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ジンクス

 チャンピオンに就任して八年が経った。
 無敗記録十回のダンデさんの記録にあと二回で追いつく。
 鏡の前で伸びた髪を整える。癖のないストレートの髪は扱いやすい。いつの間にか短かった髪は腰のあたりまで伸びた。身長はあまり変わらないが、胸も膨らみ、腕や足には筋肉がついた。
 健康的な、といえば聞こえはいい。
 ただ、同じように健康的といえばルリナさんの方が綺麗だと思う。
 素直に、羨ましいと感じる。
 あんな風な見た目なら、あの人の傍に並ぶこともできるのに、と。
 ため息をついて、鏡の中の自分を見る。特に特徴もない平凡な見た目。肌の色が濃いわけでもなく、ほくろや痣など特筆する特徴を持たない顔は、ユニフォームを着ていなければただのトレーナーとして見られるだろう。
 もし、マリィのように奇抜なメイクや服装が似合ったなら。
 もし、ソニアさんのように女性らしかったら、あの人は振り向いてくれるだろうか。
「それ以前の問題、だよね。……いこっか」
 ウォン?と疑問の鳴き声を一つ上げたインテレオンをボールに入れて、スニーカーを履く。
 せめて女性らしい服装を、と思ったところで、出かける先はいつもワイルドエリアだ。汚れても気軽に洗濯ができる服を選んでしまう。その服のまま彼に会うことが多いから、女性として見られなくても当然かもしれない。
 予約していたアーマーガアタクシーに乗り込んで、ぼんやりと外を眺める。
 ちくちくと胸を刺すような痛みが消えることはない。
 どこにいても何をしていてもふと、この痛みは姿を現し、気分を降下させる。
 どうせなら、きっぱりと振られてしまった方が楽になれるのかもしれない。
 告白してしまえば、この罪悪感も一緒に消えてくれるのだろうか。
 淡い恋心に巣食う罪悪感は、彼に対するものばかりではない。
「お客さん!すごい吹雪ですけど、いいんですかい!?」
 スピーカーから流れてくる運転手の声に降ろしてくれと言うと、アーマーガアは下降を始めた。
「吹雪かぁ……」
 ワイルドエリアの本日の天候は吹雪。
「カジッチュ、捕まえたかったけどなぁ」
 アーマーガアタクシーを降りるなり、ボールから出した相棒のインテレオンに苦笑いしながら呟く。
 数日前、SNSを見ていると『カジッチュのジンクス』が話題になっていた。バレンタインが近いこの時期、毎年似たようなジンクスがある。今年は『思い人にカジッチュを渡すと恋が叶う』というものだった。
 確かにカジッチュの見た目は林檎……もといハート型にも見える。
 ジンクスやおまじないなどあまり信じない。けれども今年は、これに賭けるほかなかった。藁にもすがる思いといったところである。
 恋だと自覚したのは去年の夏だった。
 それまでも、不思議な感覚はあった。
 会えば心臓がドクンと跳ねるし、熱が出たかのように体温が上がる。伝えたいことの半分も言えなくなって、気軽に誘うこともできなくなった。
 それでも、彼から誘われれば小綺麗な恰好をして会いに行った。
 なのに、忘れもしない去年のクリスマス。
 一生懸命プレゼントを選んで、それを持って行った。ジムの前まで行って、人だかりができていて彼がその中心にいるのだと気がついて近づくと、綺麗な女性が彼の肩に頭を寄せていた。
ファンサービスだということはわかっていた。
 理解することと、感情は別物なのだとその時初めて知った。
 湧き上がる黒いどろどろとした嫌な思考に、気がつけばジムを離れていた。
 勝てないと思った。やはり彼の傍はああいう綺麗な女性が似合うのだと見せつけられた気がして、彼からの着信に出ることができなかった。
 会いたいのに、会えない。
 話したいのに、話せない。
