ジンクス本編外
「あー…やっと終わった…」
盛大なため息と共に吐き出された台詞にスマホに視線を落としたまま、お疲れさんと短く返事をすると再びはあ、とため息が聞こえた。
「これって捏造じゃないんすかね」
「ほんの少し、背景弄っただけだろ」
青年はデスクに顎を押し付け、ノートパソコンのモニターを見ていた。
この会社では新人は記事の書き方や取材の仕方よりも先に、画像修正を教えられる。
ただあまりやりすぎると問題になるから程程に。ギリギリツーショットに見えるくらいの修正だ。
モノクロの質の悪い紙に載せる分には多少修正をしたってバレやしない。それが下劣な週刊誌のやり方。
「俺、こんなのより取材に出たいっす」
「これも立派なスクープだ。熱愛報道ってやつな」
「でも事実じゃない」
「事実かどうかなんてどうでもいいさ。奥に誰か写っていようが二人でいる風に見えたんならそれはそいつらに隙があっただけだ」
そう、事実かどうかなんて関係がない。今、旬の女優や俳優、ジムリーダーたちのネタを粗探しして載せれば雑誌は売れる。
あわよくばテレビで取り上げられ、民衆は面白がる。それでいい。
「先輩、今日ドラスト休みみたいっすよ。女とか連れ込んでないんすかね」
「あいつはなぁ…週刊誌にゃ載るが事実無根だしな。潔癖も潔癖。もったいねーよなぁ」
事務所を構えるナックルシティのジムリーダーキバナを追う事は数年前に辞めた。
女性に人気の彼は確かにネタには困らない。ただ、どれも嘘くさいのだ。
実際全部が嘘ではないだろう。あれだけモテるのだから女性の一人や二人どころではないかもしれない。
容姿端麗、バトルも強く、学歴も高い。
だからこそ不自然だった。女に興味がないのではとすら思ったこともある。
オフの一日を張ったことも何度もあった。如何せん、ドラゴンストームのネタは売れる。
けれども本当に、何もなかった。むしろ一人で過ごすことが好きなのか、休日は誰とも会っていない日が多かった。
たまにスパイクタウンの元ジムリーダーと会って酒を飲むくらいで、目立ったことは何もない。
そんな様子に、これ以上は時間の無駄だと諦めた。
その翌年、無敗のダンデを破った少女が現れた。未成年ということもあり、彼女は守られていた。他の出版社では彼女を追う者もいたが、それはことごとく握りつぶされる。ダンデがリーグ委員長になってからというもの、ジムリーダーたちは守られていた。
元々、バトル観戦が趣味だった。特に炎ジムのカブとはがねジムのピオニーのファンで、彼らに近づきたかった。生憎バトルの才能はなく、けれどもその強さはどこにあるのかが知りたくて記者になった。
残念ながら学歴が大したことがなかった為大手の出版社に勤めることはできず、結局ピオニーは引退、カブのいるエンジンシティではなく、ナックルシティのこの小さな会社に入社した。今だって四十を超えたのにまだ主任のままだ。
とうの昔に下劣な記事を書くことにも慣れた。感情を動かされるような出来事もないままに過ぎていく怠惰な生活に身を任せ、ただ生きる。
「主任。昼飯がてらちょこっと見に行ってきてもいいっすか」
口の利き方もなってない若造を教育しろとの上の命令にあからさまに嫌な顔をしてみせたものの、それは通るはずもなかった。
故に今、適当に画像の修正をさせて煙草を吸いながらSNSでネタ探しをするという仕事なのかただの暇つぶしなのかわからないことをして時間を潰していた。
「お前ひとりで行かせられるか」
電子タバコの吸い殻をゴミ箱に放り投げてよっこらしょ、と歳より臭い掛け声をかけて立ち上がると、青年はきらきらと目を輝かせた。
こいつに尻尾でもついていればぶんぶん振っているんだろうなと思えば可愛いかと思ったが、想像しただけで吐き気がした。
