セブンズレイ
『ポーカー』
尋里(ひろさと)宅。
しょっちゅう邪魔しに来る朝風(あさかぜ)と違い、涼緒(すずお)と鳩丸(はとまる)はこれで二度目の訪問。
一回目にある程度尋里の家を調べた涼緒は、今度は細かいところまで知るつもりか、最初から尋里の書棚の前に座りこんで熱心に蔵書を調べている。そして、ある時からページをめくる以外のすべての動きを止めた。
尋里がジュースの載った盆を運びながら、茶色い頭を見下ろす。
「涼ちゃんさー、みんなでいるんだから本読むのやめなよ。せっかく遊びに来たんでしょー?」
「でもせっかく読みたい本見つけたんだけど」
尋里のあきれ返った声に平然として返す。お盆をテーブルに運ぶ尋里からは、さらに不満の声が投げられた。
「用事も済んでないだろ? っつーか読んで居座られてもさーっ、うちマンガ喫茶じゃないし」
涼緒はパタンと本を閉じた。
「わかった。じゃあこれ、借りるね」
「『借りるね』って……いつもながら勝手だなあ」
「だってヒロくん、今これ読んでないんでしょ? 読んでる時はいつもしおり挟んであるじゃない。本なんて本棚にただ並べててもしょうがないし」
「そりゃそーだけどーっ、でも、おれ、棚に並んでんの見るのも好きなんだよ……」
悲しげに溜め息を吐く尋里。テーブルに置かれてすぐジュースのコップをかっさらい、ごくごく飲んでいた朝風が顔を上げて一言。
「ヒロのささやかな幸せ邪魔すんな」
「……」
尋里は硬直する。涼緒の目が据わっている。一瞬の沈黙の後、尋里はその場を取り繕うとあたふたと弁解した。
「ま、まあだから、いらないわけじゃないけど……っていうか、別に貸せないわけじゃないし……っていうか、いいよ、持って行って」
涼緒はハーッと大きく溜め息を吐いて肩を落とした。
「情けない。実用的じゃないし、意味がないし。心が狭いし、なんかマニアみたい。恥ずかしいよね」
尋里の顔がみるみる朱に染まる。
「……借りていけよ! 好きなだけ持ってけ! ああ、もうごっそりと、根こそぎ持って行けばいいさ。好きなだけ持って帰れよ。返しになんか来なくていいよ。煮るなり焼くなり好きにしろ!」
「おー、よく言った」
椅子から立ち上がってめずらしく大声で怒鳴る尋里に、朝風が横でパン、パン、と手を叩く。
黙ってすべてを聞いた涼緒は、おもむろに本棚に手を伸ばした。
「……じゃあ、焼くから」
ドサッドサッ!
並べられた本をつかんで引きずり落とす。尋里が一瞬にして蒼白になった。
「うわああーっ、ごめんなさいごめんなさいっ、おれがいけない人でしたーっ」
必死に謝り倒す尋里と、「ふっ」と勝利の笑みを浮かべて余裕綽々、本を戻しにかかる涼緒の二人を交互に眺めて、朝風は尋里の背中をこづく。
前のめりに倒れかけ、なんとか体勢を戻した尋里は、ぜいぜいと肩で息をしてようやく落ち着きを取り戻し、周りを見回した。じっと見つめている鳩丸と目が合う。おとなしく椅子に座って黙ってちびちびジュースを飲んでいた鳩丸は、三白眼で尋里を見上げる。目が合うと、静かに口を開いた。
「……マニア……なんですか……?」
尋里が息を吸って一瞬硬直した。
「あ、ひどいっ。鳩丸までそんな目でおれを見る。お前らおれを笑い者にする気なんだーっ!!」
頭を抱えて騒ぐ尋里を、静かに六つの目が眺める。
「妄想だ、妄想。おれ知ってる。こういうの、被害妄想っていうんだよな」
「普通にしててもおかしい人だもの」
返ってきた冷たい反応に、いよいよ尋里は両手で顔を覆った。
「朝風っ……涼ちゃんっ……悪気があるよなっ? 無いって言ってもおれは信じてやらないからなーっ」
「お、泣くなよー。男が泣き真似なんかすんじゃねえぞ。女々しいからな。泣くならズバッといけ、ズバッと」
「けどさ、おれがここで泣いても誰も慰めてくんないよな……」
おそるおそるといった口ぶり。返ってきたのは、さらに冷たい言葉だった。
「おおっ、女々しいな、お前!」
「女の腐ったのってこういうのをいうんだよ、鳩丸。こんなになっちゃ駄目だらかね」
