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あなたの願いを叶えましょうっ!





「私たち……前はこんなじゃなかったよね。私、本当にあなたのこと愛してた。あなたも……、私のこと愛してくれてたよね? なのに……なのにどうして、今はこんなに憎み合ってるの? こんなはずじゃなかったのに……。本当はいつだって淋しかった。あなたが何も言ってくれないから怖かった。他に大事な人がいるんじゃないか、今いなくてもすぐできるんじゃないか、それでもあなたは何も言ってくれないんじゃないか……って疑って……。最初からずっと不安だったよ。毎日怖がってた。なのに、どうして私、我慢できなかったんだろう。ごめんね。もう遅いよね。……また何も答えてくれないね。当たり前か。嘘が吐けないなら、黙るしかないもんね。優しすぎるよ。私、わかってなかった。いつだってあなたは優しかったのに。私を傷つけまいとしてくれていたのに……。でも、もうそれだけじゃどうしようもないところまできちゃったね。どうしようもないほど、あなたが憎いの。何も言ってくれないあなたが、そんなあなたを理解できない自分が嫌で、こんな思いさせるあなたが嫌なの。もっと早くに別れればよかった……。そうすればこんなことにはならなかったのに。でも、もう、別れられない。あなたは私のものだし……。<悪魔>と契約なんてしなきゃよかった。ああ、笑うのね、馬鹿だって思ってるよね。違うの? ……わからない。今だって、あなたが何を考えているのかわからない。私のものなのに、私にはわからない。いつだって一番大事なものは見せてくれないよね。卑怯だよ。でも、もういいの。もう諦めたから。私はあなたなんか必要ない。離れたいよ。私の前から消えてほしいの。……でも、あなたからは消えられないから、離れられないのが私たちの真実だから、……私があなたを消すよ。……ごめん。ごめんね。勝手だけど、でも、もうあなたに生きていてほしくないの。他に好きな人ができたし……。知ってた? そう。嘘が吐けないね……。ごめんね。許してとか言える立場じゃないけど。あなたにも悪いところはあったんだから……。しょうがないよね。わかってくれるよね。これが私の出した結果なの。これが私たちふたりにとって一番いいことだって気付いた。このまま、……このまま、死んでくれるよね?」



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 <悪魔>の契約紙。死者の住む世界において、悪魔の役目をする者に与えられる。魔力のかかった紙で、契約した者の願いを叶えると同時に、その代償を紙の中に封じ込める。



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 俺が何かを言うことで、彼女を傷つけてはいけないと思った。彼女は初めての恋人だった。……本当は、俺はそれまで女の子と付き合ったことがなかった。いつも好きになっても何もしないで終わってた。告白をしなければ、付き合っていることにはならない。でも俺は何も言えなかった。こんな俺だし。顔もルックスも普通以下、特別おしゃれでもないし、声も魅力がなく、喋りだって上手くない。一般に褒められる部分がまずそれだから、他は全部、コンプレックスはあっても自慢になるところはなく、俺はいてもいなくてもいい人間だった。彼女と会うまでの俺はコンプレックスの塊だった。彼女と出会えたことで、一生懸命恋をして、それでどんなに救われたか、彼女は知らないだろう。本当に俺は馬鹿で、自分でもわかってるくせに馬鹿にされるのが嫌で、見栄を張って、恥ずかしくて、恋人ができたのは初めてだと彼女に言えなくて。その嘘がバレたらと思うだけで不安で。そうしたら彼女に捨てられるような気がして。どうしてもぎこちなくて。彼女は本当に俺の女神だったから、いつも先に立って俺を導いてくれる女神だったから、失うのが怖くて。彼女のおかげで、俺は自信を取り戻して、明るく笑えるようになったし、他人とも普通に話すことができるようにもなれた。俺が緊張しないで他人と話せるようになったのは彼女のおかげなんだ。彼女が俺の味方でいてくれると思えば怖くなかった。そのかわり彼女と話すのにとても緊張した。何が彼女を傷つけるかわからなくて、話のタイミングがつかめなくて、それを考えているだけで会話が終わっていた。俺の中では百パターンくらいの彼女との会話があったのに。ケンカになってもいいから、その中からひとつ選んで口に出していれば、こんな事態は免れていたのだろうか。だけど俺は、彼女がそう望むなら、そうと言ってくれれば離れたのに。彼女の傍から消えたのに。ひとこと、邪魔、とさえ言ってくれれば。愛していたのは本当だ。本当に、傍にいたいと思っていた。今も。愛してる、傍にいられたら、そう思う。……思うけれど。だけど、正直、疲れたんだ。……ただ、疲れただけだ。
 ずっとずっと緊張していたから、ちょっと休みたいだけなんだ。
 俺も、……君も。