嬉々として取材道具を持ち、後ろをついてくる。
面倒、ただそれだけしかない。
どうせ何もないのだ。それは過去の自分が証明した。
平日の昼。ナックルシティは今日も平穏だ。
のんびりと散歩をする老夫婦、子供連れの母親。
商店はまずまずの賑わい。
いたって、いつも通り。今日も何事もなく終わるのだろうと周りを眺めつつ、出店の行列に並ぶ。
最後尾から遠くのメニュー板に目を凝らすが数字がぼやけていて見えない。
ゆっくりと進む列に若干いら立ちが募るが仕方ないということも分かっている。
人々の騒めきと爛々と照らしつける日差しが鬱陶しくて溜まらなかった。
もう昼食は諦めてタバコでも吸いに行こうかと思った矢先、目の前の行列が散り始めた。
「すみませーん、売り切れでーす」
ここまで待ってこれかよ、と悪態をついて早々に広場を離れ、建物の隙間へと入り込んで電子タバコのスイッチを押した。
数秒建って短く振動したタバコを思い切り肺に吸い込む。
白い煙を空へ向かって吐き出して、同時にため息も吐き出した。
「先輩、ここで張ります?」
腹が減ったと腹部を撫でながら言った青年の言葉に視線を上げると、ちょうどドラゴンストームのマンション裏口が見える場所だった。
そういえば昔もここで一日中待ってたなと数年前の記憶が蘇る。
暑くても寒くても何日も何日も、他社の記者と待っていた。
「どーせ無駄だ。これ吸ったら帰るぞ」
「せめて飯、食いに行きましょうよ」
「もう並ぶのはごめんだ」
ジジ、っと電子タバコが再び振動した。
本体から吸い殻を抜き取ってジーンズのポケットに放り込む。
吸い殻をどうしようかとポケットのすべてを漁るが携帯灰皿は出てこない。
仕方なく上着のポケットに突っ込んで、新人を置いて歩き出した。
カツン、と小気味のいいヒールの音と置き去りにした新人の声が重なって振り返る。
「どーし、た」
視線の先には今まさに裏口から出てきたドラゴンストームと小柄な女が腕を組んで歩いていた。
ぽかんと口を開けていた新人が急に我に返ったようにカメラを構え、何度もシャッターを切る。
ドラゴンストームが青年に気づき、こちらに向かって女と歩いてくる。
隠れもせずに写真を撮り続ける青年の頭を思いっきり叩いた。
「アホ!せめて隠れて撮れ!」
「なぁ、おたくら、どこの雑誌の人?」
長い髪を後ろに一つで縛り、薄い色のついた眼鏡をかけた私服姿のドラゴンストームは普段の雰囲気とは違う。けれど、ガラルでは余り見ることのないその長身と肌の色は隠しきれない。
後ろに半歩下がった女はライダースジャケットにレザーのミニスカート、ハイヒールには何やら飾りが沢山ついていて、真っ黒なサングラスをかけていた。
どこかで見たことがある。どこだったろうかと記憶を探るが、機能の低下を始めた脳では探すことができない。
「あ、えっと…」
目の前で慌て始めた青年の横からすっと名刺を差し出した。
「申し遅れました。私共はこういうものでして」
「ああ、あの雑誌の。オレさまワイルドエリアコラム好きだよ」
「あ?」
開いた口が塞がらなかった。
なんてことはない、ただ暇なときに出向いて見つけたポケモンの写真や季節の移り変わりの様子などSNSを見ればいつでも手に入れられるような情報を書いただけのコラムだ。
「それ、先輩が書いてるんですよ!」
ギクっと肩が震え、同時にもう一度青年の頭を叩くと抗議の声と笑い声が上がった。
「あーっとすまねぇ。こいつが撮った写真は消すよ。どうせ委員長に揉み消されるだろうしな」
「いや、いいぜ。きちんと書いてくれるなら」
「は?」
「もう隠れんのも嫌になったんだとよ、うちのレディ」
隣に並ぶ小柄な女の口角が上がって、顔の大半を覆い隠していたサングラスを取り払う。