次々に刺さる言葉に、尋里はズーンと沈みこむ。どんよりとした空気をまとった友人を慰めるより先に朝風は涼緒にかみついた。
「腐ったとか言うなよ、涼緒。そりゃひでえよ。だいたい何教えてんだよ」
涼緒がムッとした顔を向ける。朝風はお構いなく言いつのった。
「いるよなー、こういう母親。他人のこと勝手に決めつけて、悪い見本みたく言いやがって。てめえが決める権利ねぇんだよ」
涼緒は小さく鼻を鳴らして鳩丸に目を向ける。
「いるよね、こうやって他人が言われたことに過剰反応してかばって偉ぶるヤツ。自分が心当たりがあるからだろうけど。朝風はどこからどう見ても悪い見本そのものだもん」
「だから決めつけんな!」
「そっちこそ!!」
二人の言い争いを黙ってじっと見ている鳩丸の隣で、尋里は独り言のように話す。
「ああ……そして、おれのことなんかどうでもいいんだろうな。ケンカのネタがあればそれでいいんだ、きっと。あああ、おれもお役に立てて嬉しいよ、ホント」
「……」
鳩丸は言葉もなく尋里を見上げる。
「……なんで鳩丸はおれをじっと見るの?」
「マニアってなんですか?」
「ええっ!?」
予想外の質問に尋里がのけぞる。
「えっと……何かに……凝ってる人? あれ? 違うかなー」
「何か、凝ってるものありますか?」
「えええ? そりゃいろいろ……あ、椅子とかっ、服とかっ」
視線をさまよわせた尋里は、テーブルの脇に立てかけた雑誌を目にし、それを指差した。
「あ、それにこの雑誌、二年前から出てるんだけど、おれ毎号買ってんだー。隔月なんだけど、もう結構な数になってて、でも全部持ってるよー。カバーかけて」
「……なるほど」
雑誌と、笑顔で得意げに話す尋里とを交互に見て、鳩丸は深くうなずく。何げなくぽつりと出された言葉が、鋭いとげとなって尋里の心に刺さった。
「な、何!? 何が言いたいんだよ!? 『なるほど』ってっ?」
攻撃的にびくつく尋里に、変わらぬ無表情で鳩丸は答える。
「そのままです。だから、マニアなんでしょう?」
「人に説明させといてそりゃないよーっ! 凝ってるものくらい誰にだってあるだろーっ。鳩丸にだってあるだろっ?」
「凝ってるもの? ないですね。僕は無趣味なほうなんで……」
「……あ、そう。そっか。……おい、朝風っ。涼ちゃんっ」
にらみ合っていた朝風がくるりと振り向く。口ゲンカをしていたようにはとても見えない、あっさりとした様子。
「凝ってるもの? おれは料理。作る時だけどな」
同じくさっぱりとした顔の涼緒が続けて言う。
「いっぱいある。あたしも本は集めるほうだし、ヒロくんと同じに服もいっぱい。でも、マニアっていうのとは少し違うと思う……ヒロくん、本は二冊借りていくね。大丈夫、燃やさないから」
ケンカには早々に飽きていたらしい、そんな二人を悲しそうに眺め、尋里は本を掲げて示した涼緒にうなずいて見せた。
「うん、そう願うよ……本当にそうしてくれよ、燃やされたら泣くよ、おれは。いい?」
「いくねえし、泣くなよ、そんなことで」
「うるさいんですね」
「ほら、マニアだから」
「だから違うって言ってんのにー」
仲間の言葉に、尋里はまたしくしく泣き真似を始めた。そこに、鳩丸が不思議そうに訊く。
「そういえば、椅子に凝ってるんですか? 尋里さん」
「あ、うん。っつってもまだ五、六……七個しかないけど」
「七個……? 一人暮らしなのに、ですか?」
「多いかな? でも少ないんだよ、集めてるにしてはさ」
好きな話題をふられて、上げた顔にへらーっと嬉しそうな笑顔が戻る。
「もっともっと増やすつもりなんだけど、部屋のスペースがさあ。おれとしては部屋に椅子がはまった空間? なんか居心地のいい空間を演出したいんだけどね、物が場所取るからさ、いっぱいあったら本当は意味ないんだ。でもやーっぱりいっぱいあったほうがさー。まぁ、そういうわけにもいかなくて。それに椅子のいいやつって涙が出るほど高いんだ。本当は自分で作ってみたくて」
