ランチボックスシリーズ
「不貞腐れてどうした?」
今日も無事に一日を終えた、と軽い足取りで帰宅すると、いつものようにお帰りなさい、と声がかからなかった。てっきり何かをしているのかと思いきやソファーでお気に入りのクッションを抱えてスマホを睨みつけているユウリがいた。
「あ、キバナさん。お帰りなさい」
心なしか声は低く、苛ついているようだ。
こういう時の対処法は二つ。
一つ目は傍に座って話を聞くこと。
もう一つはさっさと着替えを済ませて夕飯作りに取り掛かること。そのうち、傍に寄ってきて自分からぽつぽつと話し出す。それにうんうんと相槌を打って、軽くアドバイスすれば機嫌は元通り。
どちらも話を聞くことにはかわりないが、時間を置くのと置かないのとではどうやら違うらしい。
さて、今回はどちらが得策かと様子を伺う。
相変わらずスマホを見つめ、メールの文面を確認しているようだ。
小さいスマホ画面の文字まではこちらからは見えない。
スクロールをして下まで読んではまた上に戻る。
はあ、と重苦しい溜息がリビングに響いた。
「何があった?」
極めて落ち着いて、慎重に。
ユウリが怒ることは滅多にない。落ち込みこそすれ、大体その内容を頭で整理してしまえば切り替えてしまう。どうしても自分の手に負えなければ相談してくるが、基本的にはない。
だから、こうまでも不機嫌なことは珍しかった。
「今日ね、確認書が届いたんです。CM出演の」
「へぇ。CMか。どんなCMだ?」
「……カレールーの」
ユウリのカレー好きは誰もが知ることだ。
SNSでもしょっちゅうカレーの写真をアップしているし、タイアップしたいという企業がいても全く不思議ではない。
ここまでの話を聞いていれば、別に不機嫌になる要素は見当たらない。
「コンセプトは?」
「ワイルドエリアでキャンプ中にカレーを作るっていう内容です。最後のルーと真心を入れるシーンを取るみたいで」
「うん、別に普通のCMっぽいけど何が不満なんだ?」
ソファーの背後に回り、しゃがんで背もたれに腕をかける。
ユウリはぽいっとスマホを柔らかい革の上に放り投げると、クッションに顔を埋めた。
「……ばっかり」
「ん?」
「最近、こんなCMばっかりなんですもん」
そういえばこの間はスナック菓子のCMで、その前もポケモンフードのCMを撮ったと聞いた記憶がある。
どれもこれも有名なメーカーばかりで、待遇も悪くはないはずだ。
普段のチャンピオンの様子を切り取ったかのようなCMは子供にも人気らしい。
「もっと……コスメとかシャンプーとか、そういうのもやりたいのに」
お気に入りのクッションに顎を乗せ、ぽつりとユウリは呟いた。
ルリナやマリィと比較してしまっているのだろう。
ルリナは以前からコスメのCMに引っ張りだこだし、髪も長いからシャンプーなどのCMも多い。
マリィはあくタイプのジムリーダーであるし、ネズの影響もあるのか濃いめのメイクのCMが増えた。
それに比べて自分は、と比較してしまっているのだろう。
決して色気がないわけではない。童顔だけれど少女に見えるかと言われれば否だ。
ナチュラルメイクが似合うし、万人受けしそうなものなのだが。
淡いピンクのアイシャドーや少しオレンジっぽい、ナチュラルなリップのCMなどの依頼があっても良さそうなのだが、どちらかといえばそれらは春のイメージが強い。
これから秋に向かう今は、どちらかといえばブラウンやパープルなどの恋色合いになるのだろう。
「チャンピオンといえばポケモンにカレー、ってイメージが強いからな。その方が子供にもウケるし、バトルに興味のない主婦だってユウリの顔と名前、知ってもらえるだろ。それがきっかけでバトルを見に来てくれたりするわけだしな。CMってのは商品の知名度と出る人間の知名度を上げるものだから、ありだと思うぜ?」
「でも、キバナさんだってメンズコスメのCMでてるし……」
どうやらまだ機嫌は治らないようだ。
うーん、としばらく考えていると、一つの提案が頭に浮かんだ。
「そういえば今度、腕時計のCM撮影が入るかもしれないんだ。ペアウォッチでまだ女性側を探しているらしい。ユウリを打診してみようか?」
「……いいんですか?」
「オレさまもユウリの方がやりやすいしな。いい機会だと思うぜ?」
「やる!やりたい!」
くるりと振り返った顔はぱっと表情が明るくなり、今まで抱えていたクッションは床に落ちてしまった。
くく、っと喉奥から笑い声が漏れたが、ユウリの耳にはもう聞こえていないようだ。
「ただ、来た以来はこなせよ?カレールーだってユウリのイメージに合うと思ったから打診がきたんだからさ」
はい、と元気よく返事をするユウリはやっぱり年相応より少し幼いような気がしなくもないが、それを含めてユウリだ。
「じゃ、明日話しとくから夕飯、作ろう」
「あ、もう出来てますよ、カレー!」
カレー。
あれだけカレールーのCMに文句をつけていたのにカレーを作ったのか、と今度は苦笑いが零れた。
そんなことは全く気にせず、ユウリはソファから立ち上がって鍋に火をかけ始めた。
「不貞腐れてたチョロネコがもう笑った」
「何か言いましたー?」
ぽつりと漏れた呆れにも似た声音の独り言は、ユウリには届かなかったようで、胸を撫でおろした。
