ランチボックスシリーズ
休日明けの朝は、いつも憂鬱だ。
せっかくキバナさんが作ってくれたふわふわの分厚いパンケーキも、美味しいのだとわかってはいても今はあまり味がわからない。
今日の夜はシュートシティの自宅に帰らねばならないし、次の休みまで会うことはできないだろう。
シュートシティとナックルシティの間には列車が走っているから、来れないこともない。
実際、キバナさんと付き合う前は、翌日が仕事でも仕事帰りにワイルドエリアでキャンプをして、翌朝シュートシティへ、なんてこともしていた。
けれどキバナさんは余程のことがない限り仕事の日は早めに帰って部屋で休めという。少しくらいなら大丈夫なのに、と言うと少し困ったような顔をしていた。
離れていても電話はできる。でもそこに彼の体温も匂いもない。
たっぷりメープルシロップとバターのかかった分厚いパンケーキにフォークを入れる。
滑らかになるまで丁寧に混ぜて、ダマが一つもない綺麗な液体を型に入れて蒸し焼きした本格的なパンケーキ。
SNSで見かけて食べてみたいと言ったら作ってくれたのが始まりだった。
最初はぺったりと薄い、普通の家庭のパンケーキ。それから毎週厚さが変わっていって、今ではこの大きさだ。
たまにホイップクリームやきのみが添えられていたり、ソースもお手製シロップだったり。
休日明けの朝、しかもキバナさんがオフの日にしか食べられない、特別なパンケーキ。
休日が被ることはあまりないから、数か月に一度食べられない。
美味しいはずなのに、ずっと曇り空を見上げている気分だ
昨夜も仕事帰りに待ち合わせをして、ご飯を食べに行って、帰ってきて映画を観ているうちにち眠ってしまった。
彼の匂いに包まれた部屋で、彼の隣で体温を感じていたら唐突に体の力が抜けていく。
まるっきりの他人だというのに、彼が与えてくれる安心感は実家のものとも違っていて、けれどそんな空間がもはや『家』のような、居心地がいい。
「もっと…一緒にいたいなぁ」
「ん?なんか言ったか?」
洗い物をしていたキバナさんが水を止めて聞き返した。
うっかりと漏れてしまった本音はどうやら水音にかき消されていたらしい。
ほっと胸を撫でおろし、パンケーキをもう一口。
キッチンから出てきたキバナさんは、無地のワッフル生地のTシャツにスウェットパンツの部屋着姿だ。
彼はオフだから、部屋着でも問題ない。自分は仕事なのに、なんて卑屈に思ってしまって、そんな自分にも嫌気がさした。
「どうした?食欲ない?」
「…美味しいです」
手からフォークを奪われて、一口大に切ったパンケーキを口元に差し出される。
口の中で咀嚼すると、しみ込んだメープルシロップがじゅわりと口の中に広がった。
なんだか餌付けをされているような気分で、これではまるで幼子のようだと恥ずかしくなる。
けれど、彼は楽しそうに笑みを浮かべているものだから、甘えてしまってもいいのかと錯覚する。
「ユウリ、今日のスケジュールは?」
「今日は…特には。多分一日事務作業と、合間にトレーニングです」
打ち合わせもなければ取材もない。今日は一日、インタビュー用の答えを考えたり、日頃なかなか手を付けられていないものを片付けたり。チャンピオン業務は実のところ、取材やイベント、トーナメントでもない限り忙しくはない。
あとは手持ちのコンディションチェックやトレーニング、そんなところだ。
「有給、残ってる?」
「うーん、と…確かほとんど残ってます」
「じゃあさ、今日は休まねぇ?」
「へ?」
「オレももっとユウリといたいし」
「…も、ってことは聞こえてたんですね」
「うん。ユウリがそんなこと言うの、珍しいな。どうする?もし仕事行くって言うならお昼はとびきりのランチ、持っていく」
どちらの選択肢も魅力的だった。
けれど、特に予定がないとしても当日に急に休むのは、なんだか気が引ける。
急用なんてそうそうあることではないけれど、体調が悪いわけでもなく、休む口実がないのも事実だった。
「やっぱり…当日は何があるかわからないので。今度のキバナさんのお休みに有給取ります」
だから、今日は行くと言うと、一瞬だけキバナさんの口元がきゅっと一文字に結ばれた。
選択肢を誤ったのかもしれない。そう思って俯くと、するりと頬に大きな手が伸びてくる。
その手にされるがままに顔を上げると唇が重なった。
「…甘い」
にやりと八重歯を覗かせた彼に、まるでそのまま食われてしまうかのような錯覚に陥った。
「わ、私、もう行きますね!ごちそうさまでした!」
彼に捕まってしまう前に勢いよく立ち上がって、バッグを掴む。
靴を履いてドアノブに手をかけた所で、キバナさんが玄関まで追いついた。
「来月は、休み重なるように調整するからさ」
「…はい」
「仕事の日も、定時で上がれた時なら来ていいよ」
「ほんと?」
「うん。でも遅くなった日は駄目だ。じゃあ、あとで行くから、気をつけてな」
「はい。じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
ちゅっと軽いリップ音を立ててキスをして、名残惜しくともドアノブを捻る。
一瞬、眼下に飛び込んできた光に目を細める。
マンションを出て振り返ると、バルコニーから手を振っているキバナさんが見えた。
立ち止まって手を振り返して、駅までの道のりを今度は振り返らず一直線に歩いていく。
お昼も会える。定時で帰れればまた彼の部屋に帰ってこれる。
そう思えば、どんよりと曇っていた心が少しだけ晴れたような気がした。
