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ランチボックスシリーズ

開店準備を終えてアイスコーヒーを片手に椅子に腰かけ、香ばしく焼けた小麦粉とバターの香りがする焼きたてのパンをかじりながら窓の外をぼんやりと眺めるのが日課だ。
窓から見える石畳の坂を、彼は今日も走っていた。
褐色の肌色をした長身の若い男性は、どういうわけか、この周辺をひたすら何周も走っているらしい。
だいたい15分おきに通る彼の額からは汗が光っている。
こんなに気温も高くなってくれば、普通に歩いているだけでも暑いというのに、よく走るものだと思った。
時刻は六時半。今までの統計からいけば、もうすぐ彼は店の前を通ってジムの方へ向かっていくはずだ。
ロールパンを食べ終えてアイスコーヒーを飲み干すと、中の氷がカラン、と音を立てた。
早朝の小さなパン屋にやってくる客は少ない。
朝食用のパンを買い忘れた主婦くらいだ。
もう少しすれば出勤途中に寄って昼食用に購入していく人もいるが、今はつかの間の休憩時間。
奥の厨房ではまだ祖父がまだパンを焼き続けている。
俺はひたすら、昼前までここで店番だ。
10時頃になればランチ用のサンドイッチを作るくらいであとは大体、ここで座っている。
祖父が用意してくれた椅子はとても座り心地がいいが、その分大きい。
カウンターの奥の三分の一の面積を占領するその椅子に腰かけ、ノートパソコンを広げて今日もSNSやブログを更新していく。
街の小さなパン屋から発信する情報を見る人は少ない。
この店が持っているのも、長年取引のある飲食店と祖父のパンを長年食べてきた人たちだ。
本当は俺に払う給料だって削りたいくらいだろう。
それでも祖父は居てくれると助かると言って、給料を出してくれている。
昔は気難しくて苦手だった祖父の世話になるのは正直、嫌だった。
けれどもこんな体になってしまえば断ることもできず、せめてもの礼に情報を発信し続けている。
今日のおススメ、家庭でできる簡単アレンジレシピ、パンの豆知識。取り扱っている紅茶とコーヒーの淹れ方。
極々たまにアレンジレシピを見て作ってくれた人からコメントが来れば、もうそれだけで一日幸せな気分になる。
インターネットのことをよく知らない祖父も満更ではないようだ。
椅子に座り直した拍子に足に痛みが走った。軽くその部分を擦ってパソコンを開く。
今日はどんなことを書こうかと店内を眺めて、ふと棚に並ぶ紅茶が目に入った。
だいぶ暑さも厳しくなってきたし、今日は手軽に作れるアイスティーの作り方でもいいかもしれない。
キルクスタウンならおいしい水道水も飲めるかもしれないが、大半の家庭は浄水器をつけているか、ミネラルウォーター、もしくは沸かした水だろう。
もっぱらお湯を沸かして夏の冷たい飲み物を作っている家庭も多いはずだ。
そういえば、よくパンを買いに来る主婦も、水出しの飲み物なんて作れないのだと嘆いていた。
なんでもポット型浄水器を通した水は料理に使うことが多く、飲み物にまでは回らないらしい。
紅茶は茶葉にもよるが、基本はお湯で沸かした方が美味しい。
扱っている茶葉も勿論、お湯で沸かすことを想定している。
ならば、それで美味しいアイスティーを作る方法を書いてみよう。
ネタが決まればすらすらと記事が出来上がっていく。
扱っている茶葉の情報、沸かしたお湯に入れる茶葉の量。
そして、氷で冷やす方法と、粗熱が取れたタイミングで冷蔵庫で保管する方法。
前者はどこにでも載っている情報だ。少し濃いめの紅茶を氷を入れたグラスに注いで冷やす。
もう一つは、通常通りの茶葉の量で作った紅茶を規定の時間蒸らしたらパックを取り出して放っておく。
完全に常温まで冷めれば冷蔵庫で保管をするという方法。
これならば氷を大量に使わないし、意外と何かしている間に冷めてしまう。
あとは、常温の水で作る。少し抽出に時間はかかるが、これもおススメの方法だ。
店で出すものはもちろん急冷したアイスティーだけれども、家庭で作るのならば、これでも十分美味しくできる。
水や氷タイプのポケモンがいる家庭なら、冷やすことには困らないのだが、皆が皆、ポケモンを持っているわけではない。
