ランチボックスシリーズ
タン、と小気味のいい音が辺りに響いた。
ナックルシティ入り口の城門前に降り立って、ジムのある方とは反対の方向へ進んでいく。
立ち並ぶ商店をきょろきょろと見渡していると、街にはハロウィンの飾りつけがさまざまなところにあった。
パンプジンやゲンガー、ミミッキュといったゴーストポケモンたちを可愛らしくデフォルメした飾り付けや、定番のカボチャのお化け。
店先に並ぶクッキーや焼き菓子、ケーキはどれもこれも秋の食材を使用している。
一瞬、店の前で立ち止まり、カラフルなお菓子を見て、また坂道を歩いて行く。
路地をいくつか右へ、左へと曲がり、ようやく目当ての場所へと辿り着いた。
路地裏にひっそりと佇む小さなパン屋の外壁に貼られた一枚の紙を見上げる。
『ハロウィンケーキ、焼き菓子各種、予約承ります』の文字の下に並ぶ写真を見て、どれにしようかと改めて考える。
ケーキは2種類。スフレチーズケーキの上にアプリコットジャムを塗り、その上には様々なゴーストポケモンのクッキーが乗ったもの。
もう一つはタルト生地にカボチャクリームがふんだんに乗ったカボチャのモンブラン。
どちらも1人でも食べ切ってしまえそうなサイズだ。
焼き菓子にはクッキーやマカロン、フィナンシェ、マドレーヌなど、定番の焼き菓子のバラエティボックスがハロウィン仕様になっている。
「いっそ、全部予約するか?」
ふいに背後から聞き覚えのある声が聞こえてきて振り返ると、夕日に照らされた長身の体の背後には長い影が伸びていた。
「あれ?キバナさん?」
まだ午後四時。退勤時間には少々早いような気がして、首をかしげる。
「お使いだよ。ジムの皆のおやつと紅茶の」
「ナックルジムはジムリーダーがお使いするんですね」
クスクスと小さく声をあげて笑うと、キバナさんの手が頭に降りてくる。
「うそ。ユウリのカイリューが見えたから、多分ここに来ると思ってさ。今日からだろ、予約」
「いっぱいあって迷っちゃうんですよね。全部買って食べきれなかったらって思うと」
「じゃあ、焼き菓子はこのバラエティセットにしてジムで皆で食べよう。ケーキは家で食べれるだろ」
「いいですね!じゃあ予約してきます」
木製のドアを開けると、カラン、と甲高いドアベルの音が鳴り響いた。
ショーケースの上にいたマホイップが小さな手を振って出迎える。
予約をするついでにとトレーとトングを手に取り、お気に入りのパンを数種類、どれも二つずつ乗せていく。
いらっしゃいませ、と奥の厨房から出てきた店員にパンと予約をしたい旨を告げて会計を済ます。
キバナさんは店の隅の方で焼き菓子と紅茶を選んでいた。
店で一番大きな箱を抱えて、キバナさんはレジの前に立つ。お使いと言った通り、手土産に買って帰るのだろう。
2人揃って大きな袋を揺らしながら店を出て、空いている方の腕をキバナさんの左腕に回す。
最初は恥ずかしかったけれど、今ではもう2人で歩く時は当たり前のようになった。
公園の中に入り、左右に別れた道を迷うことなく左へ進んだ。
「もう秋ですねぇ」
カサカサと鳴る落ち葉を踏み鳴らしながら上へ視線を向けると、夕日に照らされた黄金色の葉が視界一面に広がった。
「なんだかホップとダンデさんの瞳の色みたい」
それは何てことない、ただの例えだった。
「……そうだな」
一緒に銀杏の木を見上げていたキバナさんの腕が、ほんの一瞬強ばった。
「・・・・・・悪い。ただの例え話なのにな」
最近、気づいたことがある。
普段は温厚で優しくて、料理も上手なキバナさんにも一つだけ踏んではいけない地雷がある。
けれどそれは、私には少し理解ができなくて、こうやっていつも踏んでしまう。
機嫌が悪くなるのも一瞬で、すぐに元に戻ってしまうから、あまり気にしていないのかもしれないと思ったのは最初だけで、実は結構、根に持っているのだ。
でも、私からは謝らない。ホップやダンデさんを始めとしたリーグ関係者やファンの男性も、関わらなくてはならない人たちだ。
よく言えば嫉妬だ。
おそらく彼は、私にドラゴンの巣の中にいて欲しいのだ。他者からは見ることも触れることもできない場所で、ただ2人っきりで。
けれど、彼は聡い人だから、それが叶わないことはよくわかっている。だから言葉にも、態度にも出さずにひたすら私を甘やかす。
それがわかっていてその中にいる私は狡い人間なのかもしれない。
「ねえ、キバナさん。キバナさんを思い出す色はもう隠れちゃったけど、いつだって一番長く、近い場所にあるじゃないですか」
彼は小首を傾げた。敏感な人なのに、こういうことには鈍感なのだ。
