あなたの願いを叶えましょうっ! ~大騒ぎ編~
それは、土が夕方に降った雨と昼間に溜め込んでいた熱気とを放出して作り出す闇の雰囲気だった。蒸し暑く肌にじっとり汗をかくほどの空気の中で、感じる一瞬の冷気。闇の中に、鼻をつくような臭いが溶け込んで、それ自体が闇を作り出していた。沈黙した木々たちの眠りを妨げるように、あたりを飛び交い交尾する蝿たちが押し殺した笑い声を上げ、密やかに囁き合う。それは自分たちの下から闇の中へ次々と誕生する自分たちの仲間を祝うとも、嘲り、罵るとも見えた。この世に生まれ出た歓喜のためか羞恥のためか身をくねらすその白く太った小さな生き物は、自分を否定するかのように、生まれてきた土の中にも戻ることができず地上でも安らぐことができずに、ただただその白く目立ちすぎる体を持て余し、存在しない目から逃れるかのごとく、土の上でもがき、這いずり回っていた。しかし、取るに足らないその小さな虫が、そういった感慨を抱いかせるとしたら、それは見る側の感傷によるものにすぎない。虫はただの虫だ。だが、場所が場所だけに人は感傷的にならざるを得ない。そう、この場こそ、まさしく人間にとっての羞恥の場と言えた。
ひとりの男がその場に現れた。男はシャツまで黒いタキシードに真っ赤なタイをしめ、背中には不釣り合いな麻の袋を背負っていた。男が一歩踏み出すと、その見事な銀髪が月の光の中で青く見えるほど冴え渡り、緩やかなウェーブを光が撫でるように滑り降りその白い顔が照らし出された。しかし、その髪のしなやかさとは違い、顔は凍りつくほどの冷ややかさで満ちていた。細長い輪郭にとがった顎、心持ち上につり上がり常に微笑しているかに見える薄い唇、三日月形の翠眉、その下の切れ長の目。前髪の間から覗く瞳は、漆黒に真紅が混ざり合い、夜更けに燃え上がる空のように、暗い闇の中を這いずる、ちろちろとした赤い蛇の舌のようにも見えた。
男は静かに真っ直ぐ足を運んで、ふっと立ち止まった。密林の中で、そこだけぽっかり草木の生えていない、木十数本分の空間。土と無視のみのそこに、男は佇んだ。目の前には無数に地面の少し盛り上がった塚があり、まるで全体で波打つ一匹の、土という生き物のように見えた。男は目の前の塚のひとつに手を伸ばし、蛆には目もくれず、天辺にある人形を手に取った。子細ありげにその人形を撫で回し、微笑んだ。ついていた蛆を指ではじき飛ばすと、背負っていた袋の中から一枚の紙を取り出し、それで人形を包んだ。すると、紙はひとりでに人形に纏いつき、人形の形を浮き彫りにした一瞬後、するりと剥がれ落ちた。満足げにそれを見届けて、男は髪を拾い上げ、人形を元に戻した。その直後、背後に気配を感じ、男は前を向いたままでその人影に話しかけた。
「昔の風習は大事にしたいものだね。とくに、私のような者のためにはね。そう思わないかい? タシカ君。」
ガサガサッという音とともに、茂みをかき分けて、木の影から少年が現れた。月の光に照らされて、艶やかな黒い髪が濡れたように輝いている。パーカーにジーンズというラフな格好がよく似合う少年だったが、男とはまた違った意味でその場に合っていなかった。少年の体は細く、肌はアーモンド色だった。そして肌よりもっと薄い、透き通った琥珀色の眼で男をにらみつけて、親し気な男の言葉を全く無視して言った。
「魂の横取りは禁止されてるぜ。その紙渡せよ。」
男は勢いよく少年を振り向き、わざとらしい、いかにも驚いたような顔で少年をまじまじと見た。
「おやおや、君も魂集めをしているなんて知らなかったな。そんなに趣味がいいようには見えないんだが。」
「その魂を取るのはオレじゃなければお前でもないだろ。時期が来るまではその土人形の中に閉じ込めておくんだ。早くしないと魂が紙から抜け出る。迷子になっちまうだろ。」
少年の言葉に対して男は鼻で笑ってみせるだけだった。
「ふん。現場を見つかったのは不運だが、見つけたのがお前でよかったよ。半人前のなり立て悪魔のタシカ君。君は私に勝てないからね。」
言った直後、男は袋の中から数枚の紙をつかみ出し、少年めがけて投げつけた。
「うっわっ……!!」
紙は少年に向かって一直線に飛び、少年を取り囲んであたりに渦を巻いた。
「くそっ……!!」
神に魂を吸い込まれそうになり、慌てて少年が逃げていくのを目の端でとらえながら、厄介払いできたことに喜ぶ様子も見せず、男は先ほどの作業の続きに戻った。袋から同形の人形を取り出し、それに塚の人形に貼り付けた紙を纏わせる。すると同じようにひとりでに纏いつき、その後剥がれ落ちた。男は大事そうにその人形を胸ポケットから取り出した花柄のハンカチで包み、紙とともに袋にしまうと静かにその場を去った。後には魂のなくなった空の身代わり人形だけが、その未開人の土葬の墓の上に残された。
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(続く)
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