「え!チャンピオン…!?」
ふふ、っと笑った現チャンピオンもいつもの雰囲気ではなかった。
どこかで見たことがあると思ったのはこの間公開したCMと似た衣装のせいだ。
「いいのか?うちみたいなちっさい雑誌で」
「ねえ、記者さん。雑誌のSNSってありますか?」
「あるよ」
「じゃあ、そこにさっきの写真、載せちゃってくださいよ」
記事ではなくSNSというところに引っかかって、不本意ながら新人と同じように首を傾げた。
「だって記事だと数日空くでしょう?私たち、これから出かけるし先に別の記者さんがネットニュースにしちゃうかも」
「チャンピオンも、なんだってうちを贔屓してくれるんだ?」
「昔、記者さんに助けられたことがあるから」
傾げたままだった首がさらに角度をつけた。全くもって記憶にない。チャンピオンに関わったら絶対に、覚えているはずだ。
「私がまだチャレンジャーだった頃、ワイルドエリアの入り口でイワークに遭遇したの。メッソンじゃ全然歯が立たなくて。逃げるにも逃げられなくていたら、突然カメックスのハイドロポンプが飛んできたの。その時のトレーナーさんが多分、記者さん。その年季の入ったカメラ、覚えてます。…たまに見かけてたんだけどなかなかお礼言えなくて。あの時はありがとうございました」
ああ、そういえば昔、そんなことがあったような気がする。
小さい子供に襲い掛かるイワークを倒したカメックスはおそらく相棒のことだ。
「よく、覚えてたな。このカメラを」
古びて傷だらけのカメラを持ち上げると、チャンピオンは柔らかい笑みを浮かべた。
その笑みはとても今の化粧や服装と似合っていなくて、普段の彼女はもっと柔らかい印象の服が多かったことを思い出す。
それなのに、そんな恰好をしているということは一種の覚悟なのだろう。
そんな彼女を見守っているドラゴンストームも普段よりも一層目尻が垂れていて、なんだか呆気にとられてしまった。
「わかった。ありがたくその礼を頂戴するよ。…おい新人。準備しとけ」
「了解っす」
「じゃあ、頼んだぜ」
ひらひらと手を振って、二人は大通りの方へと歩いていく。並んで歩いているとその身長差があまりにも大きい。けれどもしっかりとチャンピオンに歩幅を合わせ、支えられるように腕を差し出したドラゴンストームの様子になぜ今まで気が付かなかったのかと己の怠惰さに腹が立った。
「なんか、意外っすね」
「そうか?俺はお似合いだと思うぞ」
あの様子を意外だと言うならば、こいつの観察眼はまだ全く育っていないようだ。いや、人生経験が足りないのかもしれない。
「今から言うからお前、打て」
「それくらい自分でやってくださいよ」
「うるせぇ。お前がやった方が早いだろ」
ぶつくさと文句を言う新人の頭を叩いて投稿する。
数秒後、通知音がポツポツと鳴り始めた。
次第にそれは数を増やし、とうとう鳴りっぱなしになった挙句、スマホは挙動不審になった。
電源を落とし、ポケットにしまい込み、電子タバコに火をつける。
思いっきり肺まで吸って吐き出すと白い煙が澄み渡った晴れ空に消えていった。
◇◇◇
二人の交際をスクープしたということで小さい社内ではそれは持て囃された。
自分で掴んだネタではないから嬉しいような、嬉しくないような半端な気持ちでいるのが気持ちが悪くて先日撮った二人のツーショットをナックルシティジム充てに送り、ついでにドラゴンストームにコラムの打診をした。
駄目でもともと。どうせ断られるだろうと思っていた企画は承諾の返事が返ってきて又も驚く羽目になった。
打合せで何度かドラゴンストームと会い、今まで彼がどれだけ周りに合わせていたのかを思い知った。
