ランチボックスシリーズ
ピピ、となり続けるアラーム音が耳障りで、布団の中から手を出して止める。
まだ起きたくない、まだ布団の中にいたい。
そんな風に思っていると段々また瞼が下がってきてたところに、スマホの通知音が鳴った。
『おはよう。起きたか?朝食はトースターの中に。焼いてもそのまま食べてもOK。気を付けて行けよ』
メッセージアプリを開いて全文を表示させると、キバナさんからのモーニングメッセージだった。
ああ、そういえば今週は早番だって言ってたっけ、と思い出してリビングへ向かう。
まだ眠気の残る中、瞼を擦ってトースターの中を見ると、そこには食パンの上に乗った、昨日のポテトサラダとチーズ。
シンクの上には保温マグに入ったカフェオレ。
トースターのスイッチを入れて、洗面所へ向かう。
顔を洗って戻ってくると、チン、とトースターが鳴った。
上に乗せたチーズが所々焦げ目を作っている。
パンの耳を掴んで皿へ移し、保温マグと一緒にリビングのテーブルへ移動する。
テレビをつけると朝のニュース番組が流れだした。
トーストを齧ると、さくっと歯切れのいい音を立てた。
パンに塗られたマヨネーズ、ポテトサラダの舌触りの良さ、きゅうりのシャキシャキ感、そして濃厚なチーズ。
全部を一度に食べられるなんとも言えない満足感にトーストは瞬く間になくなってしまった。
ティッシュで口元を拭って、保温マグに口をつける。
甘いカフェオレにほっと息をついた。
『おはようございます、キバナさん。ポテトサラダのトースト、とっても美味しかった!』
メッセージアプリにそう打ち込んで、皿を洗っていると通知音が二度続けて鳴った。
一つはスタンプ。リザードンが優勝の二文字を掲げているスタンプだ。
『夕飯は何がいい?』
『うーん…パスタ!』
『どんな?」
『えっと…考えておきます!』
なんとなくパスタが食べたいと思ったものの、具体的には決まっていなかった。
どんな、と言われてもいつも食べていたのはペペロンチーノか和風パスタのソースを買ってきて混ぜ合わせるだけの物。
カルボナーラを食べたいとは思うものの、作るのが難しそうで避けていた。市販のソースはあまり美味しくはなかった。
『弁当、忘れるなよ』
はっと気づいて冷蔵庫を開けると、そこにはもうランチバッグに入れるだけまで用意されていたお弁当箱があった。
甘やかされているなぁと思いながらバッグに入れて出勤の用意をする。
余裕を持って起きたはずなのに、結局時間はギリギリだった。
◇◇◇
休憩室の電子レンジで程よく温められたお弁当箱を手に執務室へ戻る。
昨夜キバナさんが作ってくれたお弁当はとても美味しそうだった。
生姜焼きは夕飯で食べたばかりだけれども飽きることはない。
ポテトサラダも生姜焼きも、卵焼きも、どれも美味しくて気がついたころにはもう残すところ一口だ。
名残美味しい気分のまま、最後の一口を頬張る。
半分に切った卵焼きは甘いのに舌に残ることはなくすっきりとしていた。
「ごちそうさまでした」
パチンと蓋を閉めてデスクの上を片付ける。
休憩時間に一人きりになる執務室に最初は寂しさを感じたものの、今ではバトルタワーの騒音とは無縁の空間でとても居心地がいい。
時間が合えばダンデさんと食べることもあるが、今日は終日不在だった。
朝確認したスケジュールでは、今日は一日事務作業。これから行われるイベントの確認や明日のインタビューの原稿などを考えなければならない。
けれどまだ30分ほど休憩時間はある。
「キバナさんに作ってもらってばっかりじゃ、ダメだよね…」
スマホでレシピサイトを検索すると様々なサイトが出てきた。
トップにあるサイトをタップして会員登録を済ませる。
パスタと検索すると、色々なパスタが出てきた。
もうその時点で何を作れば良いのかわからなくなってきて、一度スマホから視線を窓の外へと移す。
半日電子媒体と向き合っていた目には澄み渡る青い空は眩しすぎて、思わず目を細める。
「パスタ、作ったらキバナさん食べてくれるかなぁ」
休憩時間残り15分。
もう一度スマホに視線を移して作りやすいものを探すことにした。
◇◇◇
