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あなたのミカタ。




 何かが手に触った。
 ……温かい。
 するっと手の中に入ってきた誰かの手は、きゅっとアガリの手を握った。
 温かくて柔らかい、小さな手。
 思わず握り返す。
 やさしい感じが、した。





 ふっと何かの気配を感じて意識が浮かび上がった。暗くなるに任せていた部屋の電気がつけられている。誰かが部屋の中を歩き回っている。ごそごそと何かを探る音がする。それがベッドに近づいたことも、アガリは気付いていた。しかし、頭は重たく、まぶたが開きにくいので、まだ眠りたいという気持ちを優先した。
 どさっと『それ』はベッドの端に腰掛けた。狭いベッドなので、見事にアガリの体に体重がかかる。腹立たしく思い、だが、それでもアガリはしつこく目を閉じていた。
 上からふざけた声が落ちてくる。
「おんやぁ、誰かいるぞー? オレのベッドに寝ているぞぉ。誰だろうー? おおっ、これはかわいー……」
 明るくなったはずが、再び暗くなり、顔を覗きこまれたことがわかる。視線を感じる。それは仰向けのアガリの上で少しの間静かに息をしていたが、やがて声に変わった。
「いー……くないから起こしちゃえっ」
「いてっ」
 急に耳たぶを強く引っ張られ、アガリは短く声を上げる。そしてパッと目を開けた。目の前のものがさっと退いた。光に照らされた赤い髪。その少し上向けた顔はいたずらに成功したこどものような得意げな顔で。
「兄貴……」
 間違いなく兄のユイイチだ。
 アガリを見下ろして、首を左に向けたり、右に傾けたりして、よく眺めている。やがて、満足そうにうなずいて言った。
「うん、うーん、確かにでかいけど、白雪姫より、これはあれだ、 ……ガリバー?」
 返事を待つ沈黙がある。尋ねられているようだが、なんの話だかさっぱりわからない。眠りから覚めたばかりのぼんやりとした頭を使い、アガリは重たい口を動かす。
「ど……どうしてここに」
 すると、ユイイチの笑顔がすっと消え、びっくり仰天という顔でまじまじとアガリを見つめ、声を低めて言った。
「ここ、オレの住んでるマンション。ここ、オレの部屋。OK?」
「あー……」
 見慣れぬ天井を見上げてその言葉が脳に染み渡るのを待つ。
 そう、それは知っていた。当然わかっている。けれども。
「仕事があるとか……言ってなかったか」
 来る前に電話をしたところ、『いいけど、オレいないよ。今日は仕事があるからさ。別に自由に使っていいけどー。おまえ、マンションの鍵、持ってるだろ』と言われて、いないなら好都合と留守宅に乗り込んだのだ。
 だから、いるはずがないのに、なぜ。
 またいたずらっこのような、けれども今度は幾分おだやかな笑みに変えて、のばした手でアガリの前髪をいじりながら、ささやくように言う。
「お休みしちゃったぁ。急に電話してきたから、おまえ、何かあったのかなって思って」
「サボりはよくない」
「ちゃんと連絡したって。いいんだよ、オレのことは心配しなくて。オレだって仕事をなくすようなヘマはしないよ。今はおまえのほうが心配」
 『な?』と尋ねるやさしい瞳に、理由を思い出して焦っていたアガリの内心が『まあいいか』に変わる。
「ちょっと、な……。兄貴、くすぐったい、それ」
 照れくささもあってそう言った。頭を撫でられるのは嬉しいけれど。
 ユイイチが手を動かす度に袖が顔を撫でていく。長い袖だ。ショールのようだ。それが腕に巻きついている。
 アガリは不審に思ってよくよく兄の姿を見た。
「そ……その格好はなんだ?」
 ユイイチが『ジャーン』と口で言いながらバッと両手を広げる。
「コウモリー!」
 黒いショールのようなそれは、両腕を包むアームカバーのようなもので、それに布がくっついて背中につながって……羽のように見える。その下は茶色い毛のぼわぼわした半袖の服で、下は黒いツルツルとしたズボン。被っている帽子は、両端が耳のようにツンと尖っている。
 ユイイチはその格好で『ばさばさー』と羽ばたいて見せた。
 アガリは額を押さえてうめいた。
「うう……」
「なんだよ」
 腕を広げてあらわれた羽の左右を見て、首をめぐらせて背中を見て、ユイイチは唇をとがらせる。
「かわいーじゃん。きらきらお空のコウモリさんよ(『不思議の国のアリス』キャロル作より)」
 わけのわからないことを言いながらしつこく羽ばたいてみせる兄を眺め、アガリはその帽子は確かに可愛いけれど、などと思う。
 頭だけでなく胃まで痛むような気がする。
「その格好で外を歩いてきたのか」
「電車も乗ったよ。でも、別におかしくないだろ。フツーにいるじゃん、こういう人」
 アガリは無言で首を傾げる。



(つづく)
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