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 とある会社の屋上だった。太陽との距離が近い、都会のビルの片隅。そこで、ナイフを両手で握りしめた女が、男をビルの端に追い詰めていた。
「……死んでくれるよね?」
 女はナイフを持つ手を震わせながら、憑りつかれたように喋り続けていた。それに対して男は何も言わず、黙って女を見つめていた。女が喋り終え、口を閉じた。そして、一歩を踏み出して、男との距離を縮めた。その時。
「あーあ。なぁんでそんなことになっちゃってるわけぇ?」
 突然降ってきた声に驚き、ふたりが声のしたほうを見ると、給水塔の上からそちらを見下ろす影があった。女は逆光の中の黒い人影の形に見覚えがあった。
「あっ……<悪魔>さん……?」
 人影は給水塔から飛び降りてふたりの前に姿を見せた。日の光の中に現れたその姿は全身黒づくめだった。まだ幼さの残る顔だったが、目の鋭さがただの少年ではないことを示していた。
 男は突然現れた少年に戸惑い、とくに女の口にした<悪魔>という言葉の響きに困惑して、目の前の女と少年とを見比べて、状況を悟ろうと一生懸命だった。しかし、それはどこか喜劇的なその場に相応しい、滑稽な動きに見えた。
 少年は無事に着地し、ふたりに向かって一礼した。
 女は男の視線を気にもとめていないのか、それともあえて無視しているのか、構わずに<悪魔>をにらみつけていた。そして、今まで男を殺そうとしていたことなど忘れたかのように、今度は少年にナイフを向けて怒鳴った。
「何? 今さら何の用!? あんたの望み通り不幸になったよ! どうせそれが狙いだったんでしょう!? 良かったね、思う通りになって!!」
「いやー……そう言われちゃうとね……」
 <悪魔>は女の怒りなど意に介さないふうでひょうひょうとしていた。その様子に女の怒りはさらに高まった。
「なんでっ、今さら何しに来たのっ……もとはといえば全部あんたが悪いっ!!」
「まぁなー。ところで、その男、殺す気?」
 少年に言われて初めてその男存在を思い出し、女が振り返ると、男はぽかんと突っ立ってふたりを見ていた。
「それがどうしたのっ……関係ないでしょ!!」
「ふーん、殺すんだ? じゃあさ、ご利用サービスでいーこと教えてあげる。<悪魔>はさ、願い事の代償に魂とるっての、聞いたことない? 知ってるよね、もちろん。オレもさ、実は、そーなわけ。わかるよな? ……魂だ」
 女は目の前が真っ暗になるのを感じた。男はその時ようやく、女の言った<悪魔>の意味を理解した。
「そんなっ……聞いてないっ、契約書にはっ……!」
 女が大慌てで詰め寄ると、<悪魔>は体を反らせて女を避け、肩をすくめてあっさりと言った。
「透かしだったんだ。」
「そっ、そんな……」
「おーっと、落胆するにはまだ早い。いー話って言っただろぉ?」
 <悪魔>は芝居めいたしぐさで突き出した人差し指を振って見せた。
「アンタが助かる方法があるんだ。ってゆーかもう決定? 代わりにその男が死ぬんだよ。まぁ、どーせ殺すみたいだし? 別に言わなくてもよかったんだけど、無料奉仕とか思われちゃかなわないから。あ、そうそう、あの契約はアンタたちだけの間のものだから、彼女はこの後も新しいカレシができたらその人と嘘を吐きながら仲良く過ごすことができるよ。何もかも元通り。捕まらなきゃの話ね。だから本来アンタの魂を持ってくはずだったけど、彼が死ぬんならそっち連れて行けばいいや。別に期限はないし、アンタが死ぬの待ってもいいんだけど、オレ、気が短いから。今その男が死ぬのなら、そっちを連れて行くね。ただしその場合は、その男がアンタの代わりに行くことに同意しなければならないんだけど、……どう? 彼女の代わりに死んでみるかい? もちろん地獄行きけど」