「本当は本当はって、全部嘘で自分をごまかしているようですが」
「そういうわけじゃないけど……」
突然に挟まれた容赦ない突っ込みに、尋里が口をつぐむ。
涼緒がそこに割り込んだ。
「じゃ、木を買ってきて。セットの物もあるけど、どうせそれじゃ嫌なんでしょ? 部品、バラでホームセンターとかでも売ってるし。大工道具だったらその辺で借りられるから。あたし、探すの手伝う」
「……うあ、ありがたいんだけど、そうしたいのはやまやまなんだけど。なんてゆうかな……コストも手間もかかりまくるよな」
「やめとけ」
「そうだよな……うん、やれたらやるつもりだけどとりあえずは」
朝風がふっと眉をしかめる。
「んー? なんかムカつくわ、お前」
シーン……。
重たい沈黙に部屋の空気が固まった。そんな中で、パタパタと軽い音が浮いて存在している。同様に、その場にふさわしくない妙に明るい元気な声が、音を立てている人物から発せられた。
「あ、このCDあたし持ってない。ねえ、ヒロくん、これ買ったの? 借りてってもいい?」
「……」
雰囲気まった無視の発言。
「女ってやつは……」
朝風の軽率な感想。言葉が終わると同時に静かな部屋がよりいっそう不気味な静けさに染まる。尋里は低く沈んだ声を出した。
「ああ……うん……」
はっきりとしない返事。とたんに朝風が食いつく。
「うん、何?」
「え、うん……いいよ」
「どういいんだよ」
「……」
うつむいて黙りこむ。横で見ていた鳩丸が朝風の腕をつついた。
「あの、あまり追いつめないほうが……」
「あ?」
「尋里さんは突拍子もない行動に走るので、それだけ危険が増します」
責めるでもない鳩丸の忠告と現実の痛い沈黙に、朝風が複雑な表情で何か言いかけたその時。ふっと尋里がふき出した。
「ハハハハハッ」
顔を上げて笑う。それは見事な空笑い。顔はいつものふにゃっとした笑顔だ。その笑顔のまま、朝風と鳩丸に尋ねる。
「お前ら、茶ァ飲むよな?」
まじまじと顔を見つめる二人に背を向け、尋里は鞄を取りに部屋の隅に行く。そしてスタスタと玄関に向かった。
「おれ買ってくるよー。ちょっと待ってろ。おとなしくウチにいろよ。すぐ戻ってくるから」
そいう言って靴を引っ掛け、家を出て行く。嵐のような素早さ。バタン、と閉まる扉を、残された者は硬直したまま見送った。
「……茶?」
しばらく経って朝風はぽつんとつぶやく。視線はテーブルの上に置かれたジュースの入ったコップに注がれている。
CDをあさる手を止めて、じっと固まっていた涼緒は、聞こえよがしの大声で独り言を言った。
「あーあ、これでもうヒロくんは絶対にすぐ戻って来ない。逃亡することうけあい。今頃、ぐずってる。どこまで行くかな。泣いて怒って真っ白になるまで走ってる。三十分は帰ってこない。そして帰ってきた時はきっと、すごく明るいはず」
非難がましい口調で遠回しに責められた朝風は憤り、苛々とした様子で椅子にドカッと腰を下ろす。
「なんだよ、自分の家なんだからヒロが出て行くことないだろ。おれたちを追い出しゃいいのに。だいたいなあ、何かムカつくんなら口で言え。なんだよ、あの煮え切らない態度。しかも笑ってたぞ?」
ドンッとテーブルを叩く朝風を、冷ややかに涼緒は見た。
「あんたに泣かされたくないし見せたくないしで強がって」
「……」
朝風はさすがに沈痛な表情で押し黙る。首尾よく朝風を撃沈させた涼緒は、くるりと振り向いた。見ていた鳩丸と目が合う。
「帰ろっか、鳩丸」
「……何故です? まだ用事が済んでいませんが」
「うん、でも本人いなきゃどうしようもないし。きっと後では興奮してるだろうから話になんないし。それに帰ってきた時、知らんぷりしなきゃいけないでしょ。それが白々しくて嫌なの」
借りる物を抱えて今にも帰りそうな素振りの涼緒を、手をのばして朝風が呼び止める。
「待てっ……待てよ。待ってくれ。悪い、おれも嫌だ……」
「そう。そういうもの。だからヒロくんは待っててって言ったんだろうな。仕方ない、鳩丸、どうする? 待つ?」
