魔法のえほん。
自分も兄である。
再婚のこどもとはいえ、片方は血が同じだ。いや、再婚云々は関係なく、同じ父と母のこどもであるなら、兄弟だ。キワムは自分の弟だ。そして自分は『兄』だ。これは間違いない。
……というわけで、何かせねばなるまい。
アガリは兄弟三人揃っての夕食後、決意を胸にキワムの部屋へと廊下を歩いていた。
キワムのために何かしてやろう、と。
ユイイチの『けど……』はそれだ。オレがやるならおまえもやれよ、だ。当然のことだ。
キワムのことをユイイチに任せすぎている。家の連中は……などというとユイイチを除外しているようで申し訳ないが、単純に『同じ屋根の下で暮している連中』は ……キワムを放っておきがちだ。父親は忙しいし、母親もそれなりに忙しいし、家政婦(他)は仕事があって家に来るのだし。ベビーシッターがいるが、決まった時間しか見ないわけだし。お絵描きなどのひとり遊びが好きな内気な子で助かっているが、自然が好きなので外にもよく遊びに行くが、とにかくのんびりしているわりに意外としっかりしていて、ひとりで平気で、ものも欲しがらないし、手がかからない。かといって、先ほどの会話の後では、放っておく気にもなれない。
「キワムー」
こんこんとドアをノックして、返事を待たずに即ガチャリと開ける。ユイイチには『おまえ、ノックの意味わかってんのか』と言われる行動だ。
部屋の真ん中で積み木を広げていたキワムが顔をあげてきょとんとしてアガリを見る。
「一緒に遊ぶぞ」
その一言で、キワムの顔がパァッと明るくなる。積み木を膝からすべり落として立ち上がった。
「ほんとっ?」
「ああ、本当だ」
タタタッとアガリのところに駆け寄り、キワムはギュッと両腕でアガリの足を抱きしめて、ぴたっとくっついて、嬉しそうに笑う。
「えへへ……」
足に頭をこすりつけるキワムを見下ろし、アガリは胸の痛みを覚える。逃がすまいというようにしがみつかれているのは、それほどアガリが遊んであげたことがないからだ。横で見ていることはあっても。
責められているわけではない。自分がやましいから胸が痛んで、苦しくなっている。
(もっと早くにこうすれば……)
キワムの頭に手をおいて、そっと撫でる。
「よしよし、何して遊ぶ? なんでもいいぞ」
「じゃあねー、おでんゴッコ!」
「ああ……何……?」
顔が凍りつく。
(おでんゴッコ……?)
そんな遊びをしたことがない。
アガリは迷った末、ことわざを信じることにした。『聞くは一時の恥』。
覚悟を決めて、真剣に問う。
「『おでんゴッコ』ってなんだ?」
キワムはにこにこして答えた。
「みんなおでんになるんだよ。ぼく、たまご」
アガリは平静な顔で、内心あたふたとする。ここまで聞いてもわからない。
(みんながおでんになる……?)
まごついて、人差し指を自分に向け、首を傾げてみせた。
「……俺は?」
「お兄ちゃんの好きなの!」
頭が真っ白になったアガリは、ひっくり返りそうな声を押さえ、静かに聞く。
「おでんの具で、か?」
「そう!」
キワムはあきれたようにぷいっとそっぽを向いてベッドに行ってしまう。
それでまた慌てたアガリだが、キワムはベッドの上でアガリのほうを向き、膝を抱えて座りこんだ。そして左右に体を揺らし、大きな声で言う。
「ぐーつ、ぐーつ、ぐーつ……」
突っ立ったまま、アガリは呆然とする。
(……ど、どうすれば……?)
いつまで待っても来ないアガリに、キワムが顔をあげ、もどかしそうに呼ぶ。
「お兄ちゃん、早くー!」
「……ああ……」
アガリは意味もなくきょろきょろとして、こういう場合は……と自分の経験を探り、『わからない場合は合わせればいい』と判断し、ベッドに足を向けた。
キワムの隣に座り、自分も膝を抱える。
「俺も卵でいいか?」
「いいよ」
キワムはにっこりと笑って……ユイイチに似ている、正しくは母親だが……また顔をふせて唱えだした。
「ぐーつ、ぐーつ、ぐーつ……」
アガリもならって体を揺らしながら声を合わせる。
ふたりで隣り合わせに座っているものだから、体を揺らせば少しぶつかる。その度に、キワムがきゃっきゃっと嬉しそうに笑う。
(何が面白いんだ……)
アガリは心の中で首を傾げる。弟のことがさっぱりわからない。まあ、喜んでくれているのならいいが。
(あの絵本を見れば……)
ふっと思う。こどもの願いをかなえるあの絵本。
ユイイチが全部をかなえることはできないだろう。自分にも何かできることがあるかもしれない。弟のことをもっとわかるかもしれない。
アガリがそんなことを考えていたときだった。
(つづく)