母の日。
「まあ、確かに、センスない贈り物だとは思うけど。100本の花束なんてねぇ……」
その言葉に顔を上げて目を開けたアガリを、『ねぇ?』と低い声が襲う。
「母さん大喜びでやがりますよ。僕の贈り物なんてどうせね、数でも勝てないにせものの動物だから。あんなの何個も贈ったってねぇ…… そりゃそーだよなっ! くっそー!」
興奮して声が高くなっていく。アガリは首をすくめてぼそりと言った。
「あの犬、可愛くていいと思った。俺がもらいたいくらいだよ」
なぜ知っているという訝しげな視線を受けて、玄関のほうに顔を向ける。
「さっき、お母さんが……俺に自慢したんだ、大喜びで」
「あっそう」
素っ気無い返事の中に、微かに嬉しそうな響がある。顔を背ける寸前の顔は、確かに口元が緩んでいた。『もずく除去作業』に戻る背中もはずんでいる。
(……今だ!)
兄の機嫌が直った今がチャンスだ。このときを逃してはならない。今しかない。
アガリはユイイチの背中に狙いをつけた。
「兄貴……これ」
背中に隠していたピンクのカーネーションをそっと前に出した。
振り向いたユイイチは、目を大きく見開き、カーネーションをじっと見つめた。視線はそこから、それを握るアガリの手に移り、最終的にアガリの顔に注がれた。
「ガリ、おまえ……」
まじまじとアガリを見る。その瞳が、ふっと切なく細められた。
「おまえ……」
ユイイチの手がおたまを放し、アガリのほうにゆっくりとのびる。
アガリはカーネーションを差し出したままのポーズで待った。
ユイイチの震える手はついにアガリの……手に持った花を通り過ぎ、シャツの胸元をつかんだ。
「……おまええぇ……」
細められた目がきつくアガリをにらむ。
ユイイチが恐ろしい鬼の形相を近づけ、カッと目を見開いてわめいた。
「それで101本の犬ちゃんでも作ろうってのかーっ!」
(ええーっ?)
予想外の反応に戸惑う。兄の発言の意味がわかるまで数秒を要した。
(なるほど、お母さんに贈った100本と合わせて101……)
のんきに考えている場合ではない。ユイイチが詰め寄る。
「どーっしても勝ちたいか、ええ!? 人を踏みつけにして立ちたいのか! サドか、おまえはーっ!」
「兄貴、落ち着いてくれ……」
目で振り上げられた手にある皿を見つつ……振り下ろされたら避けられるように ……なだめる。
「俺は勝ちたいなんて思っちゃいないし……勝てるわけでもないし…… サドでもないぞ」
「じゃあなんでそんなもの持ってるんだよ!」
「こっ、これは兄貴に……」
おそるおそる言うと、ユイイチの動きがぴたりと止まる。やがて、しぶしぶといった様子で、アガリの襟を放した。アガリはほっとして息を吐く。とたん、背を向けていたユイイチが再びバッと振り向く。
「じゃ何かっ? おまえはオレのこと母親だと思ってんのっ? 女だと思ってんのか!」
「落ち着けって、兄貴。『オレ』になってるぞ。戻すんだろ?」
「うう、あ……」
口をぱくぱくさせて、ユイイチは深刻な顔で黙りこむ。今まで周りから馬鹿にされるからなどの理由で『僕』を『俺』に変えようとしていたが、最近それをやめたのだ。だが、ちょっとしたときに出るらしい。ほとんど別人格だ。冷静に戻るだろうとふんで指摘したアガリは、案の定おとなしくなった兄の肩に片手を置き、低い声で、真剣に話す。
「母親だなんて思ってない。そうじゃなくて、俺はただ、兄貴がよくキワムの面倒をみてるから……」
うつむいていたユイイチが目をあげてチラとにらむ。
「『キワムの母親』だって?」
「そんなことは言ってない」
すねるように言われたそれをきっぱりと否定する。
「違う。そうじゃなくて、よく面倒をみてるから……お母さんがもらうものなら、兄貴にももらう権利があると……」
もう一度差し出す……というより手に押し付ける……と、アガリにはわからないことに、何故かユイイチがしかめっ面になった。うんざりという様子の大きなため息を吐き、首を傾けた兄が、言いにくそうに、それでもはっきりと言う。
(つづく)