 <悪魔>はゆっくりと男に近付く。男は何もわかっていないかのようにきょとんとして無防備に突っ立っている。それまで黙って話に耳を傾けていた女が、急に大声を出して<悪魔>を止めた。
「……ひどいっ! そんな!! 契約は私がしたの、私のせいなんだから、私自身が責任を取るっ! だから、お願い、私なら死んでからならどこへだって行くからっ、彼を連れて行かないで!」
「あの……、待って、俺はまだ何も……」
 女の権幕に驚きながら男はおずおずと口を挟む。
「そうそう、大事なのはアンタの意見だよね。オレも、聞きたいのは、アンタが賛成かどうかなんだ。湿っぽい茶番劇じゃなくてね。」
「ダメよ! そんなのダメに決まってる!! 私が悪いんだから、あなたがそんなところへ行くことなんてないっ!」
「そのことだけど……」
「どう? 彼女の代わりに地獄へ行く?」
「いいの、私のことなら気にしないでっ!! 私はあなたがそんなことになるなんて耐えられない!! こんな時にまで優しくなんてならないで! 私はあなたを殺そうとしたのよっ?」
「あ……、だから……」
「どうする? 彼女か、それともアンタか」
 ずいと男に迫った<悪魔>と男の間に割り込んで女が叫んだ。
「だめーっ!!」
 その時、男がきっぱりと言った。
「嫌です。」
「は?」
「は?」
 少年と女のふたりが同時に声を上げ、うってかわって急に静かになったその場に、男の声がはっきりと響いた。
「嫌なんです。」
「……はあ。」
「だってやっぱり彼女のせいだし。」
 そういうと、男は女に向かって、話しかけた。
「俺、ずっと何も言わないできたけど、こういうことになった原因はやっぱり君だと思う。この契約をしたのは君だから、そういう約束になっていたなら君がちゃんと守らないと。たとえ知らなかったにしても。」
「……んじゃ、来る気はない、と。彼女の魂を連れて行ってもいい、と?」
 あきらかに力が抜けきった様子の<悪魔>が男の意向を確かめる風で訊ねた。
「はい。だけど、お願いがあります。俺とも契約してください。」
「あー……まぁ言ってみろよ。」
 面倒くさそうな<悪魔>に男は期待に満ちた輝く目を向けて言った。
「はい。彼女との契約を……」
「何もなかったことにはできねぇぞ。」
「あ、はい。ですから、今この場でその効力を失くしてください。この瞬間から昔のように。俺が彼女のものじゃなくなるように。そしてふたりの間に嘘が戻るように。」
「つまり、あの女がした契約を、アンタが解消するってことか。」
「はい、そうです。」
「……んー? それでお前になんの意味があるんだよ?」
 わけがわからないという風で<悪魔>が訊ねる。
 男はにっこり微笑んで、呆然とたたずむ女のほうを見た。
「だって、そうすれば俺も彼女も死ななくてよくなるはずだし、……ね? ……笑って別れられるよね?」
 女は我に返って男の顔から真意を推し量ろうとしてみたが、その困ったような笑顔からは何も窺えず、男が少年に向き直ってからもひたすらその横顔を見つめ続けた。
「魂は死んでからでもいいんですよね?」
 男は強い口調で確認した。
「あ、あぁ、うー、……うん。」
 その問いに曖昧にうなずきながら、少年は予想外のことにどう対応していいかわからぬ様子で、戸惑って首を傾げていた。
 そんな<悪魔>にも微笑みかけ、男は続けた。
「それで、俺の魂も、俺が死んだ後、取りに来てください。彼女だけが悪いわけじゃないから。……だから、これが、俺の……」