退勤してリザードンに乗って家へ戻ると、玄関にはキバナさんの靴があった。
早出と言っても残業することが多い彼の珍しく早い帰宅に今日は少しがっかりした。
リビングから漏れてくる香ばしい匂いに、もう夕飯作っているのだろうと予想できたからだ。
「ただいま」
「おう、おかえり」
洗面所へ先に寄って手を洗ってリビングへ入ると、少し焦げたような醤油のいい香りが鼻腔を擽った。
「パスタ、どんなのが食べたい?」
「カルボナーラがいいなぁ」
袖を捲った腕は、男性らしくゴツゴツしているのに骨を纏っている肉に脂肪はない。大きくて優しい手はいつも安心感を与えてくれるものだ。だから、その指で包丁を持っているのはなんだか違和感を感じた。ただ見慣れないということと、結局今日も作ってもらってしまっている罪悪感。
「今弁当作ってるから、ちょっと待ってな」
邪魔にならないように間を取って隣に立つと、まな板の上には耳をそぎ落とした食パンが塔のように積み重なっている。鍋の中でコロコロと音を立てているのは卵だった。
「明日はサンドイッチな」
ボウルに入っているのは千切りキャベツ。鍋ではゆで卵を作っているのだろう。
けれどもこの香ばしい匂いの正体は何だろう、と考えあぐねているとふふ、っと笑い声が聞こえてきた。
「オレさまがちょっとこれじゃ足りないからな」
卵を茹でている隣のコンロではなにかを焼いているようだった。
後ろに回って蓋を少しだけずらすと、鶏もも肉が醤油ダレに漬かっている。
「…照り焼きチキン?」
「正解」
醤油と砂糖の混じった香ばしいけれど甘い匂いの正体に子供のように嬉しくなった。
「ほら、着替えてこい」
そういえば、まだ着替えていなかったのだ。
なんとなく離れがたくてうろうろとしていると、キバナさんが冷蔵庫の前や食器棚を開けたりと動き出して、邪魔にならないよう脱衣所へと向かう。
服を脱いで洗濯機の中へ放り込み、洗剤を入れてスイッチを入れる。そのまま浴室へ行きお湯を張ってキッチンへ戻ると、サラダサンドが出来上がっていた。
まな板の上には照り焼きチキンが乗っていて、丁寧に薄く切り分けられる。
それをパンの上に乗せ挟んで大きめのタッパーの中へ。
手際良く行われる一連の動作を眺めていると、こんなに同時に色々な事を行うのは自分には無理じゃないかと思えてくる。
「最初はな、見て覚えた方がいい。料理は作るだけじゃなくて後片付けもあるから。味付けは最初はレシピ通りに。少しずつオリジナルを作ってくんだ」
卵の入った鍋を冷水につけてシンクの中へ置く。
「ゆで卵、剝いてくれるか?」
小さいころに母の手伝いをしたころのように頼まれたことがなんだか嬉しくて、スウェットの袖を捲って殻を剥いていく。
「ユウリは、カレーが作れるんだからコツさえ覚えればすぐ色々作れるようになるさ」
「キバナさんも最初は失敗した?」
「したした。しょっぱかったり、甘すぎたり。焦がしたこともある」
つるんと綺麗な表面になった卵を渡すと、四等分にカットされたそれはサンドイッチの丁度中央にくるように盛りつけられる。
もう一枚食パンを重ねて半分に切ると緑と白、オレンジが綺麗に揃っていた。
「さて、じゃあ夕飯、作るか」
深手の鍋には沸騰したお湯がぐつぐつと気泡を立てていた。
そこに一人前のパスタを入れて軽く菜箸でかき混ぜ。
「ユウリがどんなパスタがいいかわからなかったから、色々買ってきたんだ」
シンクの上に並んだのはジェノベーゼペーストの瓶、ホワイトソース、トマト缶。
「これくらいあれば他の料理も作りやすいだろ」
まな板の上に厚切りベーコンを広げ、切っていく。
にんにくも二欠けみじん切りにし、それをオリーブオイルを広げたフライパンの中へ。
火を点けてしばらくすると、パチパチという音と共ににんにくの香りがキッチンへ広がった。
続いてベーコンを炒め、にんにくの香りの中に香ばしい燻製の匂いと動物性油脂の溶けた香り加わる。もうこの時点で空腹を覚え、早く食べたいとそわそわと体が動き出す。
一旦火を止めると、キバナさんは冷蔵庫から何か丸い物を取り出した。
ラップを剥がして半分に手で千切り、薄く伸ばしていく。
