトしてんじゃねぇぇぇぇ糞兄貴がぁぁぁぁあ!!!!」
とてつもない速度で羽ばたき上昇すると一度ニヤリと笑みを浮かべその巨体へ激しい一撃を撃ち込んだ
蟻と像ほどの体格差があるにも関わらずアザンの体は大きく反り一瞬バランスを崩しかける
ブラックの存在に気付いたのか向きを変えその街ほどもある巨大な尾をやり返す様に打ち付ける
「くっ…!!!!」
防御はしたもののそのサイズ差に圧倒されブラックは地面へと落とされた
アザンはしばらくその様子を見た後地面へ向かい羽ばたくとぶつかる寸前でその形を人型へと瞬時に変え降り立った
「出来損ないが…何の真似だ?」
「ハハハ…相変わらずだな糞兄貴」
「お前を弟と認めた覚えは無い、すぐにここを去れ目障りだ」
「そう言うなよな、俺はあんたを倒しに来たんだからなぁ…」
「何?」
「人間を滅ぼして何になる?あんたの恨みの為だけに滅ぼした所で気持ちが収まるのか?」
「黙れ…」
「そもそも人間なんかに情なんて…」
「黙れ!!!!!!!」
「おっと…地雷だったか?クククク…」
「人間が居なければ人型にもなれぬ黒竜族の屑が…出来損ないが…知ったような口を叩くな!!!!!」
「はは、言ってくれるねぇ…出来損ないかどうか試してみるか?」
「死ぬ覚悟ができているなら来い…」
「そうさせてもらうぜ!!!」
黒い針が現れ降り注ぐようにアザンへと襲い掛かかる
アザンは向かってきたソレを手から出現させた魔力の塊を放ち一瞬で粉砕した
「ヒュー、さっすが」
「貴様が私を倒すだと…?戯言も大概にしろ」
ブラックへと距離を縮めたアザンは先程と同様作り出したいくつもの魔力球を撃ち出す
「くっ…!!」
いくつかは避けるものの数が多く数発は被弾してしまった
「これぐらい…!!!返してやるぜ!!」
先程被弾した数発を一時的に取り込んでいたブラックはそれをアザンへと放った
「フン…」
飛んで来た魔力球を華麗に避けアザンが距離を置くと今度はブラックの足元に魔方陣が現れる
「ぐっ!!これはマズイ…!!」
寸での所で後ろへ飛ぶと魔方陣の範囲は一瞬で業火に包まれた
「危ねぇ危ねぇ…」
「何を余所見してる?背後がガラ空きだぞ?」
「この…!!」
「遅い!!!!」
針を構え切り掛るより早くアザンはその腕ごと己の爪で切り裂く
「ぐあっ…!!!」
切り口から血は出ないものの黒く変色した腕は地へと転がった
「なんてな…」
先程まで苦渋の表情を浮かべていたブラックは笑みを浮かべ逆の手でアザンを掴む
「!?」
その直後アザンの背後から鋭利で巨大な針が貫いた
ブラックとは違い鮮血が辺りへ飛び散り体制を崩す
「ハハハハ・・こんな事もできるのさ・・」
貫いた針は液化しブラックの腕に戻ると元の形を取り戻した
「くっ…出来損ないめ」
「出来損ない?フッむしろ俺は進化だと考えるがな!!」
アザンとブラックの戦いは三日三晩続き四日目を迎えようとした時
接戦を極めた竜達の体力は限界を迎えようとしていた
「ぐぅっ…くそっ…!!」
「フフ、よく粘ったじゃないか…ブラック」
「後一歩なんだ…ここで倒れて…ぐっ…たまるか!」
弱々しく立ち上がるものの力は入らずただ立っているのが精一杯だった
アザンも状況は変わらず木の幹に体を預けている
しばらくお互いの呼吸音だけが続いていたが
フッとアザンが笑みを浮かべるとブラックの立つ場所に魔方陣が現れた
「貴様…まだそんな力を!!」
「久しぶりだ…お前とここまでやりあったのは…」
どこか懐かしむように目を細めアザンは呟いた
「だが、これで休戦だ…ブラック」
アザンが詠唱を唱えると魔方陣に光が灯った
「何を!!!ぐっ…」
「その姿…人間を取り込んだのだろう?ならばその血筋にしばらく眠るといい…」
