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花と笑顔。





 街の人ごみの中、アガリの前を、ユイイチが鉢を入れたビニール袋をぶら下げて歩く。それほど重たげではないが、人の多い土曜日の午後の通りを歩くのは大変そうだ。
(これからまた店に入るってのに……)
 アガリはその背中を見つめて憤る。
「どうするんだ。キワムのプレゼント買いに来たんだろ。なのに、そんなもん買って」
 3月の誕生日のために、少し早いがプレゼントを探しに街に来ていたのだ。『兄』ふたりで。今日の目的は弟の誕生日プレゼントのはずだ。しかし、おもちゃ屋とデパートのこども服売り場をちらりとのぞいただけなのに、こうしてすぐに関係のない花を買われてしまっては。
 そもそも言い出したのはユイイチのほうなのに。
「邪魔になるじゃないか」
 信号で止まって、隣に並んで不満をぶつける。ちらと振り向いたユイイチは悪びれずに言った。
「いいじゃん、別に。まだ早いんだし。また今度にすれば。なんならこれをあげたっていいし」
 鉢の入った袋を持ち上げ、あやしげな目つきで見つめながら、小首を傾げて、『ねーっ、エリカちゃん!』などと花に話しかけている。いまだに弟をからかっているのだ。
 アガリは顔を背け、苦く言った。
「3歳のこどもが花をもらって喜ぶと思うか?」
 信号が変わり、ユイイチは歩き出しながら口をとがらせて返した。
「喜ぶさ、はなによっては。うーん、でも、やっぱり、主役は別に必要だろうね。なんか他にもっと『らしい』ものを……。あのさ、おまえやっぱり、服のほうがいいと思う? 僕は断然おもちゃなんだけど」
 さっさと歩くユイイチを、一歩遅れてアガリは追いかける。
「役に立つもののほうがいいだろ。着るものはいくらあっても困らない」
 体が大きいせいでどうしても幅を取ってしまうので、横に並ばず、後ろに回ることになる。それに、ユイイチは決して早くはないが、さっさと歩く。振り返りもしないまま、うんざりといった様子の大きな声だけが投げられる。
「邪魔になるじゃないか、それこそ。合わなかったり、気に入らなかったりしたら。っていうか、ああ、もうっ。基本的に違うんだな。おまえアレだろ、こどもの誕生日に辞書とか贈るタイプだ?」
「弟だけど、小学校に入ったら贈ろうかと思ってる」
 アガリはごく真剣に答えた。
 大きなため息が前から聞こえる。
「あー、やっぱりな。いいか、誕生日プレゼントというものはだね、愛というものはだねー、相手が頭よくなるようにとか、衣食住に困らないようにとか、そういうものじゃないんだよ! いや、それもアリだけれども! 誕生日ってのは生まれてくれてありがとうっていうか、よかったねっていうか……。本人が欲しがってりゃいいけど」
「わかってる」
「だから、こう……もっと、愛されてるんだなーってものじゃないと!」
「知ってる」
「相手の欲しいようなものを探さないと!」
 兄の話を聞きながら、頭の端っこでちらりと思う。
(俺は欲しいけどな……)
 とくに欲しいものはないので……あっても自分で買えるようなものか、あるいは買ってもらうなんてとんでもないような高いものか、そもそも買えないものなので、くれるなら文房具だの服だのがありがたい。使わなくとも着なくとも記念でとっておけばいいのだ。思いつかないだけということもある。なんでも、それなりに、好きな人にもらえれば嬉しいけれど。
 それはそれとして、と、その考えを頭の隅にしまって、アガリは兄の背中に近づいてその手の中を指差す。
「だったらそれも違うだろ」
 花の鉢の入ったビニール袋。
 後ろからさす指は見えずとも、アガリの言う『それ』を正しく理解したようで、ユイイチはさっと自分の手にあるビニール袋……その中の花……を見た。
 アガリは重ねて言う。
「ガキが育てるのは難しい……いや、だいたい兄貴だって育てられるのか? 前のは枯らしちまったんだろ」
 また同じことになるんじゃないかと懸念して言う。せっかく買ったものなのだからという考えが底にある。一応、ふたりで買い物に来て買ったものなのだし。自分の思いを押しつける気はまったくないが、やはり枯れたら悲しい。
 ちらと振り向いた兄は、なんとなくわざとらしい、なんでもないような顔をしていた。丸い目でじっとアガリを見つめる。
「うーん、今はねー、僕ひとりじゃないから」
 うかがうように見ながら、そうさらりと言った。
 アガリが無言で視線を返すと、その澄ました顔が、不意に浮かべた苦笑に崩れた。
「つまり、ほら、一緒に住んでるアレが……ね」
 『植物を育てるのがうまくて』と付け足す。
 アレ。兄の同居人。というか、兄が同居人なのか。前はひとりでマンションに住んでいた兄は、今、友達と一緒にアガリの家のわりと近くに住んでいる。
 確かに園芸の似合いそうなそいつののほほん顔を浮かべ、アガリは顔をしかめる。のんびりしすぎているというか、どこか抜けているというか、見ていてもどかしくなるような男。それなのに兄と仲がよく、なおさら気に入らない存在だ。
「僕と違ってこまめにいろいろ面倒みてくれんの。おかげでハーブとかも枯れないですんでるよ」
 素直じゃない皮肉げな笑みを浮かべていた兄は、そこでふっと頬をゆるめ、柔らかい温かな笑みに表情を変えた。
「だから大丈夫」
 本当に嬉しそうな照れ笑いを見て、アガリは言葉を飲み込む。不安とか、文句とか、嫌がらせとか、言おうと思えばいろいろあるけれど。
 うつむいてぼそぼそと言う。
「まあ、枯れないなら別にいいけどな……俺は別に」
 もう背中を向けてしまった兄に聞こえない声でつぶやく。
「別にいい……」
 季節は変わっても、何かが変わるわけでもなく、変わったとわかるときはいつも突然だけれども、それでも。変わってしまえばそれが当たり前の状態になる。
 ……結局は、人の心なのだ。
 それでも自分の心は変わっていないことを知る。
 そして、当分は、このままのようだ。



(おわり)
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