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魔法のえほん。





「全部じゃないのか?」
「え?」
 きょとんとしているユイイチにずいと顔を近づける。
「見てたんだろ、兄貴。全部知ってるんじゃないのか?」
「……えーっと」
 ぽかんとしてアガリを見つめ返したユイイチが、顔を上向け、首を傾げる。
「んー……ほとんど知ってるよ。でも、最後のいっこは僕も知らないんだよなぁ」
「なんでっ?」
 ユイイチの眉が上がり下がり、最終的に眉を上げたおどけた顔で、唇をとがらせて言った。
「だって秘密だから」
 キワムが自分に見せたがらない理由はそれではないかと、答えを期待していたアガリは、『秘密』と言われてがっかりした。とたんに焦りと怒りともどかしさでどうにかなってしまいそうな気持ちになり、兄に詰め寄った。
「教えてくれたって……」
「ああ、違う違う」
 これまた慌てた様子で手で遮ったユイイチは、ビールを握りしめてアガリに向き合い、低い声でゆっくりと説明した。
「そうじゃなくって、最後のひとつはね、秘密なんだ。『秘密のお願い事』なんだよ。誰にも教えちゃいけないんだ。そう書いてあんの。それはね、自分でかなえる願い事なんだよ。少しかなうのが遅くなるかもしれないけれど、でも一番の願い事、それを描きましょう……ってね。魔法の最終試験ってところかな」
 アガリは目を見開いてユイイチを見つめる。ハッとして、ほとんどくっつくかというくらいに近づけていた顔をゆっくり離して、スッと息を吸い込み、ゆっくり吐いた。
 ユイイチはまたきょとんとしていた。
「そうだよ」
 こくんとうなずき、明るい顔をして、アガリに微笑む。
「まあ、プレゼントだからね。自分にもプレゼント。未来の自分にもね。かなわなくたっていいんだよ。そういう気持ちを持っていたことを忘れずに、生きていけたらね」
 やさしい声でそう話す。
 なんとなくすっきりしない気持ちで、兄と目を合わさないようにうつむき加減のまま、アガリはぼそぼそと言う。
「じゃ、それじゃないか、俺に見せたくない理由って」
「ンー。かもしんないんなー」
 否定するかと思いきや、ユイイチはのんびりと言った。
「『秘密』ってことにこだわってるのかもしれない。でも、僕は見れたけど」
「最後もか」
 詰め寄ると、ユイイチはビールの缶をふりふり、しばらく考えこんだ様子で、やがてビールを一口飲むと、言い訳めいた口振りで言った。
「いや……そりゃあ、だって秘密だからね。見るようなことはしませんよ。説明書にもそう書いてあるんだ。信頼をぶち壊しにするようなことはしないように。あー……」
 頭を殴られたかのようにアガリは衝撃を受けて前のめりに倒れかける。それに気付いたユイイチが早口で続ける。「ああ、ほら、おまえは知らないんだからさ。きーちゃんの信頼がないとかじゃないよ。仕方のないことだよ、知らなかったらなにげなく見ちゃうかもしれないじゃん。きっとそれが怖かったんじゃないかな。おまえがどうとかじゃないよ、きっと!  ……うん、たぶん」
「……」
 キワムは自分が秘密になっているところまで見てしまうと思って警戒しているのだ、そう思うと、アガリはやり切れない気持ちになった。信頼を築く努力が足りなかったのだとは思う。それにしたって……とも思う。 隣のユイイチの腕をがしっとつかみ、きょとんとしているその顔を見つめて、頼み込む。
「言ってやってくれないか、俺は見られたくないところは見ないからって」
「きーちゃんに?」
 こくこくとうなずく。自分の信用問題だが、信用されているユイイチがそう言えば、とりあえずわかってくれるのではないか。信用は即席で築かれるものではないけれど、何より今そういうふうに思われていることが耐え難い。家族なのに。
 だが、ユイイチは露骨に嫌そうな顔をした。
