nclのmobシリーズ+他者視点
ナックルシティの中心から外れた住宅街の一角に、私は小さな店を出している。
もう50年にはなるだろう。いつの間にか老舗と呼ばれるようになり、顧客も随分と名のある人が多くなった。
ある程度数を作って出していた小物類の販売を止め、オーダーメイド専門にしたのは20年前だ。
一人ひとりの要望に沿ったものを作り、完成品をお渡しする。ようやく出来上がった自分の理想とした商品を手に取ったお客の顔を見るのが好きだ。
今日も程よく日の当たる窓辺でデザイン案をスケッチブックに描く。
財布、キーケース、ボールホルダー。
どれもこれも人気のものばかりだ。革細工は繊細で、手入れを怠ればすぐに傷んでしまう。手作りだからこそ、末長く使ってほしいと思うのは我儘なのかもしれない。けれど、ボロボロになった物を申し訳なさそうに修理を依頼してくる姿を見ると、嬉しくなってしまう。綺麗に修復したものを渡したときの表情は格別だ。
この仕事をしていてよかったとさえ思える。
「すみませーん」
カラン、とドアベルが作業部屋に響くと同時に、少女の声が聞こえた。
「やあ、チャンピオン。いらっしゃい」
片手をデスクについて立ち上がると、少女がごそごそと小さなバッグから取り出したものを受け取る。
「グローブに穴が開いてしまって。修理していただけますか?」
よく使いこまれたグローブは、五年前に作ったものだ。まだ今よりも小さかった幼きチャンピオンのためにとキバナと一緒に訪れた。
「これだけ大きな穴が開いてしまうと修復は難しいかな。直せるけど色むらが出てしまうよ。それにもうそろそろ小さくなってきたんじゃないかい?」
小さなグローブの手のひらの部分には、擦り切れて開いてしまった穴がある。他にも多数の小さな穴があった。
決して乱雑に扱っていたわけではないことは、まだ擦り切れていない革の部分から見て取れる。
きちんと汚れを落として、クリームで保湿をしていたのだろう。けれども寿命というものはやってくる。
「確かに少し、指回りが小さくなったかもしれないです」
破れていない方のグローブを嵌めて、何度か握ったり開いたりを繰り返している。
よく見れば、第二関節ぎりぎりまであったはずの革はずいぶん短くなったように思えた。
「新しいのを作りましょうか。きちんと手のサイズに合ったものを」
「…そうですね。じゃあ、また一緒にキバナさんのも作ってもらえませんか?キバナさんのもそろそろ同じようになりそうだったので」
「いいけど…彼のサイズはわかるかい?採寸は5年前したっきりだろう?」
成人の男性とて、サイズは変わるものだ。痩せたり太ったり、筋肉がついたり。彼らの仕事で使うものだからこそ、手にぴったりと合ったものを作りたい。けれど、目の前の女性はうーん、と難しそうな顔をしていた。
「サプライズでプレゼントしたかったんですけど…。こっそりサイズ測るのは難しい、ですよね」
「そうだねぇ…やっぱりここで採寸した方がきちんとしたサイズで作れるかな。普通にプレゼントじゃだめかい?」
すっかり少女から女性へと変貌したチャンピオンに尋ねると、彼女はしばらく考えた末に頷いた。
「少しだけ、協力してもらえませんか?」
「なにをだい?」
「多分、キバナさん、私より先に来てお支払いしちゃうと思うんです。だから、私が先にお支払いして、出来上がったらラッピングをしておいてもらえませんか?」
「君は彼にどうしても贈りたいんだね。わかったよ。また今度二人でおいで」
「はい!ありがとうございます」
ぺこりと小さく頭を下げて少女は去っていく。
ドアベルが鳴りやむと、まだ静寂が作業部屋を包んだ。
二人が来店したのは翌日のことだった。
ちらりと見た彼のグローブは毛羽立っていて、もうすぐ穴が開くだろう。
それでもきちんと手入れをされての寿命のようだった。
あんなに大きなボールを持つのだから、5年はよく持った方かもしれない。
採寸を終えて、見本の革を見ている二人は仲睦まじい姿だった。
噂通り、兄妹のようだと思った5年前と違い、今はお互いを慈しんでいるようだ。