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「なーァーがーァーめーェー。」
「おや、タシカ、お帰り。言った通りだったでしょ?」
「どぉこぉがぁだぁよ、ばかやろーっ!」
「……変だな。うまくいかなかった? 失敗、しちゃったの?」
「んー……? 失敗はしてないけど。」
「なんだ。ならいいじゃん。おめでとーっ。パチパチッ!」
「うがーっあ!!」
「なに怒ってんの? うまくいったんでしょ、『魂とっちゃうぞ大作戦』。彼の危機に際して彼女の心に愛が呼び覚まされる、自分のために怖い<悪魔>と戦い、身を犠牲にしてまで守ろうとする、そんな彼女を見て彼も感動し、彼女のために身代わりになろうとする。ふたりは愛し合っていた時を思い出し、もうこの人なしでは生きてはいけないと、再びアツアツにっ……て、何? そんな顔して。やだなぁ、セオリーでしょ、こーゆーのって。」
「あああああ、ったくよォ、ちくしょう、恥ずかしいしよォ。こんっの大バカヤローッ!!」
「なんなの一体……」


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「それが俺なりの償いの仕方だと思うから……」
 そう言って彼は笑った。

 いつも見せる、あの困ったような笑い顔。
 そうか。今まで気付かなかったけど、あれはあなたの眉毛のせいだったんだ。
 笑うと眉毛が下がる、そういう顔だっただけなんだ。

 ……なんだ。深い意味なんてなかったんだ。



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「へぇ。じゃあふたつも契約取れたんだ。ラッキーじゃんっ!!」
「そういう問題じゃねーよ。」
「でもそれじゃプラスマイナスだよねぇ。彼からは何をもらったの? ……って、まさか、ホントに命!?」
「借金のかただって言って他のもんもらった。」
「えらい。よく機転が利いたね。でも、ひとり目の返しちゃったんなら、実質ひとり分の契約ってことになるよねぇ。うまくいかないよねー。」
「……いーよ、別に。最初からうまくいくなんて思ってねぇし。」
「よしっ、よく言った。それでこそ僕の息子だ。今晩はお母さんが特別に赤飯を作っておいたからねーえ。これならポピュラーな祝い食、文句ないでしょっ。」
「あのー、ありありなんスけどー。つーか、だいたい、なんで祝う!?」
「息子の初仕事の成功を祝う。」
「ご褒美とかならまだわかるんだけどな……」
「偏見はいけないよ。」
「そーゆう話じゃねーってば……」
「いーからっ、ホラ、席について。グラス持って。はーじめーるよーっ、せーのっ、かんぱーいっ!!」



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「……さよならだね。」
 やがてポツリと男が言った。久しぶりに会ったふたりの、最初の言葉だった。女は笑った。
「さよならだね。……ねえ、傷つけないさよならの仕方、考えてきたんだけど、」
「うん。」
「見つからなかった。当たり前だよね。人と人が、別れるんだもん。」
「……うん。」
 男は女に微笑んでうなずいて、しばらくたってから、再び口を開いた。
「……俺も別れ方、考えてきたんだけど。」
「なに?」
「『地獄で会おう』ってのじゃダメかな……?」
「……。う、うん。いいんじゃない?」
「冗談だよ、」
「あ」
 男は困ったような顔で笑った。女はそれを見て、あぁ困ってる、と思った。そして無性に嬉しくなり、男と一緒になって笑った。ふたりはその場で長い間立ち止まったまま笑っていた。ひとしきりそれが済むと、今度はこの間会った<悪魔>さんの、噂話なんぞをし始めた。



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 クシュンッ……!
「……タシカ。風邪ぇ?」
「んー……、っかんねぇ。クシュンッ。」





(おしまい)
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