「やめろ!!!!!俺様は今すぐ貴様…を…」
「聞こえるか竜に囚われし人間…」
悶え苦しむブラックの更に奥を見つめアザンは語りかける
「…だ、誰だ…?」
ブラックとは違う落ち着いた口調、それはセシルド自身の物だった
「私はアザン、今貴様の意識を呼び戻した」
「アザン…!?」
「貴様はもうすぐ力尽きるだろう…その身は朽ち消え去る定めだ」
淡々と冷ややかにアザンは語った
「お前の血筋にブラックを封印した…それは私が目覚めると同時に解き放たれる仕組みだ」
「血筋…だと」
「そうお前の子供…その先に続く血縁者に引き継がれる」
「っ…!!」
言葉にならない自分一人が消えるのであればまだ納得がいく
しかし血縁者にブラックが現れては守る事ができない
「私は眠りに付く…数十年…いや数百年先か…せいぜい楽しみにしているがいい」
そう言い残しアザンは闇へと掻き消えてしまった
セシルドはボロボロの体を引き摺り手を伸ばし、もう姿を消したアザンの影を追っていた
しかしアザンとブラックの戦闘で激しく深手を負った体は悲鳴を上げ息をするのも苦しい
「うわぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああああぁぁあぁぁあ!!!!!!!」
それがブラックの物だったのかセシルドの感情だったのか
行き場の無い怒りと悲しみがもう動くこともできない体に鞭を打つ
もう言葉にならないような叫び声を上げると全身は黒く染まりそのまま崩れ去ってしまった
(…このままで終れるか…!!)
崩れ去る少し前、セシルドの意志は確かに存在していた
悲しみを代弁するように燃え盛る炎は
何も語らなくなった町を暗闇の中から浮かび上がらせる
世界で一番大きな城下町はその日一瞬の内に焦土と化した
闇に同化するほどに深い黒は炎に照らされ浮き上がる
その眼にはどうする事もできない深い悲しみを灯し
焦土の中心に鎮座する黒竜は全ての者に恐怖を植え付けるかのように天高く咆哮した
*
世界は絶望に染まっていた。今まで神として崇め崇拝してきた黒竜達がある日を境に暴れだした
全ての黒竜は危険視され、人の手によって神狩りが始まる
多く居た黒竜達も数を減らしこのまま絶えるのは時間の問題であったが
しかしその内の一体黒竜の頂点に君臨するアザンは恐ろしい程の力を持ち
街を丸々焦土へと変えると全てを怨むように現在も世界を崩壊へと導いている
「どうやら黒竜はこの街に向かっているらしい」
「あぁ…もう世界は終わりだな…」
「お前は逃げないのか?」
「逃げた所で奴は全てを根絶やしにするつもりだ、だったら俺はここに残るね」
「そうか…じゃあ俺は行くぜ」
「あぁ、生きてたらまたどこかで会おう…」
街角ではそんな話が聞こえてきた
「黒竜か…」
噂には聞いていたここまで早く自分達の住む町へ迫っているとは予想外だった
「覚悟を決める時だな」
長い茶髪に青い瞳を持った男は
買い込んでいた食糧を抱え家へと向かう
ノブの引く手が少し重く感じる
開き切ると抱えてるものを落とさないよう慎重に奥の机へと運んだ
暖炉の火がパチパチと音を立てて弾けている
その灯りに照らされてふんわりと肩に布を掛け一人の女性が暖を取っていた
物音に気付くとゆっくりとした動作でこちらを見つめる
その優しそうな表情のまま「おかえりなさいセシルド」と呟いた
「ただいまリィア、食料を買い込んでおいた」
「あら、そんなにたくさん?ふふ、ご飯の準備をしなきゃね」
そう言って立ち上がろうとするのをセシルドは止めた
「夕飯は俺が準備するからお前はゆっくり座っていろ、体に障る」
リィアのお腹は大きく膨れていた
「そうね、じゃあお願いするわ無理して体壊したらこの子に申し訳無いものね」
