ジンクス本編外
一歩街へと出ればそこかしこから聞こえてくるクリスマスソング。
声には出さずにその音色をなぞる様に頭の中で歌いながら、坂道を下っていく。
ジムチャレンジに出るまでは、ホップと一緒にお互いの家のクリスマスツリーを飾りつけた。台に乗って背伸びをしてツリーの天辺に星の飾りをつけたものだ。
その後は母たちのお手製の豪華なチキン料理を食べて、生クリームたっぷりの手作りクリスマスケーキを食べる。ホップとプレゼントを交換して、サンタが現れるのを待っているうちに寝てしまうのが毎年のことだった。
チャンピオンになってからは、たくさんの人たちからプレゼントを貰って驚いたものだ。
ルリナからもらった綺麗なタオルハンカチ、ソニアからはポケモンも一緒に食べられる手作りクッキー、ダンデからはボール詰め合わせ、キバナからは可愛らしい小さなクリスマスブーケ。
お返しに散々悩んで、精いっぱい選んだ品物を皆喜んでくれたのも、幼き日のいい思い出だった。
そんな子供から少し大人になって、ある時ふと気づいた。
クリスマスはカップルで溢れている、と。
ぎこちなく手をつないで頬を赤らめる初々しいカップル、仲良く腕を組んで歩く夫婦。
皆、誰かと一緒だった。そんな中、一人きりでいる自分がなんだか取り残されたような気持ちがして、急に寂しさが湧いてきた。
最初はどこか居心地が悪いなと感じるくらいだったのに、段々それは羨ましいという嫉妬に変わり、クリスマスの時期になると人の多い場所を避けるようになった。
店内から漏れて聞こえてくるクリスマスソング、街中の木々に飾り付けられたイルミネーション。それらから逃げるようにハロンタウンへ戻り、幼い日のように母と過ごすのがここ数年の定番だった。
けれども、今年は別の意味で落胆していた。
成人して晴れて付き合うこととなったキバナと過ごす、初めてのクリスマス。
生憎彼はいつも通り夕方まで仕事だが、その後にデートに行こうと誘われたのだ。
クリスマスが近くなってもデートの話題がなく、ああ、今年も忙しいのだなと勝手に納得して半ば諦めていたイブの前日。突然届いたメッセージに浮かれて承諾のメッセージを送った。
すぐにクローゼットを開けてどれを着ていこうかと手を伸ばしかけてすぐにその手はだらんと垂れ下がる。そこにはデート用の服なんて並んでいなかったのだ。
左から右端までかかっているのはパーカーやカジュアルな服、トレーニングウェアに数着のドレス。さすがにドレスでデートは行けないだろうと頭を抱え、スマホでデート用の服を検索しているうちに眠ってしまった。
起きてすぐに用意をしてブティックへ足を運んだ。何件も回っている時間はない。夕方前にはナックルシティに着いていないとならない。浮かれた気持ちと、焦る気持ちが混ざり合って自分でもよくわからなくなる。こんらん状態ってこんな感じなのかな、なんて余計な事を考えてしまう。
お洒落に興味がないわけではないのだが、ルリナのように何を着ても似合うというわけでもなければ、マリィのように決まったスタイルがあるわけでもない。
会食用にワンピースを購入したことはあるが、その時はオリーヴかマリィと一緒に来て選んでもらった。
意を決して、ブティックの重たいドアを押して、店内を端から回って一着一着見ていく。そもそもデート用の服なんてどんなものがいいのかすらわからない、というのが本音だった。
せめてどこへ行くのか聞いてから来るべきだったかもしれないと後悔して、ぐるぐると何周も回り、ふと店内の真ん中に飾られたマネキンに視線を向けた。
そこに飾られていたのは、黒い無地のタートルネックセーターにうすピンクのもこもことしたカーディガン、細みの黒いパンツ。
そっとカーディガンに触れるとウール―の毛のように柔らかくて暖かそうで、足元のブーツも裏地が同じようにもこもことしていてさすが店員さんがコーディネートしただけあるなぁ、と感心してしまう。
