神様のガラス。
「さあ、きーちゃんはゆっちと向こう行こうね。お兄ちゃんの邪魔しちゃだめだよ。おとなは任務があるんだから」
「にんむ?」
「お仕事だよ。お父さんもお母さんもしてるだろ? あれは神様に頼まれて、みんなのためにするお仕事なんだ。キワムもお母さんに頼まれてちょこちょこやってるだろ? あれのもっと大きいもののことなんだよ。きーちゃんもあれをするとえらいから、お兄ちゃんはもっとえらいんだよ」
難しいんじゃねぇのか、とアガリが思った通り、キワムがうつむいて黙りこむ。
ユイイチは膝をつき、その頭に手を置いて、撫でた。
「きーちゃん、お母さんのお願いきくと、お母さん喜んでくれるだろ? ガリも喜んでもらいに行くんだよ。それが神様のくれたお仕事なの。誰かを助けることがね。それが聖なる力のもとでもあるんだよ。いっぱい強くなれるんだよ」
アガリは内心冷や汗をかく。
(酔っ払いをなんとかするだけだなんて言えねーな、こりゃ……)
確かに『助けること』だが、そんな『神様に頼まれた』とかご大層なものではない。『誰かに喜んでもらうことがお仕事』なら、範囲が広いし、間違ってはいない……が……嘘でもないが……。
はたしてこどもがどの程度理解できるのか?
キワムの体は動かない。こどもらしい熱心さで話を聞いているらしい。たんにわけにわからないことを言う兄に困っているだけなのかもしれないが。
また、向かい合っているユイイチの顔も、こどもに話しているとは思えないほど真面目で、口調も真剣だ。もちろん、ある程度は作られたものであったが。
「だから止めなくてもいいんだ。安心して。ガリは強いんだから。神様からもらった力でがんばるんだから。きーちゃんはまだ小さいから、ひとりじゃ悪者に勝てないかもしれないから、神様や天使さんや周りの人たちにいっぱい助けてもらおうね。でも、きーちゃんも大きくなったら、きっと強いからねっ」
最後のひとことで、キワムが首を傾げた。
「ほんと?」
「本当、本当。がんばれば、ね。お兄ちゃんみたいに強くなれるさ。もっとかもねー?」
「今がいいーっ」
『はいっ』と手をあげてのキワムの返事に、アガリはがくっとする。
(やっぱりわかってねぇ……)
内心苦く舌打ちする。
(なんだ、あの話は信じたみたいだったのにな……)
『月のない日は神様の見ていない日』だなんて、あんなおとぎ話は信じるくせに。
(ああ、そうか……)
ハッとする。
ああいう話だから信じたのだ。わかりやすかったのだ。嘘かもしれないが、こどもの世界では、本当なのではないか。まだ、目に見えないものたちがちゃんと生きている、そんなこどもの世界では。
それに、本当に聞かせたいこともちゃんと含まれている。
中学生のアガリはたんに馬鹿らしいホラと片付けてしまったけれど。
それは、苦い薬を包んで飲ませるような、やさしい嘘。
(じゃあ、ここも『聖拳士なんたらかんたら』とか言ったほうがいいんじゃないか? ……)
しかし今さらアガリが『自分は聖拳士なんたらかんたらでとっても強い』などと言うのはキワムの頭を混乱させるだけだろう。なにより、そんな恥ずかしいことアガリにはできない。『なんたらかんたら』が埋められないし。
(微妙だ……)
ああいう話がするりと出てくるあたり、やはりユイイチのはたんなる嘘ではないのだ、と思う。
そいう世界が兄には見えているのだ。
すべてが意味を持ち、語る、きらきらしたこどもの世界が。
その兄は、キワムに『今がいいーっ』と言われ、おおいに困っているところだった。
(つづく)