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ジンクス本編外

「行ってみたいなぁ」
ずっとスマホの画面を見ているな、と思っていたら、唐突にユウリが呟いた。
「どこだ?」
すぐに行ける場所なら午後に出かけてもいいかな、と思って答えると、ずいっと目の前に画面が飛び込んでくる。
一瞬ピントが合わなくて瞬きをしてからよく見ると、南国の風景の写真だった。
「マリィがSNSにあげてた写真です。今ネズさんと一緒にアローラへ旅行に行ってて。ほら、このお店のパンケーキとかマフィンとか。あとすごく首の長いアローラナッシー」
次々と表示される画像はとても綺麗に映っていた。
店の中から撮ったにしてはガラスの反射がなく、道路の向こう側に広がる公園のような所もしっかりと映っている。
ちらりと彼女を見ると、しっかりと目が合ってしまった。
ああ、これは本気だ。
内心ため息をつく。
別に嫌な訳ではないのだ。旅行もしばらく行っていない。そもそもユウリと旅行に行ったことすらない。
忙しいチャンピオンユウリとナックルジムリーダー、宝物庫の管理をしている自分とでは長期の休みを合わせて取るには少し、面倒なのだ。
ここまで意思表示するのも珍しい。
自分でどうにか解決できるのならしてしまうタイプのユウリはあまりこういうことは言わないのだ。
「…よし、行くか、アローラ」
「え!いいんですか!?」
「新婚旅行だ」
プロポーズをして、それを受けてくれたユウリ。
けれどもまだ何も動き出していなかった。
婚姻届も書いていないし、婚約したことも公にしていない。
というのも、プロポーズをした翌々日から始まったガラルスタートーナメントのせいで二人とも忙しかったのだ。
ようやく閉会したトーナメントの休暇を二人でのんびりと過ごせたのがプロポーズをしてから二週間後の今日。
幸か不幸か、トーナメント中、二人とも指輪をしていたのに、グローブをしていたせいかルリナとマリィ以外気が付かなかった。
そのまま激戦になだれ込み、終わった頃にはダンデへ報告することも忘れていた。
「そうと決まれば、式までの大まかな予定組まなきゃならないな。夏前か、秋か…」
思いついた即行動。こんな考えは昔は持っていなかった。事前に下準備をして、慎重に予定を組んでいたような気がする。
ユウリに似てきたのかもしれないと思うと、己の変化に笑いが込み上げた。
不思議そうに小首を傾げたユウリになんでもない、と誤魔化してスマホのスケジュール帳を確認する。
今年はまだ、3か月以降先の予定はまばらで比較的組みやすそうだ。
ユウリのスケジュールと照らし合わせて予定を紙に書いていく。
お気に入りのビーズクッションを抱えた彼女の希望を聞きつつ、旅行までのスケジュールを立て終わる頃には陽が暮れ始めていた。


◇◇◇
「というわけで、これがだいたいの予定表」
出勤したばかりのダンデに紙を一枚差し出す。
まだ出勤時間にはだいぶ早い時間の人通りもまばらなシュートシティ。
朝食も摂らずに出てきたものだから、ユウリと一緒にカフェに入ろうとした時だった。頭上を大きな影が通り過ぎ、見上げるとリザードンと風に揺られる紫の髪の人物がバトルタワーの方角へ飛び立って行った。
慌てて追いかけると同じように駆けだしたユウリにカフェで待ってるように伝えてバトルタワーへ走った。
閉まっていた入口の前でダンデに連絡をして、通してもらった執務室で手短に伝える。
3日程度の休暇であれば休暇申請を出せばだいたい通る。けれども今回は二人合わせて取る上に、期間は8日。直に説明したほうが早いだろうということと、結婚の報告も兼ねている。
時間にして30秒ほどの沈黙の末、ダンデは頷いた。
「わかった。キバナが組んだ予定ならば問題はないだろう。おめでとう」
なんだか照れくさくて、ダンデ自ら淹れたコーヒーを飲んで間を持たせる。ここにユウリを連れてこなくてよかったと心底思った。多分彼女は、恥ずかしそうに黙りこくってしまうだろうから。
「それにしても、式のあとすぐに行くのか?」
