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nclのmobシリーズ+他者視点

「いらっしゃいませ」
レジから一歩引いてお辞儀をする。
「お願いします」
丁寧に言葉をかけてくれる人は半数くらいいる。
地域によって違いはあるのかもしれないが、ナックルシティの住民は皆礼儀正しい。
目の前に立つ背の高いこの男性も例外ではなかった。
まさかこんな庶民的なスーパーに来るなんて。もっと高級なスーパーも通りの向こうにあるのに。
つい三十分ほど前、入り口の方がやたらと賑やかになった。
表立って口にはしないが、彼の来店に店員も客も驚いたのだ。
このスーパーに勤務して半年。今までに彼が来店したことはないはずだ。
誰もが知るナックルシティの有名人、若いジムリーダー、ドラゴンストームキバナ。
仕事帰りなのか服装はいつものテレビでよく見る恰好だ。
その姿で買い物カゴを持ち、きょろきょろと店内を見渡しては商品を手に取っていく。
野菜コーナーから精肉コーナーへ、ドリンク類、菓子。
一通り回ったのかレジに並んだ彼は、どこか居心地が悪そうだった。
それもそうだろう。皆、ちらちらと彼の様子を伺っているのだから。
極力、見ないように努めたところでやはり気になる。
こんな庶民的なスーパーで買うものがあるとすれば、ドリンクか菓子か。そのくらいだろう。
たまたま、それらを買いに来たのだ。
目の前に立つ客も居心地が悪そうだった。
なにせ後ろにはドラゴンストームが立っているのだから、緊張しないはずがない。
私だって、もう手に震えが出ている。
なぜここに並んだのか。もっとベテランの、おばさん店員のレジに並んでくれたらよかったのに、とそう思わざる終えない。
「いらっしゃいませ」
「お願いします」
あまりにも並んでいる人が多い時は、言葉だけで済ませるときも多い。
いつもテレビで見るキャラとは随分と違うなと思った。
もっと青年らしくて少し態度の大きいような、フレンドリーな感じがしていたのに、目の前にいる青年の視線はカゴの中や店内や、とにかく視線が定まらない。
「マイバッグはお持ちですか?」
「…いや」
「袋は有料となりますが、いかがいたしましょうか」
「お願いします」
カゴの中には焼き肉用の肉、少人数のバーベキュー用にカットされた野菜が入ったパック、エールが数本。それから焼き肉のタレと米。
友人と集まってバーベキューでもするのかという内容だった。
それにしては少し量が少ない気もするし、価格が安い。
あまり見ないように次々とバーコードをスキャンしていく。
まじまじと見ては失礼だし、何より彼が可哀そうだ。
普段は買い物などしないのだろうか。
ならば一体、何を食べているのか。
ジムリーダーはバトルだけでなく、その地域の警備のような仕事もしていると聞くし、確か彼は宝物庫の管理もしているはずだ。
以前息子に強請られて見学会についていったことがある。
子供にもわかりやすいように説明してくれて、最後にはジュラルドンやフライゴンを出して触らせてくれていた。
あの後、ナックラーが欲しいと息子に強請られて大変だったのを覚えている。
忙しそうだし、きっと普段は誰かが作ってくれるのか、外食しているのだろう。
ここ一年ほど、彼はよく週刊誌に載っている。その度、娘が煩くて仕方がなかった。
「お会計、6,452円です。ポイントカードはお持ちでしょうか?」
持っているはずはないのだが、念のため聞くようにマニュアルにはあるのでそのまま伝えると、彼は首を横に振った。
「お作りしますか?」
その問いにも彼は首を横に振って、高そうな黒い革の財布から7000円を出した。
「お預かりいたします」
今はレジにお金を入れれば勝手に小銭を排出してくれる。
ようやく店員側にも優しくなったと思う。
「お釣りでございます。ありがとうございました」
小さく頭を下げて、彼はカゴを持っていくとテーブルの上に置いた。
ガサガサとビニール袋の音を立てている。
ぴったりと張り付いた購入したばかりのビニール袋がなかなか開かないのだろう。
たまに旦那と買い物を行って、荷物を頼むと同じようにもたもたとしているから、きっと男性のカサついた指先には開けにくいのだろう。
次の客の相手をしているから、そこに濡れタオルがありますよ、とは伝えにいけない。
もしこの客の会計が終わってもまだ苦戦していたら一声かけようと思っていると、指を濡らすと開けやすいですよ、と年配の女性が助け舟を出した。
こんなに慌てて、ばつの悪そうなドラゴンストームを見ることなど多分この先一生ないだろう。
うっかりスキャンする手を止めてしまい、ちらりと客を見ると女性の視線の先もドラゴンストームにあった。
皆、興味津々というよりは心配なのだ。
だって明らかにスーパーに来るのは初めてだと言わんばかりに挙動不審だったから。
ようやく袋が開くと、彼は少々乱雑に商品を入れて大股で立ち去って行った。
店内の空気が一瞬、止まったような気がした。
皆、黙って彼を視線で追いかけ、出ていったというのに入り口を見ている。
「あのエール、あとで悲惨なことにならなければいいんだけど」
同年代だろう客の女性がぽつりと呟いた。
彼はエールを、あろうことか横にして詰めていたと思う。そんな入れ方をしたら袋を持って歩いているだけで振っているようなものだ。
「そうですね」
幸い、ここでカメラを向けていた客はいないようだ。
きっと彼なら、そんな様子でさえ話のネタにするだろうけれど。
ナックルシティの住民は、皆、今見た光景を共有することなく胸に閉まっておくようで、やっぱり礼儀正しいのだなと感心した。
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