彼は冷静で、物知りだった。難しい話題も丁寧に説明をしてくれるし、知らないことははっきりと知らないと言う。
それがどれだけ凄いことかほんの少しだけ長く生きている分、わかる。
宝物庫のコラムはたいそう人気だった。
たまにはワイルドエリアのコラムにも登場し、連載を開始してから雑誌は飛ぶように売れた。
合わせて紙面改革も任されるようになり、下衆な話題ばかりだった雑誌はナックルを中心とした情報誌へと変わっていった。
いつの間にか主任からデスクへと変わり、環境の変化についていけずに体調を崩すこともしばしばあった。
新人はさすが現代っ子とでも言うべきか。もとより記事を書く才能はなかったのかは定かではないが、その代わりにスケジューリング、資料の作成などパソコンでできることはなんでもできるスキルを持ち合わせていた。彼にある程度の雑務を任せるようになると、今までの負担が僅かに減り、体調も持ち直し始めた。
ある日、彼に有料会員制のバックナンバー読み放題サービスの企画を提案され、その企画の将来性に希望を感じた。
実際問題、ドラゴンストームの過去記事を読みたいという問い合わせが数多くあった。
やる気を出した新人の企画を実現させてやりたくて何度も上に掛け合った。
ITには全くもって疎い。その欠点を補ったのも彼だった。
頭の固い古臭い爺共にも理解できるように資料を何度も作り直してようやく実現した時の達成感は記憶に新しい。
バックナンバー読み放題というサービスに加え、スクープ記事がいち早く読めるという機能を持ったサイトのために、オープンまでに何か特大なネタを、と連日徹夜しながら締切と格闘していた日だった。
何やらドラゴンストームの周りが騒がしいと情報が入った。
聞けばジムリーダーを始め、委員長までが休みを取っているという。加え、歴代の有名人までハロンタウンに集まっているというのだ。
これは何か起こる。誰もがそう感じていた。
ハロンタウンまですぐに社員を飛ばすと、どうやらレストランにいるようだと連絡を受けた。
しかし中を見ることは叶わずかなりの人数がいるようだとのことしかわからなかった。
どうしたものかと眠気と疲労で鈍った脳で思案するも、案など思い浮かばない。
とりあえず一服だと電子タバコに火をつけ、どっかりと椅子にもたれかかった時だった。
つけっぱなしのモニターがメールの受信を知らせた。
差出人はドラゴンストーム。連載の記事しか送られてこないそのスレッドには数枚の写真の添付があった。
いつも使っているパスワードを打ち込んで開くと、そこにはドラゴンストームとチャンピオンの写真。
ただの写真ではない。一枚目は白いタキシードに白いウエディングドレス。二枚目はスーツ姿に青いドレスをきたチャンピオン。三枚目は彼らの手持ちも併せて。
どうやら今日、彼らは結婚式を挙げたようだ。残念ながら参列者の写真はないが、これだけで十分だ。
『新サービス開始と昇進おめでとうございます。』
もう一つ添付されていたPDFは彼らの結婚発表の文書だった。
定型文で書かれたそれに笑みが零れる。
たった一度、襲われていた少女を救っただけのことなのに、それが思いのほか大きく返ってきた謝礼を手に椅子に座りなおす。
「編集長。ドラストとチャンピオンがアーマーガアタクシーに乗ったみたいです。方面から空港じゃないかと」
なるほど、と一人相槌を打つ。
「もういい。全部揃った。俺が書く」
エディタを開いてキーボードに手を添える。
文章は考える間もなく次々と浮かび、ものの数分で出来上がったそれをWeb担当に送り付けた。
果たして世間はどのような反応を返すのか。
おそらくもう空の上にいる本人たちにこれが届くのはいつ頃になるかは定かではないがありったけの祝福を込めた記事を読んでもらえることを願って再びタバコをセットした。