当たり前のように一緒に暮らしている家もあれば、ポケモンを飼う余裕がない家もある。
祖父だって、知り合いからマホミルをもらい受けるまで生クリームは手作業で作っていたらしい。
紅茶の話を書きだすと、ほかにも書きたいことが増えてきてメモ帳に箇条書きで綴っていく。
ロイヤルミルクティーを作るのは大変だから、紅茶シロップを作ってミルクティーを作る方法。
余っている茶葉で作るシャーベットにレモンティー用のレモンのシロップ漬け。紅茶の話題で明日も書けそうだ。
他にも何かないかと店内に視線を向けると、ランニングをしていた男性がドアの前で小窓を覗き込んでいた。
入るかどうか悩んでいるのか、それとも待ち合わせでもあるのか、スマホと建物の外観を繰り返し見ているようだった。
カラン、とドアベルが涼し気な音を立て、熱気が店内に入り込んでくる。
「いらっしゃいませ」
噂通り、とても背が高かった。
座ったままでは首を思い切り上に上げねばならなかったし、何しろその角度からだと威圧感が凄い。
さすが顔面600族と言われるだけのことはある。褐色の肌に浮かぶ汗をタオルで拭っているだけなのにまるで映画のワンシーンを観ているようだった。
思わず凝視してしまい、慌てて視線を逸らす。男はぐるりと店内を見渡した後、小さなショーケースのサンドイッチを選んでいた。
「これってオリーブ入ってる?」
すっと前に差し出されたのは新商品のサンドイッチだった。
スモークサーモンとブラックオリーブ、新玉ねぎのスライスをクリームチーズと一緒に挟んだオープンサンドイッチはさっぱりしていて暑くて食欲の落ちてる日でも食べやすいと人気だった。
「入ってます」
「あー、そっかぁ」
「…オリーブ抜き、ご用意しましょうか?」
「いや、あー…うん。お願いします」
返答を待つ間に両ひじ掛けに手をついて立ち上がる。
一度座るとなかなか立ち上がれないのが不便なところだ。
トントン、と数回腰を叩いて背筋を伸ばす。まるで老人のようだと何度も言われたことがある。
けれどもそれも、仕方がない。
カウンターの下に備え付けられた製氷機から氷を幾つかプラスチックカップに入れ、開店前に作って冷蔵庫に入れていたアイスティーを注ぐ。
蓋をしてストローを差してカウンターに置くと、彼は首を傾げた。
「少々お待ちください」
厨房へ入ると外と変わらないのではないかというくらいの熱気が籠っていた。
冷蔵庫からスモークサーモンとスライスオニオン、クリームチーズを取り出し、台の上に置く。
サンドイッチ用のパンに順番に乗せ、オリーブオイルを少し垂らす。調味料を軽く振って袋に入れれば完成だ。
オリーブを抜いたサンドイッチをついでに数個作り、それも一緒に持っていく。
「お待たせしました。一個でよろしいでしょうか」
「それを二つと、あとこれも」
作っている間に選んだのだろう。トレーの上には一人では多すぎる量のパンが盛られていた。
「アイスティー、美味かった。ありがとう」
背も高くて顔もいい。おまけに声もよければバトルも強い。宝物庫も管理しているということだから頭もいいのだろう。
天は彼に二物も三物も与えたのだ。トレーナーすら挫折せざる負えなかった身としては羨ましいを通り越してもはや恨めしかった。
周りよりは少し遅いジムチャレンジだった。
ある日見た、自分と歳の変わらないチャンピオンの防衛戦にバトルをしてみたいと思った。
相棒と一緒に戦うというのはどんなものなのか。
一緒に旅をしたらきっと楽しいだろう。
学校と家を往復するだけの生活に飽き飽きしていた俺は、夏休みの間だけジムチャレンジをすることに決めた。
最初に捕まえたのはココガラだった。
次にワンパチ、カムカメ。むやみに捕まえず、縁があってついてきた子たちばかりだ。
ボックスの中には今でも15体のポケモンがいる。ジムリーダーに合わせてタイプを変え、うまく攻略していっていた。
最後の砦、ナックルシティ。ようやく戻ってきた地元のジムリーダー、キバナに備えてワイルドエリアで特訓をしていた時だった。
突然、腰や足に激痛が走って動けなくなった。なんとかアーマーガアの背に乗って家へと戻った。
早く飛べるはずなのにゆっくりと揺らさないように飛んでくれたアーマーガアには今でも感謝しかない。
