ランチボックスシリーズ
また、眠れない。
涼しくなった夜風にあたりながら、深くため息をついた。
疲れているのに、全く眠くない。目を閉じても眠りにつくことはなく、時間だけが過ぎていく。
最初は月に一回あるかどうかだった。
だんだん頻度は増し、いつの間にか一週間のうち、二日程度は眠れない日がある。
今日は眠れると思ったのだ。
自分の家ではなく、キバナさんの家に泊まっている。あいにく彼は別の部屋で仕事をしているけれど、それでも気配や匂いがあれば、眠れると思った。
原因はわかっているから病院は受診していない。
ただ、一緒にいたいだけ。
それがこんなにも難しいことだとは、付き合い始めた当初は想像もしていなかった。
今まで通りの頻度で会っていれば満足だったのは最初だけで、気がつけば別れる瞬間が嫌で堪らなくなった。
泊まりに来ても、別れの瞬間は必ずやってくる。
一人の部屋に帰ると、寒々とした空気が部屋中を纏っていて、ポケモンたちと一緒にいればそれなりに紛れるけれど、電話を切った後はぽつんととり残されたような気分になった。
馬鹿みたいだと思った。
どのカップルも皆同じなのに、と。
大きくなった我儘をさらけ出すことができないままでいるうちに、眠れなくなったのだ。
もう一度、世闇に向かってため息をつく。
振り返って見ると、寝室の隣の部屋ではまだ煌々した明かりが扉の隙間から漏れている。
おやすみなさい、と言ったのは、もう二時間も前だった。
柵を背もたれ代わりにしてしゃがみ込むと、突然赤い光が暗い部屋の中に瞬いた。
とてとてと歩いてきた薄ピンク色の足の持ち主は、キバナさんのヌメルゴンだ。
彼女は窓の方までやってきて、首を傾げた。
「どうしたの、ヌメルゴン」
ヌメ、ヌメッと何度か鳴いて、彼女はキッチンの方へと消えた。
やがて何かを手にした彼女が再びやってきた。
「ヌメッ!」
差し出されたのはラムのみだった。
「……ああ、そっか。状態異常だと思ったのね」
そうだとでも言うように、彼女は鳴いた。
「ありがとう。でも違うんだ。眠れないだけ」
首を傾げて、一生懸命私が言ったことを考えているようだ。
返したきのみを床に置くと、彼女は隣に座り込んだ。
粘液の滴る手を振り回し、何かを伝えている。
その様子はどこか楽しそうで、まるでおしゃべりをしているようだった。
「二人とも、そこで何してるんだ?」
足音に先に気が付いたヌメルゴンは、キバナさんに駆け寄って何かを伝えている。
「うーん…うちのお嬢さんの言いたいことはなんとなくいつもわかるんだけど、今だけはさっぱりだ。……このきのみは?」
「ヌメルゴンが持ってきてくれたんです。しゃがんでぼーっとしてたから、お腹痛いと思ったのかも」
「なるほどな。で、ユウリはそこで何してたんだ?」
「……眠れなくて」
おそらく彼は、最近あまり眠れていないことに気づいていたのだろう。
なんとなく後ろめたくて視線をコンクリートに向けると、すっと薄ピンク色の手が伸びてきた。
「中に入れってさ」
視線を上げると、その先には同じように目元を下げた一人と一匹がいた。
その手を取って中へ入ると、ヌメルゴンは満足したようにボールの中へ戻った。
「よし、それじゃ眠くなるもの作るか」
キッチンへ向かうキバナさんに続くと、冷蔵庫からモーモーミルクを取り出して小鍋に入れて火をつけた。
やがてふつふつと気泡が浮いてくると火を止めた。
二つのマグカップへと移し、キバナさんはシンクの下から黒い瓶を取り出してモーモーミルクに注ぐ。
「出来上がり」
軽くかき混ぜて渡されたマグカップは、甘い香りがした。
ほのかに茶色いその液体に、恐る恐る口をつけてみる。
「コーヒー牛乳?」
「そ。コーヒーの方はリキュールだけどな。温かい牛乳とアルコールで眠くなりやすい」
温かいミルクとアルコールは、夜風で冷えた体を体内から温めてくれた。
甘い香りに体の力も徐々に抜けていく。
「で、何でそんなに落ち込んでるんだ?」
青い瞳に見つめられ、怖いと思った。
無理に聞き出そうとしているわけではないのは、声のトーンでわかる。
でも、もっと一緒にいたいという一言は、どうしても口から出てはこない。
なんだ、そんなことかと笑い飛ばしたり、呆れられたりするかもしれないと思うと、それがとても怖かった。
「今は、まだ言えないです。でも別にトラブルがあったとかではなくて」
そういうと、言葉の代わりに頭上に手が置かれた。
温かい手でゆっくりと頭を撫でられる。
「眠れないなら無理に寝なくてもいいさ。ベッドにいるだけでも体は休まるからな。ただ、考えすぎるようなら酒か薬飲んで無理矢理寝ちまえ。ヌメルゴンも心配だったんだろ」
「……はい」
「さて、オレさまは寝るかな。隣で起きてていいから」
差し出された褐色の手を取って、その後ろをついていく。
くわっと大きく欠伸をしたキバナさんの欠伸が移って、思わず大きな欠伸が出た。