盛大なため息と共に吐き出された台詞にスマホに視線を落としたまま、お疲れさんと短く返事をすると再びはあ、とため息が聞こえた。
「これって捏造じゃないんすかね」
「ほんの少し、背景弄っただけだろ」
青年はデスクに顎を押し付け、ノートパソコンのモニターを見ていた。
この会社では新人は記事の書き方や取材の仕方よりも先に、画像修正を教えられる。
ただあまりやりすぎると問題になるから程程に。ギリギリツーショットに見えるくらいの修正だ。
モノクロの質の悪い紙に載せる分には多少修正をしたってバレやしない。それが下劣な週刊誌のやり方。
「俺、こんなのより取材に出たいっす」
「これも立派なスクープだ。熱愛報道ってやつな」
「でも事実じゃない」
「事実かどうかなんてどうでもいいさ。奥に誰か写っていようが二人でいる風に見えたんならそれはそいつらに隙があっただけだ」
そう、事実かどうかなんて関係がない。今、旬の女優や俳優、ジムリーダーたちのネタを粗探しして載せれば雑誌は売れる。
あわよくばテレビで取り上げられ、民衆は面白がる。それでいい。
「先輩、今日ドラスト休みみたいっすよ。女とか連れ込んでないんすかね」
「あいつはなぁ…週刊誌にゃ載るが事実無根だしな。潔癖も潔癖。もったいねーよなぁ」
事務所を構えるナックルシティのジムリーダーキバナを追う事は数年前に辞めた。
女性に人気の彼は確かにネタには困らない。ただ、どれも嘘くさいのだ。
実際全部が嘘ではないだろう。あれだけモテるのだから女性の一人や二人どころではないかもしれない。
容姿端麗、バトルも強く、学歴も高い。
だからこそ不自然だった。女に興味がないのではとすら思ったこともある。
オフの一日を張ったことも何度もあった。如何せん、ドラゴンストームのネタは売れる。
けれども本当に、何もなかった。むしろ一人で過ごすことが好きなのか、休日は誰とも会っていない日が多かった。
たまにスパイクタウンの元ジムリーダーと会って酒を飲むくらいで、目立ったことは何もない。
そんな様子に、これ以上は時間の無駄だと諦めた。
その翌年、無敗のダンデを破った少女が現れた。未成年ということもあり、彼女は守られていた。他の出版社では彼女を追う者もいたが、それはことごとく握りつぶされる。ダンデがリーグ委員長になってからというもの、ジムリーダーたちは守られていた。
元々、バトル観戦が趣味だった。特に炎ジムのカブとはがねジムのピオニーのファンで、彼らに近づきたかった。生憎バトルの才能はなく、けれどもその強さはどこにあるのかが知りたくて記者になった。
残念ながら学歴が大したことがなかった為大手の出版社に勤めることはできず、結局ピオニーは引退、カブのいるエンジンシティではなく、ナックルシティのこの小さな会社に入社した。今だって四十を超えたのにまだ主任のままだ。
とうの昔に下劣な記事を書くことにも慣れた。感情を動かされるような出来事もないままに過ぎていく怠惰な生活に身を任せ、ただ生きる。
「主任。昼飯がてらちょこっと見に行ってきてもいいっすか」
口の利き方もなってない若造を教育しろとの上の命令にあからさまに嫌な顔をしてみせたものの、それは通るはずもなかった。
故に今、適当に画像の修正をさせて煙草を吸いながらSNSでネタ探しをするという仕事なのかただの暇つぶしなのかわからないことをして時間を潰していた。
「お前ひとりで行かせられるか」
電子タバコの吸い殻をゴミ箱に放り投げてよっこらしょ、と歳より臭い掛け声をかけて立ち上がると、青年はきらきらと目を輝かせた。
こいつに尻尾でもついていればぶんぶん振っているんだろうなと思えば可愛いかと思ったが、想像しただけで吐き気がした。
