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ウィンナーとソーセージ。






 ベッドの上、暗い天井を見上げて、思う。
 隣には兄のユイイチがいる。もう寝入ってしまったらしい。アガリに背を向けて横になっていて、夏のこの暑い日に……とはいえ部屋は冷房がきいているわけだが(アガリの父親はそれを『軟弱だ』と非難するが、ユイイチがいる場合は知っても何も言わない。ひとえに兄のひよわさゆえ)……布団を首まで被って赤い髪のイモムシと化している。クーラーの設定は高めとはいえ、身につけているのが下着だけなのだから寒くて当然。ならば何もわざわざ厚い布団を出して使わずとも、クーラーを消すか何かすればいいのだが、冷たい空気というだけで寝やすいのだとユイイチは言う。わがままだ。夏は暑くて当然と、いつも甚平を着てタオルケットをかけるだけのアガリにとっては、それ以外のなにものでもない。ユイイチは何の疑問もなく、涼しくなった部屋に満足した様子で、とっとと横になって寝てしまったが。アガリは慣れない妙にひんやりとした空気の中、反抗も抵抗も対抗もあってかたくなに甚平+タオルケットを貫き、なんとなく眠れずにいる。同じベッドにいるのに。ひどく馬鹿らしいことだとは自分でも気付いている。
 隣からは微かな寝息が聞こえている。いつもならアガリも横になるとすぐに眠れるのだが。着替えは枕元に用意してあるし、歯は磨いたし、トイレにも行った。だが、なんだか落ち着かない。
(物足りねえ……)
 それは、寂しいとも言えるかもしれない。この暗い世界に自分しかいないような孤独。隣に人が……それも大事な家族……がいて、微かな寝息は聞こえるものの、何もしゃべらず、動きもしない。背を向けていて、顔も見えない。
 ふと不安になる。
 衝動的につかんだ布団越しの相手の二の腕を、きゅっきゅっと揉む。だが、期待した感触はない。指が沈む。もっとかたければ、ここにあるという感じがするのに。安心するのに。
 ……こんな幽霊みたいでは。
 思わずつぶやく。
「こんなになっちまって……」
 すると、その腕がスッと抜けた。
「……人が死んだみたいに言うのやめてくれる?」
 とうに眠ったと思っていたユイイチが、ごろりと寝返りをうち、ムッとした顔を見せる。
 アガリは跳ねるように上半身を起こし、ぱっと振り向き、まじまじと見た。
「起きてたのか……」
「起きると思いませんか」
 心底驚いて言うアガリに、ユイイチは苛立ちを含んだしかめ面で返した。
 それは考えていなかった。
「すまん。そんなつもりじゃなかった」
 アガリは素直に謝った。
 ユイイチはふうとため息を吐く。そして首までかかっていた布団を下ろしてアガリに尋ねる。いつでも起き上がろうという様子で。
「ま、いいけどね。何? なんか用? それとも眠れないの?」
 アガリは何か言おうとして口を開き、目をすがめて待っているユイイチを見て、口をつぐむ。次に開いて声を出したときは、用心深く兄を見ながらだった。
「……つまり、なんだか眠れなくて、兄貴に用ができたんだ……」
「ハッ」
 片方の唇をつり上げてユイイチが笑った。
「ガキか、おまえ」
 ムッとしてアガリは口を閉じる。予想はしていたけれども。
 横になったままで、今度はいつでも眠ろうというように布団を元通り首までかけ、あくびをしてから面倒くさそうにもごもごと言う。
「人を暇つぶしにしようとするんじゃないよ。それくらい自分でなんとかしろよ、もう高校生なんだしー」
 腹を立てたアガリは、のびた手にパンパンと乱暴に背中を叩かれ、言葉を飲み込む。
(自分は寂しいからと人の布団で寝るくせに……)
 こいつ追い出したろかと横目でにらむ。その目とぶつかった目は嫌そうに細められ、眠るために閉じようとしていたその口からは、ため息まじりの言葉が吐き出された。
「自分のケツでももんでろよ」
「……なんてこと言うんだ!」
 脳が理解に数秒を要した。それでもわりと早いほうだ。
「そういう意味じゃない!」
 兄の腕を揉んだのは、生きているかどうか確認して、安心したかったからだ。決して、決して変な意味ではない。
「はいはい、わかったからさー。夜中に大声あげるなよ、迷惑じゃん」