愛おしく目を細め優しく膨らみに手を触れる
「こんな時代でも希望を持っていて欲しい、誰にも優しく接する事のできる…そんな強い子になってね」
「きっとなるさ、お前と俺の子だからな」
「そうね…きっと」
フフと笑みを向けられてセシルドは少し顔を赤らめると視線を逸らした
「め、飯用意してくるぜ…」
「お願いね、美味しくなきゃ嫌よ?」
「善処する…」
いくつかの食材を手に持ちセシルドは調理場へ向かった
しばらくして良い香りが流れてくると
両手に美味しそうな料理を持ってセシルドが戻ってきた
それを机に置きそれぞれが席に着くとリィアはそっと口を付けた
「どう…だ?」
「ちょっと塩辛いかしら?」
「なっ…すぐ作り直してくる!」
慌てるセシルドの手にそっと自分の手を重ねると少し意地悪な笑みで微笑む
「フフ、冗談よ凄く美味しい」
「本当か?」
「本当よ、最近任せっぱなしだったから上達したのね」
「そうか…良かった…」
ホッとして席へ戻るとセシルドは口を噤んでしまった
「………」
「………」
しばらく無言が続くとリィアはフゥと息を漏らしセシルドを見つめた
「何か…言いたい事があるんじゃないの?顔に描いてあるわよ」
「……リィア」
「言わなくても分かるわよ、黒竜退治に向かうんでしょ?」
「あぁ…」
「気を落とさないで、分かってたことだから…いつかこういう日が来るって」
「済まない…」
「大丈夫、あなたはこの街一番の戦士ですもの…きっと私達を守ってくれるって信じてる」
「無謀だとは思わないのか?」
「信じてますから、確かに黒竜は強い…屈強の戦士達もみんなやられてしまった…でも」
ジッとセシルドを見つめるその瞳には強い意志が浮かんでいた
「あなたは私の夫この子の父親なんですから、ね?」
「あぁ、お前たちには指一本触れさせない」
セシルドは席を立つとリィアの前へ屈んだ
「無事に産まれて来るんだぞ…」
膨らみに手を触れ語りかけるように言葉を紡ぐ
そんなセシルドの頬にそっと細くしなやかな指が触れ優しく輪郭を滑らす
「リィア…行って来る」
その指に導かれるように深く口付けする
お互いの体温が伝わるほど体を触れ合わせ永遠とも思えるほど深く深く抱き合った
「愛してるセシルド…」
「俺もだリィア…」
そこまで言うと長年使っている身丈半分ほどもある針の束を手に取り
振り返ること無く家を後にした
「…馬鹿」
無謀な事ぐらい目に見えていた
「止めたって…出て行くくせに…」
涙が溢れる、我慢していた気持ちが止め処なく次から次へ
「セシルド…!!お願い…どうか…どうかこの子を…この子の未来を守ってあげて…」
誰も居なくなった部屋、扉の向こうではセシルドが俯いていた
「有難う…リィア」
そっともたれて居たドアから体を離し走り始めた
「これは…なかなか」
その様子をずっと眺めていた一つの影は大きな翼を広げ羽ばたいた
「噂ではこちらから向かって来てるんだったな」
黒竜が迫ってると聞き街の住民は次々とその場を離れていたが
その人の波を掻き分けるようにセシルドは走り続けた
いつしか街からは離れ魔物が徘徊する森へと更に走り続ける
奥へ進むにつれて空は黒雲に隠れ闇の世界へと変わっていた
「もうすぐ傍まで来てる証拠だな…」
不安が無いと言えば嘘になるが守る者のあるセシルドに迷いは無かった
ほとんど自分の感覚に頼り森の奥深くへと向かった
胸がざわつく、今まで多くの魔物と戦って来たがこれほどのプレッシャーを放つのは
黒竜以外に考えられない
森を抜けると辺りは夜の帳が落ちすっかり闇色へと染まっていた
「ハァハァ…ここで待っていればきっと…」
「なかなか感が鋭いみたいだなぁ、なぁ人間?」
「くっ…!?」
