木と星。
アガリは人ひとりいない周囲を見回す。
「……で、こんなところに来て、なんなんだ一体」
夜の小さな公園は、静かな木々に囲まれ、遊具さえ眠りについたかのようで、寂しい。
「恋人もいない寂しいおまえと、この寂しい時期、クリスマスを味わおうかと思ってね……」
余計なお世話とムッとするアガリと逆に、上機嫌の兄はある方向を向いて、あるものを指差して言った。
「ほら、あれ。見て、クリスマスツリー」
腹を立てていながらも、ついつい好奇心から視線が兄の指の先を追ってしまう。
こんな公園にも飾り立てされた木があるのだろうか、と。
示された木をぱっと眺めて、アガリは脱力した。
「……あれのどこが……」
酔っているにも程がある。指の先はただの木だ。いや、葉っぱひとつない裸んぼうの木だ。もちろん飾りも何もない。クリスマスツリーとあれほど遠いものはない。
兄には何か見えているのだろうか。
(そういえば……クリスマスツリーってのはモミの木だったか……?)
アガリには木の見分けはつかない。ユイイチは木の名前をよく知っている。アガリが知らない、わからないだけで、あれが本当の『モミの木』なのかもしれない。とはいえ、確かモミの木は常緑樹だったはずだ。だからこその、クリスマスツリーなのだし。
(あれは違うだろう……)
公園などでよく見かける、名前は知らないが、大きな葉をした、秋には全部その葉が落ちてしまうような、そんな木だったはずだ。この公園のあの木は。
アガリはゆっくりと首を横に振った。
「兄貴……酔ってんだろ」
これなら早く帰って寝てもらったほうがいい。そう思うアガリの前で、不思議と上機嫌なまま、ユイイチは立つ位置を少しずらして、アガリをそこに手招きで呼んだ。
「そこじゃダメかな。ほら、ここに立って見てごらん。こっちだよ。こっちにおいで」
『おいで』の言葉に、また……と思いながら、アガリは好奇心ぶ勝てずにツツツ……と近寄る。そして、兄のいた位置に立った。
「なんだっていうんだ、まったく……」
「ほら、あれを見て」
しぶしぶと木のほうを見やる。すると……木に星がぶら下がっている。それは、クリスマスツリーの飾りや灯りなんかとは違う、小さな、小さな、本物の星。それが、木の枝付近で光っていた。
もちろん、ひとつだけだが。
(ああ……あれはクリスマスツリーっぽいな……)
アガリはぼんやりとそう思う。街にあるような、星や靴下やプレゼントなどの飾りがいくつもつき、雪のような綿が乗り、派手な色とりどりの電球が光る、そういうクリスマスツリーに比べればあまりにも地味すぎて、あまりにもお粗末なものだが。
(いいじゃないか。こんなクリスマスツリーでも……)
飾りもない、にせものの雪もない、光っている星もひとつだけ。だが、それでも……。
(なかなかいいじゃないか……こんなクリスマスでも)
ふたりで見る、クリスマスツリー。それも、本物の星が光る、すてきなクリスマス。
ぼうっとするアガリの耳に、いたずらの成功したこどものような嬉しそうにはしゃいだ声が届く。
「わかった? あれ、クリスマスツリー。な? そう見えるだろ」
顔を覗きこんできて、くすりと笑う兄に、かあっと全身が熱くなる。
わかったことが、わかってしまった。
あれがクリスマスツリーに見えることが、兄にわかってしまった。
「馬鹿じゃないのか、兄貴。またそんな、夢みたいなこと言って……」
思わずこぼれた言葉に、ユイイチがムッとした顔をする。
「おまえだって、そう思ったくせに」
「そんなことは……」
そうだとも、そうじゃないとも言えず、口をもごもごとさせるアガリに、ユイイチはわざとらしく意地悪な笑みを見せる。
「おばけの話は素直に聞いたくせに、まあ……」
そういわれて、アガリはふたりで並んで歩きながら聞いた、怪談話を思い出す。兄が酔っ払っているせいか、ろれつの回らないしゃべりに、それはそれほど怖くなかった。兄が本気になって怪談話をすればもっと怖い。だが、そうでなくとも、それは妖怪の類の話で、むしろアガリにとっては興味深かった。アガリはUFOが好きだ。その広がりで、未確認生物にも興味がある。河童はそうだという説もあるし。