 慌てるアガリに、ユイイチはどうでもよさそうにひらひらと手を振り、ごろんと体を動かしてアガリに背を向け、もぞもぞと布団にもぐる。
「おっ、俺はっ……違うからなっ、絶対に……そんなっ」
「いいってば」
 なおも誤解を解こうと回らない舌を懸命に動かすアガリに、背中を向けたままのユイイチが返す。
「っていうか、『こんなになって』って何? そっちのが気になる」
 火事のごとく熱くなっていた頭に突然水をかけられたよう。
 出そうとしていた言葉が消え、降ってきた兄の言葉を考え、そのことについて思い出すと、暗い気持ちに沈んだ口調で答えた。
「……兄貴の腕、前はウィンナーみたいだったのに……」
「失礼なっ!」
 ユイイチががばりと跳ね起き、その勢いにアガリは驚き、わかってもらえるか不安に思いながら続けた。
「ぷりぷりしてるということで……」
「誰が腸詰肉だよ!」
「海老のほうが人名に近いか……?」
「そういう問題じゃないしな!?」
 ユイイチの目がつりあがる。ケンカの最中の猫のような、今にもひっかくぞと脅す顔。
 案の定、ユイイチの手がさっとのび、叩かれることを覚悟したアガリだが、その手はアガリの甚平の胸元をつかみ、柔道よろしく押し倒した。
「おまっ、ホント失礼だな、こら!」
 上に乗られ、足で体を押さえられ、それでもアガリに動揺はない。真顔で返す。
「褒めてるんだ」
「どこがぁ!? 褒められてる感じしないわ! ふざけんなっ」
 兄の顔は、前髪が長いので、止めていない状態でうつむいていると、ほとんど顔を覆い隠している。顔で脅かすつもりなら逆効果だが、別の効果がある。
(やっぱり幽霊みたいだ……)
 足元につけてある小さなオレンジの光が頬に当たって、できた影が濃い。暴力ではなく、『何か』されそうで、その何かがわからないところが怖い……かもしれない。
 そんなことをぼんやりと考えながら口を開く。
「ソーセージよりもウィンナーというか……マシュマロと白玉の違いというか……。ああ、そういえば、横島の頬なんか指が埋まるんだ」
 ふと思いついて付け足すと、あきらかにユイイチの手の力が緩んだ。
「あ、あー、横島くんね。あの子は、ちょっと……太ってるもんね。おうち、お菓子屋さんだっけ?」
 ためらいつつ話す声に喜びすら感じる。
 それほど変わりはしない。横島は背が低いだけで。もちろん、触った感じは違うけれども。
 しかし勝ったように喜んでいる。
 そういう心はよくわからないが……心の中で断りを入れて。
「ああ。本人もよく食べるし……血だそうだ。あいつんちは家族みんなああだぞ」
「オレのこれも生まれつきだよ……」
 それで思い出したのか、悲しそうに言って、ユイイチはアガリの上から退く。またもとのように横に座り、アガリにしてみれば『しぼんだ』と言いたくなる腕の肉を、それでも気になる様子で、手でつまんでは放し、つまんでは放して、その具合を見守る。
「俺は好きだけどな」
 アガリがぽつりと言ったとたん、ものすごい目でぎろりとにらまれる。
「じゃおまえ、自分が太ればいいじゃないか」
 吐き捨てるように言われ、そっぽを向かれて、アガリは焦って兄の肩をぐっとつかみ、振り向けて、言い聞かせた。
「違う……そうじゃなくて、兄貴はそれほど太ってない……ウィンナーは……いや違う、余分な肉では……つまりグッと詰まってる感じが……いや、だから、弾力がだ……」
 話しているうちにだんだんと顔がうつむいていく。
 これではまた怒るだろうし、これも気に障るかもしれないし、自分にはわからないし、なんと言ったものやら。あたふたと説明しようとした……顔には焦りは出ないが…… アガリは口を閉ざした。どう言ったものかわからない。これ以上は言えない。
「……」
 不吉な沈黙を保っていたユイイチが、ついに口を開いた。
「じゃあ……」
 なんだろうかと、ののしられることも覚悟して、しかし顔はあげられずにアガリはじっと待つ。
 兄はめずらしく何の感情も浮かべず、静かに、ただ静かに言った。
「おまえ、ホモっ気があるね」
「は?」
 薄暗い部屋の中、何故かもっと視界が暗くなってゆく。
(どこの毛なんだ、それは……)
 それを最後に意識を手放した。
 ある暑い夜のことだった。



(おわり)
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