今日も無事に一日を終えた、と軽い足取りで帰宅すると、いつものようにお帰りなさい、と声がかからなかった。てっきり何かをしているのかと思いきやソファーでお気に入りのクッションを抱えてスマホを睨みつけているユウリがいた。
「あ、キバナさん。お帰りなさい」
心なしか声は低く、苛ついているようだ。
こういう時の対処法は二つ。
一つ目は傍に座って話を聞くこと。
もう一つはさっさと着替えを済ませて夕飯作りに取り掛かること。そのうち、傍に寄ってきて自分からぽつぽつと話し出す。それにうんうんと相槌を打って、軽くアドバイスすれば機嫌は元通り。
どちらも話を聞くことにはかわりないが、時間を置くのと置かないのとではどうやら違うらしい。
さて、今回はどちらが得策かと様子を伺う。
相変わらずスマホを見つめ、メールの文面を確認しているようだ。
小さいスマホ画面の文字まではこちらからは見えない。
スクロールをして下まで読んではまた上に戻る。
はあ、と重苦しい溜息がリビングに響いた。
「何があった?」
極めて落ち着いて、慎重に。
ユウリが怒ることは滅多にない。落ち込みこそすれ、大体その内容を頭で整理してしまえば切り替えてしまう。どうしても自分の手に負えなければ相談してくるが、基本的にはない。
だから、こうまでも不機嫌なことは珍しかった。
「今日ね、確認書が届いたんです。CM出演の」
「へぇ。CMか。どんなCMだ?」
「……カレールーの」
ユウリのカレー好きは誰もが知ることだ。
SNSでもしょっちゅうカレーの写真をアップしているし、タイアップしたいという企業がいても全く不思議ではない。
ここまでの話を聞いていれば、別に不機嫌になる要素は見当たらない。
「コンセプトは?」
「ワイルドエリアでキャンプ中にカレーを作るっていう内容です。最後のルーと真心を入れるシーンを取るみたいで」
「うん、別に普通のCMっぽいけど何が不満なんだ?」
ソファーの背後に回り、しゃがんで背もたれに腕をかける。
ユウリはぽいっとスマホを柔らかい革の上に放り投げると、クッションに顔を埋めた。
「……ばっかり」
「ん?」
「最近、こんなCMばっかりなんですもん」
そういえばこの間はスナック菓子のCMで、その前もポケモンフードのCMを撮ったと聞いた記憶がある。
どれもこれも有名なメーカーばかりで、待遇も悪くはないはずだ。
普段のチャンピオンの様子を切り取ったかのようなCMは子供にも人気らしい。
「もっと……コスメとかシャンプーとか、そういうのもやりたいのに」
お気に入りのクッションに顎を乗せ、ぽつりとユウリは呟いた。
ルリナやマリィと比較してしまっているのだろう。
ルリナは以前からコスメのCMに引っ張りだこだし、髪も長いからシャンプーなどのCMも多い。
マリィはあくタイプのジムリーダーであるし、ネズの影響もあるのか濃いめのメイクのCMが増えた。
それに比べて自分は、と比較してしまっているのだろう。
決して色気がないわけではない。童顔だけれど少女に見えるかと言われれば否だ。
ナチュラルメイクが似合うし、万人受けしそうなものなのだが。
淡いピンクのアイシャドーや少しオレンジっぽい、ナチュラルなリップのCMなどの依頼があっても良さそうなのだが、どちらかといえばそれらは春のイメージが強い。
これから秋に向かう今は、どちらかといえばブラウンやパープルなどの恋色合いになるのだろう。
「チャンピオンといえばポケモンにカレー、ってイメージが強いからな。その方が子供にもウケるし、バトルに興味のない主婦だってユウリの顔と名前、知ってもらえるだろ。それがきっかけでバトルを見に来てくれたりするわけだしな。CMってのは商品の知名度と出る人間の知名度を上げるものだから、ありだと思うぜ?」
「でも、キバナさんだってメンズコスメのCMでてるし……」
どうやらまだ機嫌は治らないようだ。
うーん、としばらく考えていると、一つの提案が頭に浮かんだ。
「そういえば今度、腕時計のCM撮影が入るかもしれないんだ。ペアウォッチでまだ女性側を探しているらしい。ユウリを打診してみようか?」
「……いいんですか?」
「オレさまもユウリの方がやりやすいしな。いい機会だと思うぜ?」
「やる!やりたい!」
くるりと振り返った顔はぱっと表情が明るくなり、今まで抱えていたクッションは床に落ちてしまった。
くく、っと喉奥から笑い声が漏れたが、ユウリの耳にはもう聞こえていないようだ。
「ただ、来た以来はこなせよ?カレールーだってユウリのイメージに合うと思ったから打診がきたんだからさ」
はい、と元気よく返事をするユウリはやっぱり年相応より少し幼いような気がしなくもないが、それを含めてユウリだ。
「じゃ、明日話しとくから夕飯、作ろう」
「あ、もう出来てますよ、カレー!」
カレー。
あれだけカレールーのCMに文句をつけていたのにカレーを作ったのか、と今度は苦笑いが零れた。
そんなことは全く気にせず、ユウリはソファから立ち上がって鍋に火をかけ始めた。
「不貞腐れてたチョロネコがもう笑った」
「何か言いましたー?」
ぽつりと漏れた呆れにも似た声音の独り言は、ユウリには届かなかったようで、胸を撫でおろした。