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母の日。





「おまえね、肝心なことを考えてないな? 男が花をもらって喜ぶと思う?」
 その答えはもちろんYESである。
「前にもらってただろ、兄貴。俺には嬉しそうに見えた」
 友人に花束をもらった兄は、確かに喜んでいたのだ。
「あーれーはーねー。だって、あれは、僕がその前にやったことに対してだね…… だから僕が嬉しかったのは僕がやったことを認めてもらえたということで……あーっ」
 大きな声を出して、ついで何か言いかけたユイイチは、もごもごと口を動かし、きゅっと引き結んだ。空をさまよっていた目もほぼ同時に閉じられた。『んー』と何か口に入れた酸っぱいものをこらえるような顔でうめいていたが、パッと目を開くと、急に明るい顔になってカーネーションを受け取った。
「ん、わかったわかった。褒美だな、つまりこれは。もらうよ、ありがとう」
「感謝なんだけどな」
「うん、わかったよ……」
 苦笑を浮かべてそれを遮り、『でも面倒をみてるのはほとんど友達なんだけどな』とつぶやく。
 それは何度も聞いて知っているけれど、兄の友人に母の日のカーネーションをあげるのはいくらなんでもおかしかろうとアガリは思う。そんな気もない。兄だからあげたい。
 ユイイチは流し台によりかかって腕を組み、カーネーションをふりふり、ぼやく。
「もらってからなんだけど、どうせなら父の日に黄色いバラをもらったほうがね、僕としてももらいやすいというか……それはでも、おまえの親父さんに失礼かなー」
 そういうことにまったく気付かなかったアガリは、おおいに慌てる。
「お母さん、傷つくと思うか……?」
「さあ、どうだろ。でも、疑問には思うだろうな。おまえ、なんて説明するつもり?」
「……いや、えっと」
 まったく考えていなかった。
 アガリは答えようとして、黙りこむ。
 母の日に、母以外の人に花をあげたら…… 母代わりやそれにふさわしい人ならばとにかく…… アガリとしては兄はそれにふさわしいが……やっぱり失礼なものなんだろうか、母親に。それは、『母を母と認めてない』ような、そんなふうに思われるものだろうか。
 とんでもない。そんなつもりではない。
 しかし、尋ねられたら……。
「……説明できない」
 果てしなく落ち込んでぽつんと口からその言葉を落とす。
 ユイイチが流し台からパッと背中を離し、カーネーションを手にくるりとその場で回ってみせ、おどけて言った。
「隠しておこっかなー」
 そして返事を待たずに軽やかな足取りで部屋を出ていく。と、足を止めて振り向いた。にこにことして鍋を指差す。
「おまえ、もずく食っとけよ?」
「よし、わかった」
 張り切ってうなずく。ユイイチはまた踊るように歩いていく。その足が二階に向かうのを確認して、自分の部屋かアガリの部屋かどちらかに行くのだとわかる。それをホッとして見送って、アガリは鍋に向き直った。
(うっ……)
 なんでもっと早くにとめなかったのだろう。
 母が作ったという鍋の中身は、サトイモ、ニンジン、キャベツ、キュウリ…… みそ、そしてもずく。正確にはもずく酢らしい。
 その前の段階でも問題があるような気がする。なんで止めなかったのだろう、兄は。
 アガリは兄が使っていたおたまを握り、小皿を取り、そこにすくったみそ汁を入れた。
 そして、一口。
「うっ……」
 他にも絶対に何か入っている。


+++++



 もずくが減っていることを訝しがった母に、兄はきれいな笑顔で『アガリがもずく大好きだからみんな食っちゃったんだよ』とさらりと言った。アガリは心の中で一生懸命『嘘ですよー!』と叫んだ。聞こえるはずがないということは承知の上で。母は少し困ったような顔で『そうなの?』と尋ねて、仕方なく無言でうなずくアガリに、ふっと本当におかしそうに笑った。『じゃあ、しょうがないな』と言って笑う、その笑顔に、本当に感謝する。
 長年こんな笑顔は家庭になかった。男ふたりだけの寂しい家庭に、よく来てくれたと思う。それまで、こんな安らぎは家になかった。父と結婚してくれて、自分に兄ができて、また弟ができた。幸せだと思う。この人が母になってくれてよかった。

 ころころと笑う、この人でよかった。



(おわり)
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