すぐさま店員に話しかけ、マネキンの着ているまま包んでもらい、大きな袋を手に満足して店を出ると頬に冷たいものが当たった。
心なしか薄暗いような気がして空を見上げると、大粒の白い塊が空からはらはらと振ってくる。
丈夫な紙袋に跳ね返る粒に、慌てて家路についた。
◇◇◇
なんとか酷く濡れずに家へ戻り、時刻を確認する。ナックルシティまでの移動時間を考えてあまり時間はない。天候が崩れてきていれば余計、時間がかかるだろう。
鏡の前に立つと大粒の雪が髪にいくつも付いていてその部分を湿らせていた。紙袋から服を取り出して、濡れずに済んだことに安堵しながら着替えていく。
前髪をドライヤーで乾かし直して少し高い位置でポニーテールを作って、他の女性よりは明らかに少ない化粧品を手順を思い出しながら顔に乗せていき、最後にブーツに足を収める。
試着もせずに買った服は、自分で見ても違和感はない。薄く施したメイクも髪も、変ではないだろう。
腕時計で時間を確認して、再び慌てて予約したアーマーガアタクシーに乗り込む。
行先をナックルシティまで、と運転手に伝えると、大きな羽を羽ばたかせてアーマーガアがゆっくりと高度を上げた。
ふうっと座席の背もたれに背を預けて空を眺める。薄暗い雲からはしきりに雪が降り落ちていた。
小さなバッグを広げて、昨夜しまい込んだキバナへのクリスマスプレゼントが入っていることを確認する。
何がいいかわからなくて、それでも一生懸命悩んで選んだ漆黒に控えめなシルバーの装飾が施されたボールペン。
デジタル化が進んでいるはずなのに未だに直筆サインをしなければならない書類が多い彼には何本あっても足りない物だ。
ダンデに相談して勧められたブランドは決して安いものではなかったが、だからこそ彼が持つには相応しいだろう。
喜んでくれればいいな、とバッグの奥底へしまい直してふにゃりと笑った顔を思い浮かべる。
アーマーガアが降下を始めて雲を突き抜けると、そこには見慣れたナックルシティが広がっていた。
ジムの前にアーマーガアが降り立ち、トンっと飛ぶように降りる。
きょろきょろと辺りを見渡すと、まだ夕方よりも少し早い時間だというのにナックルジムのスタッフの姿は見当たらなかった。
勝手に入っていいものかと少し躊躇いながらキバナの執務室へと足を進める。
コンコン、と2度ノックをするとガチャっと重厚な扉が開いた。
「お、ユウリ。寒かったろ?」
「こんにちは、キバナさん」
扉の先に立つキバナは髪を下ろし、同じ黒いタートルネック姿に同じようなスキニーの黒いパンツ姿。
思わずあ、っと小さい声を上げてしまった。
「はは、なんかペアルックみたいだな」
「…はい」
いつも通りトレーニングウェアだと思っていたのに、と何度も瞬きを繰り返して自分の服と見比べる。顔中が熱を持ったように火照っていった。
「紅茶でも飲むか?」
廊下に立ちすくんでいると、中へ招き入れるようにドアが大きく開いた。
こくんと小さく頷くと、さっそくキバナは用意にかかる。
毎回訪れる度に淹れてくれる紅茶は絶品だった。
特にフレーバーティーにほんの少し砂糖を入れた紅茶がお気に入りで、今日はどんな香りがするのか想像する。
目の前に置かれたガラスのティーカップに注がれた紅茶に一匙の砂糖を溶かしてふうふうと息をかけて一口啜る。
「…イチゴとローズ…?」
「おしいな、ベリー系にローズとバニラだ」
フレーバーティーを出されたときはお決まりの、何がブレンドをされているかを当てるゲームにまだ一度も正解したことはない。華やかな香りがブレンドされた故に作られるものだと最近気づいたところだ。
「今回は2種類、当てられました」
もう一度口に含んでゆっくりと味わう。最初にストロベリー、ラズベリー、クランベリーの甘い匂いから少し酸味のある匂いへ、その先にローズが香って、甘いバニラの香り。
「クリスマス限定のフレーバーだってさ」
