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木と星。





 『迎えに来い』なら命令だ。『迎えに来て』ならお願いだ。……『迎えにおいで』は、ほかのふたつより、迎えに来るか来ないか、相手にとって選択が自由な気がする。これは誘いだ。いや、『迎えにおいで?』なら誘いだ。しかし兄は、マルもハテナもナントビックリマークもつけなかった。ついでに言えば絵文字もない。これは相手にわかりやすいメールをと心がけている兄にしては珍しいことで、とはいえ自分も常日頃そういうメールを書くのだから……絵文字はもちろん、ハテナやビックリも少なく、だからこそマルはつけるように心がけているけれど……この点で文句は言えない。しかし、『迎えにおいで』とは。
 きゅっと唇をかみしめる。
(喜ぶとでも思っているのかっ……それとも何かいいことがあると思ってホイホイと迎えに来るとでもっ……)
 犬じゃないんだぞ、そう憤りつつ、こうしてホイホイと来ている身では、もし無事に会えたとしても怒りにくい。なら来なければいいと言われてしまえばそれまでだ。
(心配だから、なんだ……)
 こんな余裕のある文章だが、やたらと短い内容だから、髪の毛を赤くしていて目立つためにからかわれやすい兄のユイイチがもしや何かにまきこまれたのでは? という……どうせ酔っ払っているんだろうなというたぶん正しいだろう考えを頭から押しのけて、不安と手をつないでしつこく出てくる。絶対に違うのだが。もしそうだったら『ヤバイ』とか『助けに来て』とか、ほかに書くことはいくらでもある。それだけでは通じないのは同じだが。……それにしても。
 『迎えにおいで』、それで来ると思われている。
 その存在が女性で彼女ならばとにかく、相手は男で、しかも兄である。あまり関係はないが、そのうえ、……義理の。
 なんとなく時期的に、流されないつもりでも多少は周囲の雰囲気で、耳には言ってくるアレやコレやで、つい比べてしまい、空しさを感じる。
 ああ、自分には、彼女のひとりもいないんだなぁ……と、しみじみ。かといって、今積極的に女性と付き合いたい気分というわけでもないのだが。それでまたまったくそうではないということも空しい。もし声でもかけられれば、自分ならなおさら……という、甘いというか淡い希望を持っている。なにしろ高校生で、周りはやはりそういうことで浮かれていて。
 寂しい。
 ……で、なおさら、今この状況で気持ちがはずんでいるということが悲しい。
 そんな場合じゃないだろう、と思う。これで喜んでいてはいけない。
 寒いので腕を組んで前かがみに地面を見つめて歩いていて、しかもそんなことを考えていて、反応が遅れた。
 バサッと何かが背中に乗ってきた。
「おぉーうぅーてぇーけえぇーっ」
 のしっと乗ってきた何かは酒臭い口を開いて低い声で耳元にそう吐きかけ、アガリはせいいっぱい見開いた目を次の瞬間には細めた。足を止めてしまって相手が背中に乗りやすいようにしてしまったことを少し悔やみながら。
「兄貴……?」
 さすがに『どなた? なんの用?』とは思わなかった。
「何してるんだよ」
 首をひねって、背中に覆い被さった人物を見ようとする。俺じゃなかったらどうするんだと、少しキツく責める調子で言った。とりあえず、まだ振りほどこうとはしない。相手の酔い具合もわからないし。
「なんなんだ、いきなり」
 これがやりたかったならまったく阿呆としか言いようがない。
 やたら酒臭い息を吐き出しながら……メールから酔っているんだろうなとは思っていたものの……そしてそれはやっぱり正解だったわけだけれども……街灯の白い光でもわかる赤く上気した頬の義兄のユイイチは、上機嫌で返した。
「甘いなぁ。この時期も道を歩いていて襲ってくるものといったら、『負うてけぇ』か『置いてけぇ』かのどっちかに決まってるじゃん」