「あれは面白かった」
「そう? それはよかった……」
ぼんやりとした返事に、兄を振り向く。
熱いらしく、赤くなった頬をさすっているユイイチを眺める。目がとろんとしていて、眠たそうだ。それが本当にクリスマスをともに過ごす相手のいないアガリをあわれんでのことだとしても、もしくはいたずら心にしても、それはないとアガリは思うが……本当にアガリとこのたった星がひとつだけのクリスマスツリーを見たかったのだとしても……なんにしても、そこまである意味つらい……眠たいのを我慢するということで……のに、ユイイチはアガリをここに案内して見せてくれたのだ、とっておきの木を。
クリスマス当日ではないにしても。
当日……もし家族らしくクリスマスを一緒に過ごせるとしたら。
家では、母親がせっかくだから4人でクリスマスを迎えたい、と言う。
「兄貴はクリスマスは?」
「仲間でパーティー?」
わかっていたことだ。アガリはうんうんとうなずく。そうだろうとも。友達が多いし、ないがしろにはできないしで。マンションでどうせ鍋パーティーでもするのだろう。
「イブはね」
なんとなく落ち込んだアガリの耳に、ユイイチがぼんやりと続けて言うのが聞こえる。
「イブは友達と。クリスマスには行くよ、ウチに。でもすぐ帰るけど」
「来るんだな」
軽い驚きを持って尋ねる。嫌がり、また何か言い訳を見つけて、来ないつもりだろうと思っていたのに。
ユイイチは、唇をとがらして、少し不満げに言った。
「まあ、母さんに言われてるし。あーあ、クリスマスになんでおまえの仏頂面とおまえの親父さんのニヤケ面を見なくちゃなんないんだか」
「おい」
自分はともかく、父親をニヤケ面とはひどい。ちっともニヤケていないのだから。
「どの辺がニヤケてるっていうんだ」
「さあね、新婚だしね、あれでも一応。そう見えるって話。まあ……いいんじゃないの。我慢する。クリスマスくらいは……」
ユイイチが鼻の頭にしわを寄せて苦笑いする。ふとそれが消えるとあきらめの微笑。
長年母親とふたりで過ごしてきたクリスマスは幸せだったのだろう、おそらく。
たとえ兄が言葉通りクリスマス当日に家に来たとしても、アガリが望んでいたような楽しい家族だんらんには程遠そうだ。それは、みんなで食事して、プレゼントを贈りあって、笑いあって……なんて、仲良し家族の見た目は作れても。苦手なことを我慢する、結局そういうことならば。そう、自分も……まだ、ぎこちなくできる自信はない。それは変わらない。
雪でも降れば……なんて、自分も相当なロマンチストのようだ。
「さっ、帰るか」
ユイイチが公園の出口のほうに体を向ける。そうしてアガリを振り向いた。
「ほら、行くよ」
アガリはそこに根が生えたように踏ん張った。
「もうちょっと見る」
『えっ』とユイイチが驚きの声を上げる。
「何言ってんの。帰るんだろ」
「いや……まだ、ここにいたい」
星の輝く木をにらみつけるようにして、むすっとして言う。断固として、ここから動かないぞ、と。せめて、……せめても、と。
「まだ……もう少し」
「仕方ないなぁ」
しぶしぶといった様子ながらも、立ち去りかけていた兄が戻ってきて、アガリの隣に腰を下ろす。
「あ、違うふうに見える」
「本当か」
試しにアガリも座ってみる。座って見上げる。また別の枝……てっぺんのほう……に輝く星。
星は位置が変わるから、この時期にしか見えないのかもしれない。また時期が違えば、別の星が見えるのかもしれないし、何も見えないのかもしれない。でも、それでいい。
今日、こうして見れたことが、特別なことになるから。
(おわり)
あとがき・・・
クリスマス間近に、本当に公園の木に星が光っているのを見て、作ったお話です。