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母の日。





(俺はツボじゃないっ)
 アガリはじろじろと見られて冷や汗をかく。
 母は手を頬に当て、首を傾げて、別の誰かに許可を求めるようにおろおろと周囲を見回した。
「い、いいのかしら……」
 困惑げなのもわかる。
 実はアガリが言った『二階の物置』とは最初は父の父…… アガリの祖父……が趣味で集めた骨董品などを飾る部屋だったのだが、祖父の死後は、父が会社関連でもらったものやアガリがもらった記念品やそんなものが無造作に積み上げられていて、父子で『物置』と呼んでいた。高いものがないわけではない。むしろ高いもののほうが多い。だが……。
「いいんです。置いていたって役に立ちませんから」
 アガリはきっぱりと言った。
「中には安い花瓶もあったはずです。適当に選んでください。
本当に使ってはいけないものなら俺が言います」
「そう? でも割っちゃったら大変だし……」
 その様子から、遠慮しているらしい、と見てとる。しかし、もちろん母は家族の一員なわけで、彼女のものでもあるのだ。部屋のひとつに置いてある品物に何かあっても、それは教えていない父が悪い。父親もアガリと同じで、人の思い出はあれど、物自体がそれ以上に大事なものだとは思っていない。もちろん値段などは。
「大丈夫です、俺が責任取りますから」
 アガリは再びはっきりと言い切った。壊しても、母が責められるとは思えない。父親だって自分が悪いと言うだろう。
だから、アガリはたんに母親に安心してもらうためにそう言った。言ったことはもちろん守るつもりがあるけれども。
 それを、『それほどに安物だ』という安全の保証ととったらしく、ためらっていた母親はほっと息を吐き、アガリの横を通る。
「そう? じゃ……探してくるね」
 そうとなったら楽しいのか、はずむような足取りで部屋を出ていく。
 結構なことだ、と背中を見送りながらアガリは思う。切り替えが早くて実にいい。さっぱりした人だ。
 実は安物が母の思う安物とは少しずれていることを知っている。スーパーで千円の世界ではない。だが、余計なことは言わないほうがいい。
 アガリも心配などせず……高いツボも使わずにしまわれているよりは、使って壊れたほうがいい……すぐに兄のユイイチのほうを見る。
 すでにアガリには背を向けて、鍋を見ている。忙しそうに火を止めて、左手に皿を取り、右手におたまを持ち、鍋の中身をすくって、ごくりと飲む、豪快に。
 その背中が発するものなどは気にせず、アガリはすたすたと兄に近づいた。
「ただいま」
「……」
 皿の中身をあおっていたユイイチは無言だ。目線も寄越さない。これはもう、完全に無視だ。拒絶だ。気のせいではなく、何か怒っているのだ、そうに違いない。そう思う。
 だが、アガリはめげずにぐっと顔を近づけて言った。
「飲みすぎじゃねぇか」
 鍋の中身のことだ。ユイイチの手にある皿にはスープのごとくみそ汁が注がれていた。どう考えても味見には多い。
 ユイイチは無言でつんと顔を上向ける。アガリはそれでも言った。
「腹がいっぱいになるぞ」
 量が増えてしまった分、減らそうというのだろうか。確かにせっかく作ったみそ汁が残れば母が悲しむだろうが、それはアガリだってわかっているのでおかわりするつもりがある。たとえ少々味が慣れていないものであろうとも。苦手なものでない限りは。
 そこで、ふと『中身はなんだろうか』と思い、興味を持ち、鍋に目を落とした。ユイイチを押しのけるようにして覗きこむ。すると、通常『みそ汁』では見かけない物体が入っていた。
「なんだ、この……ん? なんだ、これ。兄貴……」
 どこか地方の特別な料理だろうか、と不思議に思う。物の正体もアガリにはわからないが。
 すると、ようやくユイイチがアガリのほうを向いた。まるで『待ってました』といわんばかりに輝く笑顔でさっと振り返る。そしてさわやかに言った。
「あー、これな、『もずく』って言うんだよー?」
「……もずく」
「うん、そう、も・ず・く」
 笑みを引っ込め、真顔でユイイチが繰り返す。アガリはショックにしばし呆然とした。ユイイチは、再びおたまで上のほうに浮いたもずくをすくい取り、皿に移して、それを飲み干した。その行動を見ていたアガリは、ふと我に返って尋ねた。
「もずく、って……あの『もずく』か?」
「そう……その、もずく酢のもずく。ってか、もろ『もずく酢』。今、除去作業中」
「もずく酢……」
 もずく酢入りのみそ汁。それは初めて聞いた。
 アガリは、うまいのだろうか、と疑問に思う。とにかく単純に『うまいならいい』。それでいい。だが、その内心を察してか、ユイイチが首を横に振る。残念そうな顔で。



(つづく)
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