嬉々として取材道具を持ち、後ろをついてくる。
面倒、ただそれだけしかない。
どうせ何もないのだ。それは過去の自分が証明した。
平日の昼。ナックルシティは今日も平穏だ。
のんびりと散歩をする老夫婦、子供連れの母親。
商店はまずまずの賑わい。
いたって、いつも通り。今日も何事もなく終わるのだろうと周りを眺めつつ、出店の行列に並ぶ。
最後尾から遠くのメニュー板に目を凝らすが数字がぼやけていて見えない。
ゆっくりと進む列に若干いら立ちが募るが仕方ないということも分かっている。
人々の騒めきと爛々と照らしつける日差しが鬱陶しくて溜まらなかった。
もう昼食は諦めてタバコでも吸いに行こうかと思った矢先、目の前の行列が散り始めた。
「すみませーん、売り切れでーす」
ここまで待ってこれかよ、と悪態をついて早々に広場を離れ、建物の隙間へと入り込んで電子タバコのスイッチを押した。
数秒建って短く振動したタバコを思い切り肺に吸い込む。
白い煙を空へ向かって吐き出して、同時にため息も吐き出した。
「先輩、ここで張ります?」
腹が減ったと腹部を撫でながら言った青年の言葉に視線を上げると、ちょうどドラゴンストームのマンション裏口が見える場所だった。
そういえば昔もここで一日中待ってたなと数年前の記憶が蘇る。
暑くても寒くても何日も何日も、他社の記者と待っていた。
「どーせ無駄だ。これ吸ったら帰るぞ」
「せめて飯、食いに行きましょうよ」
「もう並ぶのはごめんだ」
ジジ、っと電子タバコが再び振動した。
本体から吸い殻を抜き取ってジーンズのポケットに放り込む。
吸い殻をどうしようかとポケットのすべてを漁るが携帯灰皿は出てこない。
仕方なく上着のポケットに突っ込んで、新人を置いて歩き出した。
カツン、と小気味のいいヒールの音と置き去りにした新人の声が重なって振り返る。
「どーし、た」
視線の先には今まさに裏口から出てきたドラゴンストームと小柄な女が腕を組んで歩いていた。
ぽかんと口を開けていた新人が急に我に返ったようにカメラを構え、何度もシャッターを切る。
ドラゴンストームが青年に気づき、こちらに向かって女と歩いてくる。
隠れもせずに写真を撮り続ける青年の頭を思いっきり叩いた。
「アホ!せめて隠れて撮れ!」
「なぁ、おたくら、どこの雑誌の人?」
長い髪を後ろに一つで縛り、薄い色のついた眼鏡をかけた私服姿のドラゴンストームは普段の雰囲気とは違う。けれど、ガラルでは余り見ることのないその長身と肌の色は隠しきれない。
後ろに半歩下がった女はライダースジャケットにレザーのミニスカート、ハイヒールには何やら飾りが沢山ついていて、真っ黒なサングラスをかけていた。
どこかで見たことがある。どこだったろうかと記憶を探るが、機能の低下を始めた脳では探すことができない。
「あ、えっと…」
目の前で慌て始めた青年の横からすっと名刺を差し出した。
「申し遅れました。私共はこういうものでして」
「ああ、あの雑誌の。オレさまワイルドエリアコラム好きだよ」
「あ?」
開いた口が塞がらなかった。
なんてことはない、ただ暇なときに出向いて見つけたポケモンの写真や季節の移り変わりの様子などSNSを見ればいつでも手に入れられるような情報を書いただけのコラムだ。
「それ、先輩が書いてるんですよ!」
ギクっと肩が震え、同時にもう一度青年の頭を叩くと抗議の声と笑い声が上がった。
「あーっとすまねぇ。こいつが撮った写真は消すよ。どうせ委員長に揉み消されるだろうしな」
「いや、いいぜ。きちんと書いてくれるなら」
「は?」
「もう隠れんのも嫌になったんだとよ、うちのレディ」
隣に並ぶ小柄な女の口角が上がって、顔の大半を覆い隠していたサングラスを取り払う。