気配が無かったそれどころか姿もまだ見えない
「どこだ!!!!!出て来い!!俺が相手だ!!!」
そう叫ぶとちょうど目線の先にある大木の上、闇の中に三つの赤が灯るのを見つけた
「まぁ…そう焦るな、ゆっくり料理してやるからよ…」
一瞬細まった赤い光が揺らめくと大木は音を立てて崩れ去り
顕になったその姿は月に照らされ浮かび上がった
「俺様は黒竜ブラック・クルス…今ここへ向かっているアザンの弟だ」
「弟だ…と…!?」
想像もしていなかったまさかアザン以外にも生き残っている黒竜がおり今目の前に存在してるなど
「そうさ、俺達は兄弟…だが俺はあいつを認めない」
「どういう事だ…」
「クク…俺様には人間が必要だ、それを自分の感情に流され滅ぼそうなんてどうかしてる」
ブラックは大きく羽ばたくとゆっくりと地面へと足を着けた
「だから俺様は兄貴を殺す」
「自分の兄弟を殺すだと!?」
「何を驚く事がある?現にお前は俺様の兄を殺しに来たんじゃないのか?ククク」
楽しそうに笑みを浮かべるブラックは兄弟を殺すことに何の躊躇いも疑問も無いように見えた
「何故俺の前に現れた…」
疑問だった自分と同じくアザンを待ち伏せしているのであればわざわざ自ら名乗る必要も無い
「もちろん、貴様に用があったのさ…」
「俺に…用?」
「ハッキリ言うぜ?お前程度の力じゃ俺の兄貴に勝てねぇ」
「くっ…」
そんな事は重々承知していた
ただ指を咥えて逃げている事なんてできなかった
「こっからが本題だ」
「何だ…?」
「俺様にその身を捧げろ…セシルド」
「!?」
何を言うかと思えばあまりにも突拍子も無い
そんな事受け入れるはずも無いとセシルドは武器を両手に構えた
「まぁ…もちろんタダとは言わねぇ、俺様は優しいからなククク…」
不適な笑みを浮かべながらブラックはゆっくりとセシルドへと近づいた
「来るな!!!!!」
研ぎ澄まされた針の先が確実にブラックの体を捉えていた
しかし本来ならその皮膚を突き破り出るはずの先端はまるで無い
それどころか刺さる手応えも、血すら出ていない
「ククククク…そんな物で俺達黒竜を倒そうだなんて…甘いんじゃねぇのか?」
危険を感じ突き刺した針を残しセシルドが身を引くと
ブラックは胸の針を取り出すどころか体へと押し込み、取り込んでしまった
「取り込んだ…だと!?」
「悪いな、俺様は黒竜の中でも特別でね…無駄だとは思うが俺とやり合ってみるか?」
「俺を嘗めるな…!!!!」
「言っても分からねぇ馬鹿には…身を持って知ってもらわなきゃなぁ…」
言い終るかどうかの間に二人はお互いの刃を交わせていた
しかし斬撃も打撃も効かないブラックに成す術も無く攻撃を受けセシルドは地へ着いた
「筋はいいなぁ、俺様が目を付けただけはある」
「ぐはっ、ごほっ…」
「このまま止めを刺しても良いが…先程の話の続きだ、乗るかどうかは貴様に選ばせてやる」
「………。」
「俺にその身を捧げれば…俺様が兄貴を倒してやる、街には一切手を出さないぜ?目的はそこだけだからなぁ」
「そんな話…信じられる…か」
瀕死になりながらもそう呟いたセシルドに容赦無くブラックは蹴りを入れた
数メートル先まで吹っ飛ばされ地面へと打ち付けられる
「がっ…!!!」
「言っておくがな…貴様のような死にぞこない一瞬で葬り去る事なんて容易いんだぜ?」
赤い瞳は普通の人間なら一瞬で気を失うような鋭さと迫力でセシルドを捉える
「それなのに俺様はチャンスをやろうと言っているんだ、いいか次はねぇぞ?」
意識も曖昧としていた、相手はあまりにも実力が違っていた
どこまでも桁違いで勝てる要素なんて微塵も無かった
自分の愚かさに悔しくてどうしようも無くなる
