母の日。
「こーれっ! ちゃーんと届いたわよォ! どうもありがとうー!」
前かがみになって抱えた花を全部見せようとする。嬉しそうににこにこ笑って。
「100本もくれるなんて! こんなのわたし初めて! すごいわね! すごい迫力!」
「ああ……」
目が、母親の顔から、花から、その下に移る。
(あああ……)
エプロンが濡れる。めずらしく料理を作っていたらしく、白いエプロンをつけている。カーネーションは水につけてあったらしく、茎の部分が当たったそこが透き通っている。
下に服を着ているので……当たり前だが……どきどきするような要素はない。だが、やはり気になる。スカートも濡れるはず。それに床も。
だが、母はまったく気にしていない様子で、顔を花束に近づける。
「きれいねえ……」
ほう、とため息を吐く。
どうやら、アガリの思っていたよりも喜んでくれたようだ。こちらは安堵のため息を吐く、こっそりと。
滴る水はあえて見なかったことにして、アガリは背筋をのばし、母親に向き合う。血がつながっていない母だけれども。
まだ『母の日』らしいことを何も口にしていない。プレゼントを贈るだけで済ませられない。それも、自分が贈ったのは、ただの花束なのだ。気持ちを伝えねば。
言葉を選びつつ、ためらい勝ちに口を開く。
「あの、喜んでくれたなら……」
「嬉しいに決まってるわよォ!」
すべて言う前にはずんだ声に遮られる。母は、『何を言うの』とばかり、笑顔でアガリの肩を軽く突つき、ふふふと笑う。それがあまりにも自然に『乙女』していて。
(『母の日の贈り物』だとわかってもらえているか……?)
なんだか不安になる。そんな『若い男にプレゼントを贈られた小娘』のような様子をされては。
反応を勝手にそう見ているだけだが、自然と顔が赤くなる。もう高校生で中学のときには付き合った女の子もいて今さらだが、女性に花を贈ったことがとても恥ずかしい。キザだと思われてやしないだろうか。
(立場的に……どうとられているか……)
わざと怒ったように引き結んでいた口を再び開き、素っ気無く言う。
「そうですか?」
「そうですよ?」
笑いを抑えた真顔と真剣を装った声で真似して返される。
瞳がいたずらっこの輝きを持っている。
(血だ……)
アガリは呆然とする。からかい方が兄と同じなのだ。
それにしても、なんだか『母の日の贈り物』だと今さら言いにくい。バレンタインに贈られたチョコレートが義理だと言われるとショックを受けるような、そんな気まずさがある。兄のようにカードに託してしまえばよかったのだ。いや、兄は口でも言ったのだろう、そういう言葉を照れずに言える人間だ。だが、アガリは違う。
まだ口に出すべきかどうかを迷っているアガリに、母親は顔を無理に澄ました真顔から自然な笑顔に戻り、花束を片方の腕に乗せて、ある方向を指差した。
「そうそう、そのワンちゃんはユイちゃんからもらったのよ。ユイちゃん、来てるの」
ユイちゃん……兄のユイイチ。やはり、いるのだ。嬉しい。
アガリの気持ちが表に出ていたらこういう顔という満面の笑みで母が誇らしげに言う。
「どうお? それ、可愛いでしょー?」
「はい」
きっぱりと言う。こっくんとうなずく。文句なしだ。
花束を抱き直した母は、笑顔を小さくして少しの間アガリを眺めてから、首を傾げて言った。
「……アガリ君がこんなお祝いくれるとは思わなかった」
「……」
うるうるした目をまぶしそうに細め、感激した様子で見つめられ、アガリはかたまる。
確かに『母の日』を兄に任せきっていた。しかし、別に、母と認めていないとか、嫌いとか、そういう理由からではない。決してない。
「あ……いや、俺はその」
慌てて口を開くと、それ以上にあたふたして、母がぶんぶんと首を横に振る。
「あっ、こんな言い方してごめんなさいねっ。いつもプレゼントくれたものね? ただ、ほら、今までユイちゃんが中心だったから……そのう……なんだか驚いちゃって。とにかく、今年はプレゼントがたくさんあって嬉しいわ。きっとキワムが運んできてくれるのね!」
「ああ、まあ、その……それも含めて、です」
「あら、そうなの!」
母は目を輝かせて花束を抱きしめる。
「きーちゃんの分も入ってるのね! アガリ君、やさしいーっ」
(……いや、違う)
キワム……ただいま一歳と少しの弟。
出産祝いを渡せなかったから……と言う必要があるだろうか。再婚した父と母の間にこどもができて、『弟』ができたから、自分にも祝う権利ができたのだと、遠慮なく『母』と呼べるのだと思ったと、そういうことを説明したほうがいいだろうか。今までの分も含めて、詫びも含めて……そういう『いろいろ』があっての今回なのだが。
母はにこにこしている。
アガリの心は、母が嬉しいならいい、結局そこに落ち着いた。
うまく笑い返すことができないので……きれいな笑顔など作れない……アガリは力強くうなずいて肯定してみせた。
母は再び『ありがとう』をアガリに浴びせてから、くるりと背を向けた。
「じゃあ、わたし、戻るわね。お台所、ユイちゃんに任せてきちゃったの」
後半は気がかりそうに言う。
どうやら毎年のように記念日の『おふくろの味』を作るらしい。
ユイイチの腕を心配しているのではなく、あくまで自分が申し訳ないという様子だったが。
(……任せていていいのでは?)
内心で思うけれど言わない。
「はい」
棒立ちで真面目に返事をする。
スリッパの音を響かせて小走りに台所に向かう母の後ろを、着替えも荷物を置きさえもせず、背中に一本のカーネーションを隠してアガリはついていく。
兄が来ているのだ。
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(つづく)