「え!チャンピオン…!?」
ふふ、っと笑った現チャンピオンもいつもの雰囲気ではなかった。
どこかで見たことがあると思ったのはこの間公開したCMと似た衣装のせいだ。
「いいのか?うちみたいなちっさい雑誌で」
「ねえ、記者さん。雑誌のSNSってありますか?」
「あるよ」
「じゃあ、そこにさっきの写真、載せちゃってくださいよ」
記事ではなくSNSというところに引っかかって、不本意ながら新人と同じように首を傾げた。
「だって記事だと数日空くでしょう?私たち、これから出かけるし先に別の記者さんがネットニュースにしちゃうかも」
「チャンピオンも、なんだってうちを贔屓してくれるんだ?」
「昔、記者さんに助けられたことがあるから」
傾げたままだった首がさらに角度をつけた。全くもって記憶にない。チャンピオンに関わったら絶対に、覚えているはずだ。
「私がまだチャレンジャーだった頃、ワイルドエリアの入り口でイワークに遭遇したの。メッソンじゃ全然歯が立たなくて。逃げるにも逃げられなくていたら、突然カメックスのハイドロポンプが飛んできたの。その時のトレーナーさんが多分、記者さん。その年季の入ったカメラ、覚えてます。…たまに見かけてたんだけどなかなかお礼言えなくて。あの時はありがとうございました」
ああ、そういえば昔、そんなことがあったような気がする。
小さい子供に襲い掛かるイワークを倒したカメックスはおそらく相棒のことだ。
「よく、覚えてたな。このカメラを」
古びて傷だらけのカメラを持ち上げると、チャンピオンは柔らかい笑みを浮かべた。
その笑みはとても今の化粧や服装と似合っていなくて、普段の彼女はもっと柔らかい印象の服が多かったことを思い出す。
それなのに、そんな恰好をしているということは一種の覚悟なのだろう。
そんな彼女を見守っているドラゴンストームも普段よりも一層目尻が垂れていて、なんだか呆気にとられてしまった。
「わかった。ありがたくその礼を頂戴するよ。…おい新人。準備しとけ」
「了解っす」
「じゃあ、頼んだぜ」
ひらひらと手を振って、二人は大通りの方へと歩いていく。並んで歩いているとその身長差があまりにも大きい。けれどもしっかりとチャンピオンに歩幅を合わせ、支えられるように腕を差し出したドラゴンストームの様子になぜ今まで気が付かなかったのかと己の怠惰さに腹が立った。
「なんか、意外っすね」
「そうか?俺はお似合いだと思うぞ」
あの様子を意外だと言うならば、こいつの観察眼はまだ全く育っていないようだ。いや、人生経験が足りないのかもしれない。
「今から言うからお前、打て」
「それくらい自分でやってくださいよ」
「うるせぇ。お前がやった方が早いだろ」
ぶつくさと文句を言う新人の頭を叩いて投稿する。
数秒後、通知音がポツポツと鳴り始めた。
次第にそれは数を増やし、とうとう鳴りっぱなしになった挙句、スマホは挙動不審になった。
電源を落とし、ポケットにしまい込み、電子タバコに火をつける。
思いっきり肺まで吸って吐き出すと白い煙が澄み渡った晴れ空に消えていった。
◇◇◇
二人の交際をスクープしたということで小さい社内ではそれは持て囃された。
自分で掴んだネタではないから嬉しいような、嬉しくないような半端な気持ちでいるのが気持ちが悪くて先日撮った二人のツーショットをナックルシティジム充てに送り、ついでにドラゴンストームにコラムの打診をした。
駄目でもともと。どうせ断られるだろうと思っていた企画は承諾の返事が返ってきて又も驚く羽目になった。
打合せで何度かドラゴンストームと会い、今まで彼がどれだけ周りに合わせていたのかを思い知った。
彼は冷静で、物知りだった。難しい話題も丁寧に説明をしてくれるし、知らないことははっきりと知らないと言う。