「ああ。マスコミの相手すんのも面倒だからな。特にユウリは疲れるだろ」
「そうだな。その辺は事前に文書でも送っておけば問題はないだろう。式の規模はどうするんだ?」
「ハロンの近くで家族と友人だけでやるよ」
「結婚か…」
「なに、急に」
「俺は友達の結婚式なんて初めてだからな。今から緊張するぜ。俺はその、キバナの友人として出席したらいいのか?それともユウリ君の上司か?」
らしくないな、なんて思ってしまったが、目の前にいるのがリーグ委員長ではなく友人のダンデなのだということに気がついて、そわそわし出した友人に思わず笑ってしまった。
「どっちでもいいよ」
この豪華な執務室にはそぐわない空気に違和感を覚えつつ、目の前の友人が結婚する日がくるならば、同じように緊張するのだろうなと思った。
「それにしても、時が経つのは早いものだ。俺が彼女に初めて会った時、まだ子供だったんだ。ホップに手を引かれて、バトルを始めたばかりだった。あっという間にチャンピオンになって、気が付いたら俺はここに座っている。不思議なものだな」
「結構気にしてたんだよ。私がチャンピオンにならなければって。あいつは、いつも人のことばかり気にしてる」
「負けたときは悔しかったさ。その先のことを考えて、目の前が真っ暗になった日もある。だけど、俺が負けなければ今のバトルタワーはない。彼女のおかげでガラルのトレーナーは強くなった。俺は、俺を負かしたのがユウリ君でよかったと思ってるんだぜ」
「その言葉は直接、あいつに言ってくれよ」
言葉よりもバトルでしか交友を深めていなかったような気がするが、それでも長い間傍にいたというのに、憶測でしかなかった友人の本音にまた一つ、憑き物が落ちていくような気がした。いつの間にかユウリの悩みはどこか片隅で燻っていたらしい。
「ああ、あとな。多分これから準備でお互い休みを申請することが増えると思うんだ。それは大丈夫か?」
「問題ないぜ。キミが大丈夫だと思えるならいい。ユウリ君の仕事は俺しか代われないだろうから前もって言ってくれればいい」
「ありがとな、ダンデ」
「何がだ?」
書類を前に首を傾げたダンデに苦笑いを零す。
「んー、まあ、言い出すと最初に推薦状を渡してくれた所からなんだけど。今のは休みの件。それからオマエ、結構会食の誘いとかユウリの代わりに行ってるだろ?」
「お偉い方の扱いに慣れてるのは俺の方だからな。彼らもチャンピオンよりバトルタワーオーナー兼リーグ委員長との会食の方が何かといいだろう?」
そう言って、不敵に笑ったダンデはここ数年で経営も身に着けたようだ。
な、言ったろ。何も心配することなんてないんだって。
ユウリが目の前にいたらそう言っていただろう。
すっかり違和感のなくなった委員長を前に、それだけの年数が流れていたのだと感じた。
無事、休暇を取れた事で安堵したのもつかの間で、それからは決めることが沢山ありすぎて脳がパンクしそうだった。
山ほどのプラン、オプションは何かの呪文のように思えたし、積み重なったパンフレットを前に世の夫婦の大半がこんなことをしていたのだと感心を覚えた。
式場はユウリの希望でハロンタウンの近くの教会に決まった。
ドレスを決めるのだけは、ソニアやマリィ、ルリナと一緒に行ってもらった。
試着と言えど、ドレス姿はまだ見たくなかった。
一緒に決めたかったと不貞腐れるユウリに新作のスイーツを手土産に帰れば更に機嫌を損ねた。
この店のスイーツは昔から好きだったのにと空しく一人で食べていればぽつりと呟かれた一言は、ダイエット中。
どこからどう見てもダイエットなんてする必要はないのに、ドレスのために頑張っているらしい。
エステにも通い始めたらしく、なんとなくすれ違う日が増えた気がした。
いい加減、二人でゆっくり過ごしたいものだなとため息を零すと、吐き出した吐息はもう白い姿ではなくなっていた。
いつの間にか冬は通り過ぎ、春が訪れていた。
一日、一週間、一か月。
ふと気が付いてカレンダーを見る度に、文字通りあっという間に過ぎていく。ゆったりと普段と変わりなく過ごしていたのは自分だけで、唸っていたり、目を輝かせたりと慌ただしいユウリを横目になんだか少し罪悪感を覚えてスマホのブラウザを開く。