彼女のどうしても贈りたいのだと強い意志を持った瞳の理由はこれだったのだなと合点がいって、一人頷く。
彼は紺色を、彼女はライトグレーを選んだ。
おおよその期間を伝えると、チャンピオンのチョコレート色の瞳がじっと私を見つめていた。
小さく頷くと、彼女の顔がぱっと輝いてすぐに穏やかな笑みに変わる。
二人は5年前と同じように手を繋いで店を出ていった。
さっそく、指定されたカブレッタ革とその他諸々の材料を注文する。
今ではロトムがパソコンを操作してくれるからだいぶ楽になった。
顧客簿から5年前に作ったもののデザイン案を取り出し、採寸した数字に置き換えて新たに下図を作り上げることにした。
◇◇◇
あれから一か月。
ようやく出来上がった二人分のグローブをそれぞれ箱に入れてラッピングを施した。
きちんと棚にしまい、一息つこうとコーヒーを淹れていると、ドアベルが来客を告げた。
「いらっしゃい」
「そろそろ出来上がるころかなって思って寄ってみたんだ」
「ちょうどさっきラッピングが終わったところだよ」
コーヒーの入ったマグカップをそのままに、先ほどしまった箱を二つ持っていく。
「今度は穴が開く前に持ってきてくれよ。そうすれば直せるかもしれないから」
「あいつに伝えとくよ」
「じゃあ、大事に使ってくれてありがとうってのも一緒にね」
使い込まれた革財布を取り出したキバナに首を横に振る。
「お代はもうもらってるよ」
「え?」
「あとでチャンピオンに聞いてくれ。…これは年寄りからの迷惑なアドバイスだけれどね。幸せにしておやり」
「…もちろんだよ。いつもありがとな。なんか困ったことがあったら遠慮なくジムに来てくれよ」
彼は二つの箱が入った紙袋を持って、店を出ていった。
窓際の日当たりのいいデスクのチェアにゆったりと腰掛ける。
一口啜ったコーヒーはだいぶぬるくなっていた。
ずずっと音を立てて飲みながら写真立てを手に取る。
写真の中で穏やかな笑みを浮かべる女房に会うことはもうできない。
けれども大切な思い出が幾つもある。
あの二人を見ていると、そんな懐かしい思い出とどこか重なるような気がしてとても微笑ましかった。
もう50年にはなるだろう。いつの間にか老舗と呼ばれるようになり、顧客も随分と名のある人が多くなった。
ある程度数を作って出していた小物類の販売を止め、オーダーメイド専門にしたのは20年前だ。
一人ひとりの要望に沿ったものを作り、完成品をお渡しする。ようやく出来上がった自分の理想とした商品を手に取ったお客の顔を見るのが好きだ。
今日も程よく日の当たる窓辺でデザイン案をスケッチブックに描く。
財布、キーケース、ボールホルダー。
どれもこれも人気のものばかりだ。革細工は繊細で、手入れを怠ればすぐに傷んでしまう。手作りだからこそ、末長く使ってほしいと思うのは我儘なのかもしれない。けれど、ボロボロになった物を申し訳なさそうに修理を依頼してくる姿を見ると、嬉しくなってしまう。綺麗に修復したものを渡したときの表情は格別だ。
この仕事をしていてよかったとさえ思える。
「すみませーん」
カラン、とドアベルが作業部屋に響くと同時に、少女の声が聞こえた。
「やあ、チャンピオン。いらっしゃい」
片手をデスクについて立ち上がると、少女がごそごそと小さなバッグから取り出したものを受け取る。
「グローブに穴が開いてしまって。修理していただけますか?」
よく使いこまれたグローブは、五年前に作ったものだ。まだ今よりも小さかった幼きチャンピオンのためにとキバナと一緒に訪れた。
「これだけ大きな穴が開いてしまうと修復は難しいかな。直せるけど色むらが出てしまうよ。それにもうそろそろ小さくなってきたんじゃないかい?」
小さなグローブの手のひらの部分には、擦り切れて開いてしまった穴がある。他にも多数の小さな穴があった。
決して乱雑に扱っていたわけではないことは、まだ擦り切れていない革の部分から見て取れる。
きちんと汚れを落として、クリームで保湿をしていたのだろう。けれども寿命というものはやってくる。
「確かに少し、指回りが小さくなったかもしれないです」
