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裸とスケッチ。






 教室に入って、聞こえたのが先か、見たのが先か。
「ホント女なんじゃねーのォ?」
 アガリの見たものは、あまり品のよろしくないクラスメイトふたりにからまれている、横島の姿だった。
(またか……)
 どっと疲れを感じる。
 成長期という言葉と無縁のような横島とは中学からの付き合いだが、身長がほとんど出会った頃と変わらないように見え、今も150程しかない。当然そのことでからかう輩がいて、また小さいけれども横島は気が強く、そのために行き過ぎてイジメになったり。良くも悪くもかまいたくなるタイプなのだ。少し太っているけれども小さな体に可愛い童顔で。しかし、頭が良い上に二次元オンリーで、興味のない者は相手にしないので、してもらおうとするとかなりあからさまなことになる。無理やりで、またそれが横島を冷たくさせて、ことがこじれる。
 今も横島はムッと口を引き結んで、聞こえないかのようにツンとしている。
 アガリの立つ教室の入口から横島の座る席は真っ直ぐでよく見える。一番前窓際の特等席だ。それを三人の男が取り囲んでいる。からんでいるふたりの男……宗と柳川 ……と、ひとりは友人の須田だ。心配そうに横島とクラスメイトを交互に見て、しかし自分を犠牲にして横島を助ける勇気はないらしく、『いや、マジで男だよ』などともごもごと言っている。まったくもって役に立たない。
 宗は横島を指差して笑う。
「えー、ウチ共学だっけー?」
 柳川の笑いがそれに続く。
(くだらねえ……)
 顔を背けたくなる。つまらない、みっともない、なさけない。……うんざりだ。同じ高校生男子が、小学生のような行いを。できることなら見なかったことにしてしまいたい。
 実際その程度ならアガリは放っておいてさっさと自分の席に向かうのだ。そうすれば気付いた横島のほうが『ウエくーんっ』と勝手にやって来るし。
 だが。
「女子校に連れてかなきゃー」
「ほら、立てよ」
 柳川が横島の腕を取って無理やり椅子から引っ張りあげる。
「やめてよ!」
 さすがに我慢の限界を迎えたらしい横島が常にない激しさでその手を振り払う。
 アガリはため息を吐いて扉をふさいでいた体を動かした。
 横島に振り払われた柳川が、その手をなれなれしく肩に置く。
「なんだよ、親切じゃん」
 聞き分けのないこどもを扱うようにやさしげに言う。
「男子校にいたいの? 男好き?」
 横島は突っ立ったままムスッとして黙っているが、嵐の前の静けさだ。
 アガリは大股に歩いてそこに近づいていく。
 休み時間で教室はざわついている。生徒はそれぞれ好き勝手なことをしていたが、横島の周囲の何人かはその険悪な空気に気付いているようで、ひそかに耳をそばだてている様子だったが、あえて騒ぎを止めようとする者はいなかった。
 横島がとうとう口を開いた。
「そっちこそ、幼稚園に行けばいいのに」
 小さいけれども澄んだ高い声はアガリの耳にも届いた。
「はーっ?」
「なんですかー?」
 宗と柳川はわざとらしく声を上げて『聞こえない』というように横島のほうに身を傾ける。
「ちょおまっ……」
 剣呑な雰囲気にあたふたとしていた須田がアガリを見つけて黙りこむ。
 それに気付いたクラスメイトたちが振り向きかける。
 だが、遅い。
 アガリは歩いてきたそのままの勢いで手前の宗の尻を蹴り上げた。
「いってぇーっ」
 ボスンと音がして、前のめりになった宗が、机に手をついて振り返る。
「何すんだ!」
 その向こうにいた柳川のほうは賢明なことに後ろに下がって距離を作っている。
 アガリは腕組みをしてふたりをにらみつけた。
「馬鹿なことしてんな。そんなに気になるならトイレでもなんでも覗きゃいいだろうが。くだらねえ」
 不機嫌に吐くと、力の抜けた様子の横島が、とぼけた調子で言う。
「ウエ君、それはねー、僕がつらい」
 ちなみに須田のほうも重たい任務から解放されてあきらかにホッとしている。
 尻を蹴られた宗はおさまらない様子で、腹立たしげにアガリをにらみつけていたが、もう片方の柳川はあっさりと背を向けて去ろうとしていた。しかし、やはり黙って去ることができるほどなら最初からそういうことはしないものだ。
「あーあ、旦那さん来たかー」
 ちらと目だけ向けて、いかにも面白くなさそうにぼそりと、一言。ピクッと横島の肩がはね上がる。それで宗も勢いを得たか、フンと笑って言った。
「トイレ個室じゃん、女の子は」
「まだ言うか」
 アガリはしかめ面をして横島を親指で示す。
「俺は中学の林間学校で風呂が一緒だったんだぞ」
「旦那さんは当たり前じゃん」
 アガリは宗とその後ろで『離れたいけどそうもいかない』と困惑顔をして突っ立っている柳川を交互に見つめる。そして、急にハッとした顔を作った。次には眉をひそめ、じろじろとふたりを眺める。
「おまえら……うらやましいのか?」
 驚きをこめて。
 硬直したふたりと須田を前に、『うんうん』と深くうなずいてみせる。
「そうか……そういう趣味ならそうと言え。横島の貧弱な体じゃ満足できないだろう。俺にはそういう趣味はないが、どうしてもと言うなら見せてやる」
「なに言ってんのっ?」
 何故かこの場に一番関係のない須田が慌てる。
 アガリは気にせずシャツのボタンを外し襟をつかんで一気に脱いだ。
 教室に低いどよめきが上がる。
「教室に半裸の男が!」
 どこからか上がった声には笑いが含まれている。「なに脱いでんだよー」などとからかう声も聞こえる。
 いまやクラス中の注目の的だ。視線が集まるとやりやすくて大変結構だ。アガリは宗と柳川との間の距離を詰めた。
「見ろ。ほら見ろ。遠慮せずに見ろ」
 視線を受け止めるために両腕を広げ、ずずいっとふたりにせまる。ふたりは顔を引きつらせて後ろに下がる。どういう態度を取ればいいのか戸惑ったのか、複雑な顔をして押し黙っていたが、ようやく決まったらしく、笑った。
「キモッ」
「ヤバイよなー」
 なにしろクラス中の視線が集まっている。こんな笑える相手に真剣に取り合って怒るのも格好悪い。となると、自分たちも笑うしかないのだ。
「ありえねぇよー」
 へらへらと笑いあって、そそくさと離れていく。
 アガリはふんと胸を張ってそれを見送った。
 『さて』とくるりと振り向くと、横島は席に着いてスケッチブックを広げていた。ペンを持った手が忙しく上下に動いている。
 顔をあげないままで声が飛ぶ。
「あ、ウエ君、動かないでー」
「ああ」
 どうやら背中を描いているらしい。注文にアガリはその場に固まる。できれば早めに服を着たい、と思いながら。
 須田があきれたようにつぶやく声が耳に入る。
「たとえ女だとしてもこんなヤツ願い下げだよなァ」
 アガリは同意をため息で表した。



(おわり)
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