キバナが手にしている小さな箱にはツリーやサンタなど冬のイラストが描かれていて、これだけでインテリアになりそうだ。
カップをティーソーサーの上に置いて、バッグの底から小さめの長方形の箱を取り出す。まるでバレンタインのチョコレートを渡す時のように緊張してきて、心臓の音が煩わしいほどに鳴り始める。
「あの、キバナさん。メリークリスマス」
差し出した箱に重みが加わって、すっと離れていく。
「ありがとう。オレさまからもプレゼント」
「あ、ありがとうございます」
渡すことしか頭になく、離れていった箱とは別の物が手の平に乗る。クリスマスプレゼントは交換するものだなんて子供でも知っていることを忘れていて変にたどたどしくなってしまった。
「開けてもいいですか?」
綺麗に包装された細長い箱からちらりと見上げると、キバナが視線で促した。
一緒にお互いのクリスマスカラーの包装紙を外して、現れた長方形の箱を手に取る。
そっと蓋を外すと、そこにはピンクゴールドの小さいハートのネックレスが入っていた。
「キ、キバナさん。これ、ハイブランドのネックレスですよね?いくら私でも知ってますよ?」
以前ルリナと一緒に雑誌を見ていた時に広告を見たことがあった。その金額までは覚えていないが、雑誌に載っているもの全てがハイブランドばかりだったことは覚えている。
「ユウリも、だろ?」
ニヤリと八重歯を覗かせてキバナは御相子だ、とでもいうように笑った。
「ダンデさんに、そのブランドを勧められて。お店に見に行った時にそういえば前にキバナさんにペンを借りたときもそのブランドの物だったなぁって」
「よく覚えてたな。ありがとうな」
少し目を見開いて、キバナは立ち上がってデスクの手帳に手を伸ばす。さらさらと使い心地を確かめるように何かをメモして、元々差していたボールペンを外して今しがたプレゼントしたペンに差し替えた。
その間に箱からネックレスを丁寧に取り出し、フックを外して後ろ手に見えない金具を引っ掛けようと奮闘するが、なかなかうまくいかない。
「貸してみろ」
手帳をデスクに置きなおし、キバナが隣に腰掛けて指先から金具を摘まんだ。何度も格闘したネックレスはいとも簡単に首元を飾る。
「どう、ですか?」
「うん、似合うな。今日みたいなシンプルな服に良く似合うよ」
「よかった。私、アクセサリーってあんまりつけないから、自分に似合うのかよくわからなくて」
「オレの見立て、信じられないか?」
ふるふると首を横に振る。
この一年近くで部屋には様々なものが増えた。身に着けるものとすれば、時計にピアス。その中に今日、このネックレスも加わった。恐らくどれも高価な物なのだろう。チャンピオンとして、年相応に相応しいものを選んでくれているだろうことは気づいていた。
その他にも紅茶にも色々な種類があること。食事のマナーや歴史。それらの知識とて、座学で学ぶよりもとても楽しいし、いつもすんなりと頭に入ってくる。
だから、日頃なかなか同じだけ返せない分、今日くらいは高価なペンでも許してほしいものだ。
「キバナさんもボールペン、使ってくれますか?」
「もちろん。大切に使う」
肩に腕が回って、軽く引き寄せられる。
漆黒の髪が頬を擽って、そっと目を閉じると、ふわりと香るムスクの香りと自分のものではない唇の感触。
薄暗くなり始めた室内に響いた小さなリップ音は、どこからか聞こえてきた鐘の音にかき消された。
We wish you a merry Christmas
We wish you a merry Christmas
We wish you a merry Christmas
And a happy New Year.
Glad tidings we bring
To you and your kin;
Glad tidings for Christmas
And a happy New Year!
