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ランチボックスシリーズ

午後6時。
ロトムが時刻を告げたのを合図に、片付けを始める音が響き始めた。
5分ほどすると、皆お疲れ様でした、と挨拶をして帰っていった。
それを見送って、ようやく椅子から立ち上がる。
凝り固まった上半身を解そうとぐいっと伸びをしてみるが、昼頃から出始めた頭痛は更に痛みを強くした。
なんとなく視力が急に落ちたかのように見え辛く、鈍い片側の頭痛と妙な疲れと眠気にぐりぐりと痛む部分を揉んでみる。
一向に良くならない痛みに、帰ってから鎮痛剤を飲むことを決めて戸締りを確認してジムを後にした。
今週はとても忙しかった。来訪者も多かったし、急に宝物庫を見せてほしいとの依頼もあった。加えて、普段より書類仕事も多かった。
ユウリの帰宅時間も遅く、今日の朝は二人とも目の下に黒々とした隈が出来ていた。
もう少し寝ていたい、と言ってベッドから出てこないユウリを何とか起こして、朝食もそこそこに二人揃って家を出て以来、連絡はない。
確かに二人とも、今週は忙しいと感じていた。けれどもそれはよくあることだ。急な気温の変化も体にダメージを与えているのだろう。暑い夏が終わって、秋がやってくるのだ。ズキズキと痛む頭に揺らぐ視界の中、温かくて精のつくものが食べたいと思った。
最近は料理も手を抜いてばかりできちんとしたものを食べた記憶がない。
簡単にできる焼きそばとか、バランスも何も考えずサンドイッチで済ませた時もある。
週の半ばを超すと、余計に酷くなってカップラーメンだったり弁当を買ってきた日もある。
それでもユウリは何も言わなかった。それだけが救いだったが、同時に罪悪感もあった。
同棲を始めてからというもの、自分一人ではないというプレッシャーがあったのかもしれない。出来るだけ肉や魚と野菜を組み合わせて作っていた。それは料理が上達してきたユウリも一緒で、ユウリが早く帰れた日は色々と作ってくれる日が増えていた。それはとても楽しみだったし、味も申し分ない。そうなると必然的に、どちらか早い方が作るという暗黙のルールが出来上がっていった。
だからお互い帰るときは今から帰るという連絡は欠かさなかったし、その時に大体の帰宅時間を伝えることができた。
今日もジムを出た時点でロトムがメッセージを送信したはずだ。まだ連絡がないということはユウリはまだ仕事中なのだろう。
行きつけのスーパーの店内に入り、足りない野菜を次々にカゴへ入れていく。
同時に今日の夕飯の献立を考えるが、全くと言っていいほど浮かばない。
浮かぶには浮かぶのだ。例えば肉じゃがや豚汁など忙しくない日はよく作っていたメニューを思い浮かべるが、今日は作るのが面倒だと思ってしまった。
野菜コーナーを通り超して、ついつい足はカップラーメン売り場へと行く。いくつか手に取ってカゴへ入れるも、これでは駄目だと肉コーナーへ向かう。
購入予定だったものをカゴへ入れて、ふと足が止まった。
普段なら買わない、加工済みの肉類が目に留まった。
ネギ塩だれがかかって切ってある鶏もも肉など焼くだけになった肉類が並んでいる。
だが、値段を見ればどうしたって量に比べたら高いような気がした。
そこに一つだけ取り残された大きなパックを見て手に取る。
牛肉と玉ねぎが焼肉のたれに漬かっているそれは値引きシールが貼ってあった。
これならば、週の終わりのメニューとしても妥協ができる、と思ってしまった。
値段も妥協できるし、量も十分で手軽。そう思った瞬間にそれもカゴの中へと入れた。
踵を返して野菜コーナーへ再び行き、袋に入った盛りつけるだけのサラダも入れる。
もうこれでいいだろう、とレジへ向かっていると、冷凍コーナーを横切った。
ちらりと見て一瞬迷った末、冷凍庫の前をゆっくりと歩いていく。
そういえば、ユウリがバニラアイスが食べたいと昨日漏らしていたことを思い出していくつか見ていく。