それがどれだけ凄いことかほんの少しだけ長く生きている分、わかる。
宝物庫のコラムはたいそう人気だった。
たまにはワイルドエリアのコラムにも登場し、連載を開始してから雑誌は飛ぶように売れた。
合わせて紙面改革も任されるようになり、下衆な話題ばかりだった雑誌はナックルを中心とした情報誌へと変わっていった。
いつの間にか主任からデスクへと変わり、環境の変化についていけずに体調を崩すこともしばしばあった。
新人はさすが現代っ子とでも言うべきか。もとより記事を書く才能はなかったのかは定かではないが、その代わりにスケジューリング、資料の作成などパソコンでできることはなんでもできるスキルを持ち合わせていた。彼にある程度の雑務を任せるようになると、今までの負担が僅かに減り、体調も持ち直し始めた。
ある日、彼に有料会員制のバックナンバー読み放題サービスの企画を提案され、その企画の将来性に希望を感じた。
実際問題、ドラゴンストームの過去記事を読みたいという問い合わせが数多くあった。
やる気を出した新人の企画を実現させてやりたくて何度も上に掛け合った。
ITには全くもって疎い。その欠点を補ったのも彼だった。
頭の固い古臭い爺共にも理解できるように資料を何度も作り直してようやく実現した時の達成感は記憶に新しい。
バックナンバー読み放題というサービスに加え、スクープ記事がいち早く読めるという機能を持ったサイトのために、オープンまでに何か特大なネタを、と連日徹夜しながら締切と格闘していた日だった。
何やらドラゴンストームの周りが騒がしいと情報が入った。
聞けばジムリーダーを始め、委員長までが休みを取っているという。加え、歴代の有名人までハロンタウンに集まっているというのだ。
これは何か起こる。誰もがそう感じていた。
ハロンタウンまですぐに社員を飛ばすと、どうやらレストランにいるようだと連絡を受けた。
しかし中を見ることは叶わずかなりの人数がいるようだとのことしかわからなかった。
どうしたものかと眠気と疲労で鈍った脳で思案するも、案など思い浮かばない。
とりあえず一服だと電子タバコに火をつけ、どっかりと椅子にもたれかかった時だった。
つけっぱなしのモニターがメールの受信を知らせた。
差出人はドラゴンストーム。連載の記事しか送られてこないそのスレッドには数枚の写真の添付があった。
いつも使っているパスワードを打ち込んで開くと、そこにはドラゴンストームとチャンピオンの写真。
ただの写真ではない。一枚目は白いタキシードに白いウエディングドレス。二枚目はスーツ姿に青いドレスをきたチャンピオン。三枚目は彼らの手持ちも併せて。
どうやら今日、彼らは結婚式を挙げたようだ。残念ながら参列者の写真はないが、これだけで十分だ。
『新サービス開始と昇進おめでとうございます。』
もう一つ添付されていたPDFは彼らの結婚発表の文書だった。
定型文で書かれたそれに笑みが零れる。
たった一度、襲われていた少女を救っただけのことなのに、それが思いのほか大きく返ってきた謝礼を手に椅子に座りなおす。
「編集長。ドラストとチャンピオンがアーマーガアタクシーに乗ったみたいです。方面から空港じゃないかと」
なるほど、と一人相槌を打つ。
「もういい。全部揃った。俺が書く」
エディタを開いてキーボードに手を添える。
文章は考える間もなく次々と浮かび、ものの数分で出来上がったそれをWeb担当に送り付けた。
果たして世間はどのような反応を返すのか。
おそらくもう空の上にいる本人たちにこれが届くのはいつ頃になるかは定かではないがありったけの祝福を込めた記事を読んでもらえることを願って再びタバコをセットした。