破れていない方のグローブを嵌めて、何度か握ったり開いたりを繰り返している。
よく見れば、第二関節ぎりぎりまであったはずの革はずいぶん短くなったように思えた。
「新しいのを作りましょうか。きちんと手のサイズに合ったものを」
「…そうですね。じゃあ、また一緒にキバナさんのも作ってもらえませんか?キバナさんのもそろそろ同じようになりそうだったので」
「いいけど…彼のサイズはわかるかい?採寸は5年前したっきりだろう?」
成人の男性とて、サイズは変わるものだ。痩せたり太ったり、筋肉がついたり。彼らの仕事で使うものだからこそ、手にぴったりと合ったものを作りたい。けれど、目の前の女性はうーん、と難しそうな顔をしていた。
「サプライズでプレゼントしたかったんですけど…。こっそりサイズ測るのは難しい、ですよね」
「そうだねぇ…やっぱりここで採寸した方がきちんとしたサイズで作れるかな。普通にプレゼントじゃだめかい?」
すっかり少女から女性へと変貌したチャンピオンに尋ねると、彼女はしばらく考えた末に頷いた。
「少しだけ、協力してもらえませんか?」
「なにをだい?」
「多分、キバナさん、私より先に来てお支払いしちゃうと思うんです。だから、私が先にお支払いして、出来上がったらラッピングをしておいてもらえませんか?」
「君は彼にどうしても贈りたいんだね。わかったよ。また今度二人でおいで」
「はい!ありがとうございます」
ぺこりと小さく頭を下げて少女は去っていく。
ドアベルが鳴りやむと、まだ静寂が作業部屋を包んだ。
二人が来店したのは翌日のことだった。
ちらりと見た彼のグローブは毛羽立っていて、もうすぐ穴が開くだろう。
それでもきちんと手入れをされての寿命のようだった。
あんなに大きなボールを持つのだから、5年はよく持った方かもしれない。
採寸を終えて、見本の革を見ている二人は仲睦まじい姿だった。
噂通り、兄妹のようだと思った5年前と違い、今はお互いを慈しんでいるようだ。
彼女のどうしても贈りたいのだと強い意志を持った瞳の理由はこれだったのだなと合点がいって、一人頷く。
彼は紺色を、彼女はライトグレーを選んだ。
おおよその期間を伝えると、チャンピオンのチョコレート色の瞳がじっと私を見つめていた。
小さく頷くと、彼女の顔がぱっと輝いてすぐに穏やかな笑みに変わる。
二人は5年前と同じように手を繋いで店を出ていった。
さっそく、指定されたカブレッタ革とその他諸々の材料を注文する。
今ではロトムがパソコンを操作してくれるからだいぶ楽になった。
顧客簿から5年前に作ったもののデザイン案を取り出し、採寸した数字に置き換えて新たに下図を作り上げることにした。
◇◇◇
あれから一か月。
ようやく出来上がった二人分のグローブをそれぞれ箱に入れてラッピングを施した。
きちんと棚にしまい、一息つこうとコーヒーを淹れていると、ドアベルが来客を告げた。
「いらっしゃい」
「そろそろ出来上がるころかなって思って寄ってみたんだ」
「ちょうどさっきラッピングが終わったところだよ」
コーヒーの入ったマグカップをそのままに、先ほどしまった箱を二つ持っていく。
「今度は穴が開く前に持ってきてくれよ。そうすれば直せるかもしれないから」
「あいつに伝えとくよ」
「じゃあ、大事に使ってくれてありがとうってのも一緒にね」
使い込まれた革財布を取り出したキバナに首を横に振る。
「お代はもうもらってるよ」
「え?」
「あとでチャンピオンに聞いてくれ。…これは年寄りからの迷惑なアドバイスだけれどね。幸せにしておやり」
「…もちろんだよ。いつもありがとな。なんか困ったことがあったら遠慮なくジムに来てくれよ」
彼は二つの箱が入った紙袋を持って、店を出ていった。
窓際の日当たりのいいデスクのチェアにゆったりと腰掛ける。
一口啜ったコーヒーはだいぶぬるくなっていた。
ずずっと音を立てて飲みながら写真立てを手に取る。
写真の中で穏やかな笑みを浮かべる女房に会うことはもうできない。
けれども大切な思い出が幾つもある。
あの二人を見ていると、そんな懐かしい思い出とどこか重なるような気がしてとても微笑ましかった。