「空、ですよ。青空。日が登って色が深くなるとキバナさんの瞳の色に似てるんです。ね、銀杏よりもずっと傍にあると思いませんか?」
目を大きく見開いて、キバナさんは何度も瞬きをしている。
やがて、言葉の意味を理解したのか、少し釣り上がっていた目尻が垂れた。
同時に大きな紙袋を持った右手で頬を痛みを感じない程度に軽く摘まれた。
「何するんですか」
少し違和感の残る頬を摩りながら見上げると、キバナさんはどこか遠くを見るような、少し寂しげな瞳をしていた。
「・・・・・・なんでもない。それより、夕飯何にしようか」
「うーん……オムライス!」
「お、カレーって言わないの、珍しいな」
「だって、カレーはお昼に食べましたもん」
しまった、と慌てて口を手で覆う。
けれどもそれは遅すぎたようで、先ほどまでの少し寂しそうな瞳も、いつものように優しい瞳も消えていた。
「へぇ。どこで食べたんだ?」
「お昼に・・・・・・ワイルドエリアに行ったらホップとソニアさんがフィールドワークしてて、一緒に食べたんです」
やましいことは何一つない。言い淀むことなく、なんてことのない世間話の一つと思い込んで告げると、キバナさんの腕から力が抜けていくのを感じた。
「なぁ、ユウリ。ユウリはとっくに気付いているだろうけどさ。たまに・・・・・・たまにこうやって見っともない姿が出ちまうんだ。それでも、」
「それでも、キバナさんが大好きですよ。キバナさんは?」
「・・・・・・オレも。勿論」
「じゃあ、この話はこれで終わりです!せっかく綺麗なんだから景色を楽しみましょう。ほら、コクーンが葉っぱの上にいるだけで擬態しているように見えるし、ホシガリスがドングリ広い集めてる。そういうの、楽しみましょう。それで、春になったら今度は右側の道を一緒に散歩しましょう」
「確かあっちは桜並木だったな」
「はい。みんなでピクニックにきてもいいですよね」
元の優しげな瞳に戻ったキバナさんにほっと胸を撫で下ろし、ぎゅっと腕に力を入れる。
来年の春も、秋も。その先もずっと一緒にいれたらいい。一緒にいたい。
きっと、同じように思っていてくれるはずだと信じて、黄色い絨毯の上を音を立てながら歩いていく。
急に強く肌寒い風が吹いて身を縮こめた。
夕日はもう沈みかけていて、暗闇が近づいてきていた。
ナックルシティ入り口の城門前に降り立って、ジムのある方とは反対の方向へ進んでいく。
立ち並ぶ商店をきょろきょろと見渡していると、街にはハロウィンの飾りつけがさまざまなところにあった。
パンプジンやゲンガー、ミミッキュといったゴーストポケモンたちを可愛らしくデフォルメした飾り付けや、定番のカボチャのお化け。
店先に並ぶクッキーや焼き菓子、ケーキはどれもこれも秋の食材を使用している。
一瞬、店の前で立ち止まり、カラフルなお菓子を見て、また坂道を歩いて行く。
路地をいくつか右へ、左へと曲がり、ようやく目当ての場所へと辿り着いた。
路地裏にひっそりと佇む小さなパン屋の外壁に貼られた一枚の紙を見上げる。
『ハロウィンケーキ、焼き菓子各種、予約承ります』の文字の下に並ぶ写真を見て、どれにしようかと改めて考える。
ケーキは2種類。スフレチーズケーキの上にアプリコットジャムを塗り、その上には様々なゴーストポケモンのクッキーが乗ったもの。
もう一つはタルト生地にカボチャクリームがふんだんに乗ったカボチャのモンブラン。
どちらも1人でも食べ切ってしまえそうなサイズだ。
焼き菓子にはクッキーやマカロン、フィナンシェ、マドレーヌなど、定番の焼き菓子のバラエティボックスがハロウィン仕様になっている。
「いっそ、全部予約するか?」
ふいに背後から聞き覚えのある声が聞こえてきて振り返ると、夕日に照らされた長身の体の背後には長い影が伸びていた。
「あれ?キバナさん?」
まだ午後四時。退勤時間には少々早いような気がして、首をかしげる。
「お使いだよ。ジムの皆のおやつと紅茶の」
「ナックルジムはジムリーダーがお使いするんですね」
クスクスと小さく声をあげて笑うと、キバナさんの手が頭に降りてくる。
「うそ。ユウリのカイリューが見えたから、多分ここに来ると思ってさ。今日からだろ、予約」
「いっぱいあって迷っちゃうんですよね。全部買って食べきれなかったらって思うと」
「じゃあ、焼き菓子はこのバラエティセットにしてジムで皆で食べよう。ケーキは家で食べれるだろ」
「いいですね!じゃあ予約してきます」
木製のドアを開けると、カラン、と甲高いドアベルの音が鳴り響いた。
ショーケースの上にいたマホイップが小さな手を振って出迎える。