「そんな、僕も嫌です……」
「だよね。あたしもとっても嫌……」
重たい沈黙。
「絶望って、こういうものなんでしょうね……」
やがてぽつりと鳩丸がつぶやいた。
そしていっせいにしゃべり出した。
「あたしは帰ろう。悪いのは朝風だから……」
「なんでだよ。お前のほうがいろいろ言ってたろ。あれがマズかったんじゃねぇの、やっぱり」
「でも、朝風さんの時逃げ出しましたよ」
「鳩丸もピンポイントでマズいんだよ。一言一言嫌味だろ?」
「積もり積もったのかも……?」
「じゃあアレだ、連帯責任だ」
「そう言って押しつけないでください」
「いっそのこと誰も悪くないから逃げるってことで」
「バカやろ、かわいそうだろ」
ぼそぼそぼそぼそ。
キイィ……と微かな音を立て、玄関の扉が開く。夢中で責任をなすりつけ合っていた三人は、ギョッとして振り向く。
「なんか……あったの?」
おそるおそる顔を覗かせた尋里は、部屋の凍りついた空気に、首を傾げて愛想笑いを浮かべる。
「財布……忘れてきちゃったよ。アハハ……。なんか、どうかした? お邪魔しちゃったかな、なんて、アハ……」
朝風が駆け寄って部屋に引きずりこみ、抱きつく。
「ヒロォ! おれが悪かったー!!」
「なっ、なんだよぉっ!」
「帰ってきてくれてありがとう! 反省してる、おれを許せ!」
「不気味、チョー不気味!! 何いきなり!?」
朝風の腕に首をとられ、顔を引きつらせてギャーギャーわめく。涼緒は見苦しい二人からサッと背を向けた。
「さ、鳩丸、帰ろっか」
「そうですね」
(終)
尋里(ひろさと)宅。
しょっちゅう邪魔しに来る朝風(あさかぜ)と違い、涼緒(すずお)と鳩丸(はとまる)はこれで二度目の訪問。
一回目にある程度尋里の家を調べた涼緒は、今度は細かいところまで知るつもりか、最初から尋里の書棚の前に座りこんで熱心に蔵書を調べている。そして、ある時からページをめくる以外のすべての動きを止めた。
尋里がジュースの載った盆を運びながら、茶色い頭を見下ろす。
「涼ちゃんさー、みんなでいるんだから本読むのやめなよ。せっかく遊びに来たんでしょー?」
「でもせっかく読みたい本見つけたんだけど」
尋里のあきれ返った声に平然として返す。お盆をテーブルに運ぶ尋里からは、さらに不満の声が投げられた。
「用事も済んでないだろ? っつーか読んで居座られてもさーっ、うちマンガ喫茶じゃないし」
涼緒はパタンと本を閉じた。
「わかった。じゃあこれ、借りるね」
「『借りるね』って……いつもながら勝手だなあ」
「だってヒロくん、今これ読んでないんでしょ? 読んでる時はいつもしおり挟んであるじゃない。本なんて本棚にただ並べててもしょうがないし」
「そりゃそーだけどーっ、でも、おれ、棚に並んでんの見るのも好きなんだよ……」
悲しげに溜め息を吐く尋里。テーブルに置かれてすぐジュースのコップをかっさらい、ごくごく飲んでいた朝風が顔を上げて一言。
「ヒロのささやかな幸せ邪魔すんな」
「……」
尋里は硬直する。涼緒の目が据わっている。一瞬の沈黙の後、尋里はその場を取り繕うとあたふたと弁解した。
「ま、まあだから、いらないわけじゃないけど……っていうか、別に貸せないわけじゃないし……っていうか、いいよ、持って行って」
涼緒はハーッと大きく溜め息を吐いて肩を落とした。
「情けない。実用的じゃないし、意味がないし。心が狭いし、なんかマニアみたい。恥ずかしいよね」
尋里の顔がみるみる朱に染まる。
「……借りていけよ! 好きなだけ持ってけ! ああ、もうごっそりと、根こそぎ持って行けばいいさ。好きなだけ持って帰れよ。返しになんか来なくていいよ。煮るなり焼くなり好きにしろ!」
「おー、よく言った」
椅子から立ち上がってめずらしく大声で怒鳴る尋里に、朝風が横でパン、パン、と手を叩く。
黙ってすべてを聞いた涼緒は、おもむろに本棚に手を伸ばした。
「……じゃあ、焼くから」
ドサッドサッ!
