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ジンクス本編外

 デスクで書類を前に片手でペンを弄んでいると、急に外が騒がしくなった。
 レナやヒトミの声だ。
 女性が数人騒ぐ声にドアを開けると、見慣れた靴が目に入る。
 フラットで滑りにくいように靴底がゴムになっているドライビングシューズ。
 ユウリにプレゼントしたものだ。
 歩きやすいし、濡れたタイルも滑りにくいと喜んでいたもの。
 騒ぎ声の原因は、ユウリだった。
 もうだいぶ大きくなった腹部は前にせり出していて、正直足取りは危なっかしい。
 立っているのも辛いのだろう。時々腰を擦っているのを見かける。
 レナが慌てて簡易チェアを持ってきて、ユウリはそれに座ると紙袋から綺麗にラッピングされた袋を一人一人に渡していく。
 毎年皆に配っているチョコレートケーキだ。
 渡しておくからと言っても、直接渡したいのだとユウリは譲らなかった。
 ナックルシティスタジアムから家は遠いわけではないが、坂道が多い。
 タクシーを使うようにと言っても、ユウリは病院でよく歩くようにと言われたからとそこも譲らない。
 早い話、頑固なのだ。
 本人がそれではいくら心配してもしたりない。
「あ、キバナさん」
 ヒラヒラと手を振るユウリの手首には、もうダイマックスバンドはない。
 半年ほど前にチャンピオンではなくなったユウリは、ようやく家庭に入った。
 子供が生まれて大きくなるまでは家にいるつもりだという。
 けれどもあれだけ冒険とバトルが好きなユウリが大人しく家にいてくれるのだろうか。
 悩み事は次から次へと沸き起こる。
 けれども今はまだ、数年先のことを考えるより目の前の出産だ。
 もう予定日は数日先。
 いつ陣痛が起こってもおかしくないと医師から聞いて、その未知の経験に正直、恐怖を感じている。
 きちんと支えてあげれるのだろうか。
 今はもう、どう体を支えればいいのかもわからないのだ。
 どうすれば苦しくないか。そんなことすらわからない。
 男とは無力な存在なのだなと、情けなくなる。
「キバナさん、はい」
 ニコニコと渡された小箱の中身は見なくてもわかっていた。
 一度気に入ったと伝えたら、毎年バレンタインのチョコレートはこれになった。
「ホワイトチョコのやつ?」
 こっそり今朝冷蔵庫からつまんできた、ミルクティー風味のホワイトチョコ。
「はい。もう飽きちゃいましたか?」
「いいや。あれ、好きなんだ」
 よかった、とユウリが笑う。
 この笑顔ともしばらく別れなければならない。
「もう行くのか?」
 その問いにユウリは僅かに目を細めて静かに頷いた。
「何かあったらすぐ呼べよ。早く終わった日は行くから」
「大丈夫ですよ。お母さんもいるし、近くにホップもソニアさんもいるので」
「実家まで一緒に行くか」
「いえ、アーマーガアタクシーの中でマリィが待ってます。それよりキバナさんこそ、無茶はしないでくださいね」
 家で一人にしておくには不安すぎて、いっそのこと産まれるまで仕事は在宅にすると提案した。
 けれども、現実的に考えれば完全在宅は難しい。
 どうするべきか悩んでいると、しばらく実家で過ごしたいとユウリから告げられた。
 こんな大事な時に傍にいてあげることすら難しいのだと情けなくなったものの、経験者が傍にいた方が安心だという思いと、離れてしまうのはやっぱり寂しいという我儘。
 いろいろな思いが混ざり合って、結局はユウリの提案に従うことにした。
 今日から帰宅してもユウリはいない。
 何年かぶりの、一人で過ごす夜。
 ユウリと暮らした年数よりも一人でいた年数の方が長いのに、色々と心配すぎて眠れるかどうか怪しい。
 よいしょ、と掛け声がして慌てて体を支える。
 せり出した腹部のせいで、今は立ち上がることすら容易ではない。
「じゃあ、キバナさん。夜に電話しますね」
 外にはマリィが待っていた。
 アーマーガアタクシーのステップを上がって乗り込むまで見守る。
 マリィも乗り込んで、バタンとドアが閉められると、大きな翼を羽ばたかせて、アーマーガアが飛び立っていく。
 窓から手を振っていたユウリが完全に見えなくなるまで見送って、執務室へ戻ってチェアにどかりと座り込む。
 手にはチョコレートの入った小箱。
 丁寧に結ばれたリボンを解いて蓋を開けると、チョコの上に小さなメッセージカードが入っていた。


 『キバナさんへ。
 昨日で付き合ってから五年が経ちましたね。
 結婚してからもう二年。
 あっという間でした。いつも支えてくれて、 ありがとうございます。
 これからは色々大変になるだろうけど、頑張 りましょうね。
                 ユウリ』

 整っていて、流れるように書かれたユウリの文字。
 その下に、親指で隠されていたPSから始まる小さな文字に目を凝らす。
『ホワイトデーはキバナさんとバトルがしたいです!』
 なんとか読み取った小さな文字にふっと笑い声が漏れる。
 やっぱりユウリはユウリなのだなと、緩んだ口元をそのままにスマホロトムを呼び出した。
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