「最期の二択だ…慎重に選ぶんだなククク…まず一択
俺様は人を取り込む事で兄貴と渡り合える力を手に入れることができる、それで目に付いたのが貴様だ
つまりテメェ自身を捧げて貴様の大切な街を守るか…それとも」
そこまで言うとセシルドを指差し冷たく微笑む
「ここで貴様の無力さを思い知りながら…俺様の手によって消し炭になるか…さぁ選べ!」
考えるまでも無く選択は一つしか無かった
約束を守るかなんてどこにも保障は無かったが、それでもただ何もしないまま消えるよりは
ほんの一握りでも可能性がある方が救われる
(済まない…リィア…)
「どうした?声が出ないのか?」
(俺は俺の選択をする…)
辛うじて動く足で立ち上がり弱弱しくブラックへと近づく
「へぇ…」
目の前に立つだけで倒れそうな気迫、これが黒竜と呼ばれるモノの姿なのか
そんな事を頭の隅でぼんやりと考えつつ一歩づつ前へと進んだ
「自分から来るとは…可愛いところもあるじゃねぇか」
「この身をお前に捧げる…だからアザンを…」
そこまで言ってセシルドは気を失い、ブラックに寄り掛るように倒れこんだ
「あぁ、約束は守るぜ…セシルド」
これ以上無い満足した笑みを浮かべその体に触れるとその指先から黒く染まり液化する
「余すとこ無く喰らい尽くしてやるよ…ククククハハハハハハ!」
一気に溢れ出した黒の濁流は一瞬の内にセシルドを飲み込みブラックの体もその一部へと変わっていく
やがて池のように広がった闇は一つの形を再形成していく
そこにブラックの姿は無い、その形は闇色の髪と赤き瞳を宿したセシルドの姿だった
「さぁ兄弟喧嘩と行こうか…兄貴」
暗くなっていた空が更に黒く光という光を覆い尽くす、それは巨大な影
上空で大きく羽ばたくそれはブラックなど気にも止めず街へ向かっていた
「俺様をシカトかよ…いいぜ、だったら嫌でもこっち向かせてやるぜ…ハァッ!!」
ブラックの声に反応するようにその背から二対の翼が生える
「シカトしてんじゃねぇぇぇぇ糞兄貴がぁぁぁぁあ!!!!」
とてつもない速度で羽ばたき上昇すると一度ニヤリと笑みを浮かべその巨体へ激しい一撃を撃ち込んだ
蟻と像ほどの体格差があるにも関わらずアザンの体は大きく反り一瞬バランスを崩しかける
ブラックの存在に気付いたのか向きを変えその街ほどもある巨大な尾をやり返す様に打ち付ける
「くっ…!!!!」
防御はしたもののそのサイズ差に圧倒されブラックは地面へと落とされた
アザンはしばらくその様子を見た後地面へ向かい羽ばたくとぶつかる寸前でその形を人型へと瞬時に変え降り立った
「出来損ないが…何の真似だ?」
「ハハハ…相変わらずだな糞兄貴」
「お前を弟と認めた覚えは無い、すぐにここを去れ目障りだ」
「そう言うなよな、俺はあんたを倒しに来たんだからなぁ…」
「何?」
「人間を滅ぼして何になる?あんたの恨みの為だけに滅ぼした所で気持ちが収まるのか?」
「黙れ…」
「そもそも人間なんかに情なんて…」
「黙れ!!!!!!!」
「おっと…地雷だったか?クククク…」
「人間が居なければ人型にもなれぬ黒竜族の屑が…出来損ないが…知ったような口を叩くな!!!!!」
「はは、言ってくれるねぇ…出来損ないかどうか試してみるか?」
「死ぬ覚悟ができているなら来い…」
「そうさせてもらうぜ!!!」
黒い針が現れ降り注ぐようにアザンへと襲い掛かかる
アザンは向かってきたソレを手から出現させた魔力の塊を放ち一瞬で粉砕した
「ヒュー、さっすが」
「貴様が私を倒すだと…?戯言も大概にしろ」
ブラックへと距離を縮めたアザンは先程と同様作り出したいくつもの魔力球を撃ち出す
「くっ…!!」
いくつかは避けるものの数が多く数発は被弾してしまった