せっかくキバナさんが作ってくれたふわふわの分厚いパンケーキも、美味しいのだとわかってはいても今はあまり味がわからない。
今日の夜はシュートシティの自宅に帰らねばならないし、次の休みまで会うことはできないだろう。
シュートシティとナックルシティの間には列車が走っているから、来れないこともない。
実際、キバナさんと付き合う前は、翌日が仕事でも仕事帰りにワイルドエリアでキャンプをして、翌朝シュートシティへ、なんてこともしていた。
けれどキバナさんは余程のことがない限り仕事の日は早めに帰って部屋で休めという。少しくらいなら大丈夫なのに、と言うと少し困ったような顔をしていた。
離れていても電話はできる。でもそこに彼の体温も匂いもない。
たっぷりメープルシロップとバターのかかった分厚いパンケーキにフォークを入れる。
滑らかになるまで丁寧に混ぜて、ダマが一つもない綺麗な液体を型に入れて蒸し焼きした本格的なパンケーキ。
SNSで見かけて食べてみたいと言ったら作ってくれたのが始まりだった。
最初はぺったりと薄い、普通の家庭のパンケーキ。それから毎週厚さが変わっていって、今ではこの大きさだ。
たまにホイップクリームやきのみが添えられていたり、ソースもお手製シロップだったり。
休日明けの朝、しかもキバナさんがオフの日にしか食べられない、特別なパンケーキ。
休日が被ることはあまりないから、数か月に一度食べられない。
美味しいはずなのに、ずっと曇り空を見上げている気分だ
昨夜も仕事帰りに待ち合わせをして、ご飯を食べに行って、帰ってきて映画を観ているうちにち眠ってしまった。
彼の匂いに包まれた部屋で、彼の隣で体温を感じていたら唐突に体の力が抜けていく。
まるっきりの他人だというのに、彼が与えてくれる安心感は実家のものとも違っていて、けれどそんな空間がもはや『家』のような、居心地がいい。
「もっと…一緒にいたいなぁ」
「ん?なんか言ったか?」
洗い物をしていたキバナさんが水を止めて聞き返した。
うっかりと漏れてしまった本音はどうやら水音にかき消されていたらしい。
ほっと胸を撫でおろし、パンケーキをもう一口。
キッチンから出てきたキバナさんは、無地のワッフル生地のTシャツにスウェットパンツの部屋着姿だ。
彼はオフだから、部屋着でも問題ない。自分は仕事なのに、なんて卑屈に思ってしまって、そんな自分にも嫌気がさした。
「どうした?食欲ない?」
「…美味しいです」
手からフォークを奪われて、一口大に切ったパンケーキを口元に差し出される。
口の中で咀嚼すると、しみ込んだメープルシロップがじゅわりと口の中に広がった。
なんだか餌付けをされているような気分で、これではまるで幼子のようだと恥ずかしくなる。
けれど、彼は楽しそうに笑みを浮かべているものだから、甘えてしまってもいいのかと錯覚する。
「ユウリ、今日のスケジュールは?」
「今日は…特には。多分一日事務作業と、合間にトレーニングです」
打ち合わせもなければ取材もない。今日は一日、インタビュー用の答えを考えたり、日頃なかなか手を付けられていないものを片付けたり。チャンピオン業務は実のところ、取材やイベント、トーナメントでもない限り忙しくはない。
あとは手持ちのコンディションチェックやトレーニング、そんなところだ。
「有給、残ってる?」
「うーん、と…確かほとんど残ってます」
「じゃあさ、今日は休まねぇ?」
「へ?」
「オレももっとユウリといたいし」
「…も、ってことは聞こえてたんですね」
「うん。ユウリがそんなこと言うの、珍しいな。どうする?もし仕事行くって言うならお昼はとびきりのランチ、持っていく」
どちらの選択肢も魅力的だった。
けれど、特に予定がないとしても当日に急に休むのは、なんだか気が引ける。
急用なんてそうそうあることではないけれど、体調が悪いわけでもなく、休む口実がないのも事実だった。
「やっぱり…当日は何があるかわからないので。今度のキバナさんのお休みに有給取ります」
だから、今日は行くと言うと、一瞬だけキバナさんの口元がきゅっと一文字に結ばれた。
選択肢を誤ったのかもしれない。そう思って俯くと、するりと頬に大きな手が伸びてくる。
その手にされるがままに顔を上げると唇が重なった。
「…甘い」
にやりと八重歯を覗かせた彼に、まるでそのまま食われてしまうかのような錯覚に陥った。
「わ、私、もう行きますね!ごちそうさまでした!」
彼に捕まってしまう前に勢いよく立ち上がって、バッグを掴む。
靴を履いてドアノブに手をかけた所で、キバナさんが玄関まで追いついた。
「来月は、休み重なるように調整するからさ」
「…はい」
「仕事の日も、定時で上がれた時なら来ていいよ」
「ほんと?」
「うん。でも遅くなった日は駄目だ。じゃあ、あとで行くから、気をつけてな」
「はい。じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
ちゅっと軽いリップ音を立ててキスをして、名残惜しくともドアノブを捻る。
一瞬、眼下に飛び込んできた光に目を細める。
マンションを出て振り返ると、バルコニーから手を振っているキバナさんが見えた。
立ち止まって手を振り返して、駅までの道のりを今度は振り返らず一直線に歩いていく。
お昼も会える。定時で帰れればまた彼の部屋に帰ってこれる。
そう思えば、どんよりと曇っていた心が少しだけ晴れたような気がした。