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セブンズレイ

『小さな悩み』





 秀海(ほずみ)が大きく伸びをしてつぶやく。
「あーあ、もう十二月になるのね。早いものねェ」
「そうですね」
 独り言に律儀に応じて、鳩丸(はとまる)は秀海のほうを向いて次の言葉を待つ。秀海は続けて大儀そうにぼやいた。
「カレンダーも後でめくらなくっちゃァ」
「あ、それなら今、僕がやります」
 大きな椅子を抱えて移動する鳩丸を涼緒(すずお)の目が追う。
 鳩丸は椅子をカレンダーの前に置くと、その上に飛び乗ってカレンダーの上部に手を伸ばした。
 涼緒は机の前から離れ、そっと後ろに近付いた。
「鳩丸。危ないからあたし椅子支えてるね」
「あっ、はい、涼緒さん、すみません」
「いいから」
 振り向いて顔を赤くする鳩丸に、涼緒は短く返して椅子を両手で押さえる。そして用心深く見守る。背伸びをしてカレンダーを取り外す鳩丸の足もとが危うい。それでも無事に手に取って鳩丸は椅子から床に降り立った。
 まげていた腰を戻しながら涼緒は息を吐く。
「かけたまま破いちゃってもよかったんだよ?」
「あ……はい。ですが……そのう……」
「身長がちょっと足りないもんね」
 言いよどんだ鳩丸の後をついでスッパリと言う。カレンダーを胸に抱え、鳩丸の頭がずんずんと下にさがっていく。
「涼ちゃんが取ってあげれば良かったんだよ」
 見かねた尋里(ひろさと)が横から口を出した。涼緒はちらりと視線を投げ、不機嫌そうに言った。
「それはヒロくんにも言えること。でも、鳩丸が自分でやるって言ったから、あたしは見てるだけでいいと思ったんだけど」
 鳩丸のほうを見る。
「ね? やるって言ったもん、ね?」
「はい。僕がやりたいと思ったので……」
 鳩丸が認めたそこに、眠たげな声が割り込んだ。
「言わされてる。ぜてー言わされてる」
「朝風っ!!」
 低くからかう声に怒鳴り、涼緒はずかずかと朝風(あさかぜ)に近寄る。机に脚を乗せて椅子を傾かせている朝風の胸倉をつかむ。朝風はつかまれたまま、鳩丸のほうへ首をめぐらせた。
「背が低いんだから他に頼めば早いだろー?」
 おれとか、と言って自分を指差す。
「なんで頼まないわけ?」
「あんただと恩に着せるから」
 鳩丸が返すすきもなく、涼緒が即答した。後ろで聞いていた尋里がプッとふき出す。朝風と涼緒が揃ってムッとした顔を向ける。その斜め後ろでは、秀海が朗らかに笑っている。黙ってそれぞれの顔に目を移していた鳩丸は、朝風の顔で視線を固定した。
「僕がやりたいと思ったんです」
 キッパリと告げる。即座に返事がかえってくる。
「だからってチビじゃしょうがねえだろ」
 涼緒が朝風の胸倉つかんだ手を思いっきり押した。『おあっ』とわめいて椅子のバランスを崩した朝風は後ろに倒れ、そこにあった尋里の机の上に頭から突っ込む。ゴン! と景気のいい音がした。椅子は床をすべり、その結果朝風は支えを無くして最後にしりもちまでついた。
 衝撃のガタガタガタンッの連続に、尋里が机の下を覗きこむ。
「ひええ~っ、大丈夫か!? 朝風」
「……おうともよ」
 床に腰を打ちつけたままの格好で、上げた顔を引きつらせる。騒ぎを黙認していた秀海もさすがに口を開いた。
「ちょっとスズ、朝風がいくらバカだからってアナタそんな……」
「物のはずみです!」
 キッパリと言って遮り、スタスタとその場を離れる。
「なんだとっ!?」
「違うじゃんっ、涼ちゃん、最初からそのつもりだったよっ」
 抗議の声を背中に、涼緒は考えこんでいるふうの鳩丸に歩み寄る。