 うさんくさげにさらに目を細めてみせると、『知らない?』と据わった目をわざとらしく丸くして尋ねられた。
「『おぶさりてえ』とか『おいてけ堀』とか、知らない? そっかー……。まあとにかく、この時期に夜道を歩いてて油断してるとこういうヤツがこう……乗っかってくるもんなんだよっ!」
「うぐっ」
 がばっとユイイチがさらに抱きついてきて、両腕の巻きついた首が絞まりそうになる。アガリはそれを必死にひきはがそうとする。このままでは窒息死しかねない。
「待った、待ってくれ。酔ってるだろ、兄貴」
「ううーん、酔ってないとは言わないけどー」
「ううっ……待て、よせっ、ちょっ離れろ」
 何故か背中にすりすりと猫のにおいつけのように頬をすりつけてから相手は離れた。妙な苛立ちを感じ……恐らく酔っ払いにそんなことをされたのが不快で……服の乱れを直すついでに背中を軽く叩く。それを側で見ていたユイイチは、いくぶん申し訳なさそうな顔をして、壁にどさっともたれた。
「ここまで頑張って歩いてきたんだー。家まで帰る気力がなくって。でも、そういえばこっちのほうが近いかなって思って。忘年会……忘年会ってゆーか、上の人のご好意に甘えて? 飲み会……あぁ、それは忘年会でいいのか……。んー、でも、なーんかみっともなかったからさぁ……」
 しっかりと話そうとしているが、それでも舌が回っていないような感じだ。相当のんだらしい。熱いらしい頬を撫でさすりながら空に向けて言う。
「違うんだよ、だって違うんだ。お礼なんて言われると……何もそんなにしてないのになぁ、って……さー。なんか心苦しくなんない? ねえ……そーゆーのってさぁ……。まあ、たのしかった……楽しかったけど……それなりに? まあなー、うーん、おごりは嬉しいけど、キツイ」
 アガリはようやく整った息……キツかったのはこちらだ……を最期の大きく吐いて、のびをする。突然に飛びつかれ、体重をかけられたせいで、あちこちからだが痛む。
 日頃の感謝の忘年会が、それゆえユイイチには重かったらしい。
「それで逃げてきたのか」
 ぼそっとつぶやくと、信じられないという顔をされた。
「逃げて……って、おまえ、そんなわけないじゃん。ありがたくのんだよ。のんだから今ここにいるんだ。言っちゃなんだけど、まあ……この状態で。でも、二次会は抜けてきた。人が増えたし、眠くなっちゃったし。豪勢で、緊張したし、料理が……。残ってるとろくな目に遭わないしなぁ。あ、いつもそんなに酔わないよ。今も別にそんなに酔っちゃいない。ただ……ちょっと疲れたかな。今日はまだ薬も……飲んでなくて……」
 アガリは目をつぶって聞いて、これ以上聞いても仕方がない、と判断した。これでもいい酔い方のようだが……よくしゃべるということはわりと上機嫌なほうだ……確かに酔っていることは酔っている。
「わかった。じゃあ、かついで帰ればいいんだな?」
 まだ続きそうなぼやきに挟んで、やる気じゅうぶん、両手を広げてユイイチに近づく。
 首をぐんにゃりと傾けて空を見ていた相手は、その首をがくんと落として、前に手を出してそれを遮った。
「ああ……てゆーか、一応母さんが困ると困るから、オレは来なかった方向で……ってゆーか見つからないようにこっそりとおまえの部屋に……えっと、オレは一応アサイチで帰るから……見つからないうちに」
 『こっそりと、こっそりと』と念を押す。
 そんなことは気付いていなかったアガリが首を傾けて、『アサイチ?』と尋ねると、即座に『朝一番』という答えが返ってくる。なるほど『朝一番』で『アサイチ』か……とひとり納得してうなずくアガリに、今度は心配そうにユイイチが尋ねる。



(つづく)
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