その他
女の子なら、一度は夢を見る。
おとぎ話の世界のような、素敵な結末を迎えたい。
身目麗しい王子様に見初めれて、二人は末永く幸せに暮らしました、で締めくくられる物語の数々。
小さいころにたくさん読んだおとぎ話は、今考えれば結構不幸な物語が多い。
人魚姫は人間の足を得るために声を失った。
シンデレラはガラスの靴を得るまで、虐げられていた。
他の物語の主人公だって、どこにでもいる女の子ではない。
何かしら代償を払うか、それまでの境遇が良くない。
それを考えれば幸せになるのは当然の権利だろう。
ドラゴンだってそうだ。
いつも悪しきものとして討伐される対象だ。
そこにある正義はどちらのものか。
それはいつだって、人間側にある。
それがなんだか一方的過ぎて、いつも納得がいかないのだ。
ドラゴンにだって事情があるだろうに、それには一切書かれていないことが多いのだと嘆くと、目の前に座っていたキバナさんは、一冊の本を差し出した。
両手で持っても重たいその本は、その物語だけではなく様々な伝承を記録しているようだ。
よほど古いのか黄ばんでしまって、表紙に型押しされた紋様のようなものも、背表紙のタイトルも擦り切れてしまっていて読めない。
「最初に言っておくぞ。今までみたいなめでたしめでたしは絶対に期待するな。けど、オレさまのお薦め」
先日、ランチの約束を果たせなかったキバナさんは、その代わりにと今日を指定した。
けれども結局、突如舞い込んだ打ち合わせにより、これからシュートシティへ行かなければならないのだと肩を落とした。
予約していた店はナックルシティ。予約時間もランチからディナーへと変更になり、申し訳ないと何度も口にしていた。
そんなキバナさんに何かお薦めの本を教えてほしいとお願いした。
宝物庫で『ブラックナイト現象』に関する書籍を読んでから、伝承や伝奇小説を読むようになった。
キバナさんに嘆いたことも、最近読んだおとぎ話の考察から出た疑問だった。
「読むか読まないかは自由だ。ごめんな。行ってくる」
頭にポンっと手を置いて、キバナさんは部屋を出ていった。
パタンと閉まったドアの音が寒々しく響いた。
その僅かに感じた寂しさを打ち消すように、膝の上に置いた古い書物を捲る。
目次から『聖女シヴァ』を探し出し、パラパラと目的のページまで捲っていく。
その物語の冒頭ははるか昔の話らしく、聞いたこともない地名だった。
竜と人が共に生活をする世界。
聖竜フレーズヴェルグとシヴァは恋をした。
竜と人間との恋を楽しんでいたのは束の間で、人間であるシヴァは肉体的寿命を迎える。
竜であるフレーズヴェルグと人間の間に流れる時間は同じではなかった。
シヴァはその愛を永遠のものとするために、フレーズヴェルグに自らをその内に取り込むよう願う。
肉体ごと魂まで食らってほしい、永遠にフレーズヴェルグの中で生きるために、と。
フレーズヴェルグはシヴァを取り込み、隠れるように身を潜めた。
人間であるシヴァは、幸せだったのだろうか。
もう一度、最初のページまで戻る。
挿絵もない文字だけの書物は、意外と短くまとめられていた。
竜と人間との恋。捕らわれたのではなく、シヴァは自らフレーズヴェルグと生涯を供にしたその物語は、今まで読んだどれよりも悲しくて、幸せだった。
けれども、フレーズヴェルグはどうだったのだろう。寿命も短く、衰えを見せるシヴァの願いを聞き入れ、長い長い竜の寿命を一人で生きたのだろうか。
その結末は、いくらページを捲れど書かれてはいなかった。
重厚な音を立てて本が閉じた。
目次には聞いたことのない地名と人の名前で溢れている。
全てこの世界の話なのだと思うと興味が湧いたが、今はこの物語の余韻に浸りたかった。
ふと窓に目を向けると、眩しかった白光は橙色へと色を変えていた。
ゆっくりと夜闇に沈んでいくそれは、まるでシヴァの魂のようだった。
ぼんやりと沈み切るまで眺めていると、暗くなった室内に明かりが灯った。
「照明もつけないで、どうした?」
遅くなってごめん、と今度は隣に腰掛ける。
「とても、悲しいけれど綺麗な物語でした。シヴァ亡き後、フレーズヴェルグは一人で孤独に耐えたんでしょうか」
膝の上に置いたままだった書物の表紙を擦る。
よく触ってみると、紋様は雪の結晶の形をしていた。
「実はその話には続きがあってな」
