あなたのミカタ。
それはアガリの胸に突き刺さり、席につくことを忘れさせて、教師が来るまでの間、呆然とそこに立たせたほどだった。
ふうとため息を吐いて目を開ける。
授業が始まってからも、頭にあるのはその出来事と言葉だけで。
(……俺ら、まで)
『あんな』というのは、どれのことなのか。俺『ら』とは、須田と誰のことなのか。何通りかの答えが考えられる。だが、そのときに受けた感じから、アガリには『あんな』はアガリと宗の口喧嘩のことで、『俺ら』というのは、須田と横島のことのように思えた。
それはひどくショックなことだった。横島を助けようと思ったのに、その行動が結果として横島の迷惑になるなんて。
実際、アガリが止めに入ったとき、それまで困った顔はしていてもそれだけだった横島は、急に眉をひそめ、唇を噛んで、強張った顔になってアガリたちを見ていた。無言で。
怯えたようなうるんだ瞳が、記憶の中の少女と重なる。
(ああ、だからあんな夢……)
思い返せばよく似ている。
もし、『あんな』が横島の眼鏡のことで、須田の言う『俺ら』が須田とアガリのことだとしても。それは『関わるな』ということで、否定されたことに変わりはない。
たいしたことではないと須田は思うのかもしれない。事実、そうなのかもしれない。けれど確かに横島は困った様子だったし、そもそもからかわれることを嫌がっていて、 ……アガリが思うほどではないのかもしれないが、それでも。
そういうものを自分が見たくないと思った。だからそれだけで、自分が正義だなんて言うつもりはない。ただ、間違っているとは思わなかった。
それなのに。
(ああ……嫌だ……)
こどもの頃から繰り返し繰り返し、自分は余計なことばかりしている。だからなるべく関わらないでいたかったのに。
どうしても許せなかったのだ。周囲がよく見えないからこそ眼鏡をかけているわけで、取り上げられたら困るのは当たり前のことで、それがわからないはずもなく、だからそれはわざと困らせているのであって、それを相手は楽しんでいるわけで。
その汚さに吐き気がする。
けれど。
そのことに唾を吐く行為もやはり汚いもので。
(好きでやってるわけじゃない)
嫌なのは自分……それにもちろん宗と柳川……だが、見ているだけで何もしなかったくせに安全になると口を出す須田も、ともすればそういう思いをさせた横島さえも嫌になりそうだ。そして、やはり、そんな自分自身が。
苦い思いが胸の中を水に落とされた一滴の毒のようにじわじわと広がっていく。侵されて、水全体が毒に変わっていく。それはどこに吐き出せばいいのか。
やけになって勢いよくごろりと転がればガツンッと壁にぶつかる。それで自分の部屋ではないことを思い出す。
足を動かせばぐしゃっと紙の潰れる音がする。何か柔らかいものを蹴飛ばし、それが床に落ちる音がした。白い天井にはほんの少し色がついていて、空気は微かに煙草味。
普段なら我慢できない汚さだが、それがかえって今は心地よい。
持ち主がどれほど『片付けろ』と言われても、『片付けてくれ』と頼んで片付けさせても、自分が寝る場所だけはすぐに汚す理由がなんとなくわかった気がした。
枕元で自分を見下ろしている、見覚えのある巨大なぬいぐるみ…… ゲーセン通いで得た戦利品……は、無言で見つめているだけで何も言わない。その瞳も何も言わない。しかし存在感はある。
足元に散乱する折り紙は色鮮やかで、人が触れたものということでなんとなく温かさを感じるし、退屈したらその辺の雑誌を見ればいいということで、雑誌にも安心する。とにかく物があるだけで、部屋を広く感じなくて済むし、どれもうるさくはないものだし。
(俺、相当寂しいんだな……)
ふっとそんなことを思う。
まだ慣れていない継母に何か気づかれて気にされることが嫌で、家に帰ってすぐ飛び出してきたわりには。気にされたって、血のつながらない母親……しかも血のつながる息子がいる相手……に、甘えられるわけがない……甘えられるとしてもどうしたらいいかわからないけれど ……それはしたくない。
今は人に会いたくない。どうしたらいいかわからないからだ。
(とりあえずここにいれば……)
誰とも顔を合わさずにすむ。
寒くなってきたので、飛び乗っただけだったベッドの布団を、上に乗ったものをバラバラと落として剥いで、自分にかける。そして狭いベッドの中で体を丸める。顔を埋めると、持ち主のにおいがした。最近はしょっちゅう一緒に寝ているせいで、そのにおいだけで眠くなる。
(不思議なもんだな……)
変だ変だと考えながら、眠りに落ちていく。
羽毛布団の温もりに包まれて。
(つづく)