長方形に広げたそれの半分に、ジェノベーゼソースを薄く広げ、むきエビとカットしたマッシュルームを乗せ、もう半分には先ほどの照り焼きチキンのソースを塗り、チキンを乗せていく。
最後にチーズを目いっぱい乗せてオーブンの中へと入れた。
「ピザも…!」
「完全にカロリーオーバーだな。ま、たまにはいいだろ」
もう一度フライパンに火をかけ、ベーコンとニンニクが再びパチパチと音を立てると火を消した。
キバナさんは深手の鍋を片手で持ち上げ、もう片手には取っ手付きのザルを持ち、パスタを湯切りしていく。
いつも湯切りは怖くて、顔面に湯気が上がってくるのが不快で最近はすっかり電子レンジで茹でていた。
それを簡単そうにやってしまうのが凄いと思ったし、鍋を片手で持てることにも関心する。とてもじゃないけれど、あんな真似は出来ない。
感心している間に、パスタはフライパンでぐるぐると混ぜられていた。そこに先ほど粉チーズを入れて溶いた卵を上からかけ、また手早く混ぜる。
トングで綺麗に器に盛ってブラックペッパーを少し散らすと、お店で出てくるものと全く一緒だった。
続いて、オーブンが完了の合図を鳴らした。
天板を引き出すと、グツグツと焦げ目をつけたチーズが膨らんでいる。
「美味しそう…!」
「切り分けるからユウリは先にあっちの準備、しといてくれるか?」
子供のように横に張り付いて見ていると、カウンターに乗ったパスタを指さされる。
はーい、と子供のように返事をして、いそいそとそれらをテーブルの上運んでいく。
フォーク、スプーン、ピザ用の取り皿とパスタ用の取り皿。ロングのガラスグラスを二つには作り置きしていたアイスティーを淹れてテーブルへセットすると、キバナさんが綺麗に八等分したピザを真ん中へ置いた。
「よし、食べるか」
向かい合って座って、いただきますと声を揃えてまずはカルボナーラを一口。
「ん…!」
濃厚な卵ソースの中にベーコンの脂と少しのニンニクの香りが鼻から抜けて行く。
ブラックペッパーが少し舌を刺激して、けれど卵黄がそれを中和していく。
「お店のと同じだぁ!」
「気に入った?」
もう一口堪能しながら、首を縦に振るとキバナさんはニコニコしながら食べる様子を見ている。
「ほら、熱いうちにこっちも食べな」
皿の上にジェノベーゼと照り焼きチキンのピザが乗せられる。
アイスティーを一口、口に含み、舌の名をリセットしてまずはジェノベーゼから。
「こっちも美味しい!」
バジルソースの中に香る、様々な具の香りとチーズの濃厚さが混ざり合って、それがエビの生臭さをかき消す。程よく蒸し焼きにされたエビはとてもプリプリとしていて食感も楽しい。
さっぱりとした癖のないアッサムティーを飲み下し、次は照り焼きチキンを頬張る。
醤油とチーズの組み合わせは間違いなしだ。中のチキンは容易く嚙み切れるし、食べ応えばつぐんだ。
「今日、本当は私が作ろうと思って、休憩時間色々見てたんです。でも結局、何作ったらいいかわかんなくなっちゃって。何なら失敗しないで作れるかなって」
「じゃあ、明日はユウリが作ってくれよ。別に失敗したって食べるからさ」
「真っ黒こげでも?」
「うん」
「すごく甘かったり、しょっぱかったりしても?」
「うん」
ふふっとキバナさんは笑い声を漏らして、とても食べられそうにもない出来上がりのものにも頷いた。
「じゃあ、頑張ります」
「期待してる」
取り皿に残ったカルボナーラを口に運ぶ。
すっかり空になった皿を咀嚼しながらふと疑問が浮かんだ。
「ご飯ってこんなに美味しかったんだ」
「ユウリは、結構ダンデと似てるところ、あるよな。食べられれば割となんでもいいみたいな」
「味はちゃんとわかってるんですけど。誰かと食べるご飯、美味しいし。でも…なんだろう。前より美味しいって思うの」
「そりゃオレさまがまごころ込めて作ってるから」
少し茶化したように笑いながら言ったキバナさんの台詞に、妙に納得してしまった。
そういえば、前はデリバリーの物かインスタントが多かった。こんなにも手料理ばかりの食事は久々だった。
キバナさんは茶化していたけれど本当にまごころを込めて作ってくれたのだろう。
「そっか…キバナさんありがとう」
いつかキバナさんに同じように思ってもらえたら。
