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魔法のえほん。





 スッ……と扉を開けて、ユイイチが忍び足で部屋から出てくる。扉に向き直り、できる限り音を立てないようにそっと扉を閉めている。中の様子を注意深く窺いながら。
 カチャッ……という小さな音が扉がしまったことを教えた。
「寝たか?」
 待ちわびていたアガリが後ろから声をかけると、ユイイチがびくっとはねた。
「うわっ」
 声を上げてバッと振り向く兄に、唇に人差し指をあて、『しーっ』と示すと、ギッとにらまれる。
「お・ま・え・こ・そ!」
 その目には、よほどびっくりしたのか、涙が見える。
「驚かすなよ……」
「悪い」
 ふうっと息を吐いて、ユイイチは歩き出す。アガリはその後ろをついて歩いた。兄の足は台所に向かっている。
「ああびっくりした。キワム? 寝たと思うけど、なんで? おまえ待ってたの、もしかして」
「ああ……あの本を見ようと思って」
 真っ直ぐ冷蔵庫に向かった足は、その前で止まった。アガリを振り向き、からかうように言う。
「こっそりー? やーらしーっ」
 ニヤニヤ笑いは冷蔵庫に向けられて消えた。次にあらわれたときには、その手にビールがあった。
 アガリはむすっとして言う。
「しょうがないだろ、頼んだって見せてくれないんだから」
「そうだよな。なんでだろうねー」
 きょとんとして返される。
「俺が聞きたい」
 アガリは手を突き出してひらひらと振った。その手にスポーツドリンクが乗る。ユイイチが出してくれたのだ。家でアガリしか飲まない物なので当たり前だが、それを当然のように出してくれたことが、わかってくれているようで嬉しい。満足してペットボトルを握る。
 バタンッ、プシュッ、キュッ。
 冷蔵庫の扉を閉め、ユイイチはビール、アガリはスポーツドリンクを開ける。そして、ふたり、流し台に背をつけて並んだ。
「兄貴、何が書いてあるか知ってるんだろ? 俺が見ちゃまずいようなことでも描いて……その……」
 もしかして『嫌いな人』とか、という言葉を、ごくんと飲み込む。
「えー?」
 ごくごくとうまそうにビールを喉に流し込み、ユイイチは首を傾ける。
「そんな覚えないけど。単純に恥ずかしいとかじゃないの? あの子、恥ずかしがり屋さんだしー」
 どうでもよさそうな答えだ。
 でも、もとはといえば、ユイイチの作品だ。説明と違うようでは問題がないだろうか。
「商品に欠陥があるぞ」
「あっ、ムカッ」
 振り向いたユイイチが憎らしい笑みを見せる。
「おまえは対象外。あの絵本をあげたのはオーレー」
「……」
 親指で自分の胸をさしている兄から目を逸らす。『へっ』と舌を出して威張られても。
(そうか……対象外か……)
 『この本をあげた人がかなえてあげてください』、確かに、ユイイチはそういうようなことを言っていた。
(俺は遊んでいるところを見てさえいなかったもんな……)
 確かに、自分にはその資格がないと言えるかもしれない。いっそ今回はあきらめて、改めて兄の絵本をプレゼントして、それで…… という手もあるにはあるのだ。
 アガリが気付くと、いつのまにか意地悪そうな顔をやめて、ユイイチが顔を覗きこんでいる。
「気になる?」
「んー、ああ、まあ……」
「見てたからわかるよ、全部じゃないけど。いくつか教えてあげよっか?」
 やさしくそう言われても、『それじゃお願いします』というわけにはいかない。兄に甘えすぎている。自分だって『兄』としてキワムの願いをかなえたいと思っているのだから。それでは自分の気がすまない。単なる悪あがきだが、せめて……。
「……いや、いよいよどうしようもなかったら、頼む」
 『真面目だねー』とふざけた調子で言っている兄の声を遠くに、考えに沈んだアガリは、ふと妙なひっかかりを覚えた。
(……ん?)
 先ほどの兄の言葉の中に、思っていたことと違う部分がある。



(つづく)
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