球根と種。
目の前には水色の容器がある。水の入ったガラスポットだ。その口には球根がでんと乗っかっている。詰まっている。チューリップより少し大きい茶色のかたまり。
ユイイチが選んでくれたヒヤシンス。たぶん紫の花が咲く。
「見てたって変わらないよ。そんなに簡単じゃないんだから。時間かかるぞー?」
冬場はこたつになる低いテーブルに、毛布にくるんだ足を突っ込んで、バナナの皮を剥ぎながらユイイチが言う。その横ではキワムが同じようにしてバナナを食べている。
「知ってる」
同じく、足をのばしているアガリは、むすっとして返す。
深い感動を味わっているだけだ。
足元が暖かいせいか若干眠そうなユイイチが、小さく笑ってからかう。
「おまえが見てるとなんか穴あきそう」
「……そんな能力があるならさっき使えたな」
「たまには土に触るのもいいんじゃない?」
「汚れて大変だったじゃないか」
自分たちはともかく、泥まみれのくせに洗うのを嫌がるキワムをきれいにするのに、どれだけ時間がかかったことか。
「そういう便利さだけを追求した結果が今のダメダメな社会かー」
アガリはさらっと笑って言ったユイイチを凝視する。
(え……ええー?)
今のは皮肉だろうか。まさか。そんな素晴らしい笑顔で。
体を小さくして、目の前に放置していたバナナを手に取る。あちこち眺めていると、バナナを食べ終わったキワムと目が合った。その訴えかける目に、バナナを差し出す。
「食うか?」
「ちょー、だいっ」
こっくりうなずいて手をのばす。言われるままに差し出すと、『えー? きーちゃん、もう食べたでしょー?』とユイイチが驚きの声をあげる。
「欲張りだなぁ。おなか壊さない? そんなに食べて」
心配そうに首を傾げて尋ねる。渡したアガリも『しまったか』と焦ってキワムを見る。キワムはふっくらした頬にえくぼを作って嬉しそうに微笑んで、『ううん』と首を振る。皮を剥く様子もなく、大切そうに手に持って満足げだ。
「……うーん、なら、いいけど」
ユイイチは自分のバナナを食べることに戻る。
アガリは食べるものもなくなってしまったので、テーブルにあごを置き、ぼんやりとテレビを見るとはなしに見る。ときどき、球根に目をやりながら。
キワムをバナナを膝に置いて、楽しくて落ち着けない様子で、足をバタバタと動かしている。
バラエティ番組のにぎやかな音が静かな部屋に響く。
やがて、バナナを食べ終え、アガリと同様にのんびりテレビを見ていたユイイチが、急にハッとした様子で、ちらとアガリと球根を見て、キワムを見た。
「……あのね、きーちゃん」
おそるおそる、なだめるといった調子。
申し訳なさそうにユイイチは続けて言った。
「バナナは埋めても生えないんだよ?」
アガリはキワムとふたり、きょとんとしてユイイチを見る。しかし、驚きの内容が違う。アガリは『突然に何を言い出すのか』。キワムは……。
「ほんとー?」
アガリはびっくりしてキワムを見る。『ほんと、ほんと』とユイイチが苦笑した。
「種がなくなっちゃってるからねー。ほら、真ん中の茶色いとこが種なんだ。もともとはここに種があったんだよ。でも、もう無いでしょう? だから」
「どうして?」
「さあー、どうしてだろね。忘れちゃった。今度調べてみよう?」
アガリは自分の部屋のほう……パソコンがある……を指差して言った。
「ネットで調べれば早いぞ」
「そうだな。それで忘れるのも早い」
ユイイチがあっさりと言う。遠回しな却下……むしろ相手にされていない? ……に、アガリは思考のために動きを止めた。その間に、何やらキワムに言い聞かせたユイイチが、そっとバナナを持ち上げる。
「ね。とにかく、これは種がないから、芽が出ないんだよ」
「どうして、だって、木があったよ!」
「うーん、あれはね……たぶん、植えたんだと思うな。おっきな木をあそこにね」
改めてテーブルの上、キワムの前にバナナを置く。
つまらなそうにキワムはバナナを見つめる。
アガリは目の前の球根と、キワムとバナナとを見比べ、ぱんぱんとテーブルを叩き、こちらを向くキワムに宣言した。
「キワム。にーちゃんがいつか植えてやる」
「ほんとーっ?」
キワムが目を輝かせてはずんだ声をあげる。
ユイイチがくすくす笑って『ほぉんとぉ?』とついで言う。そのからかいの色のめげずにアガリは言った。
「ああ、本当だ。……バナナでいいんだな?」
「うん! えっとねー、あとねーっ、いちごと、メロンと、さくらんぼとー……」
指折り次々に数える弟を唖然呆然、アガリはあきれて眺める。
(食い物ばっかりだな……)
まあ、それでも、喜んでくれているならいい。まだ果物の名前をあげ続けているキワムに、両手をあげた降参のポーズを見せる。
「ああ、わかったわかった。全部は無理だ。順番な。手に入ったら」
「よかったね、きーちゃん。じゃあ、このバナナは食べちゃおうね」
ユイイチに言われ、キワムはバナナの皮を剥くと、ぎこちない手つきで折った。
「はい、ゆっち!」
「ありがとー」
「お兄ちゃんにもあげる」
「ああ、……ありがとう」
手の中の、少しつぶれたバナナを見つめる。
いろんな未来ができていくものだ。
感慨深く、秋の夜は過ぎてゆく。
(おわり)