そのためにはまず、明日の献立を考えよう。
まだ起きたくない、まだ布団の中にいたい。
そんな風に思っていると段々また瞼が下がってきてたところに、スマホの通知音が鳴った。
『おはよう。起きたか?朝食はトースターの中に。焼いてもそのまま食べてもOK。気を付けて行けよ』
メッセージアプリを開いて全文を表示させると、キバナさんからのモーニングメッセージだった。
ああ、そういえば今週は早番だって言ってたっけ、と思い出してリビングへ向かう。
まだ眠気の残る中、瞼を擦ってトースターの中を見ると、そこには食パンの上に乗った、昨日のポテトサラダとチーズ。
シンクの上には保温マグに入ったカフェオレ。
トースターのスイッチを入れて、洗面所へ向かう。
顔を洗って戻ってくると、チン、とトースターが鳴った。
上に乗せたチーズが所々焦げ目を作っている。
パンの耳を掴んで皿へ移し、保温マグと一緒にリビングのテーブルへ移動する。
テレビをつけると朝のニュース番組が流れだした。
トーストを齧ると、さくっと歯切れのいい音を立てた。
パンに塗られたマヨネーズ、ポテトサラダの舌触りの良さ、きゅうりのシャキシャキ感、そして濃厚なチーズ。
全部を一度に食べられるなんとも言えない満足感にトーストは瞬く間になくなってしまった。
ティッシュで口元を拭って、保温マグに口をつける。
甘いカフェオレにほっと息をついた。
『おはようございます、キバナさん。ポテトサラダのトースト、とっても美味しかった!』
メッセージアプリにそう打ち込んで、皿を洗っていると通知音が二度続けて鳴った。
一つはスタンプ。リザードンが優勝の二文字を掲げているスタンプだ。
『夕飯は何がいい?』
『うーん…パスタ!』
『どんな?」
『えっと…考えておきます!』
なんとなくパスタが食べたいと思ったものの、具体的には決まっていなかった。
どんな、と言われてもいつも食べていたのはペペロンチーノか和風パスタのソースを買ってきて混ぜ合わせるだけの物。
カルボナーラを食べたいとは思うものの、作るのが難しそうで避けていた。市販のソースはあまり美味しくはなかった。
『弁当、忘れるなよ』
はっと気づいて冷蔵庫を開けると、そこにはもうランチバッグに入れるだけまで用意されていたお弁当箱があった。
甘やかされているなぁと思いながらバッグに入れて出勤の用意をする。
余裕を持って起きたはずなのに、結局時間はギリギリだった。
◇◇◇
休憩室の電子レンジで程よく温められたお弁当箱を手に執務室へ戻る。
昨夜キバナさんが作ってくれたお弁当はとても美味しそうだった。
生姜焼きは夕飯で食べたばかりだけれども飽きることはない。
ポテトサラダも生姜焼きも、卵焼きも、どれも美味しくて気がついたころにはもう残すところ一口だ。
名残美味しい気分のまま、最後の一口を頬張る。
半分に切った卵焼きは甘いのに舌に残ることはなくすっきりとしていた。
「ごちそうさまでした」
パチンと蓋を閉めてデスクの上を片付ける。
休憩時間に一人きりになる執務室に最初は寂しさを感じたものの、今ではバトルタワーの騒音とは無縁の空間でとても居心地がいい。
時間が合えばダンデさんと食べることもあるが、今日は終日不在だった。
朝確認したスケジュールでは、今日は一日事務作業。これから行われるイベントの確認や明日のインタビューの原稿などを考えなければならない。
けれどまだ30分ほど休憩時間はある。
「キバナさんに作ってもらってばっかりじゃ、ダメだよね…」
スマホでレシピサイトを検索すると様々なサイトが出てきた。
トップにあるサイトをタップして会員登録を済ませる。
パスタと検索すると、色々なパスタが出てきた。
もうその時点で何を作れば良いのかわからなくなってきて、一度スマホから視線を窓の外へと移す。
半日電子媒体と向き合っていた目には澄み渡る青い空は眩しすぎて、思わず目を細める。
「パスタ、作ったらキバナさん食べてくれるかなぁ」
休憩時間残り15分。
もう一度スマホに視線を移して作りやすいものを探すことにした。
◇◇◇
退勤してリザードンに乗って家へ戻ると、玄関にはキバナさんの靴があった。