いつも常備している安い一人用のカップに入ったものを手に取ろうとしたが、その隣のスーパーで売っている中では一番高いアイスメーカーのバラエティパックを手にした。
バニラとストロベリーとクッキー&クリーム。
たまにしか買うことのないそれをカゴへ放り込む。
自分もユウリも今週は頑張った。だから、少し贅沢をしてご褒美代わりに買ったって罰は当たらないだろう。
冷凍庫に入っているこのアイスを見つけたときのユウリの笑顔を想像しながら会計を済ませ、帰路へ着いた。

玄関は真っ暗だった。どうやらユウリはまだ帰ってきていないらしい。メッセージもない。
時刻は20時。
もしかしたら今日はシュートシティのホテルに泊まって明日は一人でゆっくりと過ごすのかもしれない。
あまり遅くなった日はホテルに泊まるように言っていた。
夜遅くの飛行は危険だし、列車で帰ってこれれば一番いいが間に合わなかった場合、アーマーガアタクシーを使うことになる。
それはそれで構わないが週末の今日、空きがあるかが問題だ。
もしそうなったら残念だな、と手元のアイスを見て思いながら食材を閉まっていく。
連絡がない今考えても仕方がないと冷蔵庫にあったチョコクッキーを一かけら摘まんで鎮痛剤を飲む。
これで少し頭痛が和らいでくれればいいのだが、すぐに効くはずはない。
重だるい体に次の指示を出す。
肉を炒めなければ夕飯は出来上がらない。
フライパンにパックの中身をすべて入れて火をつける。
温まるまでの間にサラダを皿に盛りつけて、じゅうじゅうと音が上がるフライパンの中を何度か箸で混ぜた。
牛肉の焼けた匂いとニンニクや醤油の香ばしい匂いにぐうっと腹が鳴った。
そういえば昼食もテイクアウトした小さなパンで終えてしまった。気が緩んでようやく空腹を感じたのだろう。
皿に盛りつけていると、バタンとドアの閉まる音がした。
次いで洗面所の方から水の流れる音と洗濯機のメロディが鳴る。
ユウリが帰ってきたようだ。
「キバナさん、ただいまぁ」
「おかえり、ユウリ」
笑みを浮かべたはずが、どうやら表情筋はうまく働いていないようだ。それはユウリも同じなのか、顔には疲労の色が濃い。
「お疲れ。明日は休みか?」
「はい、どうにか明日は休みのままでいいみたいです」
イベント事もないのか、しばらくぶりの二人揃った休日が過ごせそうなことに体の力が抜けていくのを感じた。
「いい匂い…お腹減りました」
「うん、飯にしよう」
「あとね、キバナさん。これ夕飯の後に食べましょう」
手にしていた白い箱はどうみてもケーキ屋の箱だった。
ガサガサと紙袋の音を立てて中から取り出したものはどれもこれも甘い物ばかりだ。
「ケーキと、シュークリーム、プリン、マカロン…?随分買い込んだな」
「タクシー待ってる間に買っちゃいました。今週頑張ったから、私とキバナさんにご褒美です」
「実はオレさまも買ってきたんだよなぁ」
冷凍庫の中からアイスを取り出して見せると、ユウリの顔がぱっと明るくなった。
「私の大好きなやつだ…!」
「悪いな、ちょっと今日も疲れてたから夕飯適当だけど。そのお詫びかな」
「いつも作ってくれる料理は美味しいですけど、私はなんでもいいんですよ。カップラーメンでもいいんですし」
「それは体に悪いから駄目。まぁ、これもいいか悪いかで言ったら悪い方だとは思うけど」
「でも美味しそうだからいいです。ケーキとアイス食べて、明日はゆっくり過ごしましょう」
「だな。一週間お疲れ様」
「キバナさんも、お疲れ様でした」
ガシガシと少し乱暴にユウリの頭を撫でると、きゃ、と短い悲鳴が上がった。
「さ、食うか」
「はい、いただきます」
ようやく訪れた平日の終わりにどこか安堵して、箸を進めながらユウリの話に相槌を打つ。
来週は何事もなく平穏に過ごせるように願いながら、明日は目の下の色濃い隈を取るために、ゆっくり休もうと心に決めた。
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