「あんなバカの言うことなんか気にしなくていいからね」
 明るく告げて、肩を叩く。ふっと顔を上げた鳩丸は、真っ直ぐに涼緒を見た。
「要するに、僕の背が低いのが駄目なんですね……」
 暗くかみしめるように吐き出し、顔を背け、朝風のほうを見る。その側にいた尋里は、射抜くような鋭い眼光を向けられ、震えた。
「ダ、ダメってわけじゃ……」
「違う、可愛くないって言ってんの!」
 言いかけた尋里を遮って、起き上がった朝風が怒鳴る。一瞬、渋面になった鳩丸は、すぐに表情を戻して言った。
「可愛がられたくないんです。わかりました。背が高くなれば人に頼む必要もなく、可愛がられることもない、と。だったら僕は絶対に高くなってみせます!」
「あー……」
 握り拳の宣言に、誰もが微妙な顔をする。周囲の空気には気付かず、鳩丸は意気込んで涼緒を振り返った。
「涼緒さん、背が高いですね。いくつですか?」
「百六十八」
「あの、……年齢は?」
「十四」
「僕、今、百二十三で十です。まだ大きくなれますか?」
「なれないわけがないと思うけど? 普通なら。今も大きくなってるんでしょ? だったら大丈夫」
「なって……るんでしょうか」
 自信なさげにうつむく。
 悄然とした鳩丸のつむじを見下ろしていた涼緒が、口を開きかけたその時、鳩丸の頭がキッと持ち上がった。
「あの、どうすれば高くなるかご存知ですか?」
「……」
 目を見開いたまま涼緒は固まる。鳩丸は真剣な面持ちで固唾をのんで答えを待っている。期待のこもったまなざしを向けられた涼緒は黙りこんだ。
 だが、逆に周りがいっせいに口を開く。
「牛乳だよな」
「牛乳飲めば?」
「基本はやっぱり牛乳よねェ」
「……」
 鳩丸は発言者の顔を見回し、次に涼緒のカを見上げた。
 沈黙のまま視線で尋ねられ、涼緒は表情を変えずに言う。
「……飲んでみれば? 牛乳飲めとか、カルシウム取れとかはよく聞くけど、それで実際に背が高くなったって人、あたしはまだ聞いたことないけど」
「涼緒さんは小さい頃、何を食べて……」
「あ、それ関係ないと思う。だって好き嫌いの多いヒロくんが、いつのまにかあたしと同じくらいになってるんだもん。ずるいよね」
「はあ……」
 遠くで尋里が『好き嫌い多くないよ、おれは。涼ちゃーん』と訴えている。聞こえる声を完璧無視して、涼緒は続けた。
「でもまあ、一応言えば、あたしはなんでもよく食べてたけど。牛乳も飲んだし、魚も肉も野菜もご飯も、みんな好き嫌いなく」
 『嘘ばっか……』と吐く尋里に、今度は涼緒も振り向いた。目で尋里を固まらせる。一瞬動きを止めた尋里は、妙に明るい笑顔を見せた。
「背がどうとかって、やっぱ遺伝が大きいよ。なあ?」
 相槌を求められた朝風は、きょとんとして尋里を見る。
「そうか? おれは別に……」
「遺伝だよー。半分は遺伝だよ」
「いや、おれんとこは……」
「鳩丸、お父さんかお母さんのどっちか、背が高かった?」
 尋里はにこにこ笑顔で問いかける。
 鳩丸は瞬きをして答えた。
「よく……わかりません。はっきりとは。でも……そうですね、もしかしたらお父さんは高いほうだったかも……」
 困った様子で口を閉ざす鳩丸に、涼緒が微笑んで話しかける。
「ねぇ、鳩丸。子どもだから高いように感じられるってこともあるよね? お菓子のちっちゃな箱の中身がすごくいっぱい入ってるように思えることとか。でも大きくなると、こんなもんだったのかって思うの。見え方が変わるよね? だから……」
 言葉を切って、自分を見上げる鳩丸と目を合わせ、首を傾げる。
「確かじゃないよね?」
「はい……」
 ぼーっと返事をして、鳩丸は顔を引き締めた。
