母の日。
赤、ピンク、濃いピンク、淡いピンク、黄色、白、緑、ワインレッド、縁だけピンクの淡い黄色、淡い黄色……
アガリはずらりと並んだ花の入ったバケツを端から端まで眺める。
それは美人コンテストにも似て、誰かが自分を選ぶことをこっそり期待して、花たちは澄ました笑顔で並んでいた。
「ひゅえーっ、みんな高いなァ、おい」
変な声をあげたのは、隣の須田だ。半ば感心して、半ばあきれた様子で、バケツの中の値札に手をのばす。
「ひとつ300円ってマジ?」
尋ねるという感じではなかったが、横にいたアガリは真面目に答えた。
「そんなもんだろ」
「そうかァ?」
須田は苦い顔をして、アガリを含む通行人の群れから一歩後ろに下がり、首を振る。
「や、俺、ぜってー無理。んな金ねーもんよ」
それでも、駅の人の流れに巻き込まれそうになり、押されるようにして花屋前の群れに戻る。
何を言ってるんだ。なんのためのアルバイトだ、大学3年生。
……同年だが。
アガリは容赦なく冷たい目と言葉を投げた。
「酒代あてりゃいーだろ」
「ええーっ、マジ勘弁!」
アガリを拝み倒す須田から視線を花に戻す。
花に比べて、なんと見苦しい男なんだ、こいつは。
そんなことを思う。
「一日くらい飲まずにいたほうが、おまえの体のためにもなる」
まさに『母の日』らしい。
「シノハラ冷てー」
吐き捨てると須田の泣きが入る。もちろん本気ではない。
それを無視して、アガリはもう一度バケツに束になって入っている花を見比べる。やはり、赤やピンクが人気があるようだ。
人の流れを狙って前に出されたバケツの中身はどれもカーネーション。
アガリたち以外にも、改札から出てきた人々が、色とりどりのこの日の花に気づいて群れに加わる。気を抜くとはじき飛ばされてしまいそうだ。アガリ本人が思うほどそれは容易なことではないのだが。意地でも退くまい、決まるまでは。 ……と、さらに足を踏ん張り、微動だにせず、その場所を確保する。なにしろ……
「買うの、シノハラ?」
その熱心さに気づいたのだろう、アガリの見物に付き合わされていた須田がほんの少しのあざけりをこめて言う。
「ああ」
その『あざけり』の部分は気にせずにアガリは正直に……しかし素っ気なく…… 答える。
須田の皮肉げな態度は今に始まったことではない。恥ずかしいからだということが、性格の似ているアガリにはもうわかっている。高校からの付き合いだし。相手によっては自分もとる態度なのだから。
その素直な返事に、毒気がとれたのか、須田がきょとんとして首をひねる。
「でも、おまえのおふくろさんって、確か……」
「……ああ……」
何が言いたいかわかり、その通りだとうなずく。
自分の本当の母親はこどもの頃に出ていった。新しくアガリの母親になった相手には、事情が事情であり、状況が状況であり、『母の日』を『母の日』らしく祝うことはできなかった。なにしろアガリと血のつながりはないし、血のつながる息子のいる相手だし、一応『新婚』で夫になったばかりの相手のいる身だし、わりに若いし。
……アガリは実に悩んだものだ。だが、その母親の実の息子であり、アガリの『兄』になったユイイチは、「向こうも同じ気持ちだよ、きっと」という一言でそこから生じるいろいろな重たいものからアガリを解放してくれた。
それで、今まではそれほど何かしようとしなかったのだ。
放っておいても実の息子がお祝いをするのだし、自分はお付き合いでケーキを食べるくらい。兄の渡すプレゼントに乗っけて花を一本渡すくらい。
もう何年も経っているのだが、きっかけがなかった。しかし、去年からは大手を振ってお祝いできる理由があるのだ。
ずっとやりたかったことを、今年ならできる。少し準備が必要だったのだ。そして、それに関して抜かりはない。
そう、とうに『お母さん用』なら一人分準備してある。
……だから、これは違うのだ。
「まあ……」
また中途半端につぶやいて、目の前の花をじろっとにらむ。
自分も赤かピンクにするべきか。しかし、それらしいので緑も捨てがたい。好きな色は何色だったか。しかし、場合が場合だからわかりやすいほうがいいか。スプレーのほうがいいか。いや、それではまずいか。
横の須田の『早くしてくれよォー!』という声にも動じず……熟考の末……といってもそれほど時間はかかっていない……、アガリはピンクのカーネーションを選んだ。
「よしっ!」
一本抜き出し、勇んでレジに向かう。
不機嫌面をした須田を残して。
「あれだけ悩んだのにたったの一本かよ……」
その通り。背後の声に心の中でうなずく。
しかし、それにはわけがあるのだ。
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(つづく)