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ジンクス本編外

「10月の第3土曜日は『スウィーテストデー』という日で、お菓子をプレゼントしたり交換する日なんですって。今は会わなくなったけれど仲良くしてくれた人やお世話になった人に感謝の気持ちを伝える日らしいです」
ベッドの中で寝ころびながらニュースをチェックしていたらしきユウリが唐突に口に出して読みだした。
「お世話になった人か…」
本から顔を上げて頭の中で一人一人、友人の顔を思い浮かべる。
会わなくなった友人。ジムチャレンジ時代の同期やその時にお世話になった人は確かにたくさんいた。
けれども、割と連絡を取り合うこともあってか、会わなくなった、という部分には当てはまらない気がする。
「私は…会わなくなった友人はいないので、贈るとしたら母かなぁ」
「感謝の気持ちを伝えるって意味では一番大事な人だな」
「キバナさんは誰か思い当たる人、いますか?」
「…今は特に浮かばないな。ユウリ、明日仕事だろ?迎えに行くからショップに行ってみるか」
そうですね、と答えて、ユウリはスマホに何かを打ち込んでいる。
おそらくシュートシティかナックルシティで有名なスイーツショップでも探しているのだろう。
帰りに買って、そのままハロンタウンのユウリの実家に送っていこうか。
「明日、キバナさんはオフでしたっけ?」
「オフだったんだけどなー…午前中に片さなきゃいけない書類、残ってるんだ」
「じゃあ、終わったら連絡しますね」
おやすみなさい、ともぞもぞと布団の中に潜ると、1分もしないうちに寝息が聞こえ始めた。
本を閉じて、照明を落として横になる。
感謝を伝える日。
今感謝を伝えるべき人は、ユウリしか思い浮かばなかった。
嫌なことも、疲れもユウリの顔を見ればどうでもよくなってしまう。
おはよう、おやすみ。
いってらっしゃい、おかえりなさい。
そういう当たり前の会話をする人がいるだけで日々豊かになるのだと、ユウリと暮らして初めて知った。
だから、ユウリに感謝を。
どんなものでも彼女のことだから喜んではくれるだろうが、その辺に売っているものではつまらない。
どんなお菓子をあげたら喜ぶだろうか。
考えているうちにいつの間にか眠りについていた。

◆◇◆
翌日、書類数枚サインをして、小一時間ほどでジムを後にする。
今年は〇〇の日、という特集が多かったせいか、リョウタたちもそれぞれに差し入れだとお菓子を持ってきていた。
手作りのクッキーからスイーツ店の焼き菓子セットなど、ヒントになるものが多かった。
街を歩いて夕飯の材料を探しつつ、他にもヒントを探していく。
長持ちのするスイーツといえば焼き菓子。
焼き菓子ならばユウリも好きだったはずだし、休憩中に片手で気軽に食べれる。
だとすれば、せっかく時間も余っていることだし作ってみるのも楽しいかもしれない。
…パウンドケーキなんかがいいかもしれない。
必要なものはバター、小麦粉、卵。
あとはレモン、とくせんリンゴ、ドライフルーツ。
それらを買って、ゆったりと歩きながらデコレーションを考える。
レモンのパウンドケーキは上からアイシングしてもいいかもしれない。
とくせんリンゴはバターで煮てフィリングに。
ドライフルーツはラム酒を少し入れてもいいだろう。

家に着くとさっそく準備を始める。
とくせんリンゴを切って鍋に入れ、砂糖を振って弱火でフィリングを作る。
その間にドライフルーツはラム酒で浸し、レモンを皮ごとすり下ろす。
溶かしたバターに砂糖を入れ、かき混ぜて卵を入れ、また混ぜる。
よく混ざった段階で小麦粉を入れてさっくりと混ぜ合わせ、三等分に。
一つは透き通るように鮮やかな色になったリンゴフィリング、二つ目のボウルにはドライフルーツをラム酒ごと入れ、三つ目にはすり下ろしたレモンを入れて混ぜすぎないように混ぜて。
あとは余熱したオーブンに入れれば待つだけだ。

洗い物を終え、コーヒーを飲んで休憩していると、パタンと玄関ドアが閉まる音がした。
「キバナさん、玄関までいい匂いが…」
「おかえり、ユウリ」
くんくんとワンパチのように匂いを嗅いで、オーブンにたどり着いたユウリは目を丸くした。
「これ、キバナさんが?」
「ホントはきれいに包んでから渡そうと思ったんだけどな」
こんなに早く帰ってくるとは思わなかった。
レモンパウンドケーキはアイシングして、綺麗にラッピングをして渡したかったのだが。
「バターのいい匂い…パウンドケーキ、ですか?」
うん、と頷いて、ユウリへ砂糖たっぷりのカフェオレを渡す。
「有名店のものはダンデからもらってるって聞いたから。手作りってのも面白いかなって」
「すごい…!焼きあがったらちょっとだけ、食べてみてもいいですか?」
目をキラキラさせて焼き上がりを待っているユウリはまるで少女のようだった。
一緒にオーブンを覗きこんで、パウンドケーキの様子を見る。
もう少しで出来上がりそうだ。
「キバナさんってなんでもできるんですね」
「オレさまもケーキは初めてだ」
楽しみだなぁと笑って彼女はキッチンから離れていった。

数分後、戻ってきたユウリは部屋着に着替えていた。
「ん?出かけるんじゃないのか?」
「えっと…キバナさんさえよければ私にも作り方、教えてくれませんか?明日、作ったものを母に渡します」
「んじゃ、これ食べたら作るか」
オーブンから取り出したまだ熱々のパウンドケーキを少し厚めに切り分けて、皿に飾り付ける。
本当は少し冷ました方が崩れないのだが、出来立てを食べてもらいたい。
何より彼女がキラキラした顔をして待っている。

ティースプーン一匙分のホイップクリームとバニラアイスを添えて、アールグレイの紅茶と一緒にカウンターへ置くと、わぁ!っと声が上がった。
「写真…!撮ってSNSにあげてもいいですか?」
ユウリのスマホロトムがすいっと寄ってきてパシャパシャと色々な角度から撮っている。
「キバナさんも、一緒に撮りましょう」
「じゃ、オレさまもあげよっかな」
エプロンをはずして皿を前に二人で笑った瞬間をロトムが何度もシャッターを切った。
ハッシュタグはスウィーテストデー。
投稿するとすぐさまいいねとコメントが付いていく。
溶け始めたアイスを見て、慌ててユウリが食べ始めた。
美味しい、甘い。
彼女の誉め言葉がなんだかくすぐったかった。
「いつもありがとな、ユウリ」

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