 黒い思考は徐々にその存在を大きく姿を現すようになった。
 今年とて、彼はいつものようにたくさんのチョコレートを貰うのだろう。もしかしたら今年こそ、その中から本命を選ぶかもしれない。
 今月末で私はガラル地方の定める成人の歳になる。未成年者に手を出せば、どのようになるかくらいわかる。けれどそれだってもう終わりだ。
 だから、今年は我儘になることにした。
 思うように言葉では伝えられないから、カジッチュを送って妹のように扱う彼に好きだと伝えるのだ。
 いろいろな感情を全部後回しにして、彼に想いを伝える。
 例え、彼がほかの女性を好きでも、己のことを恨んでいても。
 全部を置き去りにして、想いを伝える。
 何にしても、カジッチュを捕まえないことには話にならない。
 自転車に跨って砂塵の窪地へと向かう。飛び出してくるポケモンたちを避け、吹き付ける吹雪に視界を遮られる。もう少しすれば吹雪が晴れるはずだ。
「……こっちもやっぱり吹雪だ」
 見覚えのあるエリアの区切りを抜けても視界が晴れることはなかった。砂塵の窪地までもが吹雪で、決意が揺らぐ。
 自転車に乗る間、ボールに入っていたインテレオンが出てくると、彼は不服そうに鳴いた。
カジッチュなどどうでもいいからバトルがしたい、そんな目をしている。
十分に強くても、彼はとても鍛錬に熱心だ。
あたりを見回すと、ドータンク、テブリム、ナットレイ、ギギアルが草むらから外れて姿を現している。
インテレオンに任せ、まずは野生ポケモンの討伐にかかる。
カジッチュを探したいのは山々だが、後ろから襲われては面倒だ。
ドータンク、テブリムと調子よく倒していくが、ナットレイとギギアルに同時に襲われてしまった。
ワイルドエリアの野生ポケモンはレベルが高い。インテレオンでも相性が悪ければ瀕死になってしまう。
今日はインテレオンの他はポケモンセンターに預けてきてしまっていた。
インテレオンの体力は2/3。傷薬で回復するにはまだ早い、と迷っている間にギギアルが放電を始める。放電を受けたインテレオンはマヒ状態に陥った。
カバンからマヒなおし、もしくはなんでもなおしを探すがなかなか見当たらない。
よく確認も整理もせず飛び出してきた己の愚かさを呪う。
カバンの中身を地面にぶちまけ、薬を探していると頭上に吹雪とは違う風の通り道を感じた。
美しい羽音に大きな緑の体と赤い目をしたポケモンがインテレオンの前に降り立った。
ほぼ同時にその背に乗っていたトレーナーが降りると、すぐに戦闘態勢に入る。
フライゴンの横にジュラルドンが現れ、マヒ状態で膝をついていたインテレオンをボールへ戻した。
何度も苦戦したフライゴンとジュラルドンの連携プレイはやはり見事なもので、あっという間に二匹は倒された。
「ユウリ!」
背の高い、紺色にオレンジの縁取りがされたパーカーを羽織ったトレーナーが振り向きざまに怒鳴る。
「あの…キバナさん、ありがとうございました」
「あれだけ天候が悪い日はオレさまを呼べって言っただろ!しかもインテレオンしかいねぇし!」
頭上からの怒鳴り声が響く。
なぜバレたのだろうか。
吹雪で視界が悪く、門番のようにいつも立っている食材屋らの目を盗めたと思ったのに、と心の中で呟く。
「…食材屋に用があったんだよ。そしたらチャンピオンが自転車でワイルドエリア入っていきましたけど待ち合わせですか?なんて言われてな」
ふいに顔に打ち付けていた雪の感触が消える。
見上げるとキバナが目の前に立ちはだかり、雪の流れを遮っていた。
キバナはジュラルドンをボールへ戻すとフライゴンに跨る。
「帰るぞ」
フライゴンの後部を軽くたたいて、低い声で言われてしまえば諦めるほかない。
普段は怒ることのない彼が怒ると、それは怖い。諦めて、彼の背中に腕を回す。
横目でちらりと確認したフライゴンがひと声上げて飛び立ち、ナックルシティへとゆっくり飛行を開始した。