「そうですよね。ええと……僕よりは高かったです!」
「そりゃそうだ」
 朝風が短く同意を示したが、その真剣すぎる調子はからかいと取られた。険しい顔でずかずかと歩いて向かってくる涼緒に、朝風は尋里を盾にして隠れる。大股で近寄る涼緒に、尋里は顔を引きつらせた。黙って様子を眺めていた秀海が一言、空気がピタッと固まった。
「アナタたち、会ったんじゃなかったの?」
 三人は静かに顔を見合わせた。
「高かっ……た、よな? おれは高かったと思うけど……」
「ん? おれ、わかんねえよ。涼緒ー」
「普通だった」
 取り残されてカレンダーを抱えたまま側に寄ってきていた鳩丸に向けて言い切った。
「普通ですか?」
「うん。普通。でもちょっと痩せてた。だから少し高く見えないこともなかったけど。あたしよりは高くて、朝風よりは低かったから、百七十いくつ、かな……?」
「それ、普通ですか?」
「うーん、成人男子の平均身長、じゃないかな? あたしの見てきた中ではそういう枠に入るの」
 小首を傾げて聞いていた鳩丸は、何度もうなずく。そして、真剣なまなざしで涼緒に応えを求めた。
「なるほど……なら、僕もそれくらい高くなるんでしょうか?」
「ヒロくんが言うには、そうなるよね」
 涼緒はハーッと重くため息を吐き、横目で尋里をにらむ。尋里はたじたじとなった。
 カレンダーを丁寧に破った鳩丸は、それをかけに戻った。
「涼ちゃんっ」
 ついて行こうとした涼緒は、尋里に呼び止められ、手で示されて一緒に机のかげに身をひそめた。
「なに?」
「身長だよっ。高かったって言っとけばいいのにっ」
「だってヒロくん、それで大きくなんなかったら?」
「今気にしてるんだからとりあえず安心させたげたほうがいいんだよっ」
「だけどそれじゃ嘘になるかもしれないじゃないっ」
「ならないよっ、今より高くなることは本当なんだからっ」
 鳩丸から見えない位置で、ふたりは押し殺した声で言い争う。
「大きくなっていればそれでいいんだよ、将来」
「そんな理想作っちゃってどうするの? 本人はそんなに大きくならないかもしれないじゃない。隔世遺伝ってこともあるでしょ。そしたらがっかりさせちゃう……」
 尋里が言葉に詰まる。涼緒はそこを逃がさずたたみかける。
「だいたいなんで遺伝とか言い出すの?」
「だって、いちばん安心できると思ったんだ」
「どうかな。努力次第のほうが持てる希望が大きいと思う。そしたらどうなろうとちゃんと自分の責任じゃない?」
「そんなの、かわいそうだろ」
「がっかりするのはかわいそうじゃないの?」
「うっ……」
「もう、本当にウカツなんだから。あたし知らないよ?」
 言い捨て、立ち上がって後ろを向いた涼緒の顔が強張る。机の後ろにしゃがみ込んでいたふたりを覗きこむように、三人が立っていた。その中のひとり、鳩丸が沈痛な面持ちで重々しく口を開いた。
「……すみません、涼緒さん、尋里さん。僕が『背が高くなりたい』なんて言ったばっかりに、おふたりを口論させることになってしまって……僕の背なんて大した問題じゃないのでいいんです。本人以外には関係のないことなんですから、どうぞ気を楽にしてください。僕ももう、言いませんから」
「げっ!!」
「や……やだ、鳩丸。そんな……どうしよう?」
 顔を青くしてあたふたするふたりを興味深そうに眺めていたふたりは、それぞれにつぶやく。
「いやァねェ、犠牲的物言いって聞くにたえないわ」
「なんか鳩丸がふたりの子どもみてぇ。いるよなー、こういう夫婦」
 あの日の平和な日常の一コマ。



(終)
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