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ジンクス本編外

「あ・・・」
ふと足元を見ると今日ブーツの靴紐が取れかけていた。
慌てて端に寄ってしゃがむ。
綺麗に結びなおして上を向くと、立ち止まったキバナの後ろ姿に何か違和感を感じた。
トレッキングブーツに水色のスリムなジーンズ、白いタートルネックセーター。
頭の中に映像が流れ込んでくる。
このデパートにそっくりな建物を行きかう人々。周りの店舗は少し高級そうな外見で、飾っている服はスーツやレザージャケットなどどれもメンズものだ。
周りには誰もいない。がらんとした白い通路の真ん中に、白いタートルネックセーターと水色のジーンズを着た長身の男性が立っていた。
今のようにしゃがんでいると振り向いて、少し先にいた男性がこちらへ戻ってきて手を差し伸べる。
その手を取ってそのまま手を繋いで仲良く店舗の中へ入る。
すぐそばにあるガラス張りのケースから男性がカーキのセーターを自分に当てて訊ねた。
「どうだ?」
似合ってますよ、と答えてさらに服を選んでいく。
それは、まだ幼いころに見た夢だった。
長身の男性の顔も、髪型も肌の色も靄がかかったように霞んでいて見えない。
覚えているのは服装だけだ。
この男性が誰なのか、なぜ二人でデパートへ来ているのか、なぜ手を繋いでいたのか、全くわからない。
けれどもとても親密そうで、これは将来の彼との光景なのかもしれないと期待で忘れられなかった時期があった。
その十年以上前の夢が今突然映像として頭に流れ込んできた。
「大丈夫か?」
少し先を歩いていたキバナが戻ってきて手を差し伸べた。
「大丈夫です、靴紐が緩んでいて」
その手を取ると、そのまま指を絡めて握られる。
平日の昼すぎのデパートは休日よりはだいぶ人が少ない。たまにすれ違う人々も、各々にウインドーショッピングに夢中のようで人目を気にする必要もあまりなかった。
「悪いな、付き合ってもらって」
「いえ、美味しいランチも馳走になりましたし、私も丁度来たいと思ってたんです」