ようやく、眠れそうだ。
涼しくなった夜風にあたりながら、深くため息をついた。
疲れているのに、全く眠くない。目を閉じても眠りにつくことはなく、時間だけが過ぎていく。
最初は月に一回あるかどうかだった。
だんだん頻度は増し、いつの間にか一週間のうち、二日程度は眠れない日がある。
今日は眠れると思ったのだ。
自分の家ではなく、キバナさんの家に泊まっている。あいにく彼は別の部屋で仕事をしているけれど、それでも気配や匂いがあれば、眠れると思った。
原因はわかっているから病院は受診していない。
ただ、一緒にいたいだけ。
それがこんなにも難しいことだとは、付き合い始めた当初は想像もしていなかった。
今まで通りの頻度で会っていれば満足だったのは最初だけで、気がつけば別れる瞬間が嫌で堪らなくなった。
泊まりに来ても、別れの瞬間は必ずやってくる。
一人の部屋に帰ると、寒々とした空気が部屋中を纏っていて、ポケモンたちと一緒にいればそれなりに紛れるけれど、電話を切った後はぽつんととり残されたような気分になった。
馬鹿みたいだと思った。
どのカップルも皆同じなのに、と。
大きくなった我儘をさらけ出すことができないままでいるうちに、眠れなくなったのだ。
もう一度、世闇に向かってため息をつく。
振り返って見ると、寝室の隣の部屋ではまだ煌々した明かりが扉の隙間から漏れている。
おやすみなさい、と言ったのは、もう二時間も前だった。
柵を背もたれ代わりにしてしゃがみ込むと、突然赤い光が暗い部屋の中に瞬いた。
とてとてと歩いてきた薄ピンク色の足の持ち主は、キバナさんのヌメルゴンだ。
彼女は窓の方までやってきて、首を傾げた。
「どうしたの、ヌメルゴン」
ヌメ、ヌメッと何度か鳴いて、彼女はキッチンの方へと消えた。
やがて何かを手にした彼女が再びやってきた。
「ヌメッ!」
差し出されたのはラムのみだった。
「……ああ、そっか。状態異常だと思ったのね」
そうだとでも言うように、彼女は鳴いた。
「ありがとう。でも違うんだ。眠れないだけ」
首を傾げて、一生懸命私が言ったことを考えているようだ。
返したきのみを床に置くと、彼女は隣に座り込んだ。
粘液の滴る手を振り回し、何かを伝えている。
その様子はどこか楽しそうで、まるでおしゃべりをしているようだった。
「二人とも、そこで何してるんだ?」
足音に先に気が付いたヌメルゴンは、キバナさんに駆け寄って何かを伝えている。
「うーん…うちのお嬢さんの言いたいことはなんとなくいつもわかるんだけど、今だけはさっぱりだ。……このきのみは?」
「ヌメルゴンが持ってきてくれたんです。しゃがんでぼーっとしてたから、お腹痛いと思ったのかも」
「なるほどな。で、ユウリはそこで何してたんだ?」
「……眠れなくて」
おそらく彼は、最近あまり眠れていないことに気づいていたのだろう。
なんとなく後ろめたくて視線をコンクリートに向けると、すっと薄ピンク色の手が伸びてきた。
「中に入れってさ」
視線を上げると、その先には同じように目元を下げた一人と一匹がいた。
その手を取って中へ入ると、ヌメルゴンは満足したようにボールの中へ戻った。
「よし、それじゃ眠くなるもの作るか」
キッチンへ向かうキバナさんに続くと、冷蔵庫からモーモーミルクを取り出して小鍋に入れて火をつけた。
やがてふつふつと気泡が浮いてくると火を止めた。
二つのマグカップへと移し、キバナさんはシンクの下から黒い瓶を取り出してモーモーミルクに注ぐ。
「出来上がり」
軽くかき混ぜて渡されたマグカップは、甘い香りがした。
ほのかに茶色いその液体に、恐る恐る口をつけてみる。
「コーヒー牛乳?」
「そ。コーヒーの方はリキュールだけどな。温かい牛乳とアルコールで眠くなりやすい」
温かいミルクとアルコールは、夜風で冷えた体を体内から温めてくれた。
甘い香りに体の力も徐々に抜けていく。
「で、何でそんなに落ち込んでるんだ?」
青い瞳に見つめられ、怖いと思った。
無理に聞き出そうとしているわけではないのは、声のトーンでわかる。
でも、もっと一緒にいたいという一言は、どうしても口から出てはこない。
なんだ、そんなことかと笑い飛ばしたり、呆れられたりするかもしれないと思うと、それがとても怖かった。
「今は、まだ言えないです。でも別にトラブルがあったとかではなくて」
そういうと、言葉の代わりに頭上に手が置かれた。
温かい手でゆっくりと頭を撫でられる。
「眠れないなら無理に寝なくてもいいさ。ベッドにいるだけでも体は休まるからな。ただ、考えすぎるようなら酒か薬飲んで無理矢理寝ちまえ。ヌメルゴンも心配だったんだろ」
「……はい」
「さて、オレさまは寝るかな。隣で起きてていいから」
差し出された褐色の手を取って、その後ろをついていく。
くわっと大きく欠伸をしたキバナさんの欠伸が移って、思わず大きな欠伸が出た。
ようやく、眠れそうだ。