結局、インドア少年が突然激しい運動をしたこと、気温差の激しいワイルドエリアに数日籠っていたこと、寝袋での生活で疲れが取れず、体中の筋肉が悲鳴を上げていたことが原因で腰痛を発症し、以降何年たっても痛みは消えなくなっていた。
長時間立っていることもできないし、長い距離を歩くこともできない。
座っていても痛みは走る。
ジムチャレンジは諦めるしかなかった。
もしドラゴンストームに勝てば、8つバッチが揃ったのに。
一度くらいは何かを成し遂げることができたのかもしれないのに。
何もかもが恨めしくなって、けれど嘆くなんてことはプライドが許さなくて、夏休みが終わっても気丈に振舞った。
大学を出て、会社にも勤めた。けれどもただの腰痛では理解してもらえなくて、上司には何度も言われた。
『俺の方がもっと辛い』。
面白おかしく自分の病気のことを語り始める人、どれだけ自分が大変な環境にいて我慢しているかを語る人。だからお前はマシな方なのだと繰り返し、かわるがわるに言われた。そんな時、祖父から店を手伝ってほしいと言われた。
饒舌に攻撃をしてくる人に比べたら、気難しく無口な祖父の方がはるかに良いと思った。居場所があっただけマシなのかもしれない。
けれどもそう思えない自分もどこかにいて、極力嫌な記憶は思い出さないようにポケモンバトルに関すること全てから距離を置いた。
こんな街はずれではこの男、キバナも見かけずに過ごしていたのに今日まで平穏に暮らしていたのに。
「いえ、今日も朝から暑かったので。でも、どうして貴方がこんな所を?」
「知り合いがブログを見つけたんだ。ここのパンを食べてみたいって言いだしてな。営業しているはずなのに看板も何もないからずっと探してたんだ。今日はお兄さんがパン食べてるのを見かけたから、ここなのかなって」
そういえばここ最近は、朝から日差しが強くてブラインドを下ろしていた。
今日はたまたま閉め忘れていたせいで中が見えたのだろう。
知っている人だけが食べればいい。それが祖父のスタイルだった。過度には売り出さず、固定客のみを大事にしていく。儲けなど考えず、ただ自分の好きなことをするためだけの店。それがいいのだと言っていた。
「お口に合えばいいんですが…」
「食べるのが楽しみだ。毎日毎日言われてたからなぁ。ようやく少し静かになる。ここってSNSに載せても大丈夫か?」
「いえ、申し訳ないですが、貴方が紹介してあまりお客様が来られても、私では対応しきれませんので…」
「ああ、そっか。OK」
数えてみると、彼は12個もパンを買い、4つのサンドイッチを買っていた。
こんなに量があるということはジムで食べるのだろうか。
なら多めにウェットティッシュを入れたほうがいいかもしれない。
けれども上司にパンを買ってきてくれと強請るだろうか。それはそれで何とも変わった職場だと思う。
「お待たせしました」
「それじゃ、またな」
大きな袋いっぱいに詰めたパンを片手に、彼はメディアで見せるときよりは優しい表情で笑ってドアを潜っていった。
すぐさま腰のホルダーからボールを一つ取り出すと、フライゴンが飛び出した。
嬉しそうに顔を摺り寄せ、背を向ける。
まるで早く乗ってくれと言わんばかりの仕草だった。
キバナはそんなフライゴンの頭を撫で、背に跨って飛び立って行った。
その光景に、いつの日かの夏を思い出した。
アオガラスからアーマーガアへ進化したばかりの頃、同じように頭を摺り寄せてきて、背を向けた。
その背に跨って初めて空を飛んだあの夏の日の記憶が蘇ってきて、急に鼻の奥がツンと傷んだ。
胸にじんわりと沸いてきた感情に、仲間に会いたくて堪らなくなった。
出勤用のリュックの中から、薄手のコルセットを取り出してTシャツの下にしっかりと巻く。
背筋がピンと伸びて痛みが少し和らいだような気がした。
「じいちゃん、ちょっとだけ出てきてもいい?」
「…どこに行くんだ」
オーブンはあと2分でタイマーが切れる。それが終われば祖父も少し手が空くはずだ。
贔屓にしてくれている出勤前の会社員の客たちもまだまだ来ない。
だから、今のうちに。
「ポ…ポケモン、センターに」
「連れてこい」
いつも口数の少ない祖父が、抑揚のない声でつぶやいた。
「みんな、連れてこい。こいつも遊びたがってる。相手してやってくれ」
