あなたのミカタ。
次の日。
駅で待つアガリのもとに、大きめの紺色のピーコートに、真っ白いマフラーをした、可愛らしい制服姿の横島が駆けてくる。駅の側まで運転手に車で送ってもらっている横島は……学校までの車の送り迎えは禁止されている……駅から先、学校までの距離を上がりと待ち合わせをしてふたりで通っている。
いつも通り、白い息を吐き出し、黒い髪の毛を元気にはねさせながら、アガリのもとまで来る。
「おはよー!」
それほどの距離を走っていないはずなのに、息を荒くしている横島を見るに、常日頃漫画を読んだり描いたりしてばかりいるから運動不足なんだ、とアガリは思う。ほかにも色々と不足しているものがある、たとえば、睡眠、とか。
今日は足りているのだろうか、と顔を見るに、やはり疲れて見える。目も、少し腫れぼったいような気がする。目が赤いように見える。
だが、最近の状況を思い出してから……今は確か修羅場ではないはず……睡眠不足の原因が、漫画ではないことに気付く。
……これは、あれだ。昨日のせいだ。きっと眠れなかったのだ、そうに違いない。
アガリはそう思い、まず何よりもすぐに頭を下げた。
「昨日はすまなかった」
おそるおそる顔を上げると、きょとんとした横島の顔が目に入る。
「えっ? 何がー?」
本当に驚いたというふうに目を丸くしている。そんな横島を見て、力が抜けていく。
謝らなければ、なんとか許してもらわなければ、なんとか……少しでも傷をいやすことができれば……と張り詰めていた気が、風船がしぼむようにしゅうーっと抜けてなくなっていく。
「何が、って……だから俺は昨日、おまえを傷つけるようなことを言って……」
しどろもどろにそう言うと、もともと丸い大きな目を限界まで見開いていた横島が、その目をふっと訝しげに細めて、それからパッと曇り空が晴れたようにまた大きくして、笑った。
「あれ。昨日仲直りできたと思ってたんだけどー……あのこと? なんで謝るの? 僕のほうこそ、ウエ君、僕のこと呆れちゃったんじゃないかと思って……。昨日、握手したじゃない? 僕、あれで仲直りのつもりだったから……」
「……」
ええっ? ああ……うーん、あれ?
アガリはごちゃごちゃになった頭で言われた内容を考える。あまりにも意外な言葉に、驚くばかりだ。
「……ああ……」
ようやく手を握られた意味がわかった。仲直りの握手のつもりだったのだ、横島は。確かに、怒っていたら手を振り払っていたが。それをいうなら、一緒に帰りもしなかった。……いや、怒る側と思われていることがおかしいような気がする。ほんの少し、もちろん身勝手なものであるが、確かにほんの少しの憤りはあったが。
複雑な内面を知ってか知らずか、横島はきわめて明るく言う。
「しかも謝ってくれるんだねー。でも、じゃあ、何も気にしなくていいよね」
よかったよかったとつぶやく。
「あ、ウエ君ももちろん気にしなくていいよー」
パタパタと手を横に振られる。
いや待て。
アガリはぐっと拳を握る。
「でもだなっ!」
(あれは悪かったと思ってっ……いや気付かなかったというか、そういうつもりじゃなかったんだが、おまえが眼鏡を貸したことについて云々する気はなかったというか、俺はまた余計なことをして傷つけるようなことを言ってっ……)
色々と、それはもう言いたいことは山ほどあれど、どう言葉に出していいかわからず、そこで詰まってしまったアガリに、さらりと髪を揺らしてアガリの顔を覗きこみ、横島が言う。
「……やっぱり、怒ってる? 嫌な思いさせて、ごめん。ウエ君には申し訳ないなーと思って……やっぱり、呆れてる? 僕が、情けないから? もう付き合いきれない?」
首を傾げて不安そうに尋ねてくる、その揺れる瞳。
そうだ、こんな目をしていたんだ、あのときも。怖そうに、怯えるように。
アガリはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「呆れたり、していない。そんなこと思ってもいない」
「ならよかったー」
ぱぁっと光り輝くこどものような無邪気な笑顔を見て、アガリはそれ以上の言葉を見失う。
いつのまにか、仲直りできていたらしい。それを、いや待て、まだこちらは謝り足りていないぞ、などと言うのも違う気がする。それではまるで仲直りできていないぞというようで。気持ち的には、許すというと変だが、許さないと思っているわけじゃないことは確かだし。そう、仲良くしたいと思っていることに違いはないというのに、そこにこだわるのも。
「行こっか」
混雑している駅でずっと立ち話。それもふたりにとっては深刻な話。終わったのなら、立ち去るべきだ。アガリはそう思った。そして、横島に促されるまま、歩き出す。
なにしろ、駅にいると、『モモちゃんとこの子だー』なんて声が聞こえる。アガリたちの通う学校は『桃李(とうり)学園』という名前なので、見かけるとからかい半分に『モモちゃん』なんて言われる。ほかの学校の生徒に。それが嫌でたまらない。
思わずムッとしてにらみつけると、隣で横島が呆れた様子で、『冷静になってよねー』などと言うのが聞こえる。
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(つづく)