並べられた本をつかんで引きずり落とす。尋里が一瞬にして蒼白になった。
「うわああーっ、ごめんなさいごめんなさいっ、おれがいけない人でしたーっ」
必死に謝り倒す尋里と、「ふっ」と勝利の笑みを浮かべて余裕綽々、本を戻しにかかる涼緒の二人を交互に眺めて、朝風は尋里の背中をこづく。
前のめりに倒れかけ、なんとか体勢を戻した尋里は、ぜいぜいと肩で息をしてようやく落ち着きを取り戻し、周りを見回した。じっと見つめている鳩丸と目が合う。おとなしく椅子に座って黙ってちびちびジュースを飲んでいた鳩丸は、三白眼で尋里を見上げる。目が合うと、静かに口を開いた。
「……マニア……なんですか……?」
尋里が息を吸って一瞬硬直した。
「あ、ひどいっ。鳩丸までそんな目でおれを見る。お前らおれを笑い者にする気なんだーっ!!」
頭を抱えて騒ぐ尋里を、静かに六つの目が眺める。
「妄想だ、妄想。おれ知ってる。こういうの、被害妄想っていうんだよな」
「普通にしててもおかしい人だもの」
返ってきた冷たい反応に、いよいよ尋里は両手で顔を覆った。
「朝風っ……涼ちゃんっ……悪気があるよなっ? 無いって言ってもおれは信じてやらないからなーっ」
「お、泣くなよー。男が泣き真似なんかすんじゃねえぞ。女々しいからな。泣くならズバッといけ、ズバッと」
「けどさ、おれがここで泣いても誰も慰めてくんないよな……」
おそるおそるといった口ぶり。返ってきたのは、さらに冷たい言葉だった。
「おおっ、女々しいな、お前!」
「女の腐ったのってこういうのをいうんだよ、鳩丸。こんなになっちゃ駄目だらかね」
次々に刺さる言葉に、尋里はズーンと沈みこむ。どんよりとした空気をまとった友人を慰めるより先に朝風は涼緒にかみついた。
「腐ったとか言うなよ、涼緒。そりゃひでえよ。だいたい何教えてんだよ」
涼緒がムッとした顔を向ける。朝風はお構いなく言いつのった。
「いるよなー、こういう母親。他人のこと勝手に決めつけて、悪い見本みたく言いやがって。てめえが決める権利ねぇんだよ」
涼緒は小さく鼻を鳴らして鳩丸に目を向ける。
「いるよね、こうやって他人が言われたことに過剰反応してかばって偉ぶるヤツ。自分が心当たりがあるからだろうけど。朝風はどこからどう見ても悪い見本そのものだもん」
「だから決めつけんな!」
「そっちこそ!!」
二人の言い争いを黙ってじっと見ている鳩丸の隣で、尋里は独り言のように話す。
「ああ……そして、おれのことなんかどうでもいいんだろうな。ケンカのネタがあればそれでいいんだ、きっと。あああ、おれもお役に立てて嬉しいよ、ホント」
「……」
鳩丸は言葉もなく尋里を見上げる。
「……なんで鳩丸はおれをじっと見るの?」
「マニアってなんですか?」
「ええっ!?」
予想外の質問に尋里がのけぞる。
「えっと……何かに……凝ってる人? あれ? 違うかなー」
「何か、凝ってるものありますか?」
「えええ? そりゃいろいろ……あ、椅子とかっ、服とかっ」
視線をさまよわせた尋里は、テーブルの脇に立てかけた雑誌を目にし、それを指差した。
「あ、それにこの雑誌、二年前から出てるんだけど、おれ毎号買ってんだー。隔月なんだけど、もう結構な数になってて、でも全部持ってるよー。カバーかけて」
「……なるほど」
雑誌と、笑顔で得意げに話す尋里とを交互に見て、鳩丸は深くうなずく。何げなくぽつりと出された言葉が、鋭いとげとなって尋里の心に刺さった。
「な、何!? 何が言いたいんだよ!? 『なるほど』ってっ?」
攻撃的にびくつく尋里に、変わらぬ無表情で鳩丸は答える。
「そのままです。だから、マニアなんでしょう?」
「人に説明させといてそりゃないよーっ! 凝ってるものくらい誰にだってあるだろーっ。鳩丸にだってあるだろっ?」