飛行機もホテルも予約はとうに済ませた。
まだ決まっていないのは予定だけ。
まずは観光スポットの情報収集。それから、ユウリが好きそうな料理やスイーツの店をピックアップ。
タガが外れたように食べるだろう彼女のためにあらゆる場所をメモして保存をする。
ひょこっと横からユウリが覗き込んできて、ここも、あそこもと場所を追加していく。
気がつけばスマホのメモ帳はスクロールを繰り返さなければ全て見きれない程の長さになっていた。

◇◇◇
結婚式当日。
ハロンタウンにほど近い教会の外は、様々な鳥ポケモンの囀りとウール―の鳴き声が響いていた。
とても控室とは思えないGBMに癒されたのはほんの少しだけだった。
普段とは違う真っ白なグローブを嵌める手が微かに震えていた。柄にもなく緊張している姿を控室に来たネズに思いっきり笑われ、けれども反論する余裕は全くなかった。
「とうとう、ここまで来やがりましたね。振られたら根掘り葉掘り聞いて曲を作ろうと思ってたんですが」
「こんなに緊張、するもんなんだな。初めてだ」
「俺がここまでするんだ。離婚なんてするんじゃねーですよ」
こちらも初めて見る、悪友のスーツ姿を見送って思いっきり肺に息を吸い込んで吐く。
昨夜、ユウリは実家に泊まった。支度に時間のかかる分、移動時間を削ったのだ。
マリィやソニア、ルリナ、サイトウと女子会を楽しんだらしい。
こちらもネズとダンデを呼んでほどほどに酒を飲んだ。
頭に叩き込むようにプログラムを読み込んだ筈なのに、昨夜の酒で抜け落ちている記憶はないかと再確認をして立ち上がる。
スタッフがドアをノックした。
扉に手をかける手がまだ震えている。

ーキバナよ、しっかりしろ。あの日、一生守るんだって決めただろ。笑って、スマートにエスコートを。

自分に叱咤し、覚悟を決めてドアノブを捻る。
そのままスタッフに案内されるまま会場へ入ると、参列者が一同に立ち上がって礼をした。
心臓はこれまでに感じた事のないほど高鳴っていてる。体全身が揺れるような鼓動。血液は爪先から脳までを盛んに巡り、のぼせるような感覚。
きっと、カチガチに固まった表情をしていたのだろう。ちらりと視線を感じてちらりとその方向を見ると、ネズが微笑んだ。
友人の優しい笑みを見てふっと体の力が抜けて行く。
ユウリが好きだと気づいて、暫く悩んでいた時。毒舌だったけれどもなんだかんだと励ましてくれたのはネズだった。
タンっと力強い音色が響く。新婦の入場が始まるのだ。
ゆっくりと開かれていく扉の奥に、純白のドレスを纏ったユウリ。
てっきりAラインの、一般的なウエディングドレスを選んだのだと思っていた。
母と伴ってゆっくりと歩んでくるユウリは、上半身は細かな刺繍が施され、太腿から足首まではタイトに、そしてその裾にはふんわりとレースが広がったマーメイドドレスだった。
その姿に見合った言葉が見つからなくて、こんなことならばドレス選びに一緒に行けばよかったと後悔した。
そうすればもっと色々なドレスを着たユウリを見れたのに。
祭壇の前まで来て、ユウリの母からその手を受け取る。
その手は少し冷たくかった。彼女も緊張しているのだと悟って、ようやく霧が晴れたように思考がまともに機能し出す。
続いて賛美歌を斉唱し、いよいよ誓約だ。
「新郎キバナ、あなたはここにいるユウリを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
一拍空けて、力強く、しっかりと答えた。
「新婦ユウリ、あなたはここにいるキバナを病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います」
こちらもしっかりとした、決意の籠った声だった。
「それでは指輪の交換を」
ほんの数日、着けたのち、またケースに戻された二人の結婚指輪を手に取って、ユウリの左薬指にはめる。
ようやく震えの止まった手を差し出して、同じように左薬指に指輪が納まった。