同じように窓に視線を向け、太陽の代わりに散りばめられた星の数々を二人で眺める。
「人と竜の融和の象徴であったシヴァ亡き後、戦争が起こった。一人の少女がフレーズヴェルグを訊ねるんだ。特殊な能力を持っていた少女は、かつてのフレーズヴェルグと聖女シヴァの記憶を見る。曲げられた事実を聞かされていた少女は、長く続いた戦争を終わらせるために革命を起こすため、聖女シヴァを自分の肉体を依り代として呼び降ろす。・・・けれどそれは容姿も全く異なる、ただの魔物だった。聖女シヴァを呼び降ろすことはできなかったんだ。その少女は冒険者と呼ばれる者たちと敵対していたが、冒険者と目的が同じであると知り、一緒に旅をする。最初こそ邪険にしていたフレーズヴェルグだが、少女の心境の変化に協力するようになった。結局最後は、助けるようにフレーズヴェルグに乗って現れた少女によって、きっかけを得た冒険者たちは戦争を終結させた。その後その地では、その少女が融和の象徴として崇められることになったんだ」
「今の話だと・・・少女は亡くなったんですね」
「ああ。冒険者たちを救って、散ったんだ」
「送り出したフレーズヴェルグの心境は、どうだったんでしょう」
「・・・さあな。苦肉の決断だったろうよ」
たっぷりとした沈黙の末、キバナさんは小さく呟いた。
この世界は存在しないのに、その書かれたその物語は、生きた人間の物語だった。
「さ、飯食いに行くぞ」
「キバナさん、この本お借りしてもいいですか?」
「ん?いいぞ。他にも読みたい話、あったか?」
「この本の、他の物語も読んでみたくなったんです」
ふふ、と小さく笑って、キバナさんはまた頭に手を乗せた。
私には、まだこの物語に書かれているような愛しいという感情はわからない。
けれど、経験でなくても体験はできる。
もしかしたら子供の頃に読んだおとぎ話も、最初のころはこんな感覚だったのかもしれない。
成長するにつれて、新しい世界へ触れることを忘れていただけで。
そう思うと、余計にこの書物はとても価値のあるものに思えて、汚さないようにカバンの中へしまう。
「今度、この本を読み終えたらまたお薦め教えてくださいね」
おとぎ話の世界のような、素敵な結末を迎えたい。
身目麗しい王子様に見初めれて、二人は末永く幸せに暮らしました、で締めくくられる物語の数々。
小さいころにたくさん読んだおとぎ話は、今考えれば結構不幸な物語が多い。
人魚姫は人間の足を得るために声を失った。
シンデレラはガラスの靴を得るまで、虐げられていた。
他の物語の主人公だって、どこにでもいる女の子ではない。
何かしら代償を払うか、それまでの境遇が良くない。
それを考えれば幸せになるのは当然の権利だろう。
ドラゴンだってそうだ。
いつも悪しきものとして討伐される対象だ。
そこにある正義はどちらのものか。
それはいつだって、人間側にある。
それがなんだか一方的過ぎて、いつも納得がいかないのだ。
ドラゴンにだって事情があるだろうに、それには一切書かれていないことが多いのだと嘆くと、目の前に座っていたキバナさんは、一冊の本を差し出した。
両手で持っても重たいその本は、その物語だけではなく様々な伝承を記録しているようだ。
よほど古いのか黄ばんでしまって、表紙に型押しされた紋様のようなものも、背表紙のタイトルも擦り切れてしまっていて読めない。
「最初に言っておくぞ。今までみたいなめでたしめでたしは絶対に期待するな。けど、オレさまのお薦め」
先日、ランチの約束を果たせなかったキバナさんは、その代わりにと今日を指定した。
けれども結局、突如舞い込んだ打ち合わせにより、これからシュートシティへ行かなければならないのだと肩を落とした。
予約していた店はナックルシティ。予約時間もランチからディナーへと変更になり、申し訳ないと何度も口にしていた。
そんなキバナさんに何かお薦めの本を教えてほしいとお願いした。
宝物庫で『ブラックナイト現象』に関する書籍を読んでから、伝承や伝奇小説を読むようになった。
キバナさんに嘆いたことも、最近読んだおとぎ話の考察から出た疑問だった。
「読むか読まないかは自由だ。ごめんな。行ってくる」
頭にポンっと手を置いて、キバナさんは部屋を出ていった。
パタンと閉まったドアの音が寒々しく響いた。
