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星見探偵事務所






「なァーんで俺も一緒に行かなくちゃなンないのかねェ、セージくん」

 碧(みどり)は思い切りのびをして『ふあーあ』と大きなあくびをする。

「保護者が必要でちゅか? ……あ、ワリィ」

 そうだ、コイツ親いないんだったと碧は慌てて謝罪を口にする。

 一緒に育ったせいか、かえってつい忘れがちだ。

 隣を歩く星次(せいじ)は振り向くときっちりと計算された優等生的笑みを見せた。

「事務所に行くのに、碧さんと一緒に行ったほうがいいじゃないですか、なんとなく」

「ほう、なんとなく、な」

 口をとがらせて繰り返し、ふと碧は首を傾げる。

「もしか、俺も呼ばれてる?」

「いいえ。ですが……あのふたりがついてくるよりは……」

 星次は小さく苦笑した。意味深に言葉をとぎらせて。

 碧は納得して『あー』と声を上げる。

 火夏(ひな)は相当悔しがっていた。星次だけが呼ばれて、自分たちが呼ばれていないことに。あのままだと、『なんの用なのか行って確かめる!』とか言い出しかねなかった。その前に星次が『行きましょう、碧さん』と言ったのだ。

 星次が申し訳なさそうに頭を下げた。

「すいません、利用するみたいな形になって」

「いっけどよォー……」

 まだぐちぐちと何やらぼやき続ける碧に、星次の苦笑が大きくなった。

「メロンソーダを飲み終えるまでは待ったじゃないですか。他に行くところがあったんですか、碧さん」

「いや、ねェけどよ……」

 碧はぷいっとそっぽを向く。

 碧としては第二の我が家とも呼べるはずの父親の事務所だが、そこに行くことが好きというわけではない。こどもの頃から、電話をする父親の背中だの、書類に向かう父親の背中だのしか見たことがない。父親は家にも滅多に戻らなかったが、それでも戻ってきたときにはやさしくしてくれた。だが、事務所にはその思い出がない。かといって、もう高校生にもなっていまだにそのことにこだわっているとは自分でも思いたくない。ただ、今は変なやつ……火夏・宗直(むねなお)……が増えて、よりいっそう居辛くなっただけだ。

 それだけだ。

 自然と遅れた足で、星次の後ろを、ポケットに手を突っ込んで、背中を丸めて歩く。

「アイツもちっとはセージの都合とか考えろってんだよなー」

 アイツとはもちろん父親の六連(むつら)のことだ。

 死んだ星次の両親の代わりに面倒をみてきて、それは立派だが、自然といつも六連のそば……事務所……にいることが多くなった星次は、そのせいでいろいろと仕事を手伝わされてきた。今でも用があれば……たとえば紙一枚がどこにあるかわからないなどでも……呼び出されている。所長がわからないことがわかるほど、それだけ星次が事務所に長くかかわっているとも、役立っているとも言える。もっとも、その紙一枚が事務所では重要なので、大事な用事ではあるのだが……だからこそ簡単に無くすなと碧は言いたい。父親である六連はそういうところに問題がある。

 碧は早足になって並び、同情のこもった視線を星次に向ける。

「悪いな、あんなダメ親父で。急に呼び出されて大変だろ、おまえ」

「いえ、僕の都合としても、何かあったら呼び出してくれたほうが」

 その視線を柔らかい笑顔で受け止め、星次は微かに苦笑に変えて、さらりと言う。

「それに、大学よりも居心地がいいですから」

「そういうわけにいかねーっつの」

 星次のほうに身を傾けて、酸っぱいものを口に入れたような顔をして、顔を覗きこむ。

「大学入ったのなんのためだよってカンジだな。いや、継ぐなら継ぐでいいんだけどさ、あんなクソ親父とっとと追い出しちまって」

 星見探偵事務所は、もともとは星次の父親の事務所なのだ。今は六連が居座っているけれども。それなりの年齢になったら星次が継ぐだろう。そう思っている。

 碧の乱暴な言葉に、星次の苦笑が濃くなる。

「僕にはそんなつもりはありません。そうですね……大学を出たら本格的に雇ってもらえたら嬉しいですが。でも、大学に行くことを勧めてくれたのは、六連さんですから」

 その六連が星次を改めて調査員として雇うだろうか。

 将来の選択の幅は広いほうがいいと、大学に行くよう星次の背中を押したのは六連だ。少ない交友関係を案じて、また、そのための人間関係の経験不足を補うために、など、知識はもちろん、その他の人生経験を積むために、送り出したのだと解釈できる。が、それは同時に、このまま事務所に埋もれることをよしと認めなかったとも言える。仕事は今までだって無事に手伝えていたのだから。

 ぺっと地面に唾でも吐きかねない勢いでしかめ面で碧が言う。

「かーっ、俺にはわかんないね! あんな親父の下で働きたいと願う気持ちが!」

「六連さんは優れた名探偵だと思いますよ」

「あー、迷うのほうのメイ探偵な」

 ワカルワカルと軽く言ってうなずく。その口元には笑み。あからさまに、父親を軽視している。内面はわからないが、表面的には。

 『仕方がない』というように微苦笑を浮かべていた星次が、ふとそれを消して、首を傾けてしみじみと言う。

「……友情は、心に映るものなんですねぇ……」

「は? 何? 急に」

「いえ、さっき碧さんがそうおっしゃられたから」

 くすっと、口に手を当てて小さくくしゃみをするように笑う。そして澄まして言った。

「目で見るものではない、耳で聞くものでもない。まあ、少なくとも最初は……。なるほど、言われてみれば、心に映るものだと言えるかもしれませんね」

「なんだよ、セージ。からかってんのか?」

「いえいえ。素直に感心してるんです。さすが碧さん、素敵なことを言うなぁ……って」

「やめろっ、聞きたくねェーッ」

 うっとりとしたように言う星次に、碧は両手で耳をふさぐ。冗談でとんでもないことを言ってしまった。

 そのまま横を向いて、早足で星次を置いていこうとしかけて、ハッとして振り向く。

「って、話そらすな!」





(つづく)
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