どこからか子供の歌声が聞こえてくる。定番のクリスマスソングを元気に歌うその声に耳を傾けて、そっと呟いた。
『Merry Christmas』
声には出さずにその音色をなぞる様に頭の中で歌いながら、坂道を下っていく。
ジムチャレンジに出るまでは、ホップと一緒にお互いの家のクリスマスツリーを飾りつけた。台に乗って背伸びをしてツリーの天辺に星の飾りをつけたものだ。
その後は母たちのお手製の豪華なチキン料理を食べて、生クリームたっぷりの手作りクリスマスケーキを食べる。ホップとプレゼントを交換して、サンタが現れるのを待っているうちに寝てしまうのが毎年のことだった。
チャンピオンになってからは、たくさんの人たちからプレゼントを貰って驚いたものだ。
ルリナからもらった綺麗なタオルハンカチ、ソニアからはポケモンも一緒に食べられる手作りクッキー、ダンデからはボール詰め合わせ、キバナからは可愛らしい小さなクリスマスブーケ。
お返しに散々悩んで、精いっぱい選んだ品物を皆喜んでくれたのも、幼き日のいい思い出だった。
そんな子供から少し大人になって、ある時ふと気づいた。
クリスマスはカップルで溢れている、と。
ぎこちなく手をつないで頬を赤らめる初々しいカップル、仲良く腕を組んで歩く夫婦。
皆、誰かと一緒だった。そんな中、一人きりでいる自分がなんだか取り残されたような気持ちがして、急に寂しさが湧いてきた。
最初はどこか居心地が悪いなと感じるくらいだったのに、段々それは羨ましいという嫉妬に変わり、クリスマスの時期になると人の多い場所を避けるようになった。
店内から漏れて聞こえてくるクリスマスソング、街中の木々に飾り付けられたイルミネーション。それらから逃げるようにハロンタウンへ戻り、幼い日のように母と過ごすのがここ数年の定番だった。
けれども、今年は別の意味で落胆していた。
成人して晴れて付き合うこととなったキバナと過ごす、初めてのクリスマス。
生憎彼はいつも通り夕方まで仕事だが、その後にデートに行こうと誘われたのだ。
クリスマスが近くなってもデートの話題がなく、ああ、今年も忙しいのだなと勝手に納得して半ば諦めていたイブの前日。突然届いたメッセージに浮かれて承諾のメッセージを送った。
すぐにクローゼットを開けてどれを着ていこうかと手を伸ばしかけてすぐにその手はだらんと垂れ下がる。そこにはデート用の服なんて並んでいなかったのだ。
左から右端までかかっているのはパーカーやカジュアルな服、トレーニングウェアに数着のドレス。さすがにドレスでデートは行けないだろうと頭を抱え、スマホでデート用の服を検索しているうちに眠ってしまった。
起きてすぐに用意をしてブティックへ足を運んだ。何件も回っている時間はない。夕方前にはナックルシティに着いていないとならない。浮かれた気持ちと、焦る気持ちが混ざり合って自分でもよくわからなくなる。こんらん状態ってこんな感じなのかな、なんて余計な事を考えてしまう。
お洒落に興味がないわけではないのだが、ルリナのように何を着ても似合うというわけでもなければ、マリィのように決まったスタイルがあるわけでもない。
会食用にワンピースを購入したことはあるが、その時はオリーヴかマリィと一緒に来て選んでもらった。
意を決して、ブティックの重たいドアを押して、店内を端から回って一着一着見ていく。そもそもデート用の服なんてどんなものがいいのかすらわからない、というのが本音だった。
せめてどこへ行くのか聞いてから来るべきだったかもしれないと後悔して、ぐるぐると何周も回り、ふと店内の真ん中に飾られたマネキンに視線を向けた。
そこに飾られていたのは、黒い無地のタートルネックセーターにうすピンクのもこもことしたカーディガン、細みの黒いパンツ。
そっとカーディガンに触れるとウール―の毛のように柔らかくて暖かそうで、足元のブーツも裏地が同じようにもこもことしていてさすが店員さんがコーディネートしただけあるなぁ、と感心してしまう。