その僅かに感じた寂しさを打ち消すように、膝の上に置いた古い書物を捲る。
目次から『聖女シヴァ』を探し出し、パラパラと目的のページまで捲っていく。
その物語の冒頭ははるか昔の話らしく、聞いたこともない地名だった。
竜と人が共に生活をする世界。
聖竜フレーズヴェルグとシヴァは恋をした。
竜と人間との恋を楽しんでいたのは束の間で、人間であるシヴァは肉体的寿命を迎える。
竜であるフレーズヴェルグと人間の間に流れる時間は同じではなかった。
シヴァはその愛を永遠のものとするために、フレーズヴェルグに自らをその内に取り込むよう願う。
肉体ごと魂まで食らってほしい、永遠にフレーズヴェルグの中で生きるために、と。
フレーズヴェルグはシヴァを取り込み、隠れるように身を潜めた。
人間であるシヴァは、幸せだったのだろうか。
もう一度、最初のページまで戻る。
挿絵もない文字だけの書物は、意外と短くまとめられていた。
竜と人間との恋。捕らわれたのではなく、シヴァは自らフレーズヴェルグと生涯を供にしたその物語は、今まで読んだどれよりも悲しくて、幸せだった。
けれども、フレーズヴェルグはどうだったのだろう。寿命も短く、衰えを見せるシヴァの願いを聞き入れ、長い長い竜の寿命を一人で生きたのだろうか。
その結末は、いくらページを捲れど書かれてはいなかった。
重厚な音を立てて本が閉じた。
目次には聞いたことのない地名と人の名前で溢れている。
全てこの世界の話なのだと思うと興味が湧いたが、今はこの物語の余韻に浸りたかった。
ふと窓に目を向けると、眩しかった白光は橙色へと色を変えていた。
ゆっくりと夜闇に沈んでいくそれは、まるでシヴァの魂のようだった。
ぼんやりと沈み切るまで眺めていると、暗くなった室内に明かりが灯った。
「照明もつけないで、どうした?」
遅くなってごめん、と今度は隣に腰掛ける。
「とても、悲しいけれど綺麗な物語でした。シヴァ亡き後、フレーズヴェルグは一人で孤独に耐えたんでしょうか」
膝の上に置いたままだった書物の表紙を擦る。
よく触ってみると、紋様は雪の結晶の形をしていた。
「実はその話には続きがあってな」
同じように窓に視線を向け、太陽の代わりに散りばめられた星の数々を二人で眺める。
「人と竜の融和の象徴であったシヴァ亡き後、戦争が起こった。一人の少女がフレーズヴェルグを訊ねるんだ。特殊な能力を持っていた少女は、かつてのフレーズヴェルグと聖女シヴァの記憶を見る。曲げられた事実を聞かされていた少女は、長く続いた戦争を終わらせるために革命を起こすため、聖女シヴァを自分の肉体を依り代として呼び降ろす。・・・けれどそれは容姿も全く異なる、ただの魔物だった。聖女シヴァを呼び降ろすことはできなかったんだ。その少女は冒険者と呼ばれる者たちと敵対していたが、冒険者と目的が同じであると知り、一緒に旅をする。最初こそ邪険にしていたフレーズヴェルグだが、少女の心境の変化に協力するようになった。結局最後は、助けるようにフレーズヴェルグに乗って現れた少女によって、きっかけを得た冒険者たちは戦争を終結させた。その後その地では、その少女が融和の象徴として崇められることになったんだ」
「今の話だと・・・少女は亡くなったんですね」
「ああ。冒険者たちを救って、散ったんだ」
「送り出したフレーズヴェルグの心境は、どうだったんでしょう」
「・・・さあな。苦肉の決断だったろうよ」
たっぷりとした沈黙の末、キバナさんは小さく呟いた。
この世界は存在しないのに、その書かれたその物語は、生きた人間の物語だった。
「さ、飯食いに行くぞ」
「キバナさん、この本お借りしてもいいですか?」
「ん?いいぞ。他にも読みたい話、あったか?」
「この本の、他の物語も読んでみたくなったんです」
ふふ、と小さく笑って、キバナさんはまた頭に手を乗せた。
私には、まだこの物語に書かれているような愛しいという感情はわからない。
けれど、経験でなくても体験はできる。
もしかしたら子供の頃に読んだおとぎ話も、最初のころはこんな感覚だったのかもしれない。
成長するにつれて、新しい世界へ触れることを忘れていただけで。
そう思うと、余計にこの書物はとても価値のあるものに思えて、汚さないようにカバンの中へしまう。
「今度、この本を読み終えたらまたお薦め教えてくださいね」