予約をするついでにとトレーとトングを手に取り、お気に入りのパンを数種類、どれも二つずつ乗せていく。
いらっしゃいませ、と奥の厨房から出てきた店員にパンと予約をしたい旨を告げて会計を済ます。
キバナさんは店の隅の方で焼き菓子と紅茶を選んでいた。
店で一番大きな箱を抱えて、キバナさんはレジの前に立つ。お使いと言った通り、手土産に買って帰るのだろう。
2人揃って大きな袋を揺らしながら店を出て、空いている方の腕をキバナさんの左腕に回す。
最初は恥ずかしかったけれど、今ではもう2人で歩く時は当たり前のようになった。
公園の中に入り、左右に別れた道を迷うことなく左へ進んだ。
「もう秋ですねぇ」
カサカサと鳴る落ち葉を踏み鳴らしながら上へ視線を向けると、夕日に照らされた黄金色の葉が視界一面に広がった。
「なんだかホップとダンデさんの瞳の色みたい」
それは何てことない、ただの例えだった。
「……そうだな」
一緒に銀杏の木を見上げていたキバナさんの腕が、ほんの一瞬強ばった。
「・・・・・・悪い。ただの例え話なのにな」
最近、気づいたことがある。
普段は温厚で優しくて、料理も上手なキバナさんにも一つだけ踏んではいけない地雷がある。
けれどそれは、私には少し理解ができなくて、こうやっていつも踏んでしまう。
機嫌が悪くなるのも一瞬で、すぐに元に戻ってしまうから、あまり気にしていないのかもしれないと思ったのは最初だけで、実は結構、根に持っているのだ。
でも、私からは謝らない。ホップやダンデさんを始めとしたリーグ関係者やファンの男性も、関わらなくてはならない人たちだ。
よく言えば嫉妬だ。
おそらく彼は、私にドラゴンの巣の中にいて欲しいのだ。他者からは見ることも触れることもできない場所で、ただ2人っきりで。
けれど、彼は聡い人だから、それが叶わないことはよくわかっている。だから言葉にも、態度にも出さずにひたすら私を甘やかす。
それがわかっていてその中にいる私は狡い人間なのかもしれない。
「ねえ、キバナさん。キバナさんを思い出す色はもう隠れちゃったけど、いつだって一番長く、近い場所にあるじゃないですか」
彼は小首を傾げた。敏感な人なのに、こういうことには鈍感なのだ。
「空、ですよ。青空。日が登って色が深くなるとキバナさんの瞳の色に似てるんです。ね、銀杏よりもずっと傍にあると思いませんか?」
目を大きく見開いて、キバナさんは何度も瞬きをしている。
やがて、言葉の意味を理解したのか、少し釣り上がっていた目尻が垂れた。
同時に大きな紙袋を持った右手で頬を痛みを感じない程度に軽く摘まれた。
「何するんですか」
少し違和感の残る頬を摩りながら見上げると、キバナさんはどこか遠くを見るような、少し寂しげな瞳をしていた。
「・・・・・・なんでもない。それより、夕飯何にしようか」
「うーん……オムライス!」
「お、カレーって言わないの、珍しいな」
「だって、カレーはお昼に食べましたもん」
しまった、と慌てて口を手で覆う。
けれどもそれは遅すぎたようで、先ほどまでの少し寂しそうな瞳も、いつものように優しい瞳も消えていた。
「へぇ。どこで食べたんだ?」
「お昼に・・・・・・ワイルドエリアに行ったらホップとソニアさんがフィールドワークしてて、一緒に食べたんです」
やましいことは何一つない。言い淀むことなく、なんてことのない世間話の一つと思い込んで告げると、キバナさんの腕から力が抜けていくのを感じた。
「なぁ、ユウリ。ユウリはとっくに気付いているだろうけどさ。たまに・・・・・・たまにこうやって見っともない姿が出ちまうんだ。それでも、」
「それでも、キバナさんが大好きですよ。キバナさんは?」
「・・・・・・オレも。勿論」
「じゃあ、この話はこれで終わりです!せっかく綺麗なんだから景色を楽しみましょう。ほら、コクーンが葉っぱの上にいるだけで擬態しているように見えるし、ホシガリスがドングリ広い集めてる。そういうの、楽しみましょう。それで、春になったら今度は右側の道を一緒に散歩しましょう」
「確かあっちは桜並木だったな」
「はい。みんなでピクニックにきてもいいですよね」
元の優しげな瞳に戻ったキバナさんにほっと胸を撫で下ろし、ぎゅっと腕に力を入れる。
来年の春も、秋も。その先もずっと一緒にいれたらいい。一緒にいたい。
きっと、同じように思っていてくれるはずだと信じて、黄色い絨毯の上を音を立てながら歩いていく。
急に強く肌寒い風が吹いて身を縮こめた。
夕日はもう沈みかけていて、暗闇が近づいてきていた。