すぐさま店員に話しかけ、マネキンの着ているまま包んでもらい、大きな袋を手に満足して店を出ると頬に冷たいものが当たった。
心なしか薄暗いような気がして空を見上げると、大粒の白い塊が空からはらはらと振ってくる。
丈夫な紙袋に跳ね返る粒に、慌てて家路についた。
◇◇◇
なんとか酷く濡れずに家へ戻り、時刻を確認する。ナックルシティまでの移動時間を考えてあまり時間はない。天候が崩れてきていれば余計、時間がかかるだろう。
鏡の前に立つと大粒の雪が髪にいくつも付いていてその部分を湿らせていた。紙袋から服を取り出して、濡れずに済んだことに安堵しながら着替えていく。
前髪をドライヤーで乾かし直して少し高い位置でポニーテールを作って、他の女性よりは明らかに少ない化粧品を手順を思い出しながら顔に乗せていき、最後にブーツに足を収める。
試着もせずに買った服は、自分で見ても違和感はない。薄く施したメイクも髪も、変ではないだろう。
腕時計で時間を確認して、再び慌てて予約したアーマーガアタクシーに乗り込む。
行先をナックルシティまで、と運転手に伝えると、大きな羽を羽ばたかせてアーマーガアがゆっくりと高度を上げた。
ふうっと座席の背もたれに背を預けて空を眺める。薄暗い雲からはしきりに雪が降り落ちていた。
小さなバッグを広げて、昨夜しまい込んだキバナへのクリスマスプレゼントが入っていることを確認する。
何がいいかわからなくて、それでも一生懸命悩んで選んだ漆黒に控えめなシルバーの装飾が施されたボールペン。
デジタル化が進んでいるはずなのに未だに直筆サインをしなければならない書類が多い彼には何本あっても足りない物だ。
ダンデに相談して勧められたブランドは決して安いものではなかったが、だからこそ彼が持つには相応しいだろう。
喜んでくれればいいな、とバッグの奥底へしまい直してふにゃりと笑った顔を思い浮かべる。
アーマーガアが降下を始めて雲を突き抜けると、そこには見慣れたナックルシティが広がっていた。
ジムの前にアーマーガアが降り立ち、トンっと飛ぶように降りる。
きょろきょろと辺りを見渡すと、まだ夕方よりも少し早い時間だというのにナックルジムのスタッフの姿は見当たらなかった。
勝手に入っていいものかと少し躊躇いながらキバナの執務室へと足を進める。
コンコン、と2度ノックをするとガチャっと重厚な扉が開いた。
「お、ユウリ。寒かったろ?」
「こんにちは、キバナさん」
扉の先に立つキバナは髪を下ろし、同じ黒いタートルネック姿に同じようなスキニーの黒いパンツ姿。
思わずあ、っと小さい声を上げてしまった。
「はは、なんかペアルックみたいだな」
「…はい」
いつも通りトレーニングウェアだと思っていたのに、と何度も瞬きを繰り返して自分の服と見比べる。顔中が熱を持ったように火照っていった。
「紅茶でも飲むか?」
廊下に立ちすくんでいると、中へ招き入れるようにドアが大きく開いた。
こくんと小さく頷くと、さっそくキバナは用意にかかる。
毎回訪れる度に淹れてくれる紅茶は絶品だった。
特にフレーバーティーにほんの少し砂糖を入れた紅茶がお気に入りで、今日はどんな香りがするのか想像する。
目の前に置かれたガラスのティーカップに注がれた紅茶に一匙の砂糖を溶かしてふうふうと息をかけて一口啜る。
「…イチゴとローズ…?」
「おしいな、ベリー系にローズとバニラだ」
フレーバーティーを出されたときはお決まりの、何がブレンドをされているかを当てるゲームにまだ一度も正解したことはない。華やかな香りがブレンドされた故に作られるものだと最近気づいたところだ。
「今回は2種類、当てられました」
もう一度口に含んでゆっくりと味わう。最初にストロベリー、ラズベリー、クランベリーの甘い匂いから少し酸味のある匂いへ、その先にローズが香って、甘いバニラの香り。
「クリスマス限定のフレーバーだってさ」
キバナが手にしている小さな箱にはツリーやサンタなど冬のイラストが描かれていて、これだけでインテリアになりそうだ。