「凝ってるもの? ないですね。僕は無趣味なほうなんで……」
「……あ、そう。そっか。……おい、朝風っ。涼ちゃんっ」
にらみ合っていた朝風がくるりと振り向く。口ゲンカをしていたようにはとても見えない、あっさりとした様子。
「凝ってるもの? おれは料理。作る時だけどな」
同じくさっぱりとした顔の涼緒が続けて言う。
「いっぱいある。あたしも本は集めるほうだし、ヒロくんと同じに服もいっぱい。でも、マニアっていうのとは少し違うと思う……ヒロくん、本は二冊借りていくね。大丈夫、燃やさないから」
ケンカには早々に飽きていたらしい、そんな二人を悲しそうに眺め、尋里は本を掲げて示した涼緒にうなずいて見せた。
「うん、そう願うよ……本当にそうしてくれよ、燃やされたら泣くよ、おれは。いい?」
「いくねえし、泣くなよ、そんなことで」
「うるさいんですね」
「ほら、マニアだから」
「だから違うって言ってんのにー」
仲間の言葉に、尋里はまたしくしく泣き真似を始めた。そこに、鳩丸が不思議そうに訊く。
「そういえば、椅子に凝ってるんですか? 尋里さん」
「あ、うん。っつってもまだ五、六……七個しかないけど」
「七個……? 一人暮らしなのに、ですか?」
「多いかな? でも少ないんだよ、集めてるにしてはさ」
好きな話題をふられて、上げた顔にへらーっと嬉しそうな笑顔が戻る。
「もっともっと増やすつもりなんだけど、部屋のスペースがさあ。おれとしては部屋に椅子がはまった空間? なんか居心地のいい空間を演出したいんだけどね、物が場所取るからさ、いっぱいあったら本当は意味ないんだ。でもやーっぱりいっぱいあったほうがさー。まぁ、そういうわけにもいかなくて。それに椅子のいいやつって涙が出るほど高いんだ。本当は自分で作ってみたくて」
「本当は本当はって、全部嘘で自分をごまかしているようですが」
「そういうわけじゃないけど……」
突然に挟まれた容赦ない突っ込みに、尋里が口をつぐむ。
涼緒がそこに割り込んだ。
「じゃ、木を買ってきて。セットの物もあるけど、どうせそれじゃ嫌なんでしょ? 部品、バラでホームセンターとかでも売ってるし。大工道具だったらその辺で借りられるから。あたし、探すの手伝う」
「……うあ、ありがたいんだけど、そうしたいのはやまやまなんだけど。なんてゆうかな……コストも手間もかかりまくるよな」
「やめとけ」
「そうだよな……うん、やれたらやるつもりだけどとりあえずは」
朝風がふっと眉をしかめる。
「んー? なんかムカつくわ、お前」
シーン……。
重たい沈黙に部屋の空気が固まった。そんな中で、パタパタと軽い音が浮いて存在している。同様に、その場にふさわしくない妙に明るい元気な声が、音を立てている人物から発せられた。
「あ、このCDあたし持ってない。ねえ、ヒロくん、これ買ったの? 借りてってもいい?」
「……」
雰囲気まった無視の発言。
「女ってやつは……」
朝風の軽率な感想。言葉が終わると同時に静かな部屋がよりいっそう不気味な静けさに染まる。尋里は低く沈んだ声を出した。
「ああ……うん……」
はっきりとしない返事。とたんに朝風が食いつく。
「うん、何?」
「え、うん……いいよ」
「どういいんだよ」
「……」
うつむいて黙りこむ。横で見ていた鳩丸が朝風の腕をつついた。
「あの、あまり追いつめないほうが……」
「あ?」
「尋里さんは突拍子もない行動に走るので、それだけ危険が増します」
責めるでもない鳩丸の忠告と現実の痛い沈黙に、朝風が複雑な表情で何か言いかけたその時。ふっと尋里がふき出した。
「ハハハハハッ」
顔を上げて笑う。それは見事な空笑い。顔はいつものふにゃっとした笑顔だ。その笑顔のまま、朝風と鳩丸に尋ねる。
