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ジンクス本編外

「キバナさん、起きてください。雪が降ってますよ」
午前六時。そろそろ起きなければならないと思いつつ、暖かい布団の中にいたい。でも起きなければ……。そんな風に一人押し問答していると、ユウリの声がリビングから聞こえてきた。その声には燥いでいる様子は微塵もなく、どこか苛立ちを感じた。
「おはよ、ユウリ」
なんとか布団から抜け出し、冷えたスリッパに体を震わせながらリビングの窓辺へ移動すると、レースカーテンを握りしめるようにして外の景色を見ているユウリを抱きしめた。体温の高い彼女を抱きしめるだけで暖かい。
「もうすぐ私、出ますので。二度寝したりゆっくりしすぎないようにしてくださいね」
どこか焦っている様子のユウリは、するりと腕の中から抜けていく。せっかく少し体が温まってきたところだったのに、と残念に思いながら洗面所へ向かうユウリを見送った。
急いでいるとはいえ、派手に寝ぐせが付いていたし、軽くメイクもすれば十分はかかるだろう。まだ出勤時間には早いけれど、うっすらと積もった雪に街はそこそこの混乱を招いているはずだ。
とはいえ、自分の出勤時間には相当早い。二度寝し直せば起きれなくなりそうなほど冷え込んでいる。もう一度布団に潜り込むのは諦めたものの、なんとなく手持無沙汰で、ユウリが戻ってくるまでに朝食を用意することにした。
食べている時間はないだろうから、アーマーガアタクシーか電車の中でも食べれるように食パンにマーガリンを塗り、ハムとチーズを乗せてトースターで焼く。
焼けるまでにインスタントコーヒーで甘いカフェオレを作り、マグボトルに注いだ。
チン、とトースターが鳴り、焼きあがったトーストをアルミホイルでくるんで、昨夜のうちにおかずだけ詰めていた小さな弁当箱にライスを詰めてランチバッグの中にお弁当箱、トースト、サイドポケットにはマグボトルを入れてユウリの仕事用のバッグの隣に置く。
ゆっくりと自分の分のトーストとコーヒーを味わっていると、洗面所からバタバタと足音が聞こえ、今度はウォークインクローゼットへとユウリが駆けていった。
「タクシー、呼んだかー?」
「呼びました!あと十分くらいで来ます!」
カチャカチャとハンガーの音の合間にユウリの声が響く。
あと十分もあればそんなに急ぐ必要はないだろうに、なんて思いながら、パンを齧った。
「弁当と朝飯とコーヒー、淹れといたから忘れるなよ」
「ありがとう、キバナさん」
「それにしても……月日が経つのは早いな」
「何のことですか?」
「いや、少し前まではさ。初雪が降るとユウリからメッセージが来て。雪降ってますよ!って写真付きで送ってきたり、キャンプに行って氷ポケモン捕まえたいとかの誘いが来てたのになーと」
「それ、随分昔の話じゃないですか?」
「そうか?それが今じゃ出勤時間気にして、むしろ嫌がってるもんな」
「だって……降り始めって電車が遅れたりタクシー捕まえられなかったりするじゃないですか。リザードンもカイリューも嫌がって飛んでくれないし。そういうのが……なんだか面倒だなぁって」
「うん。シュートから遠くなっちまったもんな。気をつけて行けよ」
「はい、行ってきます」
そう、いつまでも変わらないわけがない。
毎日色々なことが変化していて、普段はそれに気づいていないだけだ。
ユウリだってシュートに住んでいれば、今まで通り雪が降ったことを喜んでいたかもしれない。
少女から大人になったのも、もう何年も前のことだというのに、オレの中ではいつまでもあの頃のままなのかもしれない。
無理はしていないだろうか、何か不満はないだろうか。
歳の差ゆえに、そんなことばかり気にしてしまう。
「そりゃ、憂鬱になるよなぁ」
半開きのレースカーテンの隙間から、大粒の白い結晶がいくつも見えた。


◇◇◇
「バトルタワーまでお願いします」
アーマーガアタクシーが飛び立つと、ようやく一息つくことができた。
朝、カーテンを開けて目に映った光景に、唖然とした。
大粒の白い結晶がとめどなく降り注ぎ、地面を白く染め上げていた。
早く出なければ。
瞬時にそう思った。
ナックルシティからシュートシティまでは天気が良くても四十分はかかる。
アーマーガアタクシーはよほどの悪天候でなければ飛んでくれるが、それでも捕まるかどうかは怪しい。
慌ててスマホアプリでタクシーを手配し、同時にキバナさんに声をかけた。
寒くなると途端に朝が弱くなるキバナさんは、なかなか布団から出てこなかった。
スマホの画面に表示された待ち時間が思いの外、短くて、半開きのカーテンを閉めようと手を掛けた時だった。
大きくて暖かいものが上から覆いかぶさってきた。
本当はこの中にずっといたい。二人で暖かいコーヒーを飲んで、もう一度布団の中に戻りたい。
けれどそんなことが許されるはずもなく、するりと隙間から抜けて洗面所へ急ぐ。
歯を磨いて顔を洗い、寝癖を直して簡単にメイクをする。
洗面所を出ると、香ばしい匂いがキッチンから流れ込んでいた。コーヒーの匂いと、トーストの匂いだ。
ご飯を食べる時間はない。朝食は諦めて、あとは着替えてお弁当を袋に詰めなければ。
ウォークインクローゼットから適当に暖かそうな服を選んでリビングに戻ると、バッグの横にはランチバッグが用意されていた。
「弁当と朝飯とコーヒー、淹れといたから忘れるなよ」
「ありがとう、キバナさん」
「それにしても……月日が経つのは早いな」
「何のことですか?」
「いや、少し前まではさ。初雪が降るとユウリからメッセージが来て。雪降ってますよ!って写真付きで送ってきたり、キャンプに行って氷ポケモン捕まえたいとかの誘いが来てたのになーと」
そんなことも、あったかもしれない。
あの頃は、天候が変われば出現するポケモンも違うから、ワイルドエリアに行くのが楽しみだった。
今は?とまだほのかに温かいトーストを齧りながら考える。
今日は全く、嬉しいとも楽しみだとも思わなかった。
それよりも、早くしなければと急いてばかりだった。
必要以上に慌てて、キバナさんと会話をする余裕すらなかった。
私はきちんとお礼を言っていただろうか。それすらもうろ覚えだ。
「なんでこんなに余裕ないんだろ……」
遠くなったからだけではない。客観的に見れば、少し早く出たとはいえ時間に余裕はあったはずだ。
けれど気持ちは急いてしまう。初雪が降った今日だけではなく、ここ数か月ずっとこんな調子だ。
「キバナさんと二人でゆっくりしたいなぁ」
ぽつりとこぼれ出た本音は、白い煙となって消えていった。
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