「誓いのキスを」
神父の声にゆっくりとベールを上げる。
薄く化粧を施したユウリの表情は、誰がどう見ても幸せだと訴えていた。
彼女と知り合って12年。一緒に色々な体験をした。バトルもたくさんしたし、共に暮らすようになって欠点も長所もたくさん知った。
時には喧嘩もしたし、泣かせたこともある。恰好の悪い所もたくさん、見られてしまった。
それでも共にいてくれた日々とこれからも一緒に過ごしていけるのだということに感謝を込めて、ユウリを抱きあげた。
この身長差でなかなか上手くいかなくて、何度もユウリは悔しがっていた。
丁寧に抱きあげて、ユウリの腕が首に回った。控えめに輝く唇にそっとキスを落とす。
周りに家族や友人がいることなど、もう目に入っていなかった。
唇が離れると、ユウリはえへへ、と照れくさそうに笑う。
その笑顔は普段と全く、変わらなかった。
最後に署名をして、神父が結婚を宣言した。
これで、名実ともに夫婦となったのだ。
ちらりとユウリを見ると、満足そうな表情で笑んで、腕を絡めてくる。
母と通ってきたバージンロードを今度は二人で歩く。
参列者の拍手を受け、ゆっくりと退場した。
扉が閉まり、ユウリはお色直しのため、スタッフに連れられて控室へと戻る。
ユウリのウエディングドレス姿をもっと見ていたい、褒めてやりたいと思っていた物の、如何せん、夜にはガラルを発つためあまり時間がない。
男性スタッフに急かされ、控室へと戻る。この純白のタキシードを着替えねばならない。
家から持ってきたスーツに着替えると、ようやく堅苦しさから解放されたような気がした。
濃紺のシャドーストライプが入ったスーツに淡いクリーム色のワイシャツ、オレンジのサテン生地のネクタイ。
ユウリの成人パーティで着たスーツだ。
新しく仕立てようかと思ってカタログを見ていたところ、ユウリがクローゼットから一式を持ってきたのだ。
「また、これを着たキバナさんが見たいです」
上等な生地で作ったそれは、保管しっぱなしだったにも関わらず年数が経っても全くそれを感じさせない。
彼女のリクエストを受け、それを着ることにした。
どのみち、二次会は気を使うようなものにはしていない。
ユウリの実家近くのレストランを貸し切って皆で立食パーティだ。
突然、大きな鳴き声がして窓の外を見る。どうやらアーマーガアタクシーが到着したようだ。
先ほどとは打って変わり、静まり返った教会内を歩いて外へ出る。
そよ風が心地よく吹き、頬を撫でる。眩しいほどの日差しが一面の芝生を照らし、キラキラと輝いていた。


◇◇◇
二次会会場へ着くと、ジムリーダーたちはすでに集まっていた。
ダンデの母があれやこれやと忙しなく動き、給仕している。
代わるがわるに祝いの言葉を受け、少しこそばゆい思いだった。
一人だけ店の隅に座っていたネズの横へどっかりと崩れるように座るとあからさまに嫌な顔をされたが、それが逆に落ち着いた。
「そういえば、まだ言ってなかったですね。おめでとう」
「ネズも、演奏ありがとうな」
「見てくださいよ、ダンデのあの表情。ここに着いてからずっとああなんですよ」
辺りを見回してダンデを探すと、ダンデは反対側の隅でずっとぶつぶつと紙を睨んでいる。
「スピーチの練習でしょうね。スピーチなんて慣れてるでしょうに」
「そういうネズはどうなんだよ?」
「俺はもう、決めているので」
くくっと笑った友人に苦笑いを零し、ぼんやりと皆を眺める。
美しく着飾った女性陣。見慣れないスーツ姿。いつもの打ち上げとは全く違う服装なのに、その雰囲気は普段と変わりなく安心感が漂う。
暫く眺めていると、急に風が窓を叩いた。皆の視線が外に集まり、ユウリが来たのだと悟る。
「ほら、いきんしゃい」
ネズに背中を叩かれ、立ち上がってドアを開けると突如エメラルドグリーンの色が目に飛び込んできた。
「キバナさん!」
これ以上ないくらいの笑顔を浮かべ、名前を呼ばれる。つられて笑って、その手を取った。
髪をアップに結い上げ、先ほどよりはゆったりとした細みのAラインのドレスは淡いエメラルドグリーンのグラデーションが美しかった。