「お前ら、茶ァ飲むよな?」
まじまじと顔を見つめる二人に背を向け、尋里は鞄を取りに部屋の隅に行く。そしてスタスタと玄関に向かった。
「おれ買ってくるよー。ちょっと待ってろ。おとなしくウチにいろよ。すぐ戻ってくるから」
そいう言って靴を引っ掛け、家を出て行く。嵐のような素早さ。バタン、と閉まる扉を、残された者は硬直したまま見送った。
「……茶?」
しばらく経って朝風はぽつんとつぶやく。視線はテーブルの上に置かれたジュースの入ったコップに注がれている。
CDをあさる手を止めて、じっと固まっていた涼緒は、聞こえよがしの大声で独り言を言った。
「あーあ、これでもうヒロくんは絶対にすぐ戻って来ない。逃亡することうけあい。今頃、ぐずってる。どこまで行くかな。泣いて怒って真っ白になるまで走ってる。三十分は帰ってこない。そして帰ってきた時はきっと、すごく明るいはず」
非難がましい口調で遠回しに責められた朝風は憤り、苛々とした様子で椅子にドカッと腰を下ろす。
「なんだよ、自分の家なんだからヒロが出て行くことないだろ。おれたちを追い出しゃいいのに。だいたいなあ、何かムカつくんなら口で言え。なんだよ、あの煮え切らない態度。しかも笑ってたぞ?」
ドンッとテーブルを叩く朝風を、冷ややかに涼緒は見た。
「あんたに泣かされたくないし見せたくないしで強がって」
「……」
朝風はさすがに沈痛な表情で押し黙る。首尾よく朝風を撃沈させた涼緒は、くるりと振り向いた。見ていた鳩丸と目が合う。
「帰ろっか、鳩丸」
「……何故です? まだ用事が済んでいませんが」
「うん、でも本人いなきゃどうしようもないし。きっと後では興奮してるだろうから話になんないし。それに帰ってきた時、知らんぷりしなきゃいけないでしょ。それが白々しくて嫌なの」
借りる物を抱えて今にも帰りそうな素振りの涼緒を、手をのばして朝風が呼び止める。
「待てっ……待てよ。待ってくれ。悪い、おれも嫌だ……」
「そう。そういうもの。だからヒロくんは待っててって言ったんだろうな。仕方ない、鳩丸、どうする? 待つ?」
「そんな、僕も嫌です……」
「だよね。あたしもとっても嫌……」
重たい沈黙。
「絶望って、こういうものなんでしょうね……」
やがてぽつりと鳩丸がつぶやいた。
そしていっせいにしゃべり出した。
「あたしは帰ろう。悪いのは朝風だから……」
「なんでだよ。お前のほうがいろいろ言ってたろ。あれがマズかったんじゃねぇの、やっぱり」
「でも、朝風さんの時逃げ出しましたよ」
「鳩丸もピンポイントでマズいんだよ。一言一言嫌味だろ?」
「積もり積もったのかも……?」
「じゃあアレだ、連帯責任だ」
「そう言って押しつけないでください」
「いっそのこと誰も悪くないから逃げるってことで」
「バカやろ、かわいそうだろ」
ぼそぼそぼそぼそ。
キイィ……と微かな音を立て、玄関の扉が開く。夢中で責任をなすりつけ合っていた三人は、ギョッとして振り向く。
「なんか……あったの?」
おそるおそる顔を覗かせた尋里は、部屋の凍りついた空気に、首を傾げて愛想笑いを浮かべる。
「財布……忘れてきちゃったよ。アハハ……。なんか、どうかした? お邪魔しちゃったかな、なんて、アハ……」
朝風が駆け寄って部屋に引きずりこみ、抱きつく。
「ヒロォ! おれが悪かったー!!」
「なっ、なんだよぉっ!」
「帰ってきてくれてありがとう! 反省してる、おれを許せ!」
「不気味、チョー不気味!! 何いきなり!?」
朝風の腕に首をとられ、顔を引きつらせてギャーギャーわめく。涼緒は見苦しい二人からサッと背を向けた。
「さ、鳩丸、帰ろっか」
「そうですね」
(終)