後ろからは見えないが、険しい表情をしているだろうことは容易に想像できた。
無理もない。約束を破ったのだ。
まだジムチャレンジャーだったころ、今日と同じように助けられたことがある。
手持ちはジメレオン以外瀕死、そのジメレオンの体力も半分以下。急いで自転車を漕ぎ、ナックルシティへ向かっていたところをバンギラスに襲われた。
やはり今日と同じように傷薬の在庫がないか慌ててカバンを漁っていると、フライゴンが現れた。
その時はまだ面識がなく、「気をつけろよ」と一声残して彼は去っていった。
後日宝物庫で再開し、丁寧にお礼をすると彼は笑った。「よくあることだから気をつけろ」と大きな手が頭に落ちてきて、ぐしゃぐしゃと帽子ごと撫でられた。
後にチャンピオンに就任してもその扱いは変わらなかった。チャンピオンと言えど女性なのだから無理をしないこと。天候が悪い日は装備を見直し、できれば単独ではなく誰かと、もしくは彼、キバナを呼ぶこと。
そう約束したのだった。
「…怒ってますよね」
聞こえたかどうかはわからない。彼は前を向いたままだ。
この後なんと説明しようか。
言い訳をあれこれ考えているうちにフライゴンは下降を始め、ナックルシティ宝物庫の入り口へ降り立った。
無言のまま真っすぐに執務室に進んでいく彼の後ろをついていく。
結局、言い訳は何も思いつかなかった。
「んじゃ、そろそろオレさまとの約束を破った理由、説明してくれるよなぁ?ユウリ」
この人と出会うまで、笑顔で怒る人がいるということを知らなかった。
目が笑っていない。それはただ怒っているよりも恐怖を覚えた。
「実は…ポケモンを探してまして。捕まえに行こうと思ったら吹雪で…奥に行ったら天候変わってるんじゃないかな~と…」
カジッチュであることは隠したい。それにキバナ同行の元カジッチュを捕まえに行くなどジンクスの意味もない。
「吹雪の中一人で、インテレオン一匹で入っていったらどうなるか、考えなかったのか?」
おっしゃる通りです、と小さく呟く。
「オレさまに連絡しようとは思わなかったのか?」
「…キバナさんも、お忙しいじゃないですか。宝物庫も管理されてるし。ホップはソニアさんのところだし」
渡されたタオルで顔や髪、服を様子を伺いながら拭いていく。
ちらりと見上げると、キバナのパーカーも濡れていた。
「忙しいけどよ。それくらいの時間、取れるぞ」
キバナはあきれ果てたように腕組みをして見下ろしているが、目には怒りは宿っていない。
「んで、何捕まえようとしてたんだ」
ぐっと喉が鳴った。嘘は苦手だ。嘘が下手だということは、自分自身でも自覚している。いつだってすぐにバレてしまう。
かといってこのまま黙っていても話は進まないし、解放してはもらえないだろう。
「カジッチュです…」
冷えきった体がカジッチュという単語一つで一気に熱くなっていく。
「カジッチュ?…あ~なるほどな」
彼はカジッチュと言っただけでその意味が分かったらしい。SNSで有名人の彼ならば、ジンクスくらい何度も目にしているのだろう。
「誰にあげるんだ?オレさまが協力してやるよ」
怒ったり呆れたり、楽しんでいたり。
忙しい人だなと思った。同時に、協力など出来るはずがない。渡す相手はその本人なのだから。どう協力するつもりなのだろうと内心毒づいた。
「ホップか?ビートか?お前の周りにいる男って言ったらそれくらいだろ?」
見当違いもいいところである。首を横に思いきり振って訴えた後、ますます火照る顔を水滴を拭うふりをしてタオルに埋めた。
「言えねぇならいいけど。カジッチュ、この間捕まえたやつでよければやるよ。ちょっと待っとけ」
そう言って背を向けたキバナの服の裾をユウリは咄嗟に引っ張る。
「キバナさんからもらったんじゃ、意味ないんです」
その拍子にはらりとタオルが床に落ちた。