「これぐらい…!!!返してやるぜ!!」
先程被弾した数発を一時的に取り込んでいたブラックはそれをアザンへと放った
「フン…」
飛んで来た魔力球を華麗に避けアザンが距離を置くと今度はブラックの足元に魔方陣が現れる
「ぐっ!!これはマズイ…!!」
寸での所で後ろへ飛ぶと魔方陣の範囲は一瞬で業火に包まれた
「危ねぇ危ねぇ…」
「何を余所見してる?背後がガラ空きだぞ?」
「この…!!」
「遅い!!!!」
針を構え切り掛るより早くアザンはその腕ごと己の爪で切り裂く
「ぐあっ…!!!」
切り口から血は出ないものの黒く変色した腕は地へと転がった
「なんてな…」
先程まで苦渋の表情を浮かべていたブラックは笑みを浮かべ逆の手でアザンを掴む
「!?」
その直後アザンの背後から鋭利で巨大な針が貫いた
ブラックとは違い鮮血が辺りへ飛び散り体制を崩す
「ハハハハ・・こんな事もできるのさ・・」
貫いた針は液化しブラックの腕に戻ると元の形を取り戻した
「くっ…出来損ないめ」
「出来損ない?フッむしろ俺は進化だと考えるがな!!」
アザンとブラックの戦いは三日三晩続き四日目を迎えようとした時
接戦を極めた竜達の体力は限界を迎えようとしていた
「ぐぅっ…くそっ…!!」
「フフ、よく粘ったじゃないか…ブラック」
「後一歩なんだ…ここで倒れて…ぐっ…たまるか!」
弱々しく立ち上がるものの力は入らずただ立っているのが精一杯だった
アザンも状況は変わらず木の幹に体を預けている
しばらくお互いの呼吸音だけが続いていたが
フッとアザンが笑みを浮かべるとブラックの立つ場所に魔方陣が現れた
「貴様…まだそんな力を!!」
「久しぶりだ…お前とここまでやりあったのは…」
どこか懐かしむように目を細めアザンは呟いた
「だが、これで休戦だ…ブラック」
アザンが詠唱を唱えると魔方陣に光が灯った
「何を!!!ぐっ…」
「その姿…人間を取り込んだのだろう?ならばその血筋にしばらく眠るといい…」
「やめろ!!!!!俺様は今すぐ貴様…を…」
「聞こえるか竜に囚われし人間…」
悶え苦しむブラックの更に奥を見つめアザンは語りかける
「…だ、誰だ…?」
ブラックとは違う落ち着いた口調、それはセシルド自身の物だった
「私はアザン、今貴様の意識を呼び戻した」
「アザン…!?」
「貴様はもうすぐ力尽きるだろう…その身は朽ち消え去る定めだ」
淡々と冷ややかにアザンは語った
「お前の血筋にブラックを封印した…それは私が目覚めると同時に解き放たれる仕組みだ」
「血筋…だと」
「そうお前の子供…その先に続く血縁者に引き継がれる」
「っ…!!」
言葉にならない自分一人が消えるのであればまだ納得がいく
しかし血縁者にブラックが現れては守る事ができない
「私は眠りに付く…数十年…いや数百年先か…せいぜい楽しみにしているがいい」
そう言い残しアザンは闇へと掻き消えてしまった
セシルドはボロボロの体を引き摺り手を伸ばし、もう姿を消したアザンの影を追っていた
しかしアザンとブラックの戦闘で激しく深手を負った体は悲鳴を上げ息をするのも苦しい
「うわぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああああぁぁあぁぁあ!!!!!!!」
それがブラックの物だったのかセシルドの感情だったのか
行き場の無い怒りと悲しみがもう動くこともできない体に鞭を打つ
もう言葉にならないような叫び声を上げると全身は黒く染まりそのまま崩れ去ってしまった
(…このままで終れるか…!!)
崩れ去る少し前、セシルドの意志は確かに存在していた
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