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魔法のえほん。





 ガチャッ。
 急に部屋の扉が開いて、ユイイチが顔を覗かせた。
 ユイイチは明るい顔でさっと室内を一瞥し、ベッドの上で膝を抱えて丸くなっているアガリとキワムを見つけると、目を丸くしてふたりを眺め、やがて首を傾げて言った。
「……何してんの?」
 ぽかんとした兄の顔を眺めて、アガリは苦々しく思う。
(おまえ、ノックを知らないのか……?)
 ゆっくりと膝を抱えていた手を外した。見られたことがとても恥ずかしい。だが、横でキワムが『あっ』と悲しげな顔をしたのを見て、アガリはまた膝を抱え直す。
 キワムが嬉しそうにユイイチに向けて声を張り上げる。
「お兄ちゃんとおでんゴッコしてるのー!」
 ユイイチは、扉をあけたときと同じくらいの無遠慮さで部屋に入って、近づいてくる。
「そう、お兄ちゃんに遊んでもらってたのー、いいねー」
 キワムにはにこにこと笑い、アガリに対してはにまにまと笑って、ユイイチが返す。
(見りゃわかるだろ)
 アガリはむすっとして目を逸らす。
「僕もまざろうかなー」
 へらっと笑って何やら照れた様子を装いながらユイイチが続ける。
 キワムは膝を抱えたまま、いそいそとベッドに隙間を作ろうとアガリのほうに寄ってくる。アガリは慌てて一緒に横に移動した。
 キワムがユイイチを見上げてせがむ。
「ゆっちも入って! ぼく、たまごー!」
「おいしそうな卵だ、食べちゃうぞー!」
 空いたスペースから入って後ろに回ったユイイチが、膝を抱えたキワムにがばっと覆い被さった。
(おおっ?)
 予想外の兄の行動にアガリはぎょっとする。
 だが、見た目の勢いとは違い、ユイイチはキワムをゆるく抱きしめていただけらしく、その腕の中から『きゃっきゃっ』と笑い声が聞こえる。
「食べちゃうぞー!」
「いいよ、たべてー」
 たどたどしくキワムが返す。
「えっ」
 ユイイチがぎょっとする。そう言われるとは思っていなかったのだろう。返事に詰まり、動きが止まる。
 それを見て、先ほど驚かされた(勝手に)アガリは、心の中でひそかに笑う。意地悪に。
(……ふっふっふ)
 どれほど笑っていても、顔はちっとも変わっていないのだが。
 無垢なこどもの言葉には驚かされるばかりだ。
(どうするんだ、兄貴……)
 興味深く見ていると、すぐに我に返ったユイイチは、真面目な顔をして、手を合わせて、頭を下げた。
「……では、いただきます!」
 ユイイチが大きく口を開け、もう何度目か、アガリはぎょっとした。ユイイチはその大きく開いた口で……キワムに食いつく真似をした。
「ばくばくばくばくっ」
 口で言いながら、手でキワムのあちこちを触る。きゃーきゃー言いながら、キワムが暴れる。くすぐったさが勝ったらしい。すぐに降参した。
「きーちゃんはもうないよ! 食べられちゃったからもうないもーんっ」
 必死に訴える。
(……どういうことだ、それは)
 どうやら、こどもにはこどもの国の法律があるらしい。その法律のきく範囲にいるらしい……ユイイチはさっとその手を放した。
「よーしっ、じゃあ、次はガリだ!」
 『なにっ?』とアガリが驚いて身を強張らせた瞬間、ユイイチが襲い掛かった。体に腕を回し、頭の上で口を開けたり閉めたり。避けるヒマもない。
「ばくばくばくーっ」
(……これは)
 その動きで体が揺れる。
(……これで)
 いいかもしれない、とひそかに思う。安心する。膝を抱えているせいで、全身が包まれている。温かい。兄の腕が自分を包んでいる。恥ずかしさも何も今はない。ただ、温かい。
(こどもに戻ったってこういうことなんだな……)
 温もりをじっくりと味わう、そんなアガリの耳に、残念そうなキワムの声が届く。
「あーあ、お兄ちゃん、食べられちゃった!」
(……うっ……)
 食べられてはいけなかったのだろうかと、アガリはハッとする。しかし、『逃げる』といっても、卵のまねをしているのでは限界があるし。
(いや、待てよ。転がるという手はあるな……)
 膝を抱えたままごろごろと転がり退場。自分にその能力があるかどうか。その案をアガリは真剣に考え始めた。
 もう自分の番は終わっていることは忘れて。
 アガリが気付けば、いつのまにかユイイチは離れていて、そのユイイチに向かってキワムが人差し指を突きつけ、こう言っていた。
「じゃあ、こんどはゆっちがおでんーっ!」
「ええーっ」
 ユイイチが顔をしかめる。
(嫌ならやらなくても……)
 止めようとしたアガリだが、ユイイチは『あの声はいったいなんだったのか』と言いたくなるくらい、あっさりと膝を抱えて丸くなっている。
「ぐーつ、ぐーつ、ぐーつ」
 それは、その遊びを知ったものの、それだった。
(おまえのしわざかーっ!)
 弟に食いつかれ……抱きしめられ……ている兄を見て思う。


+++++



(つづく)
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