休憩用に用意された椅子に座らせ、その隣に腰掛けると二次会が始まった。
司会はホップが担当し、挨拶を述べる。論文発表でだいぶ慣れたのか、昔のような幼さは全く感じない。むしろ逞しく育ったものだと思う。
ダンデが紹介され、前へ出る。頭を掻いて、いつもより背筋は曲がっていた。
「すまない、原稿は用意したんだが、結局上手い言葉が決まらなかった。だから申し訳ないがシンプルに言うぜ。昔から仲が良かったが、これからも仲良く暮らしてほしい。おめでとう!」
ふふっと二人で思わず小さく笑い声を漏らし、拍手を送る。次々の祝福の言葉を受け、最後にネズが壇上に上がった。
「俺は、言葉で表すことが下手なので。曲を贈ります」
ポロン、とアコースティックギターが鳴る。初めて聴く曲だった。
他地方の言葉で歌われるその曲は、ネズが普段作る曲とは全く対極にある旋律だったが、それはとても静かで心地がいいものだった。
皆に愛されている。素直にそう感じることができた。
「なあ、ユウリ。オレたちはとてもすごい奴らと知り合えたんだな」
「…そうですね。皆、素敵な人たちばかりです」
「さっき言えなかったけどさ。ウェディングドレス、凄く綺麗だった。試着、行けばよかったなって思ったよ」
「色々、着たんですけどね。あのドレスが一番似合ってるって言われて。ちゃんと他に着たドレスの写真もありますよ」
「そのドレスも、よく似合ってる。ははっ、似合ってるしか言えないなんてな。他にもっと言葉はあるのに思い浮かばないわ」
「結婚、しちゃったんですね」
「後悔、してるか?」
「いいえ。まだ信じられないだけです。キバナさんと夫婦になったなんて」
「オレも、まだ震えが止まらないんだ。なんでだろーな。感情がまだ、ついていかない」
細やかに震える指先をずっと組み合わせるように握って隠していた。その手にユウリの左手が重なる。
「私もですよ」
二人揃ってくつくつと笑いを漏らしていると、ユウリの母の声が聞こえた。
はーい、と返事をしてユウリが立ち上がる。
ひらひらとバタフリーの羽のように舞うドレスの青が、まるで海のようでとてつもなく綺麗だった。
「主役がこんなところで何してるんです?」
音もなく現れたネズは、両手にシャンパングラスを手にしていた。
その片方を受け取って一口、口に含むと喉が渇いていたのだと気がついた。
緊張のしっぱなしで水分を摂ることすら忘れていた。
「いや、綺麗だなって思って」
「さっそく嫁自慢ですか。…いいですけどね、今日くらいは」
「オレ、さ。まだ信じられないんだ」
グラスの中のシャンパンをくるくると回し弄んでいると、気泡が次から次へと現れ、弾ける。
「初恋は叶わないって迷信、覆しましたね。二人とも」
その視線の先は、楽しそうに談笑しているユウリを向いていた。
マリィのモルペコに焼き菓子を少しずつ渡して、それを食べるモルペコを撫でるユウリ。
傍ではマリィが何やら急かしている。
「さ、オマエは着替えてきんしゃい。そのスーツは俺がナックルのクリーニング屋に出しときますよ」
「でもまだ時間、あるぞ?」
「オマエはすぐでもユウリは時間がかかるんですよ」
はいはい、と背中を押され、個室へと案内される。
まだ全員と喋ってないんだけどな、と苦笑いすると、夕日の差し込む大きな窓の外をネズが指した。
遠くの木々に隠れるよう身を潜めていたのは見知った記者たちだった。
「マスコミが来てます。めんどくさいことになる前に、ささっと空港へ行きんしゃい」
ジムリーダーやダンデ、チャンピオンが一斉に休暇を取って同じ場所へ集まることは滅多にない。何かしら異変に気付いたかどこかで聞きつけたのだろう。当然と言えば当然のことだった。
「なあ、最後に写真撮ろうぜ」
「ああ、そういえばまだでしたね」
おーい、と声を上げると、各々過ごしていた皆の視線が集まる。
「なあ、ロトム。オマエなら最高の一枚、撮れるだろ?」
「もちろんロト!」
スーツのポケットから取り出したスマホロトムはふわりと飛んで皆が集まる様子から映していく。
中央の椅子に腰かけ、膝の上にユウリを抱える。