「って言ってもなー。今、きーちゃん寝てんだよ? それに……僕、明日帰るんだし」
「じゃあ、なんか言うだけでもいいんだ。俺はそんなの知らなかったからって……」
「なあ、ガリ君や」
 ぐっと肩をつかまれる。ふざけた口調だが、そして顔には笑みを浮かべているが、目は真剣だ。その冗談を言うような調子で、兄は軽く言った。
「あのね、きーちゃんの願い事のひとつは、もっとおまえにも遊んでもらうことだってさ」
 アガリをじっと見つめて言って、目をぱちぱちとさせ、眉をあげて『どう?』と尋ねる。
「それでいいんじゃないの?」
「あ……」
 アガリはゆっくりとユイイチの腕を放し、呆然と立つ。楽しそうに笑っていたキワムの顔が頭に浮かぶ。うなだれて、それを思う。
 願いのひとつを、兄である自分に『もっと遊んでもらうこと』と描いたというキワム。嫌われているわけではなかったのだ。それどころか、遊んでほしいと思っていたらしい。自分は義務感で、……むしろ競争のような気持ちで、相手をしたというのに。そのうえ、『見せたくない』というキワムの気持ちを無視して、なんとか本を盗み見ようとした。それが相手を喜ばせることにつながると勝手に思い込んで。願いは『遊んでもらうこと』だというのに。嬉しい気持ちと同時に、申し訳なさで胸が痛む。恥ずかしい。自己嫌悪。顔もあげられない。
 ……それでも、いまだ肩に置かれたままの手が温かい。
 『カン!』という高い音がして、空になったらしいビールが流し台に置かれる。次にポンと肩に乗ったもう片方の手に、アガリは顔をあげて兄を見る。
 ユイイチが首を傾げてにっこりと微笑みかけていた。
「きーちゃん、楽しかったってよ。よかったじゃん」
 なんとなくホッとして、緩んだ口元を見られるのが恥ずかしく、うつむく。
(……あ!)
 不意にあることに気が付き、ぱっと顔をあげてユイイチを、今度はまじまじと見る。
 『ん?』とにこにこしているユイイチ。
 『魔法がつかえる』と願いを本に描かせ、それをプレゼントした人がこっそり叶えることでこどもの夢を見る力をつけようと、それを狙って作られた本、を作った者。そのユイイチは、今日はカレーライスが食べたいというキワムの願いをかなえ、そして自分も相手をしてほしくて膝枕と言ったアガリに、『キワムと遊んでやれ』と言った。
(もしかして、知らないうちに協力させられていた……?)
 そう気付くと、目が据わる。手に自然と力が入り、その中のペットボトルが『べコッ』と音を立てる。なんとなく悔しい。
「はかったな……」
「……そう言われると」
 不機嫌な低い声にもユイイチは怯んだ様子を見せず、にんまりとして楽しそうに言う。
「気分いいなあ」
「この野郎……」
 ぽんぽんと二回なだめるように肩を叩かれた。そしてユイイチは両手をぱっとあげると、くるりと流し台のほうを向いて、鼻歌を歌いながらビール缶の中に水を流し込んで洗う。そしておしまいにガシャンッと潰した。
 アガリはむすっとして口を閉じ、それをじっと見ていたが、缶を専用の袋に入れて去ろうとしている兄に、今さら抗議しても……と、苦笑してペットボトルを持ち上げる。
(そういえば、膝枕……)
 ふと思い出して、さっさと自分の部屋に行こうとしているユイイチを呼び止める。
「おい……膝枕は?」
 足を止めて振り向いたユイイチは、うんざりとしたしかめ面で、嫌そうに言った。
「カノジョにでもしてもらえよー」
「言えるか。すごいエッチみたいじゃないか、俺が」
「エッチじゃないか」
 わざとらしくきょとんとして言って、ユイイチは怒ったふりで手を振り上げるアガリに『怖い怖い』と首をすくめ、『アハハッ……』と明るい笑い声を残して去っていく。
 アガリはそれを見送った。


+++++



(つづく)
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