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ジンクス本編外

石畳の上を歩いて坂を下る。
家から少し下れば道の両端には商店街が広がっていて、日常生活に必要な物のたいていは揃う。
ナックルシティに越してきてから半年。
数えきれないほどの時間をこの街で過ごしても、実際に生活をしてみないとわからない場所がある。
キバナの好みの調味料や食材が売っている店、愛用している消耗品を置いているお店。キバナのポケモンたちの木の実を売っているお店。
以前は食材の買い出しはキバナと一緒に行っていたし、日用品はあまり買いに行った記憶がない。だいたいはキバナが購入してストックを置いていたからだ。
けれども一緒に住んでいるうちにやはり補充が必要になる。最初はこだわりがあるものを教えてもらって、それらをメモや写真に収めて慣れない商店街を歩いた。
今ではだいぶ慣れて店員と親しくなった店もある。

久しぶりの休日。いつも通り一緒に朝食を取り、先ほどキバナを送り出したところだ。
未だにキバナはユウリが休みだと少し残念そうにため息をついて家を出る。
そして必ずと言っていいほど定時で帰ってくるのだ。恐らく今日も夕方には帰宅するだろう。それまでに買い物を済ませて夕飯を作って、と頭の中でスケジュールを立てる。
あちこちの戸棚を開けて足りない物をピックアップし、最後に冷蔵庫を開けて今日の献立を考えて、最後に回る店のルートを決めて外に出た。

まず最初に見えてくるのはキバナのお気に入りのスコーンが置いてある店。そこで朝食用にスコーンを数種類購入する。
「おはようございます」
声をかければ奥から女性が顔を出した。足元にはウィンディがじゃれついてくる。
「あら、チャンピオン。おはようございます」
黒くて長い髪を一本に結い上げた女性はにこやかに挨拶を返してくる。
ディスプレイされた数種類のスコーンからどれを選ぼうかと悩んでいると、女性は紙袋へ全種類2個ずつ放り込んで封を閉めた。
「はい、これ。先日のお礼」
二人で食べるには随分と多いスコーンが入った紙袋を差し出されて頭に疑問符が浮かぶ。
「あれ?キバナ様から聞いてないかな。この間ホシガリス対策にこの子を譲ってもらったの。そのお礼よ」
舌を出して目をキラキラとさせた毛艶のいいウィンディは器用に後ろ脚で立ち、遊んでほしそうにしている。
「あ、聞きました。この子がそうだったんですね!でも…いいんですか?」
「いいのいいの。キバナ様にはいつもご贔屓にして頂いているから」
ありがとうございます、と礼を言って、最後にウィンディを撫でて次の店へ移動する。
木の実を扱っている店の前に立つと、恰幅のいい男性がいらっしゃい、と声を上げた。
ここでは手持ちポケモンたちの木の実を取り寄せてもらっていた。二人分の木の実を受け取って忙しそうな主人と簡単な挨拶を交わしてまた移動する。
次は道の反対に渡って、八百屋で野菜を購入し、隣接している肉屋で肉や加工品を購入する。
思いの他、腕一杯になった紙袋をバッグに入れていた折り畳みトートバッグへ入れて、今度は坂道を上る。
通り沿いの花屋に近づくと、様々な花の香りが鼻腔を擽った。
店の前には色とりどりの花が咲いている。なかなか普段忙しい二人は、正直花の手入れまで気を配っていられない。そんな理由でしばらく買わずにいたが、大きなPOPと可愛らしい形の容器に興味が湧いてふらりと近寄る。
「いい夫婦の日…?」
11月22日はいい夫婦の日!と大きな字を小さく声に出して読むと、ぽっと顔が熱を持つのを感じた。
左手の薬指にはめた指輪をちらりと見る。
半年前にキバナと一緒に購入したものだ。婚約指輪と同じく宝石が散りばめられた値段を見て目を丸くするような結婚指輪ばかり選ぶキバナに、石のついていないシンプルな物を、と提案した。常にはめているものだから、石が傷ついたりかけたりするのは嫌だった。
互いにグローブを嵌めてもそこまで主張しない、細みのプラチナリングを選んで入籍日を刻印してもらったもの。いたってシンプルなリングは見ているだけでどんな時も落ち着くことができる特別な物となった。
夫婦と呼ばれるようになって半年。良いの基準がよくわからないが、ここ半年の生活を振り返って首を傾げそる。けれども可愛らしいハートのボックスに入ったオレンジとピンクのバラで飾り付けられたアレンジメントを前に止まった足は動かない。説明書きを読めば、吸水スポンジが乾くまでは特に手入れも必要なさそうだ。
「すみません、これをください」
中年の女性がユウリの声に気づいて花束を作っていたのか作業台から顔を上げた。いくつかの他愛のない会話を交わして、商品を受け取る。
受け取ったアレンジメントは、まるで花束を抱えているようで少し気恥ずかしいような気がしたが、腕の中のバラはとてもいい香りを漂わせていた。
二つの花言葉を詰め込んだアレンジメントの意味にキバナは気づいてくれるだろうかと期待して、日ごろは気恥ずかしくて伝えられない思いを腕の中に一気に坂道を上った。