ユウリの母とホップ、マリィ、ネズ、ダンデが椅子へ座り、その周りにはカブ、マクワ、サイトウ、オニオン、メロン、ヤローにルリナ。
ビート、ポプラ、マグノリア博士とソニア。
オリーブ、ピオニー、シャクヤ。
セイボリーにクララ、マスタードとミツバ。
ナックルジムのトレーナーたちとダンデの母。
呼べるかぎりの人に招待状を出し、皆、忙しい中集まってくれた。
「準備はいいロト?」
誰かが頷いたのか、パシャパシャと何度もシャッターが切られた。
「皆のスマホに送信するロト?」
「ああ、送っておいてくれ」
「キバナとユウリのツーショットも撮っておいたロト!」
褒めてと言わんばかりにくるりと半回転してロトムは画面を向ける。
アルバムには今日の日付の写真がたくさん並んでいた。
「ユウリの手持ち、皆いるよな?」
「あっちのボールの中にいますよ?」
「中庭の方で皆と一緒に撮ろうぜ」
ぱぁっと瞳を輝かせたユウリはコツコツとヒールの音を鳴らして隅へ行くと、ボールを6個抱えて戻ってきた。
「待たせたな」
次々とボールを宙へ放つと赤い光を放って姿を現す。
ジュラルドン、フライゴン、ヌメルゴン、サダイジャ、コータス、バクガメス。
インテレオン、サーナイト、ウィンディ、アローラキュウコン、パルスワン、タルップル。
声を上げて出てきたポケモンたちは、いつもよりはしゃいでいるような気がした。
衣装が汚れないように皆を周りに集めると、シャッター音が数回鳴った。
戻ってきたスマホロトムの画面を見ると、一枚の写真にきちんと納まっていた。
「さすがロトム」
ケテケテ、と嬉しそうに声を上げてロトムは室内へと戻っていく。
それぞれを軽く撫でてからボールへ戻し、ユウリの手を取った。
「さ、旅行へ行くか」
「はい!」
小さな手はするりと腕に回る。ゆっくりとレストランの中へ戻るとユウリは奥の部屋へと消えていった。
別の個室へ入り、持ってきた軽装へ着替える。これから飛行機で数時間、揺られなければならない。
伸縮の優れたジャージに着替えて、スーツはネズに渡す。用意していたキャリーバッグを持って個室を出ると、中庭にはアーマーガアタクシーが待機していた。
程なくして化粧を落とし、同じようにジャージに着替えたユウリが出てくる。
運転手に荷物を渡して乗り込むと、大きな翼が音を立てた。
「今日はありがとうございましたー!」
窓を少し開けてユウリが叫ぶ。
皆中庭に集まって手を振ってくれていた。
それもほんの少しの間だけで、みるみるアーマーガアは高度を上げていく。
あっという間に姿が小さくなり、やがて見えなくなった。
息をついたのもつかの間で、15分も揺られていると空港に降り立つ。
チェックインや出国審査などを通り、余裕があるかと思いきや、ゆっくりと空港内を歩いていると搭乗を開始するアナウンスが流れた。
その列を通り過ぎ、カウンターへ声をかけるとゲートが開かれる。
添乗員に丁寧に案内され、ようやくゆったりとシートへ座った。
「え、キバナさん。ここってファーストクラス、ですか?」
「うん。オレさまの身長だと他はゆっくりできないからさ」
「うわぁ…!初めてです!すっごいふかふかでソファーみたい」
「これだと寝れるだろ。着いたら観光しような」
「はい!」
ユウリは用意された雑誌やパンフレットを眺めている。
窓を開けると、丁度ボーディング・ブリッジが飛行機から切り離された。
程なくして飛行機はゆっくりと動き出す。ガタン、と一度車輪を閉まった衝撃が足元に響いた。
絨毯の上に分厚い雑誌が落ちる。拾ってユウリに差し出すと、ふかふかのシートに体を預け、瞼を閉じていた。
疲れて眠ってしまったのだろう。
シートベルトのチェックに来た添乗員に毛布を二枚借りて、一枚をそっとユウリにかける。
ぼんやりと窓の外を見ると、ガラルの街並みがどんどん小さくなり、雲の上に入ると景色は何も見えなくなった。
とても忙しい一日だったな、とシートを倒して瞼を閉じる。
思い出す間もなく、意識は深く沈んでいった。


◇◇◇
ガタン、と地鳴りのような振動にはっと目を開いた。