マホイップが笑顔で頭につけた青いベリーのあめざいくを揺らしていた。
祖父もマホイップも、気づいていたのかもしれない。
こっそりとスマホに保存していた手持ちたちの写真を見ていたこと。
楽しそうに笑いあいながら歩いているポケモンを連れた人たちを眺めていたこと。
もうバトルはできなくても一緒に過ごしたいと思っていたこと。
「何時になってもいい」
「うん、ありがと」
リュックを背負い直して、新聞で表情の見えない祖父に行ってくる、と声をかけた。
カラン、とドアベルが涼しげな音を立てる。
外はからりとした熱気に包まれていた。




「ただいまー」
玄関は少し蒸しているとはいえ、外に比べるとだいぶマシだった。
床に買ってきたばかりのパンを置いて脱衣所に行き、汗だくになった服を洗濯機に放り込んでシャワーを浴びる。
こんな暑い日に走るつもりはなかった。暑いすぎるのも寒いのも苦手だから、極力夏と冬は走らない。
けれど、喜々としてスマホの画面を向け、食べてみたいと言われてしまったら行くしかない。
ネズやルリナからは甘やかしすぎたど言われる。けれど、ユウリは高いブランド物を強請るわけでもなく、無理なことは決して言わない。精々あの店のケーキが食べたいだとか、パンが食べたいだとか。そんな主に食に関することしか言わないのだ。
数日前から言われ続け、毎日走りに行くついでだと自分に言い訳をして店を探した。
ネットに載っていたのはブログだけで、そこにも住所しか載っていない。
電話番号もなく、店の外観もわからなかった。
付近を走ってみても周りは住宅ばかりで店のようなものがなく、辛うじて見つけた一件はブラインドが下りていて開いているのかすらわからなかった。
たまたま、アイスコーヒーを片手にパンを食べている店員を見つけなければわからなかっただろう。
こじんまりとした店内には品数はそれほど多くはないが美味しそうな焼きたてパンが並んでいた。
商品の横にはプレートで大まかに使っている食材が記されていて、好みやアレルギーに考慮しているのだなと感じた。
おかげで、ユウリの唯一嫌いなオリーブが入っていることにも気が付いた。
これが食べたいと言われ続けていた一つのサーモンのサンドイッチ。
念のため確認してみると、若い店員は抜いたものを用意すると言ってアイスティーを差し出し、厨房に消えていった。
明らかにテイクアウト用のそれの意図がわからず、まあ商品だったら後で払えばいいだろうとありがたく飲みながら商品を選んだ。
どうやら腰が悪いらしい青年はどこか一歩引いたような態度だった。
けして失礼なわけではない。けれど、一切好意のない、むしろどこか嫌悪しているような雰囲気が僅かに感じた。
それも、慣れている。万人に好かれることなど無理な話だ。
街のために尽くしているとはいえ、だからと言って皆に好かれるかと言われればそうではない。
ポケモンバトル自体を嫌う人だっているのだ。
「おかえりなさーい」
シャワーを終えてリビングに戻ると、身支度の終えたユウリがソファーに座っていた。
「ほら、この間言ってた店のパン」
「やったー!ありがとう、キバナさん!」
もう二十歳を過ぎたというのに、そのはしゃぎっぷりは子供の時から変わらない。
ユウリはガサガサと袋を鳴らして、一つずつテーブルに並べていく。
まず最初の一つはサーモンのサンドイッチだ。
小さな口で頬張って、美味しいと連呼している。
実際、シンプルなサンドイッチは思ったよりも厚く切られていたサーモンと玉ねぎの甘味、それからクリームチーズの濃厚な味わいがどれも合っていて、美味しい。
続いて二つ目は沢山のきのみをクリームで挟んだスイーツ系のサンドイッチ。
瑞々しく新鮮なきのみと甘すぎず重すぎないクリームとしっとりとしたパンに二人揃ってぺろりと食べてしまった。
見た目よりもずっしりと重いサンドイッチを二つ平らげたユウリは、満腹になったのかごちそうさまでした、と手を合わせた。
テーブルの上に残ったのはハード系の総菜パンとカスタードやチョコたっぷりのスイーツ系のパン。
それを一つずつ、ユウリはバッグの中へとしまった。
「お昼ご飯にしちゃお」
「そういえば、コーヒーや紅茶も扱ってたな。いる?」