カップをティーソーサーの上に置いて、バッグの底から小さめの長方形の箱を取り出す。まるでバレンタインのチョコレートを渡す時のように緊張してきて、心臓の音が煩わしいほどに鳴り始める。
「あの、キバナさん。メリークリスマス」
差し出した箱に重みが加わって、すっと離れていく。
「ありがとう。オレさまからもプレゼント」
「あ、ありがとうございます」
渡すことしか頭になく、離れていった箱とは別の物が手の平に乗る。クリスマスプレゼントは交換するものだなんて子供でも知っていることを忘れていて変にたどたどしくなってしまった。
「開けてもいいですか?」
綺麗に包装された細長い箱からちらりと見上げると、キバナが視線で促した。
一緒にお互いのクリスマスカラーの包装紙を外して、現れた長方形の箱を手に取る。
そっと蓋を外すと、そこにはピンクゴールドの小さいハートのネックレスが入っていた。
「キ、キバナさん。これ、ハイブランドのネックレスですよね?いくら私でも知ってますよ?」
以前ルリナと一緒に雑誌を見ていた時に広告を見たことがあった。その金額までは覚えていないが、雑誌に載っているもの全てがハイブランドばかりだったことは覚えている。
「ユウリも、だろ?」
ニヤリと八重歯を覗かせてキバナは御相子だ、とでもいうように笑った。
「ダンデさんに、そのブランドを勧められて。お店に見に行った時にそういえば前にキバナさんにペンを借りたときもそのブランドの物だったなぁって」
「よく覚えてたな。ありがとうな」
少し目を見開いて、キバナは立ち上がってデスクの手帳に手を伸ばす。さらさらと使い心地を確かめるように何かをメモして、元々差していたボールペンを外して今しがたプレゼントしたペンに差し替えた。
その間に箱からネックレスを丁寧に取り出し、フックを外して後ろ手に見えない金具を引っ掛けようと奮闘するが、なかなかうまくいかない。
「貸してみろ」
手帳をデスクに置きなおし、キバナが隣に腰掛けて指先から金具を摘まんだ。何度も格闘したネックレスはいとも簡単に首元を飾る。
「どう、ですか?」
「うん、似合うな。今日みたいなシンプルな服に良く似合うよ」
「よかった。私、アクセサリーってあんまりつけないから、自分に似合うのかよくわからなくて」
「オレの見立て、信じられないか?」
ふるふると首を横に振る。
この一年近くで部屋には様々なものが増えた。身に着けるものとすれば、時計にピアス。その中に今日、このネックレスも加わった。恐らくどれも高価な物なのだろう。チャンピオンとして、年相応に相応しいものを選んでくれているだろうことは気づいていた。
その他にも紅茶にも色々な種類があること。食事のマナーや歴史。それらの知識とて、座学で学ぶよりもとても楽しいし、いつもすんなりと頭に入ってくる。
だから、日頃なかなか同じだけ返せない分、今日くらいは高価なペンでも許してほしいものだ。
「キバナさんもボールペン、使ってくれますか?」
「もちろん。大切に使う」
肩に腕が回って、軽く引き寄せられる。
漆黒の髪が頬を擽って、そっと目を閉じると、ふわりと香るムスクの香りと自分のものではない唇の感触。
薄暗くなり始めた室内に響いた小さなリップ音は、どこからか聞こえてきた鐘の音にかき消された。
We wish you a merry Christmas
We wish you a merry Christmas
We wish you a merry Christmas
And a happy New Year.
Glad tidings we bring
To you and your kin;
Glad tidings for Christmas
And a happy New Year!
どこからか子供の歌声が聞こえてくる。定番のクリスマスソングを元気に歌うその声に耳を傾けて、そっと呟いた。
『Merry Christmas』