見覚えのない景色に辺りを見回して、まだ眠りから冷めきっていなかった脳は数秒経ってようやくここが飛行機の中だと認識した。
閉め切っていた窓を開けると、ガラス越しに見える南国の木々に達成感のようなものを覚える。
「ユウリ、着いたぞ」
緩く揺さぶるとんん、と小さく声を上げてぼんやりとした瞳をのぞかせた。
「あれ?もう着いたんですか?」
「結構短かったな。少しは疲れ取れたか?」
「はい。大丈夫ですよ。寝てばっかりでせっかくのファーストクラス、堪能できなかったのが残念」
「帰りもあるからさ。さて、これからどうする?」
時刻はまだ日付を跨いではいない。出張で来たならば、早々にホテルへ行って寝てしまうが今回は観光だ。
ゆっくり休んでもいいが、なんだか勿体ないような気がする。
「んー、少しお腹が減りました。あと、折角だし夜の街並みも見てみたいなぁ」
ボーディング・ブリッジをいつもよりゆったりとした足取りで進んでいく。
二人並んで歩ける場所まで来ると、するりと腕に手が回った。
「えへへ、楽しみだなぁ」
ガラルでは手を繋いだり腕を組んだり、恋人らしく外を歩けるようになったのはつい最近だ。
幸い、兄妹のように仲がいいなんて言われていたから、デートをしていてもそれはいつもの光景で、それがユウリには少なからず不満があっただろう。
こんなに自然に腕を組めるくらいリラックスしてくれているなら頑張ったかいがあるというものだ。
タクシーに乗って運転手に行先を告げると、ユウリがぱっと目を輝かせた。
思わず笑ってしまっても、今日は抗議の声は上がらない。
「なに食べたい?」
行きたがっていたカフェのホームページを開いて二人で画面を見る。
あれやこれやと話しているうちに、あっという間に到着してしまった。
この店は夜はアルコールも提供するようで、店内はホームページで見た写真よりも薄暗く、柔らかな間接照明だけが店内を照らしている。
残念なことにカフェメニューは終了していてつまみ程度の軽食しかなかったが、ユウリは肩を落とすこともなく、フルーツベースのカクテルとチーズを注文した。
「カフェメニュー、なかったな」
「でも今日、色々スイーツ食べたので。また別のお店で」
グラスにフルーツがたっぷりと乗った甘ったるそうなカクテルをご機嫌で飲んでいる。
細いカクテルグラスの中身はすぐになくなってしまって、フルーツを摘まみながら次に飲むものを選んでいる。
飲みすぎるなよ、と言おうとしてその言葉を飲み込んだ。
ここにいる間くらいは飲みすぎても食べ過ぎても、病院に行くようなことにならない程度ならばいいだろう。
ユウリは新たに運ばれてきた青のグラデーションが美しいカクテルを喜々としてそれを写真に収め、もう一枚、店の外の景色にシャッターを切る。
「ねぇねぇ、キバナさん」
ユウリへと視線を戻すと、あの日と同じようにずいっとスマホの画面が目の前に現れる。
「マリィが送ってくれた写真と一緒!この席だったのかなぁ」
ガラス越しにしては反射がないなと思ったのは当然だった。
年中暖かいアローラでは店の扉はよく開け放たれているようだ。
今とて夜とはいえ生暖かい風が吹いていて、アルコールの入った体には気持ちがいい。
自転車の造形物と、奥に広がる公園。背の高い南国の木と、その木に間違うほどにそっくりな首の長いナッシー。
ニコニコと頬を少し赤く染めて笑っているユウリ。
非現実的な風景。
帰ったら、山のような書類がデスクに乗っているのだろう。
けれどそんなことは頭の隅へ追いやって、チーズを一つ、口にする。
ねっとりと濃厚なチーズをウィスキーで流し込みバイブレーションが鳴りっぱなしのスマホを見る。
二桁をゆうに超えた通知をそのままに、カメラを起動した。
パシャ、とシャッター音が響く。
海のような、あるいはオーロラのような美しい青いグラデーションの入ったグラスを持ち上げて、ユウリは最上級の笑みを浮かべていた。
その横顔が写る写真には、プラチナのリングが柔らかに光っていた。
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