早出と言っても残業することが多い彼の珍しく早い帰宅に今日は少しがっかりした。
リビングから漏れてくる香ばしい匂いに、もう夕飯作っているのだろうと予想できたからだ。
「ただいま」
「おう、おかえり」
洗面所へ先に寄って手を洗ってリビングへ入ると、少し焦げたような醤油のいい香りが鼻腔を擽った。
「パスタ、どんなのが食べたい?」
「カルボナーラがいいなぁ」
袖を捲った腕は、男性らしくゴツゴツしているのに骨を纏っている肉に脂肪はない。大きくて優しい手はいつも安心感を与えてくれるものだ。だから、その指で包丁を持っているのはなんだか違和感を感じた。ただ見慣れないということと、結局今日も作ってもらってしまっている罪悪感。
「今弁当作ってるから、ちょっと待ってな」
邪魔にならないように間を取って隣に立つと、まな板の上には耳をそぎ落とした食パンが塔のように積み重なっている。鍋の中でコロコロと音を立てているのは卵だった。
「明日はサンドイッチな」
ボウルに入っているのは千切りキャベツ。鍋ではゆで卵を作っているのだろう。
けれどもこの香ばしい匂いの正体は何だろう、と考えあぐねているとふふ、っと笑い声が聞こえてきた。
「オレさまがちょっとこれじゃ足りないからな」
卵を茹でている隣のコンロではなにかを焼いているようだった。
後ろに回って蓋を少しだけずらすと、鶏もも肉が醤油ダレに漬かっている。
「…照り焼きチキン?」
「正解」
醤油と砂糖の混じった香ばしいけれど甘い匂いの正体に子供のように嬉しくなった。
「ほら、着替えてこい」
そういえば、まだ着替えていなかったのだ。
なんとなく離れがたくてうろうろとしていると、キバナさんが冷蔵庫の前や食器棚を開けたりと動き出して、邪魔にならないよう脱衣所へと向かう。
服を脱いで洗濯機の中へ放り込み、洗剤を入れてスイッチを入れる。そのまま浴室へ行きお湯を張ってキッチンへ戻ると、サラダサンドが出来上がっていた。
まな板の上には照り焼きチキンが乗っていて、丁寧に薄く切り分けられる。
それをパンの上に乗せ挟んで大きめのタッパーの中へ。
手際良く行われる一連の動作を眺めていると、こんなに同時に色々な事を行うのは自分には無理じゃないかと思えてくる。
「最初はな、見て覚えた方がいい。料理は作るだけじゃなくて後片付けもあるから。味付けは最初はレシピ通りに。少しずつオリジナルを作ってくんだ」
卵の入った鍋を冷水につけてシンクの中へ置く。
「ゆで卵、剝いてくれるか?」
小さいころに母の手伝いをしたころのように頼まれたことがなんだか嬉しくて、スウェットの袖を捲って殻を剥いていく。
「ユウリは、カレーが作れるんだからコツさえ覚えればすぐ色々作れるようになるさ」
「キバナさんも最初は失敗した?」
「したした。しょっぱかったり、甘すぎたり。焦がしたこともある」
つるんと綺麗な表面になった卵を渡すと、四等分にカットされたそれはサンドイッチの丁度中央にくるように盛りつけられる。
もう一枚食パンを重ねて半分に切ると緑と白、オレンジが綺麗に揃っていた。
「さて、じゃあ夕飯、作るか」
深手の鍋には沸騰したお湯がぐつぐつと気泡を立てていた。
そこに一人前のパスタを入れて軽く菜箸でかき混ぜ。
「ユウリがどんなパスタがいいかわからなかったから、色々買ってきたんだ」
シンクの上に並んだのはジェノベーゼペーストの瓶、ホワイトソース、トマト缶。
「これくらいあれば他の料理も作りやすいだろ」
まな板の上に厚切りベーコンを広げ、切っていく。
にんにくも二欠けみじん切りにし、それをオリーブオイルを広げたフライパンの中へ。
火を点けてしばらくすると、パチパチという音と共ににんにくの香りがキッチンへ広がった。
続いてベーコンを炒め、にんにくの香りの中に香ばしい燻製の匂いと動物性油脂の溶けた香り加わる。もうこの時点で空腹を覚え、早く食べたいとそわそわと体が動き出す。
一旦火を止めると、キバナさんは冷蔵庫から何か丸い物を取り出した。
ラップを剥がして半分に手で千切り、薄く伸ばしていく。
長方形に広げたそれの半分に、ジェノベーゼソースを薄く広げ、むきエビとカットしたマッシュルームを乗せ、もう半分には先ほどの照り焼きチキンのソースを塗り、チキンを乗せていく。