ひどく真っ赤な顔をしているんだろうなと思いながら見上げると、彼のトレードカラーの青とオレンジのウェアが視界に入る。
「キバナさん、あの、私…」
「なあ、ユウリ。オマエ今年でいくつになる?」
「18…です」
「だよな。オレさまの勘違いじゃなくてよかったよ。ちょっと待ってな」
ウェアの裾を引っ張り続けていた指をそっと外される。
ゴツゴツとした男の人の、大きい手だ。冷え切っていた指先が急に体温を取り戻す。
扉が閉まる音がすると、力が抜けたように膝が崩れて柔らかいラグの上に落ちる。
そのまま膝を抱えて顔を埋めた。
なにがどうなって、この状況になったのか。
この後もどうしたらいいのかわからない。
告白すべきか、適当なことを言って逃げるか。
どのみちバレンタインにはカジッチュを渡して告白するつもりだった。けれども今、カジッチュもなければ代わりの物もない。告白の覚悟も決めていない。
考えなければならないのに、思考はまったく働かない。
久しぶりに会った彼は、以前と全く変わらない。
強くて、優しい。
もう、今の関係でもいいかもしれないとふと頭を過った。
傍にいたいと思ってしまった。隣でなくていい。ただ傍に。
告白をして振られて気まずくなるより、今のままでいいのではないかと思い始める。
たまにご飯を食べに行ったり、キャンプをしたり、バトルをしたり。
この気持ちに蓋をすれば、また以前のように付き合えるだろう。
体中の熱が一気に引いていく。けれど脳はまるで沸騰したようにぼうっとしていた。
「ユウリ」
ドアが開く音に振り替えると、戻ってきたキバナは手にモンスターボールがあった。
彼は、自分ではない誰かのために渡すと思っているのだ。そんなものはいらないというのに。
「18になったら、言おうと思ってたんだ」
ボールを放ると中からカジッチュが出てきた。
頭の上の葉を揺らし、真っ赤な体で跳ねるその姿はとても愛らしい。
「オレさまと、付き合ってくれませんか?」
執務室を自由に飛び回るカジッチュを眺めていると、望んでいた言葉が降ってくる。
「…え?」
とうとう幻聴が聞こえ始めたのかもしれない。もしくは、夢の中へ入ったのだろうか。
手の平をぎゅっと摘まんでみる。皮膚を引っ張られる痛みを感じた。
視線を合わせるかのように跪いた彼の表情は、いつもより目尻が垂れていて、その青い瞳の奥に宿る光は見たことがなかった。
「18になれば成人だろ。成人してれば、皆を説得しやすい。オレさまは何をされても気にしないが、オマエは違うだろ。チャンピオンとしての立場もある。だから、待ってた」
この状況は夢なのだろう。
現実のはずがなかった。きっと、待っている間に眠ってしまったのだ。
夢の中の創造でいい。正しい答えではないだろうけれど、それなら聞きたいことを聞ける。
「…いつからですか?私はつい最近気づいたのに」
「最初は妹みたいに可愛いやつだと思ってたよ。でもな。ネズがマリィの話をするときとオレさまの感覚が違ってるって気づいた。…いつの間にか一人の女性だと思ってた」
だから心配なんだよ、とカジッチュの入っていたモンスターボールが手に握らされる。
しっかりとした重みを感じた。
「受け取ってくれるか?」
「…ありがとうございます。よろしく…お願いします」
いつの間にか溢れていた涙で濡れた頬を手で拭ってなんとか言葉を発する。
横に座った彼の長い腕に捕まって、引き寄せられる。
肩の下あたりに頭を預けると、温かな人の体温にまるで満たされていくかのような心地だった。
「雪の匂いがする」
柑橘系の香りに混ざった、湿った匂い。捕まったままの右腕。
ゆっくり目を閉じると、急に沈んでいくような感覚に襲われた。
「夢なら冷めないで」
深いところへ沈んでいく感覚は、夢の終わりを告げているようだった。
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