◇◇◇
夕暮れが沈みかけている街並みを眺めながら、坂道を上る。
少し前まではまだこの時間でも明るかったのに、と思いながら店仕舞いを始めている商店街の人々に声をかけられ二言三言会話をしながら上っていく。
馴染みの紅茶専門店で取り寄せていた茶葉を受け取り、ふわっと風に乗って香った匂いの在り処を探せば、それは隣の花屋からだった。
随分と今日はバラの匂いが強いなと思って店を覗けば、大きな文字で書かれたPOPが目に入る。
「いい夫婦の日、ね…」
「あれ、キバナ様。お久しぶりですね」
ぼんやりとPOPを眺めていると、中年の男性の声が聞こえた。この店の店主だ。
「おっちゃん、元気?いや、これが目に入ったからさ」
今の家に住みだしてこの商店街を利用するようになった数年前からの顔なじみで、ジムの受付に飾る花やユウリに贈る時も世話になっていた。
「いつも綺麗な花、選んでくれてありがとうな」
「いえいえ。あれは家内が喜んで毎週作ってるんですよ。あれはキバナ様のファンですしね。光栄だとかなんとか言ってやってますよ」
恰幅のいい体を揺らして隣に立つ男に笑みを返して今度はフラワーアレンジメントに視線を向ける。
「たまにはうちにも飾るかな」
濃淡の強いピンのバラとガーベラでアレンジされた小ぶりなブーケを手に取って、ユウリの笑顔を想像する。
ユウリがジムを初めて訪れた日から8年。付き合って2年。結婚をして半年。
数えてみれば長い年月を過ごしてきた。まだ若かったころは何度も喧嘩した。今考えれば大人げなかった自分とまだ幼かったユウリ。どちらも頑固でどちらも折れなかった。
周囲の人を巻き込んだことももちろんある。その度にネズにチクチクと文句を言われていたあの頃を思い出せば苦笑いをせざる負えない。
年月が経つにつれて喧嘩は減ったが、大人になるにつれて遠慮がちになっていったユウリははっきりと言わずに限界まで溜め込んでしまう癖がある。もちろんその兆候を感じ取れるようにはなったものの、我慢していないかと不安に思うときもあるのだ。
「チャンピオン…いや、奥さんにたまにはどうです?」
「うん、そうだな」
そういえば最後に花を贈ったのは半年以上前だ。あの時は赤いバラに数本のピンクのバラを混ぜてもらって、108本の大きな花束を贈った。
そんな本数を飾れる花瓶がなくて、結局家の至る所から花瓶の代わりになるものを探してあちこちに飾った。

大柄な男がブーケを下げて歩く様子はどう見られているのだろうか。
花束の方がよかったかもしれないと考えて、ちらりとブーケを見る。花瓶に生ける花もいいが、お互いのポケモンたちがぶつかって割ってしまうことを考えればこちらで正解かもしれないと少し急ぎ足で歩く。
もしこの姿をSNSにあげられていたらどんなハッシュタグが付くだろう、と候補を上げているうちに家へとついてしまった。
ただいま、と声をかけるとパタパタと足音が聞こえた。
「おかえりなさい」
一人で暮らしていたころはただいまなんて言わなかった。仕事のこと、ポケモンたちのこと、これからしなければならない家事。そんなことで頭がいっぱいだった。
ただいま、おかえりなさい。その当たり前のやりとりにさえ嬉しいと感じるようになった。
一人で適当に食べる夕飯よりも、たとえテイクアウトの料理でも一緒に食べるだけで美味しいと感じる。
家ではポケモンとしか会話をしなかったのに、一日の出来事を語り合って二人揃った休日の予定を立てる。
テレビを見ていてもああでもないこうでもないと意見を交わす。それがどれだけ大事なことかを知った数年の日々に感謝を。
何よりも、自分と寄り添うことを選んでくれたことへの感謝を込めて。
「これ、ユウリに」
ピンク色で埋め尽くされたブーケを差し出すと、笑顔を浮かべた瞳の中にわずかな陰りを見つけた。
どうした、と問えばその答えはダイニングテーブルの上にあった。
少し肌寒い日にちょうどいい、ポトフとグラタンが置かれたダイニングテーブルの真ん中に、オレンジとピンクのバラが咲き誇っていた。
思わず笑い声をあげれば、つられてユウリも笑う。
一緒に過ごしていればおのずと考えは似てくるものらしい。
喧嘩をしなくなった理由はとても簡単なものだった。
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