最後にチーズを目いっぱい乗せてオーブンの中へと入れた。
「ピザも…!」
「完全にカロリーオーバーだな。ま、たまにはいいだろ」
もう一度フライパンに火をかけ、ベーコンとニンニクが再びパチパチと音を立てると火を消した。
キバナさんは深手の鍋を片手で持ち上げ、もう片手には取っ手付きのザルを持ち、パスタを湯切りしていく。
いつも湯切りは怖くて、顔面に湯気が上がってくるのが不快で最近はすっかり電子レンジで茹でていた。
それを簡単そうにやってしまうのが凄いと思ったし、鍋を片手で持てることにも関心する。とてもじゃないけれど、あんな真似は出来ない。
感心している間に、パスタはフライパンでぐるぐると混ぜられていた。そこに先ほど粉チーズを入れて溶いた卵を上からかけ、また手早く混ぜる。
トングで綺麗に器に盛ってブラックペッパーを少し散らすと、お店で出てくるものと全く一緒だった。
続いて、オーブンが完了の合図を鳴らした。
天板を引き出すと、グツグツと焦げ目をつけたチーズが膨らんでいる。
「美味しそう…!」
「切り分けるからユウリは先にあっちの準備、しといてくれるか?」
子供のように横に張り付いて見ていると、カウンターに乗ったパスタを指さされる。
はーい、と子供のように返事をして、いそいそとそれらをテーブルの上運んでいく。
フォーク、スプーン、ピザ用の取り皿とパスタ用の取り皿。ロングのガラスグラスを二つには作り置きしていたアイスティーを淹れてテーブルへセットすると、キバナさんが綺麗に八等分したピザを真ん中へ置いた。
「よし、食べるか」
向かい合って座って、いただきますと声を揃えてまずはカルボナーラを一口。
「ん…!」
濃厚な卵ソースの中にベーコンの脂と少しのニンニクの香りが鼻から抜けて行く。
ブラックペッパーが少し舌を刺激して、けれど卵黄がそれを中和していく。
「お店のと同じだぁ!」
「気に入った?」
もう一口堪能しながら、首を縦に振るとキバナさんはニコニコしながら食べる様子を見ている。
「ほら、熱いうちにこっちも食べな」
皿の上にジェノベーゼと照り焼きチキンのピザが乗せられる。
アイスティーを一口、口に含み、舌の名をリセットしてまずはジェノベーゼから。
「こっちも美味しい!」
バジルソースの中に香る、様々な具の香りとチーズの濃厚さが混ざり合って、それがエビの生臭さをかき消す。程よく蒸し焼きにされたエビはとてもプリプリとしていて食感も楽しい。
さっぱりとした癖のないアッサムティーを飲み下し、次は照り焼きチキンを頬張る。
醤油とチーズの組み合わせは間違いなしだ。中のチキンは容易く嚙み切れるし、食べ応えばつぐんだ。
「今日、本当は私が作ろうと思って、休憩時間色々見てたんです。でも結局、何作ったらいいかわかんなくなっちゃって。何なら失敗しないで作れるかなって」
「じゃあ、明日はユウリが作ってくれよ。別に失敗したって食べるからさ」
「真っ黒こげでも?」
「うん」
「すごく甘かったり、しょっぱかったりしても?」
「うん」
ふふっとキバナさんは笑い声を漏らして、とても食べられそうにもない出来上がりのものにも頷いた。
「じゃあ、頑張ります」
「期待してる」
取り皿に残ったカルボナーラを口に運ぶ。
すっかり空になった皿を咀嚼しながらふと疑問が浮かんだ。
「ご飯ってこんなに美味しかったんだ」
「ユウリは、結構ダンデと似てるところ、あるよな。食べられれば割となんでもいいみたいな」
「味はちゃんとわかってるんですけど。誰かと食べるご飯、美味しいし。でも…なんだろう。前より美味しいって思うの」
「そりゃオレさまがまごころ込めて作ってるから」
少し茶化したように笑いながら言ったキバナさんの台詞に、妙に納得してしまった。
そういえば、前はデリバリーの物かインスタントが多かった。こんなにも手料理ばかりの食事は久々だった。
キバナさんは茶化していたけれど本当にまごころを込めて作ってくれたのだろう。
「そっか…キバナさんありがとう」
いつかキバナさんに同じように思ってもらえたら。
そのためにはまず、明日の献立を考えよう。