今から二時間ほど前。
バトルタワーで事務処理をしていると、キバナからメッセージが入った。
ダンデの元へ書類を届けに来ているからランチでもどうか、というお誘いだった。
丁度今日は先週末のイベントで休日出勤をした分、午後はオフになっていた。
二つ返事でメッセージを返し、作業の手を早める。
待ち合わせ場所へ行くと長身の男性が目に入った。
スマホを見ながら待っていたキバナはいつもの恰好ではなく私服姿で、その長身の男性がキバナだと認知するまでに数秒の時間を要した。
訊ねると、今日はオフで書類を届けに来ただけだという。
ランチで連れて行ってもらった店は、南国風で店内に小さなヤシの木が飾られていた。
個室に通されるとカーテンが閉まり、通路からは見えない。
ゆったりとしたソファーに向かい合って座り、他愛もない会話をしていると買い物に付き合ってほしいと言われた。
なんでも気に入っていたセーターがヌメイルの粘液がついて穴が開いてしまったのだという。
料理を食べ終え、シュートシティのデパートへ入る。
エスカレーターを何度か登って、メンズフロアへ着くとキバナはまっすぐに目的の店へと向かう。
その間も手は繋がれたままだ。5センチ程度のヒールのおかげか、いつもより繋ぎやすい。
ちらりと横目にキバナの白いセーターを見る。素材の違いこそあれ、どこにでもあるシンプルな無地のセーターだ。ジーンズもブーツも。
せめて夢の中の男性の肌の色さえわかれば、キバナだと確証が持てるのに、と思っていると不意に視線が重なった。
「どうした?なんかついてる?」
繋いでいる反対の手で首元に指を這わせる。
「糸くずがついていたので。もう取れましたよ」
なんと説明していいか分からずに咄嗟に言い訳をしてしまった。
「お、あった」
目当ての物を見つけたキバナは店舗へと入っていく。
いらっしゃいませ、と店員の声にいくつか言葉を返し、ガラス張りのケースからカーキのセーターを取り出した。
畳まれていたセーターを広げてサイズを確認し、胸へ当てる。
「どうだ?」
「に、似合って・・・ますよ」
その一部始終はまるでスローモーションのようにゆっくりとしていて、これが現実の光景なのか夢なのかがわからなくなった。
生暖かいものがツーっと静かに頬を流れていく。
指先で拭うと、少し冷たいそれに、涙が流れていたと気づく。泣いている自覚は全くなかった。
キバナは手にしていたセーターを置いて、大きな体を畳むようにしゃがむと両腕を掴んだ。
「どーした」
ぴったりと、パズルのピースがはまる様に夢の中の男性とキバナが重なった。
あの夢は、間違いなく今日の光景だったのだ。
綺麗な水色の瞳が揺らいでいた。
何か言葉をかけなければならないのに、声は出てこない。
うーん、とキバナは頭を掻きながら唸ると、立ち上がって少し強い力で腕を引っ張っていく。
半歩後ろに下がって視界に入る背中に、なぜだか懐かしさを感じた。
ゴツゴツとした足音がピタリと止む。
いつの間にかカフェまで歩いていたようだった。
テーブル席に腰掛けると、水を手にウェイターがメニューを差し出した。
キバナはそれを見ずに紅茶を2つ注文する。
わずかに見えるカウンターで紅茶を淹れる様子をじっと見つめる。ほどなくして運ばれてきたティーカップは白い湯気が漂っていた。
粒の粗いしっとりとした砂糖を一匙掬うと、ティースプーンの上でほろほろと山が崩れていった。赤橙色の液体をゆっくりとかき混ぜて一口飲むと、優しい甘みと温かい紅茶が体に沁みていく。
キバナはその様子を眺めた後、同じように口にする。カチャ、と小さな音を立ててソーサーに置くと、顎の前で手を組んだ。
「で、どうしたんだ?」
じっと見つめる水色の瞳は普段と変わらず優しいのに逃げることはできない。
「小さい頃、夢を見たんです。まだキバナさんに会う前・・・多分ジムチャレンジを始める前だったと思います。」
もう一口紅茶を口に含む。爽やかな花の香りがふわりと香った。
「夢の中で私は、デパートの中を背の高い男性と歩いていました。その男性の顔は靄がかかったみたいに白くて誰かわからなかったけれど、とても背が高くて白いセーターに水色のジーンズを履いていました。ちょうど、今日のキバナさんみたいに」
寒くはないのに指先がひんやりと冷たくなって小刻みに震える。右手に左手を重ねて震えを治まらせようとするが、震えは治まらない。
黙って聞いていたキバナの手が重なる。普段は少し冷たく感じる大きな手がとても暖かく感じた。
「その男性は店に入るとカーキのセーターを手に取って、私に聞いたんです。どうだ?って。その夢は、まるで昔の映画のように白黒の世界でした。でもその男性だけは色を纏っていて。小さいころはこの人が将来の恋人なんだってうれしくてしばらく記憶に残ってたんですけど・・・最近はすっかり忘れていました。なのに靴紐が解けて結んでいるときに急にその映像が頭の中に流れてきて。その後のことも夢の通りだったから、混乱してしまって・・・」
一気に捲し立てるように伝えると、キバナは大きなため息をついた。まさか夢で見た光景と同じことが起こって混乱して泣いただなんて、とても信じてはもらえないだろう。子供の頃に見た夢の話なんて、どこまでが本当かわからない。より一層震え始めた手を大きな両手で包み込むように重なった。
「よかった。なんだかよそよそしかったし、急に泣き出すし。どっか痛いのかとか色々考えたんだよ。けど・・・それってさ、昔っからユウリはオレさまを探してくれてたってことだよな」
え?と素っ頓狂な声が出る。
「正夢とかそういう類なのか、ポケモンが関係しているのかわからないけど。今でもそんなにはっきり覚えてるってことは、きっと意味があるんだろうな」
「・・・信じて、くれるんですか?」
「当たり前だろ?」
その言葉と共に、キバナは目尻を下げた。
同時にまた映像が流れてくる。
今度は日当たりのいい、部屋の中だった。
大きなL字型のソファの前に腰掛けて、絵本を広げている。足の間にはまだ髪の毛の生えそろっていない小さな後頭部があった。
ソファには背の高い男性が長い足を持て余しながら座っている。
キャッキャッとまだ小さな子供がはしゃぐ声。後ろから伸びてきて絵本を指した指は、褐色の肌をしていた。
「どうした、急に笑って」
「いえ・・・なんでもありません。これを飲み終わったらさっきのセーター、買いに行きましょう」
いつの間にか震えは治まっていた。この光景が現実になるかはまだわからない。
けれどももし、実現したら。

ーそうなればいいな

ふわりと香る花の香りに、そっと目を閉じる。
一枚の写真のように、その光景は脳裏に焼きついた。
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