「飲みたい!キバナさん、今度私も行きたい」
買おうかどうか迷ったのだけれども、今日はとりあえずパンだけにした。
ユウリなら、二度目もあり得ると簡単に予想がついたからだ。
すっきりとしたアイスティーのあの茶葉はオリジナルだろうか。一切の苦みがなく、人工甘味料ではなくほんのりと甘い香りのしたアイスティーはこれからの季節に丁度いい。
中毒性でもあるのか、あの味をまた飲みたいと思ってしまう。
「アイスティー、凄く美味かったんだ。帰り、まだ開いてれば寄るか?」
「行きましょう。今日は早めに帰ってきますね」
『行ってらっしゃい』
二人揃って玄関を出て、反対方向に進む。
これが、毎朝のお決まりだ。

◇◇◇
『キバナさん、お店どこにあるかわからない』
夕方、そろそろジムを出ようかという時にユウリからメッセージが届いた。
どうやら先に店の付近にいるらしい。
リョウタに戸締りを頼み、フライゴンに乗って店の前まで行くと、ユウリは少し離れた場所をうろうろと探していた。
店は案の定、ブラインドが下りていて、ユウリが見つけられなかったのも納得がいった。
涼しい店内にほっと一息をついて店員を視線を這わせて店員を探す。
呼び鈴を聞きつけたのか、カウンターの奥の椅子の上からマホイップが顔を覗かせた。
「わぁ、どれも美味しそう!」
「パンは買わないぞ。まだ朝のが残ってるから」
はーい、と間延びした返事に苦笑いが零れる。
棚に陳列された紅茶の袋を手を伸ばしたところで、その隣に置かれたチラシが目に入った。
簡単なアイスティーの作り方、と書かれたそのチラシはどうやら手作りのようだった。
「あ、いらっしゃいませ」
少し遅れて出てきた青年は、朝に会った時よりもどこかすっきりとした表情をしていた。
「これ、おにーさんが作ったの?」
「はい。素人の作り方ですけど、これなら手軽に楽しめるかなって思って」
恥ずかしそうに笑んだ青年は背筋も伸びていて、朝の気だるげな雰囲気はなかった。
「この紅茶のシロップっての面白いな」
「パンケーキとかのシロップにも使えますし、そのまま水で溶かして甘い紅茶としても楽しめるので、おススメです。これ、試作品なんですけどよかったら」
差し出された小さな小瓶はとろりとした琥珀色の液体が入っていた。
「いいのか?」
「はい。朝もいっぱい購入してくださったので。あと、個人的なお礼です。貴方に会えて、大事なことを思い出しました」
何のことかさっぱりとわからないが、青年はそれ以上説明する気はないようだった。
茶葉と粉のコーヒーを購入して、包んでもらっている間にすっきりとした味わいのアイスティーを楽しむ。ユウリはチラシに書かれているレモンのシロップ漬けが気になったのか、レモンティーを注文していた。
なんだか朝に来た時よりも店の空気がどこか明るくなっていて、店内を見回すと、レジの奥に違和感を感じた。
朝よりも少し賑やかな店内、棚に置かれたモンスターボールとジムチャレンジのバッチ。それはあと一つで完成するまでに至っていた。
「キバナさん、カイリキーがクリーム作ってる」
くいっと服の裾を引っ張られてユウリの視線の先を見ると、厨房へと続くドアの小窓からカイリキーがクリームの沢山付いた泡だて器を持っている姿が目に入った。
「カイリキーくらい力があればホイップクリーム、簡単に作れるのかなぁ?」
「あの子は今、研修中なんです。ちょっと力が強すぎてクリームが固くなっちゃうので」
「…なあ、それ、あとはうちのジムだけで完成だよな」
「…ええ。そうですね」
「オレさまは、いつでも受けて立つよ」
「その時が来たら…お願いします」
一瞬陰りを見せた瞳は、すぐに光を灯した。
嫌悪感ではなく、殺気のように鋭い雰囲気を醸し出した青年は、すぐに元の穏やかな表情に戻る。
「楽しみにしてるぜ」
「本日はお買い上げいただき、ありがとうございました」
いつか、彼が挑んでくる日がくるかもしれない。
あのカイリキーはちらりと見えただけだったけれど、なかなかに鍛えられているようだった。
他にはどんなポケモンをパーティを組んでいるのだろうか。
それを考え始めると楽しみで仕方がなかった。
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